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Donuts ~君のためなら何度でも~  作者: 鏡春哉
第二章 落ちた先
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52協力

 割れるような音が脳内に響くとともに、アルマは大自然の中に佇んでいた。青々とした草原を柔らかな風が駆け抜け、シャボン玉のような植物の種が舞い上がっていく。全体的に白みを帯びた明るさで照らされており、まるで映画の一面を切り取っているかのような情景が眼前に映し出されていた。


 アルマは乱れる銀糸を押さえ、後ろへ振り返る。そこにはきちんとニコラスとフェリシアンの姿があり、予定通り同じ場所へと辿り着けた旨が確認できた。彼女は無表情のまま態勢を元に戻すと、何も言わずに前へと進んで行った。その後ろを二人がついて行く。


 草原から森に入ると、見たことも無い植物が淡く金色に発光しているのが見て取れた。木陰で少し暗くなった森の中で、これらの植物は外灯の役割を果たしているようであった。アルマは迷いなく道なき道を進んで行き、開けた場所に出た。


 そこには煌めく湖が広がっており、その湖畔には可愛らしい小屋が建てられている。アルマは躊躇なくその小屋のドアを開き、中に入り込んだ。どうやら家の主は留守にしているようで、小屋の中は無人であった。フェリシアンは無断の行為に怯えながらも、渋々とアルマについて行く。ニコラスはそんなフェリシアンに気遣うことなく、アルマに従った。


 アルマは小屋の奥にある本棚を調べ、とある仕掛けを見つけた。彼女は古典的でベタな隠し扉だなと思いつつ、その仕掛けを解いた。重厚な本棚が右向きに九十度回転し、さらに奥の部屋へと続く入り口が出現した。アルマはそのまま隠し部屋へと足を踏み入れると、一度当たりを見渡した。


 隠されていた部屋は、アルマたちが隠し扉を跨ぐ前に踏み入れた小屋の内装と、鏡のように配置されていた。アルマはこの部屋も無人であることを確かめると、さっさとこの部屋の外に出た。彼女は目を細め、目の前に広がる湖を見詰める。向こうの方には無かった浮島の上に、目当ての人物は居た。こちらに背を向けている彼は、浮島に真っ白なテーブルと椅子を用意し、カラフルなパラソルを広げてアフタヌーンティーを嗜んでいた。アルマは軽やかに湖を飛び越え、件の浮島へと着地する。


「久しいね、選帝侯(・・・)


 唐突な来訪者に、選帝侯と呼ばれた男はティーカップを取り落とした。零れ出た液体をてんやわんやとしながら処理した後、慌てて声のした方を見遣る。彼のプレシャス・オパールの瞳が捉えたのは、出会う予定のないはずの人物であった。


「あ、あ、アルマさん!? どうしてここに……」


「私がここに来るということは、予想できなかったことでもないはずだけど」


 冷たく言い返された選帝侯は、悩まし気に「それは、そうですけど」と呟く。


「勿論、初めは私もここに来る気はなかったんだよ。というか、来ない方がいいものとばかり思ってた」


 選帝侯が勢いよく顔を上げる。


「なら、何故です?」


 真っ白な衣装とはそぐわないような、情けない顔をする選帝侯に、アルマは鋭い視線を浴びせた。


「思うに……、私は中立の立場であるべきなんだよね。そうであるのに、そうしないのは何故だと思う?」


 質問に対して、噛み合わない質問で返される。選帝侯は返答に困り、眉をハノ字に歪めた。


「他でもない、この私に喧嘩を吹っ掛けている者がいるから。だからこそ、私が動かざるを得ないのだし、この悪夢にも終わりが来ないわけなんだよ」


「まさか、あなたに喧嘩を吹っ掛けるような愚か者なんて、この世に存在しないでしょう?」


 怪訝そうに顔を顰める選帝侯に対し、アルマは頬を引き攣らせた。


「私自身に吹っ掛ける者なんて、それは居ないでしょうよ。でも、間接的に吹っ掛けることができる者くらいなら、想像はつくんじゃないの?」


 選帝侯は口を噤み、視線を落とした。彼はそれきり何も言わなくなり、アルマは仕方なさそうに深く溜息を吐いた。


「はっきりとは言わないけど。知らず知らずのうちに、あなたも〝彼〟に片棒を担がされているということだけは教えておいてあげる。私としては、どうして気付かないのかと言いたいところだけど、あなたと同等の存在ともなれば、それは一筋縄とはいかないんだろうね」


 選帝侯は息を呑み、アルマを見上げた。彼は七色の瞳を揺らめかせ、悲壮感を露わにする。


「言っておくけど。あなたが味方だと思っている者が味方でないことは最早明らかなこと。あくまでも中立の立場をとり続ける者か、或いは真っ向から対立している者しかあなたの周りにはいない。唯一味方であり続けるのは、かつてあなただった者たちだけ」


