第七話 四九七番
左腕に受けた傷は動きに支障はなく、大したことはない。それとは別に、身体の奥から熱い何かをハッキリと感じれるようになっていた。その何かはどういったものかはまだわからないが、俺に力をくれるものという感覚はある。しかし、どうやってその力を使えばいいのかわからないまま、俺は狂乱している少女の攻撃をなんとか防いでいる。
闇が近くなり、少女の剣筋も見えにくくなってきたが、向こうはお構いなしにどんどんと刀を振るってくる。
「アハハハハハ! ハハハ! ハーッ!」
疲れを感じさせない少女に比べ、俺は心身ともに疲労困憊していた。決して軽くはない一撃一撃を剣の刃で受けながら、生き死にの戦いをしているので仕方ない。反撃の機会を窺いはしているが、一太刀も返せずにいる。
俺には果てしなく長く感じる時間をなんとか生き抜いていると、突然、攻撃一辺倒であった少女が後ろに飛び退いて距離を取る。それにより一息つくことが出来たが、先ほどのこともあるので油断できない。俺は少女から目を離すことなく剣を前に構える。
すると、バチバチと紫色の細い電流を纏う少女は片手でゆっくりと刀を高く掲げて動きを止める。――あの構えは!
俺は、瞬時に危険を察知して横に飛び込む。それと同時に少女が刀を振り下ろすと、黒い刃が暴走する前よりも遥かに速くこちらに向かってくる。俺がかわしたことにより、後ろにあった黒焦げて所々、柱や梁だけを残していた家屋は一瞬で蒸発して姿を消してしまう。一撃目をなんとかかわすことが出来たが、二撃目、三撃目が次々と飛んでくる。刀を振ったのを確認してからかわすことはほぼ不可能。少女の予備動作を見て、黒い刃の形や飛んでくる位置を予見しながらかわしていく。しかし、やはりと言うべきかそれにも限界があり、直撃こそは避けているが所々にかすり傷を負っていく。当たれば家屋が蒸発するような攻撃なのでかすり傷すら許されないはずなのだが、これも何故か俺は無事でいた。それでも直撃すれば真っ二つになる攻撃である。俺はかわし続けることしか出来なかった。
かわす事に集中していた俺は、ある事に気づいてしまう。幾度となく走りながらかわし続けることによって、あの金髪の女の子が隠れている林を背にしてしまう。これでは黒い刃が飛んできても、あの女の子に被害が及んでしまうのでかわす事は出来ない。暴走している少女は、そんな事はお構いなしに、立ち止まった俺に向かって縦と横に刀を鋭く振って黒い刃を飛ばしてきた。
「くそったれええええええ!」
俺は半ばやけくそに握っていた剣を横に力強く振るって、飛んでくる黒い刃を斬り裂こうとする。
すると――、
ドドンッ! ドドンッ!
と、激しい爆発音が鳴り響いた。
こちらに飛んできていた黒い刃は消え去り、変わりに少女の後ろを開けて、人の半分ほどの高さの赤い炎が俺を中心に半円を描くように立ち上った。一体何が起こったのか理解が追いつかない。
闇に飲まれかけた世界に突如現れた炎の灯りに照らされ、ゆっくりと辺りを見渡した少女は妖しく笑顔を浮かべた。この新たに生まれた状況を楽しむかのように。
しかし、対する俺は困惑するのみであった。黒い刃は? 助かったのか? 急に現れたこの炎は何なんだ? あの少女がやったのか?
そんな風に状況を理解しきれない俺に構うことなく、禍々しい刀を高く掲げた少女が再び黒い刃を繰り出してくる。俺は予想外の出来事にあっけにとられて、林の前から移動していなかった。
「くっ!」
先ほども何が起こったかわからないが助かったのだ、同じように飛んでくる黒い刃を斬り裂くように水平に剣を振るう。
ドドンッ! ドドンッ!
またもや爆発音が響いたと思うと、黒い刃はかき消され、赤い炎がさらに周りに広がるように燃え盛る。
これは俺が出した炎なのか――?
