ßSide-Prologue
目覚めたら見知らぬ天井だった、という経験をしたことは、彼女の人生の中でも幾度かあった。しかし、その全てにおいては記憶を辿ればその部屋に行き着いた確証が得られ、何ら不思議現象であるというわけではなかった。例えば、祖父母の家で寝泊まりした時、或いは友人の家で寝泊まりした時、はたまた病院に入院した時、などなどが挙げられる。つまるところ、大抵の場合、見知らぬ天井というものは見慣れぬ天井であるだけであって、彼女自身を混乱に陥れる種にはなり得ないものであるのだ。
それがどうだろう。今現在、彼女の目の前にあるのは見知らぬ天井であり、見知らぬ部屋であり、見知らぬ世界であった。次いで、見知らぬものである筈なのに、知っているという奇妙な現象が脳内で巻き起こされていた。端的に言えば記憶の混濁であり、彼女の中で断片的に見え隠れする情報が正しければ、この状況は「前世の記憶を持ったまま異世界転生を果たした」と表された。
彼女は前世で乙女ゲームなる恋愛シミュレーションゲームにのめり込んでおり、それに類似した小説も読んできてはいたのだが、生憎異世界転生物には手を付けていなかった。それ故、セオリーがあるかどうかは知らないが、異世界転生を果たしてしまった今、自身がどのように振る舞うべきなのかを一から考える必要があった。
取り敢えず、彼女は現状把握をすることにした。未だ混濁している記憶の中から、自身がフィオナという名前で、歳は七歳、両親を亡くして孤児院で世話になっている平民の娘であるというワードを見つけ出した。そして、彼女はクラルヴァイン王国のウラルという町に住んでおり、教会で糸紬の仕事を手伝いながら生活しているということが分かった。
次いで、彼女は前世の記憶について整理した。彼女の前世は成人した独身女性で、警察官という職に就いていた。名前は、百智薺。転生したとなると前世での幕を閉じてしまったことを意味していたが、彼女はどうしても死因を思い出すことができずにいた。
それから、どうしてか色濃く記憶に残っている、前世で死ぬ直前であろう時期にプレイしていた乙女ゲームを思い出した。『巡りめく初恋 ~愛の魔法であなたを溶かす~』、通称『めぐ恋』である。ここまで思い出して彼女が衝撃を受けたのが、今の彼女がこの乙女ゲームの主人公と同一人物だという事実に気付いたことであった。
『めぐ恋』の主人公、フィオナは、クラルヴァイン王国でも珍しい黒目黒髪をしており、平民でありながらも莫大な魔力を体内に宿していたことから、貴族に引き取られることになる。そこで貴族としての教育を受けた主人公は、十四歳になると王立魔法学院に通わされることになり、そこで様々な殿方と恋愛を繰り広げていくのである。
王道なルートとしては、この国の王子との結婚が挙げられる。ゲームソフトのパッケージにも主人公と王子の姿が大きく描かれており、彼女は取り敢えずメインルートの攻略にいの一番に着手していた記憶があった。次に、宰相子息のルート、それから魔術師団長子息のルート、騎士団長子息のルート、教皇子息のルート、悪役令嬢の義弟のルート、魔法学院教師のルート、それから隠しキャラとして、第二王子のルート、隣国ヤマト国の第二王子のルートの九人の攻略対象がいた。加えて、このゲームにおける真相ルートである魔族編でさらに魔王と四天王の一人のルートが追加され、全部で十一人の攻略対象がいる、大盤振る舞いなゲームであった。
ゲーム開始時期から察するに、今のフィオナには七年もの猶予があることが分かる。また、未だに教会の孤児院にいることからも、このまま何事も無ければ一生平民として暮らすことも選択肢に入れられた。寧ろ、前世の記憶を取り戻して精神年齢が急激に引き上がった彼女は、貴族という謎の社会的集団の中に自らを投じるよりも、慣れ親しんだこの場所で暮らした方が幸せだとさえ思われた。
そのように楽観的に日々を過ごしていたフィオナは、ゲームの強制力というものを思い知ることになる。何が起こったのかと言われれば、ただただ普通に過ごしていたはずなのに、彼女が攻略対象の一人と出逢ってしまったのだと答えよう。フィオナは偶然孤児院訪問にやって来た天使教の教皇子息であるレオンハルト・ジャスミン・トットと出くわし、魔力の色を見ることができるという彼により、フィオナが魔力持ちであることが露見したのである。
そうなってしまえば、生活が一転してしまうまでにそう時間はかからなかった。フィオナは元々教会で生活していたことから、その教会の関係者たる彼に見出された能力を買われない筈が無く、仲良くしていた孤児院の子供たちと離れて王都の教会へと出向かなければならなくなった。外見は子供である故に、生活能力に乏しい彼女は流されるままに大人どもに連れられて行くしかなく、フィオナはこれが世にいう乙女ゲームの強制力か、と半ば諦観していた。
慣れ親しんだ街を離れるのは辛く思われたが、王都へ行く馬車の中で交わされたレオンハルトとの会話は、実に興味深いものであった。やはり、王城のある国の首都ともなればフィオナのいたウラルとは段違いに規模が大きく、城下も活気立っているようだった。フィオナの前世に比べればさすがの王都でも生活レベルは見劣りするのだろうが、それでも中世ヨーロッパに似た街並みを実際に目にすることができると思うと、年甲斐もなく心躍ってしまうのだった。
肉眼で見た王都は、レオンハルトから聞いたものよりも一段と素晴らしく、大きく見えた。それは偏に、フィオナの身体か小さかったからかもしれないが、人の量も物流もウラルとは比べ物にならず、思わず感嘆してしまう程であった。レオンハルトはそんなフィオナを見て楽しそうに笑っていたが、初めて見る王都に夢中になっていた彼女は気付かなかった。
