16.穂実という人 2
見える人間からしたら、妖への警戒をしないなんて自殺行為もいいところだった。
もちろん、娘はそんなことなど露ほども思っていない。
娘はお社前に到着する。
今はまだ、主無きお社。それなのに何故か、力が保たれているお社。
娘がその場所の中心へと行き、昨夜のと同じ呪文を唱え始める。
周りには静かに集まり始める妖たち。
ある者は興味で、ある者は心配して。そしてある者は、邪な思いを持って。
娘が呪文を唱え終え、ほんの数秒間の静寂が流れる。
そして、柔らかな光と共に、娘を突然吹いた風が包み込む。閉じていた目をほんの少し開けて、何かと会話をするかのように口を動かす。
何を話しているかは周りの妖たちには聞こえていない。
「今の、貴女の身に」
「私が、貴女に伝えるべき事を」
「私は、貴女と共に」
「私の、元へと」
「山の中、最も霊力が清い場所へと」
「貴女は、幸せですか?」
娘が何かと会話しているように見えているだけで…
ただ娘が柔らかな光に、語りかけているだけだった。
向こうからの返事は一回としてない。それでも娘は、自分の存在を主張し続けなければいけなかった。
守るために、助けるために。
未来に彼女が存在しているから、今自分がここにいるのだと。
そんなどうにも理解し難い事実を知ったあの時から、娘はどうにかしようと必死になった。
「えっ……?」
娘の目の前にあった光が飛散し、娘を包み込むようにしてまた集まってきた。
娘はその光から自分のものではない、温かな霊力を感じた。
それは彼女のものだとすぐに理解した。その霊力はとても心地良く、涙が出そうなくらい温かなものだった。
強く、強く惹かれた。
「誰か、おるのか?」
娘は背後から声をかけられた。
いけないと思い、娘は慌てて術を停止させる。でもその術の僅かな隙間から漏れ出た霊力を察知して、その存在はそこへとやってきた。
娘が振り向いたことで、2人はお互いの姿を認識する。
じっと見つめあう。先に口を開いたのは男の方だった。
「…お主、ここで何をしておった?」
「……」
「お主は人の子じゃな。人の子が、しかもお主のような魂の者が1人でいるものではないぞ」
男は、娘が行っていた術について、深くは追及しなかった。
娘がすぐに隠したからもある。だけどそんな事よりも気になること、求めるものがその男にはあった。
その時に男が求めていたのは「希少な霊力」の持ち主。自分の今後の為に、人間だろうが妖だろうがどちらでもよかったが必要だった。
ようやく見つけたと思い、ここに来たらこの娘がいた。
「すみません… 私が知る中で、ここが一番の手頃な場所だったので…」
「………お主」
「え?」
「我を何とも思わぬのだな」
男の言葉に娘は目をぱちぱちさせる。言われると思っていなかった内容に、どう答えたものかと返す言葉を探す。
何を気にしているのかと思ったが、所々にある男の「人じゃない部分」。頭の上にある耳に背後に見えるゆらゆらと揺れる一本の尾っぽ。
あ、だからかと娘は思った。
妖の中には人間に対して不信感を抱いている者が多いことは娘も分かっていた。妖とは人よりも身近なものだったから。
自分の目の前の男もそっち側だと分かってから、逆に警戒は無くなった。
男は娘に近寄り、娘の首元に顔を近づけ匂いを嗅いだ。不意を突かれた娘は固まるしかない。
「何か…?」
「お主、名前は」
「穂実、です。貴方は?」
「我には名前などない。そもそも妖には名前がある奴の方が珍しい」
この時の娘に他意はなかった。
そして善意でもない。直感的に思ったことを口にしただけだった。
「じゃあ、私があげましょうか? 名前」
「………本気で言うておるのか?」
男にも娘が冗談で言っているわけではないと分かっていたが、それでもその言葉は信じられないものだった。
妖にとっての名付けは特別なもの。主従契約だったり、力を分け与えるものであったり、対等な立場となる同等契約だったり…
娘がどの意味で言ったのか、または本当に何も考えていないのか。真意を見ようとその目をじっと見るが何も分からない。
ほんのちょっとの警戒がまだあったからなのか、男は名を貰うことをしなかった。けれどその日をきっかけに2人の交流は続いていく。
人の姿にもなれる男は、娘に会うために村にも下りてくるようになった。
僅かだが、村人たちとも関わるようになった。
でも、男の関心は娘にのみ。会えば挨拶くらいはするが、娘や弟子の男の子以外とは会話らしい会話はしようとしていない。
「そんなに… 人に興味ありませんか?」
「………人間などに、期待する価値などないに等しい」
「…私や清とは話すのに?」
「……そうだな。お主等は、今までの者とはどこか違うな」
