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Donuts ~君のためなら何度でも~  作者: 鏡春哉
第二章 落ちた先
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55側杖

 アルマに声を掛けていたのは、ヒルデブラントだった。


「大丈夫、フェミー?」


 アルマは微かにフィルターのかかった視界でヒルデブラントを捉え、「あぁ」と声を漏らす。


「ちょっと、重大な事実を思い出してしまって……。だけど、ヒルデが気にするようなことではないから」


「そうなの? いきなり黙り込んだと思ったら深刻そうな顔をして塞ぎ込むものだから、心配しちゃったよ」


 本気でアルマのことを気にかけていたのだろう、ヒルデブラントの純粋な視線が真っ直ぐアルマの胸の内に突き刺さってくる。彼女は乾いた声で笑いながら、「それは悪かったね」と無難な返しをした。


「何だよ、何か不味いことでもあったのか?」


 アルマに部外者認定されていたフェリシアンは、怖れることなくストレートに訊いてくる。アルマはそんなフェリシアンに非難がましい視線を向けたが、彼に八つ当たりをするのは道理に合わないと、彼女はすぐに彼から視線を外した。


「まずいというか……、なんだろう、自分の不始末は、自分で対処しないとな、とね」


 鈍い音が響いたかと思うと、二つの椅子が床に倒れていた。少年たちは及び腰で後退り、盛大に引き攣った顔をして、その原因を作った当本人を見遣った。奇妙な反応を取られたアルマは、怪訝そうに二人を眺めた。


「何そのリアクション」


 半眼になるアルマ。ヒルデブラントは動転したまま勢いよくテーブルに乗り出した。


「い、いや、いやいやいやいや!? 何そのリアクション、じゃないよ!?」


「……お前にも、反省という概念が存在していたんだな」


 ヒルデブラントに比べてフェリシアンは幾分も冷静さを保っていたものの、それでもアルマが反省するという行為を見た彼は、非常に気味悪く感じていた。


「失礼なことを言ってくれるね。そう言いたくなるのも否定はしないけど」


「否定しないのかよ。……だが、お前みたいな規格外な奴が反省するとなると、かなりとんでもない事態を思い出したということになるな」


 一人呟くフェリシアンに、アルマは感情の無い視線を向ける。


「知りたい?」


「いや、やめておく。知ってしまったら、そこはかとなく後戻りできないような気がする」


「賢明な判断だね。そんなあなたに、全百二十種類ジャムの詰め合わせを各種五セットずつ贈呈してさしあげよう」


「は?」


 聴覚からの情報が上手く脳内で処理されず、フェリシアンは固まってしまう。その傍らで何かに気付いたヒルデブラントが、苦しそうに咳き込んでいる。アルマはそんな二人に構うことなく、亜空間から六百個のジャム瓶を取り出すと、魔道具である小さな収納袋にそれらを詰め始めた。すべてを詰め終わると、アルマは何も言わずにフェリシアンへとその袋を手渡した。そこで漸く我を取り戻したフェリシアンが、咄嗟に袋から手を放した。袋は虚しくも床に落ち、そこに留まった。フェリシアンは拳を震わせながら、アルマを睨みつけた。


「い、いきなり何するんだよ! 要らない、俺は受け取らないからな!」


「そんなこと言わずに」


「そうだよ、フェリシアン! 君も協力してくれれば、これ以上の犠牲者は出ないと思うんだ」


 手のひらを返したような第二王子の発言に、フェリシアンは目を剥いた。


「第二王子までどうしたんだよ。そんなにこのジャムはヤバいのか?」


「ジャム自体はヤバくないよ。寧ろ王城で出てくるジャムよりもおいしいと断言できるほどの出来ではあるんだ。ただ、ただね……」


 そこで言葉を切ったヒルデブラントは、めくるめく悪夢を思い出し、瞳を潤ませ始めた。


「量が尋常じゃないんだよ!」


 迫り来る彼の訴えに、フェリシアンは若干の距離を感じた。


「そ、そうなのか」


「そうなんだよ! この人、マイペースなくせに手際だけはいいものだから、シャレにならない量を量産してくれるんだよ!」


 アルマを指さすヒルデブラント。フェリシアンは横目でアルマを見遣り、彼女が悪びれもなくフェリシアン達の会話を眺めている姿を目にした。


「わ、分かったから。兎に角落ち着け、第二王子」


 フェリシアンの言葉で冷静さを取り戻したヒルデブラントは、転がっていた椅子を立て直し、そこに座り込んだ。フェリシアンも彼に倣い、床に落ちた袋を拾ってから椅子に座った。彼は件の袋をテーブル上に置くと、改めてヒルデブラントに向き直った。


