3.妖狐の目 2
本日3回目の投稿です。
次からは少し間を空けて投稿します。
では前回の続きからどうぞ。
その時穂香は、この男には発生源が何なのか分かっているんだと思った。誰かが意図的に起こしているかのような言動。そしてその誰かが男の視線の先にいるのだと。
風が止まない中、轟音とも言える男の怒鳴り声が響き渡った。
「いい加減にせぬか! 黒羽!」
穂香はあまりの衝撃に、別の意味でびっくりした。こんな大声が出るのかとも思った。
男の声で風は止み、少しの間その場が静まり返った。
依然として男の表情は変わらず、ただ一点を見つめている。穂香も同じ方向を見るが何もなく、あるのは生い茂った木々たちだけ。
その木々たちの間の空間が少しだけ揺らいだ。葉が揺れたとかじゃなく、空間が、だ。
そしてそれは穂香にも見えた。穂香はまだ足に力が戻りきっていないが、反射的に立ち上がる。
立ち上がったはいいが足はがくがくで、ちょっとでも衝撃があれば倒れそうだった。そんな穂香の様子を見て、男は穂香の手を取り、自分の方へと引き寄せた。
「倒れぬよう、掴まっておけ」
「あの、今のはいったい……」
「ここにたまに来る阿呆のすることじゃ。何か面白いものでも見つけたか、あるいはお前に引き寄せられたか…」
話している2人にまた大きく風が吹きつける。けれど今度は一瞬で、さっきのような風ではなかった。
そして風が止むと同時に穂香の目の前を、1枚の黒い羽根がひらりと落ちてきた。
「珍しいっすね。文の兄貴が人の子をここにいさせてるなんて」
「は、は、早い~… 死ぬかと思った…」
「あれ、稀莉ちゃん、度胸あると思ったのに実は怖がり?」
「限度ってもんがあるでしょ!?」
穂香にとって聞き慣れぬ声と、聞き慣れた声。聞き慣れた声が稀莉だと判断するのにそう時間はかからなかった。
「稀莉!」
「え… 先輩! 探してたんですよ!?」
掴まりながらでないと立っていられないのは変わらずだったが、それでも飛びついてきた稀莉を穂香はしっかりと受け止めた。
何の偶然か、穂香が知り合った男の知り合いと稀莉が一緒にいた。人外であるのはもはや言うまでもない。
穂香は稀莉と一緒に来た男をじっと見る。濃い緑色を基調とした袴姿に、背中から生えている黒い羽。何の妖か、ヒントはいろんな所にあった。
男に「いたずら」と評された行為。稀莉との会話での話し方。そこから性格は少しチャラついていて、お調子者と予想される。
なんにしても、稀莉が一緒にいるのならそんな悪い人ではないのだろうと穂香は思った。祖母譲りの人を見る目が稀莉にあるのを知っているからというのも理由の1つ。
「そうだ、稀莉。…はい」
「あ… お守り……」
「妹さんの、これで合ってるよね」
姉妹おそろいで作られたお守り。目印として姉のには紺色の、妹のには青の小さなリボンが付けられていた。
今、穂香が稀莉に渡したお守りには、青のリボンが付いている。穂香が思ったとおりで、稀莉の妹が失くした(取られた)お守りだった。
「ありがとう、ございますっ…!」
目に涙をいっぱい溜め、稀莉は全身全霊かというくらい本気の感謝をしていた。
稀莉にとってお守り自体はさほど重要ではなく、祖母から貰ったという事実の方が大切だった。
おばあちゃんっ子だった稀莉は、たとえそれが妹のものでも、失くしたとあっては祖母の気持ちを無下にしてしまうのと同義であった。
加えて今回は穂香と稀莉にとって普通でないことが起きた。大好きな先輩を危険な目に遭わせたことも、酷く後悔しているのだ。
穂香も、稀莉がそういう風に思っていることはよく分かっていた。
だから少しでも自分の気持ちが伝わるように、穂香は優しく稀莉を抱きしめた。泣いている子をあやすかの如く、背中をポンポンと軽くたたく。
「ふーん……」
「なんじゃ」
「いや、別に。あれが稀莉ちゃんが言ってた穂香先輩かぁって思いましてね」
「黒羽こそ、あの娘は… 巫女の血筋の者ではないか。……あの事に利用する気か?」
「どうでしょうかね… 文の兄貴も、穂香ちゃん、代わりにするんですか?」