何故急に……、いや、前兆はあった。身体の奥から溢れてくるような力が表に発現したのだ。力の全容を把握しきれていないが、この力があればあの少女に勝てるかもしれない。少なくとも黒い刃をかき消せるようになったのだ、劣勢はかなり解消されたと言っていいだろう。
「ハハハハ! アハハハハ! ハハッ!」
少女が狂気的な笑いを心なしか楽しげにあげたかと思うと、刀を下げて真正面から突っ込んでくる。それに対して俺は発現した力を少女への攻撃に試みる。俺と、疾風の如く向かってくる少女との間を斬り裂くように上段から剣を振り下ろすと、ドンッ! という音と共に俺の足元から少女に向かって直線上に赤い炎が火柱のように上ったかと思うと、少女の身体にもその炎が襲いかかりそれが直撃する。
「グギャ!」
大きな炎が直撃した衝撃で少女は短く声をあげると、炎が身体全体に纏わりついて赤く燃える。
それにより、もがき苦しむ少女――、という姿はなく、炎の中で平然と笑みを浮かべながら立っている。そして炎を振り払うように腕を振ると、身体に纏っていた炎は消え去り、さらに周りに燃え広がっている赤い炎が出す熱よりも激しい熱風を撒き散らす。
「くそっ……、全然効いてないな」
その熱風に身を丸めながら、俺は半ば自嘲するように片方の口角を上げる。
太陽は沈み、少し欠けた月が昇って来たが、俺が黒い刃をかき消す際に出した炎により、俺と少女の周りは互いの顔がハッキリと見える程度に明るく照らされていた。燃え盛る炎の灯りに照らされて艶やかさを持つ黒髪の少女は禍々しい黒い刀とは別に、ずっと腰に携えていた刀を片手でゆっくりと引き抜いた。鋼色の刃が辺りの炎を映し出す。両手に一本ずつ刀を持った少女がニタッと笑うと、先ほど出した俺と直線で結んでいる赤い炎を自らの身体で割るように疾走した。それに対して俺は、効かないまでも足止めにはなるだろうと、少女に向かって剣を再び力強く振り下ろす。先ほどと同じく――、いや、先ほどより高く火柱を上げながら、常人なら一瞬で黒焦げになるであろう炎が少女に襲い掛かる。しかし、少女はその烈火を左手に握った黒い刀で容易く払いのけた。そして火柱を割って俺の目の前に現れた少女は、右手に握った刀で俺の首に狙いを定めて一閃を通す。俺は後ろに倒れこむようにその一太刀を避けることが出来たが、少女からの追撃がくる。尻餅をついた俺の身体目掛けて左手の黒い刀で突きを繰り出す。
万事休す、と思われたその刹那、可愛らしい声がその刀を止めた。
「やめて!」
突然響いた声に、少女と俺は同時にその声の主の方向に目をやる。するとそこには、金の糸のような髪と宝石のような緑の瞳を持つ女の子が、今にも泣き出しそうな表情で立っていた。
「出てきちゃだめだ! 隠れてろ!」
「いやだ!」
心配する俺の言葉にはっきりと拒否の声をあげた少女。このままではこの暴走した少女に俺だけでなく、あの女の子も殺されてしまう。
「アハ、ハハハハッ」
俺と同じく女の子に目をやっていた少女は再び俺の方に目を戻すと、俺の胸の前に突きつけていた刀を引いて、もう一度勢いよく突き刺すために振りかぶる。そして黒い刀を持つその手に力を込めた――。
「だめー!」
女の子が叫ぶと同時に、その身体の回りから眩い光が発せられる。その光が俺達を包み込むと、少女が叫び声をあげて苦しみ始めた。
「ぐあああああ! ぐがっ! うわあああああああ!」
少女がもがき苦しみ、手にしていた刀を地面に落とし、もう一本の禍々しい黒い刀は煙のように消え去る。そして、肩や腕を覆っていた紫色の宝石のようなものにヒビが入ったかと思うと、それも徐々に煙となって消え去っていく。頭に生えていた角も消えて纏っていた電流もなくなり、少女は暴走する前の姿に戻ってしまった。しかし、また右手の甲に付いた紫色の宝石から溢れ出る電流が右腕を伝い、全身に巡る。俺は、その状況をただ眺めることしか出来ず、尻餅をついたまま成り行きを見守っていた。
「ぐわっ! がああああああ!」
「――おねえちゃん」
未だ苦しむ少女に光を纏った女の子が近づいて優しく声をかける。
「もう、苦しまなくても良いんだよ。もう自由になってもいいんだよ」
そう言葉をかけながら、少女の右手を包むように両手を添える。すると、少女に流れていた電流は止まり、荒い息をしていた少女の呼吸が穏やかになる。そして、女の子の手に包まれた紫色の宝石は存在していなかったかのように消えてしまった。意識を失った少女が地面に倒れこむと、光を纏っていた女の子の光も一瞬で消えてしまい、同じように地面に倒れこんでしまった。……終わったのか?