57悲哀
「面白いことを進めているそうだな」
我が物顔のようにしてアルマの私室へとやって来たのは、この国の第一王子だった。文句を垂れても何事も無かったかのように受け流されることを知っているアルマは、彼の訪問を歓迎しない視線を見舞うのみに留めていた。一時期は結界魔法で私室を覆ってやろうかとも思っていたが、王族且つ婚約者の彼を一侯爵令嬢が邪険に扱うわけにもいかず。アルマは苦い思いをしながらも、自室の防犯設備を緩和させたまま今日までに至っていた。
「何が面白いのかは検討が付かないけれども。私としてはそのうち手を引くつもりだよ」
アルマの返答に多少の驚きを覚えたのか、ジークフリートは軽く目を見開く。
「ミセス・バレーヌによれば、お前は服飾革命に矢鱈躍起になっていたそうだが?」
いつの間に彼女から情報を得ていたのやらと、アルマは眉を顰めた。アルマの作法とマナーの講師をしていたミセス・バレーヌは社交界の中でも指折りの口の堅さで、余程話術に長けていなければ彼女に踊らされるのがおちとも言われるほどの女傑なのである。そんな彼女からアルマに関する情報を引き出したジークフリートは、彼女以上の話術を有しているということになる。アルマは油断ならない相手に、どう対処しようかと顔を歪めた。
「それは事実だけど。でも私はただ、そのきっかけを作りたかっただけで、先駆者になりたかったわけじゃない」
ジークフリートは不敵に笑いながら室内に置かれたソファへと腰を下ろす。彼は挑むような視線をアルマに投げかけ、口を開いた。
「つまり、お前は文明の停滞したこの世界の鎖を断ち切りたかったのだ、と?」
それまで報告書を読んでいたアルマの手が止まる。彼女は紙面から顔を上げ、琥珀色の瞳を真っ直ぐにジークフリートへと向けた。
「この世界の行く末に関しては、私はただ見守っているだけ。打開するか否かを判断するのは為政者たるあなた方の仕事だよ」
「それではまるで、お前が政治に関与しないとでも言っているようじゃないか。未来の王妃たるミアなら、否が応でも関わることになる筈なのだが」
表情筋を硬くしたジークフリートを見て、アルマは失笑する。
「私はあなたに会った当初から、婚約の解消を望んでいるのだけれども」
「それを、私が許すとでも思っているのか?」
「思わないからこそ、五年もの間ずるずると王妃教育を受ける羽目になったわけであって、今となっては最早目の上のたん瘤でしかない」
率直な言いように、ジークフリートは珍しくも感情を露わにする。それほど自分と結婚したいのだろうか、とアルマは心底不思議に思いながら、再び報告書に眼を落した。
「お前は……、いや、アルマは、自由になりたいのか?」
長い沈黙の後、ジークフリートが小さく言葉を零す。ある程度書類の整理が終わったアルマは、紙の束を整えてから彼の問いに答えた。
「奇妙なことを聞くね。私は元から自由な存在であって、あなたに囚われ続けるような矮小なものじゃない。ただ、偶然にも不幸な条件が揃ってしまっていたというだけのこと」
ジークフリートはアルマの返しを脳内でじっくりと反芻し、深く息を吐いた。彼の綺麗な眉間には皺が寄せられ、なまじ頭の良い彼は認めたくない事実と真っ向から向き合うという葛藤に苛まれていた。そんな彼の心境を無視するのがアルマという存在であって、そんな彼女は次々に辛辣な言葉を彼に付きつけていった。
「本来なら、私はこの世界に居るべき存在じゃない。それでも居続けざるを得ない状況を作り出したものがこの世界に類似した世界に居る。だからこそ私はこうして『ここ』に居続けているのであって、本心からしてここに居るわけじゃない」
アルマは束ねた紙を机の端に避け、自身は胸の前で指を組んだ。
「どうか、選択を間違えないで、ジーク。私が言えるのはこれだけ」
二人の視線がかち合う。細く繊細な銀糸を纏う彼女は、まるで血液の流れていないビスクドールのよう。動かない表情がさらに彼女を神秘的に魅させ、手の届く場所に居るはずなのに手の届かないもののように錯覚させた。ジークフリートはそっと瞼を閉じ、歯を食いしばった。しかしその時間も僅かで、彼はすぐに目を開いた。その瞳には揺らぎ無い意志が込められており、彼が判断を下したことがアルマにも伝わった。