「ありえぬな。代わりなど、おらぬわ」
穂香と稀莉を少し遠目に見ながら、そんな会話をしている2人。穂香はそんな2人の表情がなんとなく気になった。
自分たちの、彼らに対する偏見が少しあったのは事実だけど、あの表情に恨みや憎しみなどといった感情はこもっていない気がした。
そういえば名前を聞いて結局答えてもらってないことに気づく。タイミングというのもちょっとアレだったかもしれないが、もしかしたらこのまま流されかねないと穂香は思った。
穂香が男の方を見ると、ばちりと目が合った。ほんの1~2秒、視線が交わった後、スッと男の方から顔をそらす。
男のその行動に、穂香は心がズキッと痛んだ気がした。二重の痛みな気さえした。
「おい」
「…!」
「目的は果たせただろう。日が落ち始める前に帰るのじゃ」
ここは人外が多く住む山。男の言う事はもっともだった。
心配しているような言い方だが、突き放すような言い方に聞こえなくもない。男がわざとそうしているようにもとれる。
「じゃあ俺が麓まで送っていきますよ」
先程、あの男に黒羽と呼ばれていた。一瞬で穂香たちの元へと移動し、穂香の右肩、稀莉の左肩にそれぞれ手を置いた。
その瞬間に2人に降りかかる感覚。黒羽が何かしている、とすぐに理解し、穂香は少し離れた所にいる男の方を見やり、そして手を伸ばした。
何かを言いたいのに、伝えたいのに声が出なかった。
けれども何かを叫んでいるかのように口が動く。穂香はすぐに、それが自分の意志でないことを理解した。
「―――――!」
「なっ…!?」
その時に穂香が見たのは、男の驚いた顔。何故、そんな顔するのだろうと思った。
声は出てなかったけど、自分があの男に対して何か言ったのは分かっていた。もしかしなくてもそれが原因なのだろうか。
そう思ったのも束の間、気がついたら景色は自分のよく知る道になっていた。そして穂香たちの後ろには、さっきまでいた穂積山。
まさか、さっきまでのことは夢だったのではないか、そう思うほど事の進みは唐突だった。
けれど夢ではない証拠が、穂香たちの背後にいる黒羽の存在。人通りが少ないとはいえ、羽とか普通に見えてもいいのかと思ってしまうけども。
「なっ… なんだったの今の…」
「ただの霊力による空間転移だよ。まぁ、文の兄貴の力も借りたけど」
「文…… あの人の、名前?」
「え…… 俺が勝手に呼んでる愛称っていうか… あれ、名前、教えてもらってない?」
「聞いたんですけど、なんというか色々とタイミングが…」
穂香の言葉に、黒羽は驚いた顔をする。黒羽は、あの男がとっくに名乗っているものだと思っていたからだ。
そしてそのタイミングとやらを、自分が邪魔してしまったことを感づいて、心の中で深く反省する。
でも、目の前の少ししゅんとする穂香を見て黒羽は思った。これは、どういう冗談なのかと。
さっきまではまさか、と思ってたくらいであまり気にしていなかったが、こうやって対峙してみて疑惑が確信に変わる。
あの男と同じように、黒羽も穂香の「特異性」について気づいたのだ。
おそらく、穂香自身は何も知らないのだろうと、黒羽はあの男と同じ考えに至った。
それならあの男が穂香に対して、名乗るのを躊躇ったのも納得ができるからだ。
「あの、黒羽…さん?」
「クロでいいよ。敬語もいらない。俺に対して敬語って、なんか変でしょ?」
「そうですよ先輩! この人にかしこまったって何の得もありません!」
「…稀莉ちゃんはもうちょっと言葉を選んでくれると嬉しいかなぁ……」
穂香は、稀莉と黒羽が妙に仲が良さそうに見えることが気になったが、人間同士と変わらないその会話の様子にいくらかの安心感を覚えた。
黒羽のことはまだ、どういう人か分かりかねているけど、信用はできると思わせる何かがあった。人外といっても姿形は人間と大差はなく、違いは服装と背中の羽くらい。
黒羽なら、最低限のことはちゃんと教えてくれると、たいした理由はないけど穂香はそう思った。
