2.妖狐の目 1
本日2回目の投稿です。
サブタイは同じですが2つに分けました。前編後編と思っていただければいいかと。
まずは前編どうぞ。
スッとした低音のその声は、穂香にとっては聞き心地が良かった。
聞き覚えがあるような、ないような。声の主も姿もあきらかに人外の者なのに、穂香の中には先程のような恐怖心はなかった。
穂香を見下ろすその目はとても冷たかった。どこか悲しみに揺らいでいるようにも見えるその目は、穂香の姿をしっかりと捉えていた。
「迷い子か、人間」
「え… いや、あの……」
「この場から早急に去れ。命が惜しければな」
突き放す冷たい言葉。
穂香だって、出来る事ならこの山をすぐにでも下りたかった。追われているし、そもそも現在進行形で命の危機なのだから。
だけど、それは簡単にはできない。できない理由が穂香にはあるのだ。
「お守りを、探しているの」
「…………」
「とても大事なモノなの! 数日前に、この山に小学生の男の子たちが入って、落としていったはずで… 心当たりありませんか?」
「知らぬな」
簡単に見つかるとは思っていなかったものの、少し期待していた。ほんの少しの情報でも入ってくれれば、そういうのは浅い考えだったのかもしれない。
知らぬ、とバッサリ言い切られて穂香はそう思った。というよりも、人の手に収まるような小さい物がそう簡単に見つかるはずがないのかもしれない。
気持ちいいほどバッサリ言われて、穂香は少しへこんだ。けれど穂香を突然襲った浮遊感が、そんな暇すら与えてくれなかった。
「手間かけさせおって。この小娘が」
「(何!? この煙… 息がっ…!)」
どういったものなのか分からないその煙によって、穂香は捕らえられ、身動きがとれなくなってしまった。
しかも不運なことに、鼻と口、両方を塞がれてしまっている。これでは呼吸ができない。
なんとか逃げ出そうともがくがその抵抗も空しく、だんだんと動く気力も失われていった。
「それにしても、この魂の甘美な香り… 穂実の魂と同じだな」
穂香はその名前を聞き逃さなかった。
うっすらと目を開けると、穂実の墓の周辺で自分を襲った奴の姿が確認できる。目の前のコイツのニヤニヤした顔を見ていると、穂香は無性に腹が立ってきた。
穂実という女性が生きていた時代は、千年は前のことになる。そんな時代に生きた穂実を知っているというのは、コイツも穂実に何かしたのだろうか。
そう思ったのは穂香だけではなかった。先程、鳥居の上から穂香に話しかけた男も同じことを思っていた。
そして、穂香にも分かるほどの殺気を放ち始める。
「何故、お前が、穂実を語るのじゃ」
「えっ… お、お前はっ!?」
「目ざわりじゃ… その娘をおいてここから立ち去れ!!」
何が起きたのだろう。穂香は理解ができなかった。
分かったのは、自分を拘束していた煙が消えたこと、さっきまで目の前にいた奴が消えていること。この男が何かしたのは明白なのだけど、何をしたのかを目にすることができなかった。
でも、どういう経緯であれ助かったのは事実だ。助けられたのだ。
「あの……」
「…………」
「ありがとう、ございました…」
「なんのことか知らぬな。早うここから去るがいい」
何故だろう。…と、穂香は不思議に思った。
最初に言われたことと同じような言葉なのに、声色が違うように感じたのだ。
先程よりも優しい感情がこもっている。
「嫌です」
「な…」
「失くしものを見つけるまでは帰れません! それにはぐれた友人も見つけないと」
「友人…? もう1人、人の子がおるのか…」
この会話をしている間にも穂香は考え続けていた。
助けてくれたとはいえ、目の前に存在する者は人外だ。人外であるなら正体は? 見た目は人に似ているが、その佇まいや雰囲気、服装は一般の人とは違うことを指していた。
それに、鳥居があったということはここは神社であり、そこにいるということはつまり…
「狐神……?」
穂香は本当に小さい声で呟いたつもりだった。
ちょうどその本を読んでいたというのもあって、ほんのちょっとそう思っただけのつもりだったのだけれど。
「お前、やはり知っててここへ…?」
怒っているわけではないのだろうけど、殺気にも似た冷たい空気をぶつけられているのは、その瞬間に理解した。
周りの木々たちもざわざわと騒ぎ始め、嫌な風が吹き、その場の雰囲気がピリッとしだした。
穂香は少しだけたじろいだが、その目はしっかりとその男からそらさなかった。
狐神、という言葉に反応して気を荒立てているようにも見えるが、根本的な理由はもっと別にあるのかもしれない。
その理由が、狐神という言葉につながる何かだと考えた穂香は、慎重に言葉を選びながらも男との会話を続けることにした。
「知ってて…というか、私は知りたくて来たんです。穂積山や狐神様のことについて、基本的なことならこの町に住む者なら当たり前に知っています。私は当たり前のことより、もっと奥深くにある誰も知りえないことを知りたくて来たんです」
