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Donuts ~君のためなら何度でも~  作者: 鏡春哉
第二章 落ちた先
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Target Side3-3

 アルマの転移魔法によって飛ばされたフェリシアンは、僅かな浮上感を覚えるとともに、すぐに地に足が付いたことを感じた。開けた視界を見渡してみると、そこはフェリシアンがつい先ほどまでアルマを監視していた飲食店すぐ近くの路地裏であった。さすがに店内に転移させるような無遠慮なことはしない程度のマナーが彼女にはあるようだったが、しかし、身内にはとことん遠慮はしないらしかった。


 彼は右横に突っ立っている年下の少年を見遣った。彼は裏路地の隙間から見える夕暮れの空を見上げ、それからフェリシアンの方を向いた。左右で異なる色をした彼の瞳は、見れば見るほどその不思議さを醸し出している。


「どうしよう。僕も一緒に帰されちゃった」


 駆け出しの冒険者の様な身なりをしている彼は、どう見ても庶民の出にしか見えず、フェリシアンの仕えている彼の兄とはどうにも似ても似つかなかった。とはいえ、彼ら兄弟の顔かたちが似ていないわけではない。寧ろ、顔や姿だけを見れば、その瞳の色と背丈以外は双子と見間違ってしまう程には似通っている。ただ、兄の方に備わっている隠し切れない程の高貴なオーラと比較してしまうと、今目の前にいる彼はあまりにも平々凡々としすぎていた。


 フェリシアンは彼から視線を外し、どこをともなく宙を見据える。


「あいつも大雑把だな」


「それは認めるしかないけど。僕は僕でまだやることがあったんだけどなぁ」


 そう言って眉をハノ字に歪める彼は、どこにでもいる気弱そうな少年そのものだった。下手をすれば貴族であることすら疑われそうで、今までよく王族として振る舞い続けてこられたものだと、フェリシアンは無礼にも彼に対して感心していた。


「そういえばフェリシアン。結局フェミーのジャムを受け取らなかったよね」


 二色の瞳が彼を捉える。その純粋な瞳には、なんの思惑も映し出されていなかった。フェリシアンはどことなく居心地の悪さを覚え、彼の真っ直ぐな視線から逃れるように顔を背けた。


「それがどうした。何か問題でもあるのか」


「いや、別に何も。受け取ろうが受け取るまいが、フェミーは何とも思わないと思うよ」


「じゃあなんで、そんなことを訊いてきたんだ?」


 首を傾げるフェリシアンに、少年、ことヒルデブラントは小さく苦笑した。


「うーん、ただ、勿体ないなぁ、とだけ」


 ヒルデブラントは背を壁に預け、茜色に染まる平らな雲を眺めた。天と地の境界線は橙色から赤紫色までのグラデーションを為しており、西の空には一番星が見える。


「そんなに……、あいつのジャムは旨いのか?」


「うん、美味しいよ。気味が悪い程にね」


 奇妙な表現を口にする彼に、フェリシアンは顔を顰める。しかし、第二王子はそれきり口を開かずに、ただただ沈みゆく夕陽を眺めていた。


 そこには、平民でも王族でもない、ただ一人の少年がいた。少なくとも、フェリシアンにはそう見えた。定められた身分になど目もくれず、無我夢中になにかを追い求めているような、そんな一人間であるように思われた。


 フェリシアンはやり切れない感情に苦虫を噛み潰したような思いを抱く。今彼の目の前にいる王子は、凡庸の仮面を脱ぎ捨て、溢れんばかりの自信を漲らせていた。そして、彼をそうさせたのが、あの得体の知れない侯爵令嬢だった。二人の間に何があったのか、それは見ていただけのフェリシアンには分からなかった。けれども、なにか、途轍もないことが起ころうとしていることだけは、直観的に理解できた。


 フェリシアンは不意に、現在の主、クラルヴァイン王国第一王子、ジークフリート・フォン・ミヒャエル・クラルヴァインに出会った時のことを思い出した。彼もまた、自身に満ち溢れたカリスマ性を持ち合わせた少年であった。


 当時、フェリシアンは魔術師団長の息子でありながら、攻撃魔法の扱いに才能がないことから随分と燻ぶっていた。そんな彼の特性を見抜き、さらには精霊との契約まで可能にさせた彼の手腕は、見惚れない以外の何物でもなかった。だからというのか、もともと一つのことに過集中してしまう癖のあるフェリシアンは、盲目的に王子殿下へとついて行ったのだ。


 彼以外は何も要らない。それは狂おしい程に脅迫的な観念で、フェリシアンの中を支配していた。彼のためなら、命をも差し出せる。それが、彼にとっての恩人への誠意であった。


 だというのに。あの女は、フェリシアンを形作っていた歯車を壊してしまったのだ。彼女はフェリシアンに、世界は広いと教えた。そしてその通り、世界にはまだまだ知らないことが沢山あった。恐らく、彼女はまだフェリシアンには伝えていないことが多くあるだろうし、それ故に面倒くさがって、調べる方法を彼に与えたのだろう。


 フェリシアンは身震いした。世界がどこまで広がっているのか、知りたくなってしまったのだ。たとえ、それが彼女のあり方に毒されているのだと気付いていたのだとしても。彼らが秘密裏に進めているだろう、『途轍もないこと』に、自分も与したいと思ってしまった。


 勿論、フェリシアンにジークフリートを裏切るつもりは毛頭ない。けれども、彼を未知の領域へと誘うことならできるだろう。なんと言っても、フェリシアンにはその術があるのだから。


 しかしそのためには、まずは目前の問題を解決しなければならなかった。魔族による侵攻の問題である。フェリシアンは先刻出会った侯爵令嬢の協力者とやらを思い出す。まさか魔族そのものが彼女の協力者になり得るとは思いもしていなかったが、精霊界の存在を知っており、かついとも簡単に精霊界へと足を踏み入れる方法を知っている規格外の彼女なら、魔族の一人や二人、傘下に入れるのも難しいことではないのかも知れなかった。


 フェリシアンの警戒心は、いつの間にか、好奇心へと変換されていた。それは偏に、この世界の止まった文明が動き出すことを意味していた。




 閉じた世界が、開いてゆく。円環体を為したドーナツに、誰かが齧りつくかのように。

本能が睡眠を要求し、書きたい欲望が睡眠を阻害する。

そうして、体内時計は狂ってゆく( 一一)

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