黒羽は力の無き者というわけではなさそうなのにあの場に来たこと。穂香を襲ったあの妖と黒羽の違い。それでいて黒羽とあの男の共通点が何かも探した。
「またあの人に、会いに行ってもいいと思う?」
「もう来るなとか言われたりした?」
「ここから去れとは何度も言われたけど…」
「ふーん……」
穂香の返答に黒羽は少し考えるように声色も曇らせる。少ししていきなりふっと笑うものだから、穂香も稀莉も頭の中に疑問符が浮かんだ。
黒羽には分かったのだ。あの男の考えていることが。そう考えているだろうと思うのが妥当であり、必然的に行きつく答えだ。その男がどういった性格かを知っている黒羽だからこそ、想像できた答えともいえる。
それはあの男らしいともいえる言動だった。
「ほんと、不器用だなー、あの人は」
「あの…?」
「あの人はね、人間に対しては疑心暗鬼なんだ。穂実さんがいなくなってからはそれが一層酷くなった」
黒羽の話を聞きながら、穂香はそれがどういうことかを想像する。穂実の命の失われ方については、あの本に記してある通りなのだと知った今、あの男の悲しみがどれほどのものなのか。
ほんの少し考えただけでも、苦しくて苦しくて、胸が張り裂けそうだった。思いっきり声を上げて泣いてしまいたい気分にもなった。
けれどこぼれそうになる涙を穂香はぐっとこらえた。2人にばれないように、服の裾の後ろの方を強く掴む。
「今日、穂積山にちょっとした違和感を感じたから会いに来たんだけど、そしたらキミたち2人がいた。…で、文の兄貴の顔を見た時、すぐに気づいたよ。違和感の正体、これかって」
「それって、なんだったの?」
「この山は結界が張られていて、基本的に文の兄貴が敵、部外者と見た存在は入れないようになってる。それは人だろうが妖だろうが変わらない。でもその結界の力が弱まっているって気づいたんだ。原因がたぶん、文の兄貴の力の枯渇と精神の弱体化によるものなんだけど…」
力の枯渇と精神の弱体化。言葉の意味は理解できている穂香だったが、あの男が弱っているとは思えなかった。そうは見えないと言った方が正しいかもしれないが、どう見えるにしても黒羽の言っていることは疑いようのない事実だった。
「でもね、その弱体化を止めて尚且つ力を回復させる方法があるにはあるんだけど、かつては穂実さんがやってたことで他の人では無理だって言われてた。だからこの山に身を寄せる者たちはほとんど諦めてる」
「どうにもならないの?」
「いや、どうにかできる可能性はあると思ってるよ。穂香ちゃんにならね」
「ちょっと、どういうこと?」
「明らかに違った。俺、文の兄貴の1人の人間を見るあの目は千年ぶりに見たかもしれない」
穂香を見ていた男の目。様子が変わったのは穂香も気づいていた。
表情はたいして変化しなかったが、穂香が無意識に見ていた男の目は確かに変化がいくつかあった。
ただ1つ、どんな時でも穂香が共通に感じていたことが。
「私は… 私は何をやればいいの?」
穂香がずっと感じていた、あの男の優しさ。冷たい言葉や、怒りの言葉が飛び交った時でも、それはずっとずっとそこにあったもの。
そうは言ったものの、どうすればいいのか、本当に深く関わるべきなのかと穂香の中にはほんの少しの迷いがあった。
自分がここまで関わっていいものではないのかもしれない。
いくらどうにかしたいと思ってもそういう考えが頭の中にあるのは事実で、正反対の意味を持つ思いが穂香の中を駆け巡る。
「珍しいですね、穂香先輩がこんなに執着を見せるなんて」
「執着って…」
「だって何事に対しても冷静に対処して、飄々とこなしていくじゃないですか。それこそ人間関係に対しても。深すぎず、浅すぎずの関係を保ってきてて… だからびっくりしてるんですよ! 私とこんなに仲良くしてくれるなんて、正直思ってなかったですし」
「そんな風に思ってたの?」
「興味持ったことをとことんやるのが穂香先輩ですから、やりたいようにやっていいと思いますよ。会いに行きたいなら、会いに行くべきだと思います!」
