56会議
年が明け、大地に芽吹きが現れ始めた頃。アルマは十二歳になり、念願の服飾ブランドを立ち上げることと相成っていた。その経緯はアルマにとっても驚くべき飛躍によりなされたものであり、まさか表向きならず裏向きの彼女、すなわち冒険者アルとしての彼女が店を構えることになるなど、一体誰が想像できただろうか。詰まるところ、アルマがミセス・バレーヌによる苦痛のマナー・作法のレッスンを真面目に受けずとも、結果的には服飾革命を起こすことができたわけであり、したがって、彼女は多大なる労力を削り取るだけ削り取り、滑稽にもあの作法の講師の手のひらの上で転がされていたということになるのである。
アルマは無駄な時間を過ごしたと思いつつも、ある程度の礼儀作法は必要である旨はさすがに心得ていた。というのも、今回アルマが店を構えるきっかけとなったパトロン、すなわち後ろ盾の貴族がいる故に、やはりそれ相応の態度を取らなければならないと考えた時、彼の講師の教えは実に役に立つものであった言えるからである。
それでは何故、彼女がブランドを立ち上げるに至ったのか。それは、アルマたち真実の探求組が、魔物の森でとある貴婦人とその息子を助けたことにまで遡る。
アルマは助けた貴婦人から居場所を特定できる、所謂発信機の様な性能のついたネックレスを受け取り、それ故、その貴婦人がアルマたちに目を付けたという思惑を見抜いた。どのように目を付けたかに関しては予測の域を出ないものの、それでも彼女たちの有能さが気に入られたことには間違いなかった。とはいえ、正体を隠して活動をしている彼女らが、貴婦人の傘下に入れば当然の如く正体が露見する危険性が跳ね上がってしまう故に、彼女の思い通りに動くような愚直な真似をする筈もなく。結果、アルマたちにいいように惑わされた貴婦人は、満を持して姿を現した冒険者姿のアルマたちに、対等の立場を認めたのである。
そこから他愛無い会話をしていく中で、アルマと貴婦人はクラルヴァイン王国の服装が如何に窮屈で動きづらいものであるかという意見で馬が合い、急速に仲を深めていった。貴婦人、こと宰相閣下の妻セラフィマは隣国ネスチェロフ共和国の出身であり、その国における女性の民族衣装は、緩やかなブラウスに、足元まで隠れるジャンパースカートを組み合わせた、何とも動きやすく体に優しい服装なのである。アルマの記憶が正しければ、それはロシアの民族衣装、サラファンそのものであった。
アルマは自分の知り得る限りの服の形態や性能等の情報を貴婦人と交え、マーメイドラインのドレスを主軸に服飾系統の店を新規開店させるところまで話が発展した。無論、表向きでも裏向きでも用事のあるアルマが店に常駐できるわけではないため、彼女はクリエイターという立ち位置に置かれることとなった。その他の雑多な経営なり生産なりは他の誰かに丸投げするしかないとなった折に、当の貴婦人がやけにやる気を見せてそれらすべての采配を引き受けてしまったため、とんとん拍子でブランドの立ち上げが実現してしまったのである。
店の大方については貴婦人に託されたため、厳密にはウルフスタン公爵家直営の服飾店となっている。しかしながら、売買する服のデザインの殆どがアルマにより齎された新しい系統のもの、すなわち先駆的なデザインの服であるために、クリエイターの存在を全面的に押し出した方が話題を呼ぶだろうということで、建前的にアルマの店とされたのである。
とはいえ。アルマ自身、さして服に明るくはなかったため、クリエイターとして長期的にアイデアを出し続けることは難しいだろうと考えられた。故に、クリエイターの存在を大々的に知らしめながらもその姿を秘匿し、ついでに店の理念に適った後続者となり得るクリエイターを育成するという、いかにもややこしい事態を取る羽目になった。これはアルマ自身の正体を知られるわけにはいかないという思惑も含まれていたが、厄介事に関わり続けるのが面倒だという彼女の気質にも起因していた。というのも、彼女の目下の目標はあくまでもコルセットからの解放であり、お洒落の推進ではないからだ。
貴婦人に対しては、末永く流行の最先端を行くために必要な処置だ、などという理由を並べ立てて合意を得た。恐らく彼女はアルマがなんらかの理由で正体を晒したくない旨に気付いていたのだろうが、さすが本音と建て前を上手く使い分ける貴族だ、特に反発することなくアルマの意見が罷り通された。
そんなこんなで出来上がったのが、『Donuts』である。店名にそこはかとなく悪意が感じられる上に、菓子の名前を服屋の店名にした意図も計り知れないが、奇抜という点では人の目を引くだろうことが予想できた。翻って怪しまれたり胡散臭がられたりされなくもなさそうではあったものの、貴婦人が面白がりながら気に入ったと太鼓判を押してしまったため、晴れて店名がそれに決まってしまったのである。
何を隠そう、店名を決める話し合いの際に別のことに気を取られていたアルマが、無意識に「ドーナツ」と呟いたのが多大なる原因であり、同時に自爆した結果であった。彼女が何について考えていたかは言うまでもないが、口にしてしまった時点で後の祭りである。大抵の場合は苦笑されるか即座に却下されるところだが、如何せん、貴婦人は陽気という名の奇婦人だった。後先の失敗を物怖じしない性格は大変魅力的で、政略結婚とはいえども、この国の宰相もそれに惹かれて彼女との結婚に至った話はさておき、アルマが貴婦人の豪胆さに力強く引っ張り上げられていることは事実であった。よもやミセス・バレーヌを超える狸が彼女の目の前に現れるとはアルマも思っておらず、貴婦人に良いように流された彼女は、良い意味でも悪い意味でも精神を削られることとなった。
