62交渉
過ぎ去ってしまったことは仕方がないと割り切ったエルマーは、愕然としていた雰囲気から一転して、晴れやかな表情を浮かべていた。とはいえ、その表情も慣れたものにしか分からない程度の変化であり、これでもアルマは彼と長らく家族をしていたのだなと感慨深く思った。
「それで、騎士団の指南役に付いてだけど。私は以前にも講師はしないって言ってたよね?」
アルマの訴えに、ジークフリートは黒い笑みを浮かべる。
「それはそれ、これはこれだ。以前はいくらミアに能力があっても講師役になる根拠を示せなかったが、英雄になれば話は別だろう。加えて、依頼は騎士団の方から来ている。彼らの期待を無碍にするのは、今のミアの立場としては難しいんじゃないのか?」
アルマは顔を顰める。今でこそアルマの部屋で密談している故に彼はアルマの秘密を次々とエルマーに暴露していったものの、さすがに公の存在である騎士団にアルマが冒険者アルである旨は打ち明けてはいないだろう。そうでなくても未だにウルフスタン夫人に対しては冒険者の体を被り続けているのだ。彼女もまた、アルマの設定に付き合い続けてくれている。もしも騎士団にその話が漏れていれば、ユーフェミアが英雄である以上に騒がれていたはずだった。
アルマは深く溜息を吐き、ジークフリートの話術のレベルに頭痛を越えて倦怠感を覚える。
「私が魔法以外に剣術も嗜んでいることを、彼らがどうして信じたのかが未だに理解できないのだけれども。取り消せないのだというのなら、仕方がないよね。でも容赦はしない。そういう方針で構わないなら、一度だけ指南しても構わないよ」
ジークフリートは満足そうに頷いた。
「あぁ、それで構わない。もし次の依頼が来ても、こちらの方でうまく断ることにしよう」
「言質はとったからね」
「反故にしないことを約束する」
彼の言葉を聞き、安堵したアルマはソファの背もたれに深くもたれかかった。彼女は眉間に寄った皺を解し、空気と化していたエルマーを見遣った。彼はアルマが騎士団の団員に剣の指南をすること自体には異論がないようで、静かに二人の会話を聞いていた。
「それで、私はいつ行けばいいの?」
「明日だ」
アルマは一瞬だけかたまり、首を捻る。
「それで、いつ行けばいいの?」
「明日だ」
アルマは失笑し、ジークフリートから顔を背けた。『向こう』の世界で庶民だったアルマになら通る要望だったかもしれないが、『こちら』のアルマ、それもユーフェミアとしてのアルマは貴族なのだ。貴族の作法の中には、招待や人と会う日程を決める際、ある程度の期間を空けて設定するというものがある。そうした作法に則れば、ジークフリートからの依頼は横暴とも言えるものだった。
最早アルマの前では作法もマナーも無いとでもいうのだろうか。アルマはそこはかとなくおざなりにされているように感じられ、こめかみに青筋が浮かび上がるのを感じた。
「勿論、指導者としての報酬に迷惑料も載せよう。褒美は何がいい?」
「婚約破棄」
無表情で答えると、さすがにジークフリートも困ってしまったようだった。
「そこまでしてしまうと、国王を巻き込む羽目になる。婚約破棄に関しては、タイムリミットまで我慢して貰えないか」
「自棄に下出に出るね。ジークがそうすると一周回って気味が悪いよ」
「事実を言ったまでだ。こちらも新たな王太子妃候補を選出しなければならないからな」
それまで事を荒立てないための猶予期間だ、と宣うジークフリートの言は、確かに納得のいくものであった。三年前に立太子したジークフリートは、何も無ければこのまま次期国王へとなることが決まっている。そんな彼と対になる王妃の席が空席では、周囲に示しがつかないのだろう。けれども、彼の頼みの綱であったアルマは最早、当てにはならないことが分かっている。そうなれば彼が水面下で〝ユーフェミア〟に次ぐ新たな候補を探し出さなければならないことは自明の理であった。
「その辺の事情を考慮してなかったのは悪かったよ。……褒美は、そうだなぁ、私の作ったジャムの納品でどうかな」