稀莉のその言葉で、穂香の中の何かが吹っ切れた。こうしたいと思ったことに自信が持てたのだ。
正直、自分の中にある何かに対しての不安はまだあるし、それをどうすればいいのかなんて決まっていない。
普段ならもっとよく考えてから結論を出す穂香だが、今回ばかりは考えれば考えるほど答えが出せない気がしたので、考えるのを止めた。
「…まぁ、なんにしろ今日は帰った方がいいよ。穂香ちゃんみたいな狙われる人は暗くなってからは危ないから」
そういや自分は狙われていたのだと、穂香は今更ながらに思い出す。
穂香の中で優先順位が更新されて、自分が狙われたことなんてさほど重要ではなくなっていたからだ。
けれど逆に落ち着いてきたからこそ思うことが。何故、自分は狙われたのだろうかと。
穂香の家はごく普通の一般の家系だ。会社員の父、専業主婦の母、3つ歳下の弟。
家系に狙われる理由がないとなると、あとは穂香自身。穂香の何かが狙われる理由となったと考えるしかなかった。
「でもまぇ、しばらくは大丈夫だと思うよ」
「え、どうして?」
「今はまだ、文の兄貴の気配が穂香ちゃんにしっかり残ってるし、なにより… ほら、その肩の…」
「肩…? うわっ!? いつのまに!?」
穂香の肩にとまっていたのはあの黒い蝶。幻魔蝶だ。
飛び去る様子も、襲ってくる様子も一切ない。ただ穂香の肩にとまって、ゆらゆらと羽を揺らしているだけ。
あの男が言ったとおりで、この幻魔蝶は穂香になついていた。
妖が人間になつく主な理由は大きく分けて2つ。少しの間接して人柄を気にいる場合と、魂や霊力の波長を気にいる場合。穂香と幻魔蝶の場合は後者に当てはまる。
一番最初に幻術をかけた所までは本当にただのイタズラだった。
たまたまイタズラをしかけた相手が、自分好みの波長だった。幻魔蝶にとっては儲けものだった。
敵意がなさそうなその様子を見て、付いて来てしまったことについては、穂香は一旦置いておくことにした。
「幻魔蝶ってけっこう高位な妖でね。人間を気にいることはあまりないんだけど、気にいったモノを守ろうとする行動をとることがあるんだよ。相手が同じような高位な妖でなければ、大体はそいつが何とかしてくれると思うよ」
つまりは、穂香を気にいったこの幻魔蝶が穂香を守ってくれると、そういうことになる。
妖の心理なんて分かるわけないが、別に代償を支払うとかではないみたいなので、ほっといても大丈夫かなと穂香は思った。
今までの黒羽の発言から、夜はダメでも昼なら行ってもいいんだと勝手に解釈する。
何かに執着するような、こんな気持ちになることは穂香にとっては初めてだった。
いつだって何にするにしても、平均以上のレベルで軽々とこなしてしまうため、興味は出ても好きになったり、こだわったりということがなかったのだ。
今日は帰るけれど、明日はどうしようとか、その次の日はとか考えてしまっていることは言われなくても分かっていた。
「私、穂香先輩のそんな顔、初めて見たかもしれないです」
割と長い付き合いの稀莉がそう言うほど、今の穂香は生き生きとしていた。
実際にこれからのことを考えるだけで、自分の中のワクワクが止まらなかった。そんな穂香の心情に呼応するかのように、穂香の肩にいる幻魔蝶は羽を揺らしていた。
色々と思うことがある中で、穂香は1つの疑問を思い出した。さっき、自分はあの男に向かって最後に何を言ったのかと。
~*~
穂香がその疑問を思い出したのとほぼ同時だった。
幻魔蝶の羽が大きく揺れ、僅かだが微かに光る鱗粉が穂香の周りを舞った。
その瞬間、穂香の頭の中で見覚えのない映像と、聞き覚えのある声が再生される。
それは穂香の心に反応した幻魔蝶が見せた幻術の1つ。正確には魂と心に同調し、幻術として見せられているとある人の記憶だった。
けれどもそれが誰のかなんて、その時の穂香が思い至ることはなかった。
あまり慣れない書き方をしているので、文章や語彙力に自信ないです。
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