40探偵
アルマは街をさ迷い歩いていると、人気の少ない通りに並んだ、寂れたビルの看板を目にした。そこには、『カワハシ探偵事務所』の文字が見受けられた。アルマは半目になり、どこかで聞いたことがあるような名前だと確信しながら、されど胡散臭さを拭え切れずに、悶々としながらビルの中へと入って行った。
ひび割れたコンクリート製の、狭く急な階段を上っていく。三階へと辿り着くと、いかにも安物らしき錆びの付いたドアが現れた。そのドアには、『カワハシ探偵事務所』と書かれた安物のプレートが掲げられていた。
アルマは遠くなりつつある思考を引き戻し、ドアノブに手を掛ける。嫌な金属音を響かせながらぎこちなく開いた扉の先には、これまた雑然とした部屋が広がっていた。最早来客など想定していないかのような乱雑っぷりに、アルマはこの事務所がきちんと機能しているのかどうかを怪しんだ。とはいえ、阻まれた視界の先には、しっかりと人の気配がするのである。
絵を描くように閑古鳥の鳴いている事務所に足を踏み入れ、なるべく床を踏みながら気配のする方向へと進んで行った。天井すぐ近くまで積み上がった書類や書物の山の先には、一つの執務机があった。据え付けの重厚な椅子に座っていたのは、何処か見覚えのある顔をした一人の男だった。彼は珍客の訪れに口の端を歪める。アルマは舐めるように彼女を観察する事務所の主を、色の無い瞳で見据えてみせた。
「ようこそ、迷える子羊さん。私はカワハシ探偵事務所の所長、河橋累だ。何か御用かな?」
彼は深みのある笑みを浮かべた。浅い記憶の中に同じく気障ったらしい言葉を吐く人物が浮かび上がり、アルマは文明が違おうと人に共通点は見られるものなのかと吐き気を催した。
「何か用、というよりかは、この都市部で前時代的な職に就いているらしきあなたに訊きたいことがあって来たんだけど」
河橋累と名乗った男は、目を瞬きながら自身の顎をなぞった。彼は徐に立ち上がると、執務机の左側にあるソファへとアルマを促した。アルマは彼に促されるままソファに座ると、河橋は彼女の手前の席に深く座り込んだ。膝の上で指を組むと、河橋は真っ直ぐにアルマを見据えた。
「どうやら私の予想が外れていたらしいのだが。まずは、君が第五シェルターの方からやって来た、という認識は合っているかい?」
「文明が中世の時代で止まっているような、あのファンタジックな世界が第五シェルターだというのなら、当たってるね」
河橋は意味深に頷くと、さらに質問を続けた。
「では、単刀直入に用件を聞こう。君は私に、一体何を訊きに来たんだい?」
「シェルターについて」
アルマの端的な答えに、彼は目を細めた。
「何故、探偵職である私に、シェルターについて訊こうと思ったんだい? 他にも適任者は居るだろうに」
「率直に言えば、偶然看板が目に入ったっていう理由が大きいんだけどね。それでも、ただの探偵事務所だったら入ってみようとは思わなかったかな」
「と、言うのは?」
「実を言うと、河橋家には世話になってるんだよね。河橋玲とその妻、美和子にね。あなたの時代からどれだけ遡っているかは知らないけど、見た感じ、あなたは彼らの子孫だよね」
無意識に剃り残された顎髭を撫でる河橋。暫く虚ろを眺めていた彼は、ゆっくりと顔を上げた。
「まさしくその通り。私は当探偵事務所の創立者、河橋玲の子孫であり、カワハシ探偵事務所の九代目所長だ。しかし、まさかあなたが初代の知人であるとはな。第五シェルターにも長寿の生命体がいるとは聞いていたが、あなたの様な幼い見た目をしておきながら私よりも年上であるというのは、どうにも奇妙に思えて仕方がない」
「いや、長寿かどうかは一概には言えないな。こちらの世界に来たのは数年前だし。それ以前の年齢と、それよりも前の良く分からない時期を合わせると、最早歳を数える行為に意味を見出せなくなってしまうというのが正直な感想かな」
河橋は片眉を上げ、うむ、と思案する。
「君は渡りビト……、いや、〝彼等〟か?」
一人呟く河橋。アルマは彼の独り言を聞きながら、脳内で一部の記憶が解除されたことに気が付いた。その代わりに、何か別の事項を忘れてしまったような気もしたが、忘却されてしまったものを思い出せる筈もなく。アルマは額を覆い、今の今まで何故失念してしまっていたのかと思える程に存在感の強い人物、正しくは生命体について思い出していた。
