Target Side5-1
ユーフェミア・ローズ・ハウベル侯爵令嬢は、良い意味でも悪い意味でも噂を呼んでいた。ある時期までは性格が捻じ曲がった才女として知れ渡っており、彼女が病を患って以降は深窓の姫君として囁かれていた。そしてつい先日、様々な噂を持つ彼女はとある魔法で凶悪なドラゴンを瞬く間に倒してみせ、英雄として持て囃されたのである。
ドラゴン討伐の先陣を切っていた騎士団に所属し、かつその団長の息子であるアルバート・ボックス・アッカーソンは、独り、噂の侯爵令嬢に対して猜疑心を抱いていた。結果的には彼女が王都の危機を救ったことは確かだったが、しかし、そのやり方があまりにも非情だった。
アルバートは父親と共にドラゴン討伐に出陣し、その強大な敵と直接相対した。時に攻撃し、時に防御し、時に周囲のサポートに回った。何時間立ち回っていたかは、最早記憶にない。それでも、かなりの時間、ドラゴンに対して悪戦苦闘していたことだけは覚えている。
幾ら傷をつけても、持ち前の回復力で元に戻ってしまうドラゴン。人族側が不利であることは目に見えていた。けれども、多くの民のいる王都を守らねばならないという正義感から、騎士団は一団となって攻防を繰り返していた。
ドラゴンの攻撃の中で、一番厄介だったのは炎のブレスだった。その温度は街の外壁をも融かすほどに高温で、少しでも浴びればひとたまりもない代物であった。そんな敵の攻撃を避けながら、微々たる攻撃を仕掛けていくという連鎖には終わりが見えずにいた。そして騎士団の体力が削がれてゆき、遂に命令系統たる団長が先頭に立たなければならない事態にまで陥ったのである。
幸いなことに、アルバートの父親はそこに居る誰よりも強く、それ故に団長の職を賜っていたのだが、しかし、生物種最強のドラゴンを前にしては劣勢にならざるを得なかった。
父親が戦闘に加わってからも、事態は改変する事がなかった。分が悪いのは圧倒的に人族側の戦力であり、徐々に体力も精神力も削がれていくのがアルバートにも感じられた。それは騎士団だけでなく、戦闘に参加していた魔術師団も、冒険者たちも似たような状況を強いられていた。
人族側が力尽きようとした頃、ドラゴンは再びブレスを吐く体勢を取った。アルバート達は必至でその攻撃を避ける準備をしていたが、当の団長が深い傷を負い、上手く動けずにいるのを目撃したのである。そんな彼を助けようとアルバートは動いたが、二人の距離はあまりにも離れすぎていた。彼は間に合え、と心の中で強く叫びながら地を蹴り、父親の元へと駆けて行った。
ドラゴンは、今にも火炎ブレスを吐かんとしていた。刹那、ドラゴンの喉の奥で生成されていた禍々しい炎が消え、突如としてドラゴンが苦しみ始めたのである。飛翔系のドラゴン故、このまま落ちれば巻き添えを食らう可能性があった。故にアルバートは急いで父親を救出し、戦闘場から退出していった。その他の諸々の戦闘要員も撤退を始めており、全員が無事避難したところで地響きが鳴った。ドラゴンが落下したのだ。暫く地面の揺れに耐えていたアルバートは、その凄まじさに痺れを覚えた。
半刻ほどして、もがいていたドラゴンは完全に動かなくなった。そこで漸く人族側の勝利を確信したアルバート達は、何が起きたか分からないなりにも勝利の雄叫びをあげることとなった。後にドラゴンが苦しむ原因を作ったのが彼のユーフェミア・ローズ・ハウベル侯爵令嬢だったと知り、少しの間は物議が醸されていたが、第一王子と精霊持ちによって確証づけられたことから、皆の頭の中からは猜疑心というものが抜け落ちていった。
それからというもの、王都では彼の令嬢がスマートにドラゴンを倒したことから英雄の再来だと持て囃され、勝利の祝杯が挙げられていた。その中では誰も疑問を持つようなものはなく、遠くから見てもか弱そうにしか見えない侯爵令嬢を称え、盛大に喜んでいた。
勿論のこと、皆と違って疑問を抱き続けたアルバートは、第一王子の元へ事の顛末を直接聞きに行った。そこには、まるで戦闘を知らない真っ白な肌をした彼の婚約者も共に居座っていた。アルバートは、その作り物めいた顔に一瞬だけたじろいだが、すぐに気を持ち直し、「如何様にしてあの強力なドラゴンを倒されたか」と自身の疑問をぶつけた。すると、その令嬢はこのように答えた。
「ドラゴンの吐くブレスを、魔法でフッ化水素に変えただけですわ」
その端的な返しにどれほどの意味が込められているのか、剣一筋のアルバートには分からなかった。そこで、第一王子が懇切丁寧に説明してくれたことを咀嚼すると、次のような事実が浮かび上がってきた。
曰く、公爵令嬢はあの火炎ブレスを持ち前の魔法で劇薬へと変換させ、ドラゴンの体内へと逆流させることにより、そのドラゴンの身を蝕ませたのだ、と。
確かに、アルバートが目にした光景は、その説明に適うものであった。その稀有な撃退方法を耳にすると、次々に疑問が浮上してくるのである。故に、彼は矢継ぎ早に次の疑問を問い尋ねた。
「何故、その方法で撃退為されたのですか」
