第六話 暴走
俺は振り向くと同時に、未だに無反応な小さな女の子を守るように剣を構える。
「うぐっ! がはっ! ああああああああ!」
少女の右腕の篭手の下から、再び紫色の電流が走り、それが強くなると篭手は音を立てて壊れる。そして、露になったのは、右手の甲に付いた、先ほど男が持っていた紫色の宝石のようなものであった。その宝石から今度は少女の全身に電流が走り、少女はひどく苦しんでいる。
「ひ、ひいいいいい!」
俺が、少女に気を取られていると、キルシュが入っていると思われる袋を背負った男がその場から逃げ出した。
「お、おい! 俺を置いて行くな! ま、待ってくれー!」
右足を斬られて歩けなくなった男が俺より早くに叫ぶ。キルシュが――、追いかけなければ!
そう思い、逃げ出した男の方に一歩踏み出した時、後ろから熱風が吹き荒れた。
「な、なんだ!」
「暴走だよ! 逃げ、逃げないと、逃げ……」
暴走? 斬られた男が尻餅をつき後ずさり、俺は再び、黒髪の少女の方へと剣を構える。
すると、そこには少女の原型を留めながらも、肩や腰、腕に着けていた防具の部分は先ほどの紫色の宝石のようなもので覆われて、全身に電流がバチバチと舞い散り、黒髪の間からは二本の煙のような実体があるのかわからない小さな白っぽい角が生えた者がいた。俺はそのおぞましさに恐怖を覚え、すぐに金髪の女の子を抱えて側にあった林の中へと逃げ込む。
キルシュを抱えた男は、異常な空気に怯える馬を一頭放し、それに乗って走り去ってしまっていた。俺もすぐに後を追いたいが、この女の子も放っておくことができない。――くそっ!
見た目や雰囲気がすっかり変わってしまった黒髪の少女の様子を木の陰から覗いていると、手始めに、と言わんばかりに、俺に斬られ地面に伏して苦しんでいる男にゆっくりと左手の平を向けると、男は一瞬で黒い炎に飲まれ消えてしまう。
「もうだめだ……、逃げないと……逃げないと……」
そして、少女は尻餅をつき後ずさりながら、うわ言のように呟く男の前で左手でこぶしを作り、それに合わせるように右手をつけると黒い柄が現れる。それをゆっくりと水平に引き抜くと、先ほどまで使っていた黒い刀よりも紫色がかかって、禍々しさを感じさせる刀が姿を現し、瞬時にその男を斬り捨てた。今までのように斬られた身体から黒い炎は出ず、一瞬にして蒸発したかのように消えてしまい、地面には男が存在したことを示す黒い跡だけを残した。
「な、なんだよあれ……、一体どうすれば……」
一体どうすれば、この女の子を安全な所に避難させることができるのか。一体どうすれば、キルシュを助け出せるのか。俺はその二つの事で頭がいっぱいであった。
「――とりあえず、あいつをどうにかしなきゃな」
俺は、金色の髪を持つ女の子と、同じく綺麗な金色の髪を持つキルシュを重ね合わせながら、女の子の頭を撫でる。女の子は、無表情というわけでなく、純粋無垢な子供らしい表情をしている。
「おにいちゃん……、あのおねえちゃんと戦うの……?」
年相応の可愛らしい声で、初めて女の子が口を開いた。
その事に大層驚いたが、
「そうだよ、お前を守らなきゃだめだからな」
今の素直な気持ちを女の子に伝えた。
そして、最後にポンッポンッと優しく頭を叩いて、女の子を木の陰に隠すと、俺はすっかり変わってしまった黒髪の少女の前に出て行った。あの少女も元から操られていただけで、この暴走とやらをなんとかすれば正気に戻ってくれるかもしれない。そうすれば、キルシュの行き先など色々と情報も得られるはずだ。
「おーい、今正気に戻してやるから待っときなー」
俺が緊張感もなく、声をかけるも無反応――、と思われたが、
「あは、アハハ、アハハハハハハ!」
狂気に満ちた笑い声をあげて、先ほどまでとはかなり違うなと実感する。
「完全にヤバいやつになっちまったな。少しは手加減してくれよ」
軽口を叩きながらも、俺は剣を前に構えて警戒を怠らないままジリジリと距離を詰めて行く。身体能力は遥かに向こうが上で、さらに恐ろしい刀を持っているんだ。全神経を目の前の少女の動きに集中する。
何故こんなにも落ち着いてるのだろうか。両親を殺され、義弟を攫われて、慣れ親しんだ村を滅ぼされたというのに憎しみや怒りの感情はもうない。先ほどまでの少女との戦いと、今から戦う圧倒的な威圧感を持つ少女と対峙して俺の頭もどうにかなってしまったのかもしれない。今までに感じたことのない胸の奥から熱いものが溢れてきて、それが全身に巡って力になる感覚に襲われている。明らかにそんな状況ではないが、笑いたい気分になってきた。
俺がそんなおかしな気分になっている間、少女は俯き、右手に持った刀の切っ先を地面に向けて、脱力したような自然体の体勢になって動かない。
そして、夕闇が迫る。暗くなる前に決着をつけるべく、俺が一歩足を踏み出した刹那、その場にいた少女が消えた。――しかし、即座に姿を現したかと思うと俺のすぐ目の前で刀を振りかぶり、俺の左肩から右腰にかけての一太刀を狙っていた。それを俺は咄嗟の判断で剣を横にして刃でその攻撃を受け止める。頭で考える暇はなく、俺はすぐに足払いの蹴りを繰り出すも、また少女が目の前から姿を消した――、かと思うと、俺の背中から一太刀を狙ってくる。その気配を感じた俺は前方に飛び込んでかわし、すぐに立ち上がって剣を構えて振り返ると、また目の前に少女の姿があり、一息つく暇もなく攻撃を繰り出してくる。その四方八方から次々とくる攻撃を剣で受け止め、かわし、を繰り返す。たまに、俺も色々と攻撃を試みるが、どれもヒラリとかわされ、ほとんど防戦一方となる。このままではジリ貧で、いつか斬られるのは目に見えている。
一瞬、間ができた。先ほどまで休むことなく刀を振るっていた少女の姿が消え、攻撃が止む。俺はフーっと息を吐いた。そしてその油断を狙っていたのか、少女が左側から現れて、下段からの斬り上げを浴びせてくる。刹那、判断が遅れた俺は右に飛び退くも、左腕から肩にかけてを薄く斬られた。
暴走とやらになる前なら、黒い炎が身体中に広がり、燃え尽きるところであったが、禍々しさを増した今の刀では一瞬で蒸発させられてしまう。――俺は死んだのか?
しかし、死んではいないと左腕のズキズキとした痛みが教えてくれる。一体どういうことなのだろうか。
「クヒ? カハ、アハハハ!」
暴走している少女からしても不可思議であったのか、立ち止まって首を傾けるような仕草を見せたが、すぐに狂気に満ちた笑いをあげて再び俺に刃を向けてきた。