国の筆頭貴族とも言える公爵家がバックについた服飾店ということから、そこで売られる品は上流階級の貴族を中心に爆発的な人気を勝ち取った。それは偏に、彼の婦人が社交の場で新たに考案したドレスを身に纏って出席したことが、店の注目を集めたきっかけとなっている。アルマとしては、当初の予定を上回る期間で服飾革命を起こせたことに対して上々な気分を覚えており、コのつく戦闘装備を装着せずに済む未来に心底安堵していた。
「時にアル、そろそろ小物類の展開もしたいのだけれど」
上品な雰囲気を纏った物腰の柔らかい貴婦人が笑む。その瞳の色は打算と下心によって塗り潰されており、どう考えても失言の許されない雰囲気を醸し出している。
「小物類の展開をお考えなのでしたら、その方面の専門職と取引するか、引き抜いてくれば宜しいのではありませんか?」
無難に返答するアルマに、貴婦人、ことセラフィマは下瞼を引き上げる。唇は弧を描いているが、淀んだ視線には圧力とも言える含みがあった。
「あら? あなたはその専門職に心当たりがあるのではなくって?」
「ありませんね。少なくとも、冒険者である私には、服飾関係の小物類を専門とする技術職人との繋がりはありません」
「それは残念。良質のものを恒常的に生産できる程の腕を持った職人とは、是非とも懇意にしたかったのだけれども」
残念といいながら、少しも残念とは思っていない顔をするセラフィマ。アルマはニコラスがいればもう少しうまくやり取りができただろうに、と彼の不在を一人で嘆きながら貴婦人から寄せられる危険な視線を躱していた。
「まぁ、いいわ。でも、小物類も扱いたいというのは本当よ?」
「なら、香水はいかがでしょう。今はまだ服のみで軌道に乗っているところですから、アクセサリー類やバッグ類などの、制作や生産に費用の掛かるものよりも、手頃なものから手を付けた方が後々のリスクを軽減できると思われます」
「確かにそうね。では具体的に、どのような香水を作るおつもり?」
セラフィマの問いに、アルマはフードの影に隠れた瞳を逡巡させる。親しくなった今でもアルマが顔を隠し続けているにもかかわらず、貴婦人は文句を垂れることなく黙認してくれていた。そんな融通の利く彼女に一瞬だけ心を許してしまおうかと思ったアルマは、変化の魔法で顔の形を変えることで姿を露わにしようかとも考えたが、変化魔法は意識して形を保ち続けなければならないため、あえなく断念せざるを得なかった。それ故にアルマは未だにフードをかぶり続けており、結果としてはセラフィマの従者、延いては息子にまで遠巻きにされる存在へと成り果てていた。恐らく彼らは、主人、或いは母親が奇特な存在に目を付けて、一時的なお遊びに興じているという程度にしか認識していないのだろう。無論、アルマからすればその程度の認識で大いに構わないばかりか、好都合ですらあるため、彼女自身も彼らの態度を黙認していた。
「そうですね……。やはり、『Donuts』のブランド性を売り込んでいきたいところですから、斬新かつ受け入れられやすいものを考案したいのですが。生憎私は香水に明るくないもので」
「そうよねぇ、冒険者であるあなたが、高級な嗜好品を使うはずがないものねぇ」
芳しくない答えに、セラフィマも重い息を吐く。
「ただ、当てがない、というわけでもありません」
淡々と述べられる言葉に、セラフィマは「と、言うと?」と片眉を上げる。
「エルフ民族の住まう北の森の奥深くで円環状の奇妙な木の実を発見したのですが、その実の香りが優しくまろやかでいて、それでもどこか記憶に残るものでした」
「それは一考に値するわね。現物はあるのかしら」
「今は手元にありません。次回あたりに持ってくることは可能ですが」
「なら、次の会合の際、持ってきて頂戴」
セラフィマの命令に、アルマは素直に「かしこまりました」と返す。しかし、彼女はそこで口を閉ざさず、話を続けた。
「しかし、一つ難点があるのが」
「その実が北の森に生息しているということね?」
セラフィマはアルマの言葉にかぶせるようにして言う。アルマはその通りだと言わんばかりに頷いた。
「現時点では、その実が北の森特有のものなのかどうかははっきりとはしていませんが、それでも北の森に行って採集する他ないというのが事実です。エルフ民族との軋轢を避けながら安定した収穫量を得られるかどうかが難しいところです。栽培に関しても新種の植物故、可能かどうかがまだ分かっていません」
真剣身を帯びたセラフィマの視線が、宙の何処かを捉える。
「エルフ民族との交渉は言わずもがな、無理でしょうね。けれども同時に、商品の希少性は得られるわ」
「えぇ。ブランド物としては美味しい付加価値です。とにもかくにもその実が香水の原料足り得るか否かを調べない限りは何も始まらないという問題もありますが、その辺りは如何いたしましょう」
セラフィマは指先を唇に添え、一思案する。
「そうね……。専任の調香師がいるわ。その者に任せるのがいいかしら」
「分かりました。では、次回は香水の開発について検討しましょう」
アルマの一言で会議は御開きになった。
お気付きだろうか。
ブランド名以外にもドーナツ要素があることを。




