61親子
翌日、いつもより遅い時間に起床したアルマは、ライラに気遣われながらブランチを食し、普段着に着替えた。今日は何をしようかと伸びをしていた折、示し合わせたかのように第一王子が部屋に入って来た。今日は彼だけでなく、エルマーも彼に付随してやって来た。アルマはそれだけで彼らの用事を悟り、二人を部屋中央のソファに勧めた後、ライラにもてなしの指示を出した。彼女が紅茶の準備を終え、部屋を去って行ったところでアルマは口を開いた。
「学院卒業直後がタイムリミット」
その一言で二人もアルマの言わんとすることを察したのか、あまり動かない表情筋をわずかに曇らせた。すぐに立ち直ったのはジークフリートの方で、彼は真面目な表情でアルマを見返した。
「そのことで話がある。ミアが此処から去るだろうことは既に織り込み済みだ。だが、ニコラスまでもとなると話は違ってくる」
彼の言葉に同調するようにエルマーが頷く。
「もとよりハウベル侯爵家の跡取りが潰えることを恐れて迎え入れた養子だ。そのニコラスをも連れていくとなると、こちらも口出しせざるを得ない」
アルマは父親の声を久々に訊いたとどうでもいいことを考えながら、両者の間で認識のすれ違いがあることを理解した。アルマは優雅に紅茶を飲み、徐にカップをソーサーに置く。
「ニコラスを連れて行く気はないよ。ただ、彼には少し手伝ってもらうだけ。ことが終われば帰すよ」
凄みのあるエルマーの眉間に、さらに皺が寄せられる。口を閉ざした彼を見遣ったジークフリートが、彼の代わりに話を進めた。
「その保障は、どこで為される?」
「どこにも。ニコラス次第かな」
彼女の返答に、今度はジークフリートも眉根を寄せた。暫くの間、静寂が室内を支配する。アルマは亜空間から三種類のジャムと簡素なクッキーを取り出し、小皿の上にクッキーを並べた。さらに三種のジャムを少量ずつ皿の脇に載せ、彼女はジャムをディップしながらクッキーを食し始めた。突然目の前でクッキーを食べ始めた娘にエルマーは若干の呆れを覚えつつ、いつも通りマイペースな彼女を如何様に説得しようかと考えあぐねた。
「因みに、どうして私がニコラスも連れていくと思ったの?」
アルマの問いに、エルマーは怪訝そうに顔を顰めた。
「寧ろ連れていくために、ニコラスをあそこまで手懐けたのだと思ったのだ」
やはり双方の認識が噛み合っていなかった旨が露見する。アルマはとんでもない誤解をされていた事実に頭を痛めつつも、ここは面倒くさがるべきではないと律儀に説明を施した。
「そんなわけないでしょ。あれはニコラスの気質であって、放置してたらいつの間にか立派な私の使用人と化していただけ。便利だと思って協力して貰っているのは否めないけど、あなたから彼を取るつもりは毛頭ないよ?」
アルマは新たなジャムを出し、味を変えながらクッキーを嗜む。エルマーはアルマの返答を聞き、深く黙り込んでしまった。
「だが、ミアがニコラス次第だというのなら、ニコラスの選択に委ねられることになる。そうすると、今のままではユーフェミア……いや、アルマとしてのお前にニコラスがついて行きかねないだろう」
彼の言葉に、アルマは目を瞬かせた。品の良い唇が茫然と開かれ、右の指で掴んでいたクッキーがテーブル上に落ちた。アルマはその衝突音で我に返り、テーブルに落ちたクッキーを拾い上げた。貴族としては無作法だったが、公の場で無いの良いことに、落ちたクッキーを口にした。軽い咀嚼音が室内に鳴り響く。
「ニコラスが私に付いてくることを選択する未来は考えてなかったよ」
クッキーを嚥下したアルマが呟く。同時に、二つの溜息が零れ出た。
「ミアは時々抜けているよな。そんなところも良かったんだが、今となってはもう、無い物ねだりだな」
ジークフリートは表情の中に仄かな悲哀を含ませた。アルマが首を傾げる傍で、エルマーが何とも言えないような顔をする。
「その代わり、出来得る限りの情報提供と取次はすると言ったでしょうに。ニコラスに関してはあなたたちの方から打診して貰えれば済む話だとは思うんだけど」
「あぁ、そうさせて貰おう」
エルマーは渋々と承諾したが、その後も表情を崩すことはなかった。
「時にミア、ニコラスには少し手伝ってもらうという話をしていたが、何を手伝ってもらうつもりなんだ? 魔族との交渉か? それともミアが目的にしているものに関してか?」
ジークフリートが問いを振りかけてくる。アルマはそこで、彼が魔術師団長子息と繋がっていることを思い出した。彼を半ば無理やり精霊界に連れていき、その折にアルマがニコラスを精霊王たる選帝侯に鍛得て欲しいと打診したという一部始終を見られていたのだから、当然第一王子にもその話が筒抜けになっているのも頷けた。