「ただの野次馬のようなものか」
「……」
「なんじゃ、その目は」
嫌味な言い方、憎まれ口のように聞こえなくもない。
冷たい気を放って嫌われようと、怖がられようとしているようにも見える。
けれど穂香が感じた何か。その何かはかつてとある人物が最初に抱いたものと同じだった。
男の顔をじっと見上げる穂香の意識に、もう1人の意識が重なった。微かともいえる変化に、男は少しの違和感を覚えた。
「なぜ…」
「…!!?」
「「何にそんなに怯えているの?」」
穂香の声に、他の誰かの声が重なった。
その場に穂香と男の2人しかいないのはあきらかで。だけどその男にはハッキリと、もう1人の声が聞こえた。
問いかけ方も、声の波長も、かつて自分が守りきれなかったその人のものだった。
でも、その人はもういない。いていいはずがなかった。
「誰じゃ… お前は一体何者なのじゃ!! なぜ、なぜお前からその声がっ…!!」
男に聞こえた声は、穂香には聞こえていないし、自覚もなかった。だから激高している理由が穂香に分かるはずもない。
強く掴まれた腕に痛みが走り、穂香は顔を歪ませる。
吹きつける風も痛いし、正直ここから逃げ出してしまいたい気分だった。
だけど穂香はこの男を理解したかった。何故かと言われれば分からないけれど、自分の心がそうしたいと言っているように思えるのだ。
だんだんと強くなる痛みに耐えながらも、穂香は相手をしっかりと見据えた。
目の前の男が、伝え聞かされてきた狐神であることは確信したようなものだったが、だとするなら彼が負った傷や悲しみはどれほどのものなのかはかりしれない。
「そういえば、まだ、名乗ってなかったですね… 私、は… 管原穂香と、申します… 貴方の言う、その声というのが、誰のことなのか、なんの、ことなのか… 分からないけれど、私、は…!」
強くなる痛みに意識を奪われ、言葉が途切れ途切れになる。精一杯の強がりでもあったが、穂香はほんの少しだが笑って見せた。
すると穂香の腕を掴んでいた男の手の力が抜け、周りの様子も落ち着きを見せた。
一瞬にしてその場の空気が静まり返る。男の手が離れると一気に気が抜けて、穂香はへなへなと座り込んだ。
怖くなかったと言えば嘘になる。けれど今はそれよりも、何が起こったのか分からない気持ちでいっぱいだった。
「なぜじゃ… なぜそんな顔をするのじゃ… アイツと同じ顔されては、これ以上、何も出来ぬではないか……」
今のこの男には、最初の冷たい感じは一切なく、その目は悲しみと戸惑いに揺れていた。
何かに苦悩し、後悔しているようなその様子を見て、穂香は無意識に男の手をそっと握った。
「少し、お話しませんか?」
男の手は先程触れていた時とは違い、予想外に冷たかった。
そう問いかけたものの、振り払われたりしないかなどの不安でいっぱいだったし、男の反応がなく沈黙が続いた。
少し時がたって男の手がピクリと動いた。その反応に反応して、穂香も俯かせていた顔をパッと上げる。
その時初めてまともに2人の視線が重なった。互いの目に互いを映していた。
「穂香と、言ったな…」
「…はい」
「お前… 我を恐れぬのか?」
何かを確かめるように、男は穂香にそう聞いた。
さっきと打って変わってか細い声。穂香はそれを初めて聞いた気がしなかった。
この男のことに関することは全てが初めてのはずであり、思い返そうとしてみても全く浮かんでこない。
恐れぬのか、という問いかけに穂香は小さく首を横に振った。そういう感情はあったが、それより勝っているものがあるが故の答えだった。
微かだが、男が笑った気がした。
よく見ていなければ分からないような感情の動きだったが、穂香はそれを見分けられた。
すると男がお社の方に手をかざす。よくよく見れば立派なお社で、安易に人が近づいてはいけない気さえ起こさせるような、そんなお社。
なぜ今の今まで気づかなかったのかと言いたくなるが、そもそも隠してあったのか。
「この社には、我の他に力の少ない妖なども住みついておる。その者たちがたまに人の子の物を集めてくるのじゃ」
そう説明を聞かされながら、穂香はその光景に目を見張った。
どこからともなくふわふわと、小さな光に包まれながら飛んでいて、それらは穂香たちの元へとやってきた。
「お守りを探していると言ったな。この中にはあるか?」
そう言われて穂香は慌ててそれらを見渡した。
そこにあったのは、人にとっては日常的にありふれたものばかり。中には山に何しに来てるんだと言いたくなるようなモノもあったが、穂香は気にしないことにした。
「あっ……」
その中で、穂香は見覚えのあるものを見つけ、それに手を伸ばした。
手に取って見て確信する。稀莉の祖母が、彼女たちに渡したものだと。とても綺麗な浅葱色の布で作られたお守り。