「分かった。私は、どこまでも国のための為政者となろう。さすれば、ミアは有益な情報を齎してくれるのだろう?」
刹那にして急激に大人びてしまった彼に、アルマは複雑な思いを抱いた。彼はまだ、十二歳だ。アルマが『向こう』にいた折は、小学六年生か、或いは中学一年生くらいの歳であった。その頃のアルマが何をしていたのかと問われれば、胸を張って何もしていないと答える他何も無いのだが、それはアルマ本来の記憶が欠如していたからであり、そうでなければ、やはり何もしていなかったことだろう。珍妙なことに、記憶があろうがなかろうがアルマの本質は〝傍観者〟であり続けている。
それが、アルマという存在の大本を為していた。傍からことを見守るものとして彼女は生まれ、人間であれば精神的に死んでしまう程に遥か遠い昔から存在し続けていたアルマは、つい最近、己が気紛れに構った者に囚われてしまった。アルマ自身は囚われたことに対して何も思っていなかったが、アルマを捕らえたものの側はそうではないらしかった。
〝彼〟は、アルマがアルマたることを許さなかった。無遠慮で無配慮なアルマに怒りを覚えた。同時に、どうしようもないくらいに歪みきった憧憬の念を抱いてしまった。
抱いてしまった。抱かざるを得なかった。〝彼〟もまた人間であり、絶大で巨大な存在値を示すアルマに対して、畏怖と動揺と敬服を感じざるを得なかったのだ。そうした様々な感情が綯い交ぜになり、魂に織り込まれ、世界に、事象に、そして次元にすらその強力な『意志』の手が染み渡り、定着し、上位存在たるアルマさえも捕らえてしまったのである。
笑止千万。世界がアルマを〝傍観者〟として生み出したのに、その根幹たる部分を変えようと奮起する〝彼〟には浅慮にも程があると思わざるを得なかった。〝傍観者〟たるアルマが〝傍観者〟でなくなった時、それは最早〝アルマ〟でない、何か他の存在へと成り果てている。他の存在へと成り果てた〝アルマ〟に、果たして意味などあるのだろうか。否、そもそも〝アルマ〟自体に意味などなく、その意味を見出そうとする者はいつだって〝アルマ〟と対峙する者の側の方だった。
〝アルマ〟は意志に含みを持たせない。表出された意志は、表出された通りの意志のまま外側へと送り出される。その意志の程度が壮大であろうがちっぽけであろうが関係なく、純粋であればそれで良かった。例えアルマに干渉された世界や事物が如何様に変化しようとも、誰に責任があるわけでもない。喜び荒み、或いは嘆き悲しむのは不完全な意志を持った者たちの勝手な感情であり、そして脆弱であるからこその心の訴えであった。
力の差を理不尽だ、と宣うのはお門違いである。違っているのは、両者のあり方そのものなのだ。そうであるにもかかわらず、アンフェアだと言ってアルマを人間側のあり方に染めようとすることこそ横暴なのではなかろうか。
善意の悪事ほど厄介なものはないというが、善意とすら思っていない悪事ならどうなるのだろうか。はたまた、それは悪事といえるのだろうか。アルマが世界や事物をちょっとした意志で変容させてしまうことは、果たして悪事であるといえるのだろうか。
何でもかんでも低次元存在の存在を尊重して物事を判断し、行為に移るとなれば、天文学的指数の低次元存在、低次元世界を相手にするアルマは如何様に動けばよいのだというのだろうか。そんなことをしていては、アルマは自由に動く事すら叶わなくなるのではないか。
アルマの行動を制限する権利が、低次元にいる知的生命体にあるとでもいうのか。彼らは普通、アルマの強大な存在を認識すらできていないというのに。認識できるものですら、アルマの全てを理解できているわけでもないのに。
アルマはジークフリートに向かって、小さく笑んだ。
「そうだね。この世界をあるべき姿に戻す道標くらいなら、なってあげてもいいよ」
だからこそ、アルマは〝傍観者〟だというのに。
勢いで書いているので、よく話が飛躍します。
ご了承くださいm(__)m