「その辺については私の方からは秘密にさせてもらおうかな。知ったところであなたには関係の無い事だし、無意味だから」
「関係が無いということは、『アルマ』の事情による手伝いなんだな?」
「ジークはどうしてそう、察しがいいのかな。話をしていて嫌になるんだけど」
拗ねるような表情を見せるアルマに、ジークフリートは「それはどうも」と破顔した。
「話はこれだけ? 終わりならこれから用があるから出ていって欲しいんだけど」
よもや王族を部屋から追い出す発言をしてしまっているが、彼らはユーフェミアをアルマとして扱っている故に、アルマの態度を咎めるようなことはしなかった。公の場でさえ侯爵令嬢然としてくれていればそれでよいのであり、全くもって十分なのであった。
「あぁ、なら手短に一つだけ。騎士団が英雄様と直接話がしたいそうだ。あわよくば団員に剣の指南もして貰えればと団長が物申していた」
アルマの申し出に反応したのは、ジークフリートだった。彼の話を耳にしたアルマは、心底嫌そうに顔を歪め、非難がましい口調で彼を責め立てた。
「私をその英雄様に仕立て上げたのはジークである上に、私がドラゴンを倒したのは魔法一発なのだけれども」
魔術師団ならまだしも、どうして剣の指南の話が出てくるのか、という言葉が続く前に、ジークフリートがアルマの言葉を遮った。
「ニコラスの剣の腕は周知しているが、彼の才能をあそこまで引き出したのはミアだろう。彼を指導したミアに団員も稽古をつけてもらえれば、騎士団の質も上がると考えたんだ。使える人材を使うのは、王族としての義務だからな」
責務として言われてしまえば、アルマも言い返す言葉が無くなってしまう。彼女は暫し虚空を睨みつけ、遂には諦めたように溜息を吐く。その中で、独り、咳払いをする人物がいた。二人の視線がエルマーへと集中する。
「少し宜しいですか、殿下。ミアは……、ユーフェミには、剣術を習わせていなかったはずなのですが」
無表情の中に動揺が見て取れる。そんなエルマーを見たジークフリートは、彼に憐憫の視線を向けた。
「ステータスの壊れているミアにそれを言うのは愚問だろう」
動揺から悲壮感へと変化する。エルマーは「そうですか」とだけ答え、アルマを凝視する。不躾に見られたアルマは、悪戯が成功した子供のように笑って見せた。
「寧ろ、今の今まで気付かなかったことの方が驚きだな。それ程ハウベル侯爵家では親子間の情報伝達が上手くいっていないということになるのだろうな」
ジークフリートの呟きに、エルマーが「親子間の情報伝達、ですか?」と鸚鵡返しする。
「あぁ、私も人のことは言えないが、二人はあまり自らのことについて互いに打ち明けていなかったのだろう。ミアは意図的に情報を秘匿していた感が否めないが、それならミアが冒険者アルとして外で活躍していた旨をエルマーが知らないのも頷ける」
瞬間、アルマから殺気の籠った視線がジークフリートへと向けられた。しかし、アルマの表情筋は微笑みを示している。
「冒険者アル……。近年、ウルフスタン公爵夫人と共に服飾ブランドを立ち上げた、腕の立つ魔法剣士の冒険者のことですか」
エルマーが思い出すように呟き、次いでアルマを見遣った。彼女は未だに射殺すような視線を第一王子へと向けており、そんな危険な視線を向けられた当の本人は彼女の殺気を感じているのかいないのか、笑んだまま視線を躱していた。
「娘と、噂の冒険者が、同一人物……?」
家族のことになると途端に思考停止するらしい。普段は魔法科大学学院長としてそつなく仕事をこなしているエルマーが、信じられない事実を突きつけられて固まってしまっていた。
「いつの間に、剣術を覚えたんだ……?」
ぶつぶつと呟く父親を見て、さすがのアルマも心配になってくる。彼女は一旦婚約者(仮)に殺気を飛ばすのをやめ、手っ取り早く種明かしをすることにした。
「別に、あなたに隠そうとは少しも思っていなかったのだけれど。あなたは私が剣を振るうのをあまり良しとしていなさそうだったから、独学で腕を上げたんだよ。勿論、魔法だけでも戦うことはできるんだけどね。それでもほら、魔物討伐の効率を考えると体を鍛えていた方がいいし、魔法が効きにくい魔物もいるから、冒険者業をしていると必然的に剣を使うことになるという算段だよ」
「なら、冒険者になったのはいつだ?」
アルマはエルマーから視線を逸らす。
「えーっと、魔法を扱えるようになった頃合いから?」
「かなりの初期段階じゃあないか」
彼は「何故気付かなかったのか」と額を手のひらで覆う。何と返せばよいのか分からなかったアルマは、誤魔化すように紅茶を飲み干した。ライラの淹れた紅茶は、冷めても美味しかった。
エルマーさん久しぶり。
影の薄い父親です(´-ω-`)