教会に連れてこられた彼女は、その荘厳さに再度驚かされた。前世でも目にしたことのある西欧の大聖堂とも言える規模のもので、見上げずにはいられない造りをしていた。その教会の中で顔を合わせたレオンハルトの父、教皇は、好々爺然としており、話した限りでは親しみやすい性格をしていた。
フィオナは彼に迎え入れられ、暫くは王都の教会の中で暮らすことになった。教皇曰く、一定以上の魔力のあるものは十四歳になると必ず王立魔法学院に通う義務があり、フィオナにはその後ろ盾となるものが必要だとのことであった。彼女としては教会が後ろ盾になるものだと思っていたのだが、教会からは既に魔力持ちのレオンハルトを学院に通わせることになっているため、フィオナは別の誰かについてもらわなければならないという事態を知った。
教会はそんなに財政が圧迫しているのか、と彼女は疑問に思ったが、どうやら教会からの輩出は一人と法律で決まっているらしい。それならば、後から来たフィオナが教会の後ろ盾を得られないのも已む無しだった。よって、彼女は後ろ盾が見つかるまで教会で面倒を見て貰うことになったのであり、その間、馬車の中で仲良くなったレオンハルトと一緒に過ごすこととなった。
三か月ほどして、フィオナの受け入れ先が見つかった。彼女を養女として引き取ってくれたのは、ノラン男爵という貴族だった。彼女は乙女ゲーム内での自分の姓がノランだったことを思い出し、なるほど、教会から輩出する学生は一人のみという不自然な法律があるのも、ゲームの強制力故なのかもしれないと思われた。
ノラン男爵に引き取られたフィオナは、男爵家当主の采配によって貴族令嬢としての教育を受けることになった。平民生活を数年ほど続けていたとはいえ、前世の記憶を取り戻したフィオナにとってはさして苦痛な教育にはならなかった。寧ろ、異世界たるこの世界に関する知識を得られる機会が与えられ、乙女ゲームの中で得た設定内容よりも詳細な情報を把握できたことに満足感さえ覚えていた。
久々に勉強をするという感覚。貴族としてのしがらみを嫌ってこの世界では平民に留まろうとしていたフィオナだったが、その一方で、剣と魔法のファンタジー世界に転生できた喜びと興奮が、自身の中で芽生えていることも確かだった。なんと言っても、前世ではありえなかった『魔法』というものが、この世界には存在しているのだ。フィオナは実際に目の前で魔法を見た時、脳天を突き抜ける程の震えを覚えていた。平民も魔力を持っているとはいえ、それは微々たるもので現象を引き起こすほどの燃料にはなっていなかった。それ故、彼女はレオンハルトと出逢った時、初めて魔法なるものを目にしたのだ。その時の感動がどうにも忘れられず、それはその後ずるずると流されるように連れていかれた原因の一つにもなっていた。
フィオナは、ノラン男爵家にて魔法の扱い方も勉強していた。男爵家故に魔法教師を呼び寄せる財力が無いらしく、彼女は魔法学院を卒業している男爵から直接指導を受けていた。元々のみ込みの早いフィオナは、並々ならぬ興味も相俟って、瞬く間に魔法の基礎を習得していった。それから先は学院でしか教わることのできない内容となっているため、フィオナは総じて生活魔法と初級魔法全般を取得するに留まった。
男爵家に引き取られてからも、フィオナはレオンハルトとちょくちょく顔を合わせていた。彼によれば、フィオナは珍しい光属性の持ち主らしく、彼女は同時にそのような設定がゲームにもあったことを思い出した。前世では王道の王道を行く異世界ものの乙女ゲーム故に、光属性持ちとか聖属性持ちの主人公というパターンはありきたりだと思っていたのだが、実際に稀な属性持ちになってみると、どこか不思議な感覚を覚えるのである。
確かに、癒しの能力があること自体は大変便利であるのだが、前世ではどこにでもいる普通の一般人として生まれ、その生涯を閉じたフィオナにとっては、紫色の瞳を持って生まれるような稀有な感覚を抱いてしまうのである。稀有だからよいとか悪いとかいうのでは勿論なく、稀有故に稀有だなと第三者側で見ていたものが、翻って自分に当てはまってしまった事態が酷く奇妙に思われたのだ。
詰まるところ。フィオナはこれから、他人から稀有な存在として見られ、貴重な人材として扱われるだろうことが予測されるのだ。それがフィオナの人生をどう変動させていくのかは、例え乙女ゲームの設定内容を知っている彼女ですら未知数なのである。
ゲーム内の主人公は、いくらプレーヤーに選択肢を迫ろうとも、その選択肢の範囲内でしか動くことができなかった。しかし、その全てが強制力としてこの世界に居るフィオナにも適用されているのならばどともかくも、ある程度心に自由のあるフィオナが、ゲーム内でいう、バグ行為を取らないとも限らないのである。
そうすれば。自分の判断によっては、フィオナの人生は自由にも、束縛にもなり得るということになる。よって、フィオナには慎重かつ確実な判断が求められた。
結果的に彼女が下した判断は、ゲームの強制力が働いているだろうこの世界の中で、真相ルートの方向に突き進んでいくことだった。これは、このルートが一番、フィオナにとって自由を手にする確率が高いと推測されたからだった。
月日は流れるように過ぎ去り、フィオナはとうとう十四歳になっていた。
王立魔法学院の入学式まで、後、残り僅か。
やっと、出てきた(;´∀`)
書くだけ詐欺にならずに済んだ、出オチに思われしメインキャラの再登場(*ノωノ)スガタカタチハカワッチャッタケド