「そんなに大量にあるのなら、売ってしまえばいいだろう」


「その手は既に使ってるよ。使った上で、有り余ってるんだ。最早頭がおかしいとしか思えないよ!」


「そこまで言うのは酷いんじゃない?」


 アルマの無神経な一言を聞いたヒルデブラントは、彼女を強く睨みつけた。


「あんたが言うな、フェミー。どうせ、さっき反省してたのも、ジャムと似たようなことが過去にもあって、それが原因で大変なことが起こってることに気付いたからなんでしょ!?」


「わお。ヒルデのくせに、察しがいいね」


「どうしてあんたはそんなに他人事のように言うんだよ!」


「だって、私の本質は傍観者なんだもの」


「フェミーの馬鹿! 僕はあんたのせいで、甘いものが嫌いになりそうなんだよ!」


「それは良かったね。将来、糖尿病になる確率が下がるんじゃない?」


「トウニョウビョウって何!?」


「インスリン分泌が不十分で、血糖値が高くなる病気のことだよ。肥満になりやすいとか感染症にかかりやすくなるとか、様々な二次的障害が併発する病気としても知られてる」


「それを言ったら糖尿病の貴族はさぞ多いだろうね!」


「話がずれて来てるよ、ヒルデ君」


 まぁ、それはあながち間違ってはいないとは思うけどれども、とアルマは呟き、食している途中だった柘榴ジャム掛けのドーナツに再び取りかかり始めた。柘榴の仄かな酸味が甘みのあるドーナツと絡み合い、すっきりとした口触りで非常に食べやすくなっていた。ジャムのお陰で脂っこさも抑えられていたため、これなら幾つも食べられてしまいそうであった。


「私のことは良いから」


「本当に大丈夫なの?」


 ヒルデブラントは不安げにアルマを見上げる。アルマは新たに平皿からドーナツを取り上げ、今度は杏ジャムを小皿に添えた。


「あなたたちには関係の無い事だから問題ない」


「お前の言い様からすると、あまり信用できないというのが正直なところだが。それでも、わざわざ深追いするまでもなさそうだな」


 フェリシアンはテーブルに置かれた例の小袋を眺めながら断言する。ヒルデブラントは彼の言葉に一瞬だけ逡巡したが、これ以上話を掘り下げると自分の首を絞めてしまう可能性があることに気付き、慌ててフェリシアンに同意した。


「ところで、そろそろ日も暮れる頃だし、帰りたいんだが」


 フェリシアンの要望を聞いたアルマは、視線だけを彼に向けて素っ気なく答えた。


「それなら、ヒルデに送って貰うといいよ」


「ちょっと待て。曲がりなりにも第二王子だぞ。そんな人物に、一介の貴族が送迎を頼めるわけがないだろう」


 虚をつかれた故か、はたまた動揺したからか、フェリシアンはヒルデブラントの冷ややかな視線にも気付かずに捲し立てる。アルマは至極面倒そうに視線を逸らし、陽の落ち行く窓の外を眺めた。


曲がりなりにも(・・・・・・・)第二王子だけど。フェリシアンはここから一人では帰れないでしょ?」


 ヒルデブラントのあからさまな言いいように、さすがに失言に気付いたフェリシアン。彼はバツが悪そうに顔を歪めながらも、律儀に詫びを入れた。


「まぁ、僕もそう思ってるから別にいいんだけどね。それよりもフェミー、手っ取り早く転移で送ってはあげないの?」


 至極真っ当な意見を突き立てるヒルデブラント。フェリシアンはハッと顔を上げながら、彼の言う通りだと言わんばかりにアルマへと食いついた。


「そうだ、行きはお前の転移魔法でこちらに連れてこられたんだ。なら、帰りも同じ方法を使ってくれてもいいんじゃないのか?」


「そうして欲しいのなら、それでもいいのだけれど」


 アルマは徐に右腕を上げ、人差し指を立てる。指先に魔力を集中させ、その質を転移魔法のものに変換させる。彼女は魔力の光をフェリシアンに向けて飛ばし、くるりと一回転させた。


「えっ、ちょっ、僕も!?」


 何故かフェリシアンの隣にいたヒルデブラントも共に魔力の糸に包まれ、少年二人の視界が白んでいく。そして一瞬のうちに、彼らはこのログハウスから姿を消した。


 一人になったアルマは虚ろを眺めながら、溜息を吐くように呟いた。


「これから、激動の時代が幕を開けることになるんだろうね」


 束の間の平和の中、酷く面倒くさそうに彼女は再度、溜息を吐いた。

原因の比率がアルマ氏に傾く。

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