その言葉から、今までの人との関わりあいがどういうものだったのか安易に想像できる。
けれど娘自身、対人関係が良いとは言えなかった。だから娘はそれ以上のことは何も言う事はしなかった。
共にいるようになってからまた半年がたち、娘は16歳になった。それぐらいの歳になれば幼さは抜け、より大人に近づいていく。
娘もまた、僅かながらに残っていた幼さは抜けきっていた。元々大人びていたが更にって感じだ。
そんなだから当然、異性に言い寄られることが多くなった。人との関わりを少なくしていたことが、大人しく控えめな性格と思われよけいに人気を集めることとなる。
でも娘の関心は人にはない。自分の運命から逃れられないのなら、それとどう向き合うかを真剣に考えるようにしたのだ。
娘が時々、どこか遠くを見るような目で何かを考えている。切なげな表情になる時もある。
何を考えているかなんて、一緒にいるようになった男にも分からないことだった。そうしてよく見るようになってある時、男の中で1つの感情が次第に大きくなっていく。そしてそれは娘も同様だった。
その感情が「人を好きになること」だということに、そう気づくのに時間はかからなかった。
お互いに自覚をしたらその後は早く事は進んだ。
「…やっぱり名前決めませんか?」
「けっこう拘るな…」
「契約とか、色々あるのはもう分かってますよ。けど、そんなことよりも不便なんですよ! 名前がないっていうのは」
「むむ……」
名前がなくて不便という感覚が男には分からない。
だって自分には決まった名前がない。両親という存在はいるが、その両親にも名前はないからそれが普通だと思っていた。
けれどこの村に訪れるようになって、娘といるようになって。
男の中で感情の変化が起きていた。
娘には「穂実」という名前があって。少年には「清」という名前があって。
その他の村人たちにも当然、名前があって。名前がある生活に触れて少し羨ましくなったのかもしれない。
男は、娘の言葉に気づけば頷いていた。
「貴方が来るようになった今年、田畑の実りがいいですからね… ………文月、文月丸はどうですか?」
その瞬間、男の胸元に光がぽっと灯る。
霊力と神気が上昇する。足元の小石がカタカタと揺れ、草木がざわざわ騒ぎ出す。蕾になったばかりの花の苗がぽっと花を咲かす。
鳥や小動物たちも集まってくる。溢れた2人の霊力に惹かれて多くの小物妖も寄ってくる。
男は自身の胸元にそっと手を当てる。
貰った名前を頭の中で反復させる。するとだんだんと自分の中に「名前」が浸透してくるのが分かった。
「文月丸様」
「……」
「…ふふっ」
「なんじゃ」
「いや、嬉しそうにしてるなぁって思って」
「嬉しそう……?」
言われて気づいた自分の感情。
これが、「嬉しい」という感情。多くの人間の感情、表情を見てきたが、自分が感じるのは初めてだった。
娘は男に微笑みを向ける。娘もまた、受け入れてもらえたようで嬉しくなった。
娘の中でも愛しく思う感情が大きくなる。けれど何かちょっと違う感じがして娘は不思議に思った。
両親に向けていたものでも、弟子の少年に向けているものでもない。何かが違う「愛しさ」。
あの子に向けるものでもなかった。何がどう違うのか、娘には分からない。
けれども似たような感情を抱いた2人が、恋人という関係になるまでにさして時間はかからなかった。
娘が男に名を送った日から、また1年が過ぎた。
気候は安定し、田畑は快調。春には桜が見事なまでに満開となった。
村人たちは、「お狐様」のおかげだと崇め奉った。
事実、娘が訪れたことのあるあのお社は、昔から豊穣の神が祀られているとされるお社だった。
そこの主となった男がお狐様であり、現状の豊穣の神。
「え、悪化する…?」
「そうじゃ。あともう少しすれば再び状態は悪くなる。我がここに来て力は安定したが、根本的な土台は今もなお崩れておる」
「……それって、この土地の?」
「以前に話したな、この山は聖域だと。その聖域の核が何らかの理由でずっとヒビが入っている状態だった。我の上の存在、空狐殿たちがなんとか直そうとしているらしいが、無理じゃろうな」
本当だろうかと、娘はそう思った。
別に男の言葉を信じていないわけではない。ただ、その空狐たちの言動に疑問を持ったのだ。
娘には、もう大分前から空狐たちとの繋がりがあった。
彼らから聞かされていたことと、今男が言ったことの内容が微妙に一致しない。なんとか直そうとしている、なんて一言一句聞いたことがない。
むしろ直すなんて露ほども思っていないと思った。そんな素振りもないからだ。
そのことから娘がたどり着いた結論は、空狐たちがなんとかしようとしているのは事実だが、それは “直す” ではなく “新しいものを置く” ということであることだった。