 アルマはどこからともなく椅子を取り出し、そこに座った。そこで足と指を組み、小さく息を吐く。選帝侯は彼女の様子をただ眺め、徐に口を開いた。


「それじゃあここへは、私に忠告をしに?」


「そんなわけないでしょう。何が悲しくて、わざわざあなたのためにあなたを諭しに私が出向かなければならないの? 私がここに来たのは、あなたを協力者として取り込むため。あなたがどう思おうと、否応なしに協力して貰うことは決定事項だから」


 アルマは組んだ足を解き、姿勢を正す。細い顎を引き、猛禽類の如く鋭い瞳を選帝侯へと差し向けた。尋常でない威圧をかけられた選帝侯は、抗う気などさらさらなかったようで、早々に降参した。彼は両腕を上げながら、失笑する。


「何に協力すればいいんです?」


「私が言うまでもない気もするけど。敢えて言葉にするなら、瀬戸際寸前まで事態を掻き乱す要因を作り出したいんだよね」


 選帝侯はアルマのすぐ後ろにいる二人を見て、完全に理解したようであった。彼は二人から視線を外すと、湖面に反射してきらきらと輝く光を眺める。そのままティーカップを手に取り、ポットから熱々の紅茶を注いでから一口飲んだ。


「一つだけ、意見してもいいですか?」


 選帝侯はゆっくりとカップをソーサーに置き、アルマを見据える。アルマは「どうぞ」とだけ答え、余裕の笑みを浮かべた。


「私が指導できそうなのは、そちらのアルビノの方だけです。もう一人の精霊持ちの方は、器を根本から変えてしまわない限り、渡りすらできませんので」


 アルマは首だけを後ろへ向け、待機している二人を見遣った。彼女は眩しそうに目を細め、徐に口を開く。


「ねぇ、フェル。その体を捨てて欲しい、と言ったら、何て答える?」


「そんなの、『否』に決まってるだろうが。馬鹿じゃないのか?」


 フェリシアンは不機嫌を露わにして即座に答える。アルマは首の位置を元に戻し、はたと容易に自らの身体を捨てた少女について思い出した。彼女は今、何をしているのだろうかと関係の無い事を考えながら、その瞳に選帝侯の姿を映した。


「じゃあ、ニコラスだけで頼むよ」


「承知しました。……では確認させていただきますが、本当に、関係の無い戦後の人間を投擲してしまってもよろしいのですね?」


「いいよ。ここまでくれば、徹底的に追い詰めるまで。本来なら私がすべきなんだろうけど、私の匙加減となると、世界崩壊は免れないだろうしね」


 ただでさえ血色の無い選帝侯の顔色が青白くなる。彼は目を瞑り、唇を一文字に結んだ。その節々には震えが見られ、それを隠すかのように彼は息を詰めた。


 暫くして大きく息を吐いた彼は、七色の瞳でアルマを見据える。


「アルマさんは、為せるところまでは為したとおっしゃるのですね」


「そうだね。後は繊細に削り取っていく作業が残っているだけ。そうでもしないと、私が『向こう』に完全に戻れなくなってしまうかも知れないから」


「そうですか……。分かりました。確かにここらで終わらせておかないと、そろそろ榎本の精神状態もおかしくなってしまうでしょうし。甘んじてお受けいたしましょう」


 苦しそうに笑む選帝侯を意識の向こう側で眺めながら、アルマは皮相な数学教師と交わした会話を反芻していた。加絵や真奈がいる時点では軽い調子で話していたものの、アルマと二人きりになった途端、鬱々とした様を垣間見せた旨を思い出す。なるほど、あのようなおちゃらけた態度は自らに降りかかっている負の感情を覆い隠すためのものであって、実際は溢れんばかりの精神的病魔に巣食われていたのだろう。


 アルマは何も映さない瞳を虚空に向け、如何様にすべきかと一思案した。言ってしまえば、彼は巻き込まれてしまった〝人〟なのだ。正確に言えば人ではないのだが、心が病んでしまうあたり、彼が〝人間〟と〝彼等〟の間を彷徨っていることが窺えた。アルマは全てが丸く収まる方法を改めて考えつつ、選帝侯に背を向けた。彼女は後ろにいた連れ二人の間を通り抜けると、湖の際で歩を止める。


「じゃあ私は戻るから、ニコラスのことをよろしく。ニコラスも時間のことは気にせず、存分に強くなってもらって構わないから」


 彼女は選帝侯の方を向いて言った後、ニコラスにも一言残した。二人の反応を確認すると、彼女はフェリシアンを連れて湖の上を一飛びした。それから何かを思い出したかのように振り返ると、彼女は同じ調子で付け加える。


「あぁ、そうだ。奏多によろしく伝えておいてよ」


 距離を隔てていても、選帝侯の耳には届いていたらしい。彼は「はい、伝えておきますよ」と静かに返答した。アルマは頷き、満足そうにしながらフェリシアンに何かを呟くと、二人同時に掻き消えて行った。

久々の選帝侯です。

相変わらずの引き籠りです(*´ω`*)

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