アルマは手前にあったジャムに手のひらを添えながら、にっこりと微笑む。褒美の概念を逆方向に行く彼女の発言に、ジークフリートは引き攣った笑みを浮かべた。彼との婚約に期限ができたことで自重をしなくなったアルマの奔放さは、会う度ごとにエスカレートしていた。
「褒美がそれでいいのなら有難くもらうが。……そのジャムは、ヒルデブラントにも渡していたものだと耳にした覚えがあるな」
「そうだね。ちょっと作り過ぎちゃってさ」
屈託のない笑みを浮かべるアルマ。ジークフリートはフェリシアンから受けていたジャムに関する報告を思い出す。まさか自分にも直接打診が来るとは思わなかった彼は苦笑した。
「本当は他のものも、いや、こっちの方を切実に協力して貰いたかったんだけど、如何せん、〝ユーフェミア〟が作ったものじゃないから食べた者にどんな付与が付くか想像がつかないんだよね。その点、今の私が作ったジャムは至って普通のジャムだから、引き取って貰えると有難いというのが本音かな」
「『他のもの』が何なのかがこの上なく気になるが、その辺はこの世界の常識の範囲内で留めておくのが無難だろうな。こちらに引き渡されたジャムに関しては、こちらが好きに使ってもいいんだよな?」
「勿論だよ。王城で使うもよし、売るもよし、配るもよし。今のところ過剰供給状態だから、足りなくなったら追加で渡すのも良し。というか、貰って」
アルマの個人的な事情に巻き込まれている感が否めない雰囲気が流れる。ジークフリートはテーブル上に幾つか置かれているジャム瓶を見て、不意に試食を申し出た。アルマは彼の申し出を快く受け入れ、小さなスプーンでブルーベリージャムを一掬いしてからスプーンの柄を彼へと差し出した。スプーンを受け取ったジークフリートは少量のジャムを口に含み、その味を吟味する。なるほど、美味しいらしいというのは言葉だけではなかったようだ。
「ふむ、これなら王城の食事として出しても申し分なさそうだな。幾つ納品できる?」
渡されたスプーンを返しながらジークフリートが問う。スプーンを受け取ったアルマは魔法できれいに洗ってから、今度は木苺ジャムを一掬いした。
「そうだねぇ。全部で百二十種類あるんだけど、それぞれ全国民一人一人に三個ずつは行き渡るくらいの量があるからなぁ」
再度スプーンを受け取ったジークフリートは、木苺のジャムも試食する。仄かな酸味と甘みが癖になる味であった。
「過剰供給どころでないのは気のせいか?」
「気のせいだよ」
アルマは亜空間から次々とジャムを取り出し、ジークフリートへ試食分を渡していく。六十種類当たりで彼は一旦試食の手を止め、冷めた紅茶で口内に広がる糖分を喉の奥へと流し込んだ。それからまた、試食を繰り返していく。
「でも安心して欲しいのは、それ以上増えることは無いってところ。さすがに私もまずいと思ったし、作業のゾーンからもとっくの昔に抜け出しているから、これ以上ジャムを作ろうとは考えてないから」
全種類を渡し終え、ジークフリートも最後のジャムを口にして半ば麻痺する舌で味を確認すると、安堵するかのように紅茶を飲み干した。アルマにスプーンを返し、一息つく。
「寧ろそれ以上作ろうと考える方が浅慮だろう。……そうだな、どれも美味かったから、一応全種類貰っておこうか。納品数に関しては、常識の範囲内で頼む」
「了解。じゃあ、それぞれ二十セットずつで、合計二千四百個の納品でどうかな」
「常識の範囲内で、と言ったはずなんだが、まぁ、良いだろう。それで、ジャムの品質はいつまでもつんだ?」
「その点に関しては、時間経過の無い魔道具たる収納袋にいれて納品するから、問題ないよ。お得だね」
「……商人としての話術が中途半端に身についているようだな」
アルマは正面からくる非難がましい視線を優雅に受け止めつつ、クッキーを食んだ。エルマーは自分の娘がいつの間にか知らないところに向かっている現実を見せつけられ、悲愴感を露わにした。
ジャムの捌け口発見。
ドーナツの捌け口はどうしよう(;´∀`)




