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Donuts ~君のためなら何度でも~  作者: 鏡春哉
第一章 失われた記憶
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6再会

新しいコートを購入し終えたアルマは、服飾店のロゴが入った白いビニール袋の中身を見ながら、満足げに口元を歪めていた。彼女の友人二人は未だにコートを選んでいるらしく、早々に決めて買ってしまったアルマは、人の邪魔にならない位置で二人を待つことにした。

 友人たちと別れて、店の隅にひっそりと佇んでいる観葉植物の傍に腰を落ち着ける。その観葉植物は少々背の高いアルマの肩の位置ほど迄の高さがあり、その幹は人為的に編み込まれたまま固まっていた。


 暇を持て余していたアルマはしげしげとその観葉植物を眺め、埃をかぶっていた常緑の葉を一撫でする。彼女の指が通った後に一本の線が引かれ、その葉が持つクチクラ層の艶が露になった。アルマは指に付着した目の細かい乾いた泥のような埃を落としてから、暫し一本線を見詰める。彼女は自ら埃を拭い取ったにもかかわらず、落としても尚ざりざりとした感触が残ってしまっていることに不快感を覚えた。

 彼女は観葉植物への興味を失い、目を放すまで友人達がいた方向へと頭を上げた。そこには既に彼女らの姿は無く、アルマは眼球を動かして店内を見回し、レジに並んでいる二人を見つけた。


 彼女たちは楽し気に会話を弾ませている。かたや、アルマはその様子を傍から茫然と眺めている。そこに消極的な感情などは一切なく、寧ろ言葉の意味通り、単に傍観している状態であることが、この状況下における最適解であった。

 何も思うことなく、視覚として受信される情報を、脳内で処理されるままに理解する。その映像は海馬の中を徒に右から左へと流れて行き、決してアルマの感情を刺激することはなかった。無感情に、無感動に、唯、フィルターの先の流れゆく変化を遠望するのみ。


 会計を終えた二人の少女が、待ち惚けしているアルマの元まで近づいてくる。加絵に声を掛けられるや否や、それまで何かに包まれていたかの如く外界から自己を切り離していたアルマは、咄嗟に笑みを繕った。しかし、元から表情の乏しいアルマにとって「取り繕う」という動作に大した意味は含まれず、二人の友人もまた、いつも通りのアルマを見て安堵の息を零していた。


 揃って店を出た三人は、陽が南中していることに気が付き、どことなく歩きながら近くのファミレスへと足を運んだ。軽く昼食を取ってから、一時の間雑談で時間を潰しつつ、その間に加絵が自然な形でとある話題を取り上げた。


「そういえば、みきぽん、行方不明らしいね」


 あたかも興味がないかのような口調で語り出した加絵に、真奈とアルマは口を噤んだ。加絵は二人に横目を流す。


「そう、らしいね。大丈夫なのかな」


 真奈はぎこちない反応を返す。対する加絵は顔を顰め、剣呑な目付きで宙を見遣った。


「大方、彼氏にでも刺されて、死体遺棄されたんじゃないの?」


 あまりにも不愉快そうに、突き放すように不謹慎な発言をする加絵。彼女の中で何がそうさせているのか、それは生理的嫌悪感故なのか、加絵は不快感を隠すことをやめなかった。険悪な雰囲気の中で、真奈は顔を青白くしながら加絵の機嫌を窺い、一方で、アルマは無言、無表情を貫いていた。

 アルマにとって当の話題にのぼる人物は無関係な者であり、その生死も、行方も、大した興味にはならなかったのである。唯一彼女の関心を引いたものがあるとすれば、加絵がこの当事者に対してやけに投げやりな感情を抱いていることであった。その人物が嫌いであると括るにしては、あまりにも彼女を突き放したような言い方をしているように感じられたからである。


「それよりも、これからどうする?」


 場の空気を無視することに何の躊躇いもないアルマが、新たな話題を口に出す。忽ち雰囲気は和らぎ、口々に次の行動について話し始める。その中で、真奈は俯きがちに二人の友人を見詰めては逸らすという動作を繰り返していた。固く一文字に結ばれた唇は小刻みに震えており、まるで何かを口に出すのを臆しているかのようであった。それに目聡く気付いたアルマは温度の無い眼差しを彼女に向けるも、加絵が真奈のそれに気が付いて尋ねるまでは状態維持を続けていた。


「どうしたの、真奈? どっか行きたいところでもあるの?」


 加絵の問いに、真奈は勢いよく顔を上げる。しかしすぐに目を伏せ、頬を上気させた。


「え、えっと……、人形展に、行きたいなって」


「人形展?」


「うん、今日から個人の美術展覧会での人形展が始まってるの。それに、行きたいなって」


 か細い声が紡ぎ出す言葉に、加絵の表情が綻ぶ。


「そっか、そっか。じゃあ、今からその人形展に行こっか。アルマ氏もそれでいいよね?」


「私は別に構わないよ」


 二人の視線が真奈へと集まる。真奈はしどろもどろになりながら「でも……」と否定的な反応を零した。


「その美術展の開催場所、ここからちょっと遠いし、今から行っても入館時間に間に合いそうにない、と言うか、何というか……」


 真奈は泣きそうに顔を歪めて、「私から言い出したのに、ごめん」とさらに縮こまる。加絵は「そんなことないよ」と真奈を励まし、アルマを横目で見遣った。全く表情の変わらない彼女を確認した加絵は、もう一度真奈へと視線を向ける。


「なら、明日行かない?」


 加絵の一言で、真奈は儚げに微笑んだ。つられて加絵も笑みを浮かべる。アルマは無表情のままだったものの、「数学の課題はあるけどね」と加絵のあげ足を取る辺り、提案への反応は肯定的であった。加絵は眉間に皺を寄せながら、「また数学か!」と切々と叫ぶ。真奈は右手を口元に当てて小さく笑い、アルマは満足げにお冷を口にした。


 明日の予定が決まったところで、三人はファミレスを出て、各々の家路へ別れた。アルマは二人に手を振った後、彼女らに背を向けて駅のある方角へと足を踏み出す。

 雑多の中を無心で歩んで行く。目の高さの位置から見える情報量はあまりにも多く、アルマは規則的に敷き詰められたレンガの歩道を眺めながら歩を進めていった。その方が何も考えることなく「歩く」という動作を続けられたからである。暫く雨の酸に晒されて色の抜け落ちたレンガを流れるように眺めていたが、不意に何を思ったのか、彼女は頭を上げた。


 嫌な予感はしていた。


 視界に映ったのは、xy平面上にある歪な形の円を、x軸に関して回転させた円環体。滑らかに磨かれ、表面に光沢のあるそのオブジェは、毒々しい程に赤い色を呈していた。しかし、その艶やかな色如何に関わらず、その形態はどう考えても例の〝あれ〟でしかなかった。


 アルマは遠方から引き留めにかかる己の理性に苛まれながらも、溢れ出そうとする好奇心によって、その「穴」を覗いてしまった。刹那、割れるような音が響くと共に、それまで聞こえていた喧騒が気味の悪い程に鳴り止んだ。


 アルマは琥珀色の瞳を穴の先へと固定させる。かち合う視線は、プレシャス・オパールの、七色に散乱する瞳。彼は色の無い表情を、歪にした。




「どうもお久しぶりです、アルマさん」


特に用がない時、何処に視線を遣ったらいいのか分からなくなる作者です。

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