無事に見つけられて穂香は胸を撫で下ろした。見つける気でいたけど、さっきまで色々ありすぎたせいか心が疲弊していたのだ。
穂香のその様子を見て、男は残りの全ての物を下げさせた。
この場所はこの男のテリトリーだった。手をかざせば不思議なことが起こり、気を荒立てれば空気が震え、木々たちがざわざわと騒ぎだす。
思い返してみても、そもそもが不思議なことばかりで、いつもなら冷静に事を運べる穂香も未だ混乱していた。
けれどその「混乱」が次第に「興味」に変わっていく。
どういう人なのか、どういう性格なのか。この場所にずっといるのか、普段何しているのか。
名前は、何というのか。
「あの……」
「なんじゃ、まだ何かあるのか」
「いくつか質問してもいいですか?」
「……内容による」
少しぶっきらぼうな感じではあるが、それでも答えてくれるようで穂香は内心ホッとしていた。
自分がどう思われているのか分からない以上、下手なことは言えないからだ。先程のように、原因が分からないことで怒らせたくないという思いもある。
「ここは、どのような場所ですか?」
「どのような、とは…?」
「さっき、言いましたよね。力の少ない小物の妖も住みついてるって。貴方の家じゃないんですか?」
「力の少なき者がいくらいようとも我に何の害もない。いたいのならばいればいい。別に追い出しはせん」
抗う力のない者の最後の拠り所。男の言葉をそう解釈した。
その時ふと、穂香の肩に一匹の蝶がとまった。見たこともないような、真っ黒な羽に不思議な模様。
穂香はその蝶をじっと見つめていたが、すっと伸ばされた男の手によってその視線は遮られた。
「慣れぬうちはあまり見るな。こやつらはいたずらに人の子に幻術をかける」
幻術。相手に幻を見せる行為。
そこで穂香は思い出した。稀莉と共に山に入った直後、こんなような蝶を見たこと。
それならばあれは、この蝶が見せた幻なのかもしれない。いろんな疑問がまだ残るが、そう仮説をたてれば納得もできた。
「……懐かれておるな」
「これ、懐いてるんですか?」
「幻魔蝶は基本、人の肩になどにとまることはない。…例外はあるがな」
なんだろうか、と穂香は首を傾げた。
男が急に優しくなった気がしたのだ。声色や雰囲気もそうなのだが、穂香にとって一番印象に残るのがこの男の目。
冷たい目でもなく、戸惑いや不安にかられているような目でもない。ただただ優しい目をしていた。
でもそれは、自分に向けられているものではないような気がした。
優しさを向けられている気がしているのは確かなのだけど、それが自分に対してかと考えると穂香は自信がなかった。
そんな事よりも今は、とうずまくモヤモヤを振り払うかのように、穂香は次の質問の言葉を探した。
「あの山中にあったのは、穂実の墓ですか?」
「……!」
また、おかしなことを言ってしまったかと思い、取り繕う言葉を探しながら身構える。けれどそれも穂香が疑問に思ったことの1つだった。
まだこの境内にあるのなら分かるというもの。誰のものだとしても、お墓の場所としては少し雑すぎる気がしていたのだ。
穂香の言葉に、男も驚いた顔をする。男にとっても予想外の質問だった。
「お前… あの場所に行ったのか?」
「…? 行ったというか、たまたま見つけたというか……」
「そうか… そういうことなのか…」
何かに納得し、同じ言葉を何度も繰り返す。
当然、穂香には分からなかったが、怒らせたわけでもないことにいくらか安心した。
「お前の言う通り、あの墓は穂実のだ。わけあって、穂実の墓はあの場所に置いてある」
お狐様伝説に出てきた穂実。千年以上も前に実在した人。
実際に関わりのあった存在と出会ったことで、急に実感がわいてくる。少し前までは物語とか二次創作感があったというのに。
ならこの人は、狐神様で穂実の恋人。
「あの…」
「…?」
「…お名前、は……」
今までにない感情が穂香の中を駆け巡った。これは、なんだろうと考えるが、それは穂香にも分からない。
「我は…… …っ!」
男が口を開いたその時。
突然大きな風が吹きつけた。台風かってくらいの、下手すれば人も吹き飛ばしてしまいかねない強い風。
どこかに掴まらなければヤバいのに、穂香は自分の肩にとまってる蝶を両手で包んで飛ばされないように守ろうとした。
とはいえ自分も飛ばされてしまっては意味がないので、かがんで体に力を込めてその場で踏ん張るしかなかった。
最悪、飛ばされる覚悟もしていた穂香だったが、少ししてある1つの異変に気づく。
それは強風が自分に向いていないこと。何事もない穏やかな空間にいるみたいだった。
「風が止むまで我の後ろにいるのじゃ。まったく… これはいたずらにもほどがあるぞ…」
いつのまにか男が穂香を背にして守るようにして立っていた。そして風が吹いてくる方に鋭い視線を向ける。
怒っているような、呆れているような。両方の意味合いを含んだ表情をしていた。穂香はその表情をじっと見上げていた。