49検証
フェリシアンの説得に成功したアルマは、部屋の主、ヒルデブラントへと向き合っていた。彼はアルマの強引な手法を間近で見遣り、かつて自分もこの方法で落とされてしまった旨を思い出す。幾ら頑なに拒否しようとも、彼女の持てる情報量を前にすれば、巨大な岩をも崩れ落ちてしまうのである。ヒルデブラントは悠然と笑うアルマに意識を向け、深く溜息を吐いた。
「何をそんなに落ち込んでいるのか分からないし、どうでもいいけど。取り敢えず、ヒルデにチャンネル権があるかどうかだけ試させて貰おうかな」
アルマの言葉で我に返ったヒルデブラントは、一転して神妙な面持ちを見せた。
「そのことなんだけど。その、チャンネル権って、何なの?」
アルマは目を瞬き、「そうだね……」と呟く。
「単刀直入に言ってしまえば、精霊界に赴ける能力があるか否かという話なんだけど」
「「は!?」」
二人の声が重なる。
「これは資質の問題だから、チャンネル権が無ければ行こうと思っても行けないんだよね。とはいっても、私が何とかすれば行ける可能性はあるっていうことは否定できないんだけどね」
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと、え、ちょっと?」
混乱して言葉が出てこないらしい、ヒルデブラントは目を白黒とさせ、意味もなく首を左右に振り回す。フェリシアンに至っては石のように固まってしまい、言葉すら出せずにいた。
「今、さらっと『精霊界』って言ったけど、何、精霊界って人間が行けるものなの? っていうかそもそも精霊界って実在してたの? 御伽話の中だけの世界じゃないの!?」
言葉の復帰したヒルデブラントが捲し立てる。アルマは顔を顰め、「視界に煩いから落ち着いてくれる?」と辛辣に彼を突き放した。
「御伽噺とか都市伝説とか神話とかいうものって、実際にあったかどうかさえ分からないことが多いよね。それってつまり、真偽は不明であり、証明もできないってこと。なら、本当に実在していても何ら可笑しな話ではないと思うけどね」
「いや、それはそうなんだけど、あまりにも突飛な話題過ぎて……」
「誰しも、作り話だと思い込んでいたものが実話だったと聞いたら驚くよ。でも、その実話を嘘だの、信じられないだのと言われても、こちらとしては存在するものを存在すると言ってるだけだからどうしようもないんだよね」
アルマに尤もらしいことを言われたヒルデブラントは、幾分か落ち着きを取り戻していた。相変わらずフェリシアンは押し黙ったまま動こうとすらしていなかったものの、その瞳には意志が戻ってきていた。
「確かにそうだね。えっと、じゃあ、そのチャンネル権の有無はどうやって調べるの?」
「ドーナツの穴を覗きながら、精霊界に行きたいと思えばいい」
ヒルデブラントは目を瞬く。
「えっと、それだけ?」
「うん、それだけ」
「そんな簡単な方法で精霊界に行けるの?」
「チャンネル権さえ持っていれば、精霊界に行けるよ」
放心するヒルデブラントを余所に、アルマは持っていた麻袋の口を開く。中から先刻自ら作ったきつね色のドーナツを一つ、取り出した。それを見たフェリシアンは、「そのために作ってたのか……」と零す。しかし、アルマの言い様から鑑みるに、自分でドーナツを作る必要などなかったのではないかと彼は疑問に思った。
アルマはドーナツをヒルデブラントに渡すと、彼にその穴を覗くように指示した。彼は言われた通りに穴を覗き、精霊界へ行きたいと望む。しかしながら、何の変化も起こらなかった。
「僕にはチャンネル権がないみたいだ」
「そのようだね。じゃあ次、フェルの番」
そう言ってアルマは袋の中からもう一つのドーナツを取り出し、フェリシアンに手渡した。彼は訝しげに思いながらもそのドーナツを受け取り、まじまじと冷めたドーナツを見詰めた。それから不意に顔を上げ、アルマを見据える。
「俺もやるのか?」
「そうじゃなかったのなら、逆にあなたは何をしにここへ来たのと言いたいんだけど」
「俺は目的も聞かされず、お前に無理やり連れてこられただけだぞ」
「そういえばそうだったね。でも、検証人数は多い方がいいとは言ったよね」
先の二人の会話を思い出したフェリシアンは、渋々ドーナツの穴を覗き込んだ。そして、心の中で精霊界行きを強く望んだ。刹那、頭の中で割れるような音が響く。
ドーナツを覗き込んだまま固まってしまったフェリシアンを見て、ヒルデブラントは不安を露わにする。しかし、フェリシアンはすぐに動きを取り戻し、落としそうになったドーナツを掴み直した。心ここにあらずと言ったフェリシアンを見ながら、アルマは満足そうに頷く。
「うん、予想通り行けたみたいだね」
「え、精霊界との往復って、こんなに短時間なの!?」
「いや、違う」
ヒルデブラントの疑問に答えたのは、フェリシアンだった。
「向こうに二、三時間は居た」
「え、どういうこと!?」
喧しいヒルデブラントに冷たい視線を送ったアルマは、フェリシアンの言葉を引き継いだ。
「簡単な話、向こうとこちらとでは時間の流れ方が違うってこと。今の感じからすると目に見える程度のタイムラグがあったから、精霊界は思ったより低次元にある世界らしいね」
「相棒は高次元世界だと言ってたぞ?」
アルマの考察に食らいつくフェリシアン。ここで「高次元世界」というワードを耳にしたヒルデブラントは、理からもそのような言葉を聞いたことを思い出した。同時に、彼には知る必要のないものとも言われていた故に、理はヒルデブラントにチャンネル権が無い事を知っていたのではないかと彼は考えた。
「それは、『ここ』と比べればの話。私が言ってるのは、高次元世界の中でも、精霊界がどの階層に位置しているかということ。正確に言えば、私の知ってる高次元世界と比べて、どこにあるかということだよ」
「高次元世界は、そんなにたくさんあるのか?」
「高次元世界だけじゃなくて、ここと同じ次元の世界も星の数ほどあるよ。この世界はその中の一つに過ぎなくて、精霊界も然りというだけのこと」
フェリシアンは「そうか」とだけ零し、それ以降、自らの思考に耽ってしまった。アルマは部屋にあった椅子に座り、麻袋をテーブルに置くと、その中から同じ規格のドーナツを取り出した。彼女はその穴を覗くことなく、一口齧ってみせた。作ってから大分時間が経っていたからか、ドーナツは完全に冷え切っている。しかし材料の質は良かったようで、素朴ではあれど上品な味わいをしていた。一点だけ残念だったのは、油が上手く切れていない点であった。この世界にはクッキングシートなるものが存在しておらず、それ故に料理素人のアルマは油をきるという工程を失念していたのである。彼女はどこからか取り出してきた平皿に食べかけのドーナツを置き、油で汚れた指先と口元をナプキンで拭き取った。
「フェミーは行かないの?」
それまでアルマの行為を眺めていたヒルデブラントが尋ねる。アルマは視線を彼へ向けると、「まだ行かない」と返した。
「ニコラスが此処に来るのを待とうと思ってね。私としてはニコラスもいける気がしてるんだよ」
「それってもしかして、僕だけ行けない感じだったりする?」
「廃人になりたくないなら、大人しく待ってることだね」
「うん、大人しくしてる。身の丈に合った人生を送るよ」
「自棄に引き際がいいけど、詳細は聞かない方がよさそうだね。どうせジーク絡みだろうし」
懐かしの覗きドーナツ(*´ω`*)