返ってきた答えは、「手っ取り早かったからですわ」とのことだった。アルバートはますます不安になり、「手っ取り早い方法があるのに何故、先陣を切った者たちが疲弊するまで戦闘に加わらなかったのか」と聞けば、「所用で席を外していましたの」と返ってくるだけだった。せめて、高位貴族の淑女故に危険な行為を咎められ、寸前まで手が出せなかったのだと答えられれば納得できたものの、結果的には彼女の応答はアルバートの中に燻ぶりを残すこととなった。
それから彼女は国王陛下から勲章を賜り、パレードと称する英雄の披露目が執り行われた。その可憐な姿は王都内の国民中に知れ渡り、いまや時の人と相成った。その中でもアルバートが一番驚かされたのは、父親が騎士団団員の剣の指南を彼の侯爵令嬢に頼んでいたことであった。彼女が英雄と持て囃されたのは、魔法に長けていたからではなかったかと、アルバートは訝しがらずにはいられなかった。
父親は第一王子から彼の令嬢が剣術にも秀でている旨を聞き、是非ともその腕前で団員の指南をして欲しいと頼み込んだようだった。魔術師団が彼女に申し入れをするならまだしも、剣の腕に秀でているという話を聞いただけで彼女に指南役を申し出るのは、浅慮にも程があった。
ドラゴン討伐が夢のようで、未だに浮かれてしまっている故の過ちということも考えられた。しかし、あの冷静かつ怜悧な父親がそこまで興奮する様を想像できなかったアルバートは、あの侯爵令嬢に胡散臭さを感じていることも相俟って、さらに猜疑心を募らせることとなる。
程なくして騎士団の訓練所に侯爵令嬢が現れた。動きやすい服を着ているとはいえ、その華奢な体はあまりにも場違いだった。けれども、蓋を開けてみればその腕は確かだったようで、実力試しの対戦では、屈強な団員がたおやかな令嬢に次々と倒される状況が続いていった。
そのなかでも、指導相手として選ばれたのは、団員の中でもアルバートを含めた三人だけだった。彼女の教えは的確で、他二人の腕が訓練前よりも格段に上がったことが彼の目にも理解できた。そしてアルバートの番になり、再び彼女と剣を交えると、二人の間に圧倒的な実力差があるという事実を突きつけられてしまったのである。しかし、それでも彼女の動きに食らいついていったアルバートは、さらに相手の本気を引き出すこととなった。一撃一撃が重いくせに、スピードは目視するのも困難なほど。アルバートは余計なことを考える暇すら与えられず、ただひたすらに彼女と対戦し続けていった。
訓練が終わると、不意に侯爵令嬢へ抱いていた疑念が再燃してきた。確かに彼女に剣の腕があることは間違いなかったし、アルバート自身も勉強になったと思っている。しかし、それでも彼女への猜疑心が晴れないばかりか、今度は得体の知れなさからくる恐怖まで覚えていた。
そうだ、あの侯爵令嬢は、騎士団をも苦しめた凶悪なドラゴンを一撃で倒した人物なのだ。それも、さも片手間でやったかのようにあっさりと、そしてその撃退方法も倫理観を裕に超えていた。聞けば、倒されたドラゴンには触れてはならないとのお達しがあり、その理由は使われた劇薬が皮膚を通して人体にも影響を及ぼす可能性があるからだとされていた。故にドラゴンの遺骸は焼き払うことで処分する旨が決定していた。
つまり、触れるだけで生命を蝕むような強力な薬を、あの侯爵令嬢はドラゴンの胃の中に大量に流し込んだことになるのだ。このような手法を取った彼女に、畏怖を覚えずに、何とすれば良いのだろうか。
ユーフェミア・ローズ・ハウベル侯爵令嬢は、危険人物だ。アルバートがそう判断するまでに、さして時間はかからなかった。
彼女に稽古を付けられた後、第一王子に付き添って客間に入った。そこには魔術師団長子息と侯爵令嬢が待ち合わせており、すぐに三方による報告と会議が始まった。それらの内容を聞く中でも、やはり令嬢の立ち位置は歪であるように感じられた。第一王子はあくまでも一つの意見に流されぬように発言していたが、それでも会議に彼女を同席させたいと言っていた辺り、彼女の情報源は有力なものとして扱っているらしかった。
このままでは、殿下に災厄が降りかかる。彼女を信用しないよう、進言しなくては。そう思った時、侯爵令嬢の品の良い口から信じられない言葉が飛び出してきた。
「魔族という種族はこの世に存在しません。いるのは天使族です」
この女は、一体何を言い出すのか。この場を、延いてはこの国を掻き乱そうとでもしているのだろうか。横目で魔術師団長子息を見遣れば、驚きはしていたものの、彼女の言葉に拒絶感を抱いているわけではなさそうだった。恐る恐る自身の主人の顔色を窺ったアルバートは、彼もまた、少女の意見を重く受け止めている色を醸し出していた。
侯爵令嬢が帰り、魔術師団長子息も客間から退室した後に、アルバートは半ば動揺しながらも口を開いた。
「殿下。お言葉ですが、あのような突飛な話を信じるのは如何なものかと」
アルバートの進言を聞いた第一王子は、疲れたように笑み、「そうできれば楽なのだが」とぼやいた。何やら理由があって、彼女の言葉を受け止めていたらしいことを汲み取ったアルバートは、それから第一王子に口を開くようなことはしなかった。
騎士団長子息のフルネームがやっと出ました(/・ω・)/