選帝侯。真っ白なコスプレ姿の気障ったらしい男。瞳が七色に輝いている変人。引き籠り。
彼のことを様々に表現してみたものの、やはり一番しっくりくるのは「弄ると面白い奴」であった。何故彼がアルマに接触してきたかについては未だに謎だが、兎にも角にも、彼がアルマの現状に関する鍵を握るものの一人であることには違いがなかった。
選帝侯がアルマに接触を図ってきたのは、とある事件が勃発する以前のこと。高校の同級生が行方不明になり、後に天使像となって発見された珍事件のことである。アルマはこの事件を通して、二人の友人の正体を知って行った。一人は天使、一人は人工知能。彼女らの周りはさらに人間に似て非なるものにて構成されており、結局のところ、件の事件の被害者も、その関係者が原因で姿を眩ましていたことが判明した。
アルマは芋蔓方式に蘇ってくる記憶に眉を顰めた。現在、ユーフェミアとしての脳みそはかなりの許容範囲があるというものの、覚醒前の詳細について思い出していくにつれ、次第に容量切れになって行ったのである。以前のアルマはその辺のストッパー設定を甘く見積もっていたらしく、一度鍵が開かれると怒涛のように情報が流れ込み、最早制御のしようもなくなってしまっていた。頭痛と眩暈により物理的に吐き気を催し始めたアルマは、朦朧とした意識の中でかろうじて制御できる空間魔法を操った。脳内で溢れんばかりに流れ込む過去の記憶を大幅にカットし、亜空間に作製した空のデータベースの中にぶち込んだ。乱暴に投げ入れられた記憶達は、そのデータベース内で自動的に処理、分類され、組織化した状態で落ち着いた。
アルマは一息つき、正常に戻った思考の中で怨嗟を吐いた。こういうハプニングが起こり得るから、『向こう』では〝鍵の子〟を用意していたというのに。とはいえ、咄嗟に起こった出来事に対して、人間の状態で対処できる範囲は驚くほどに少ないことも事実であった。その点を考えると、アルマがこちらに来る以前、この世界での生活を円滑に進められるよう手配したことについては称賛ものであったと言えよう。しかしながら、逆に考えると、以前のアルマは生活に関する面倒くささを取り払っただけに過ぎないのだ。
もし仮に、アルマがまだユーフェミアの状態で空間魔法を会得していなかったならば。彼女は先のように怒涛に押し寄せてきた記憶を処理しきれず、この世界に於いて死に至っていただろう。今の今まで、記憶解除のキーワードが出てこなかったことに奇跡を感じられるほど、彼女は危ない橋を渡っていたのである。
アルマは亜空間に丸投げした情報を脳内で閲覧しながら、今後の方針を練って行った。未だに目の前にいる男が自身の世界内に沈み込んでおり、もう暫くは帰ってきそうになかったからである。
彼女はまず初めに、自分が何故こちらの世界に飛ばされてきてしまったのかを考察した。『向こう』の方で最後辺りに残っていた記憶から推測するに、一旦アルマ自身が離脱しなければ、世界崩壊を免れない事態になり得ることとなっていた故であると考えられた。というのも、そうでなくても最小限の記憶に留めて生活していたアルマが、『アルマ』という異物を世界において認知させるため、徐々に記憶を取り戻していったものの、それが限界を迎えようとしていたからである。
具体的に言えば、唐突に熱い風呂に入れば体が吃驚する反面、徐々に水を温めていけば最終的に前者と同じ温度になったとしても体はその温度差に気付きにくいものの、それでも一定の域を超えればその熱さに『気付き』、吃驚してしまうのと同じなのだ。すなわち、秩序だった世界も、『アルマ』という存在が手を加えるには、少しずつ楔を打つ方法を取らなければいとも容易く壊れてしまう故、徐々に記憶を取り戻すという穏やかな形で世界に『アルマ』という存在を慣れさせていたが、そこにも例外なく許容範囲が存在していたということである。
このような面倒な行動をして、結局アルマは何がしたかったのか。
言うまでもなく、運命改変である。何度〝彼等〟が手助けしようと、手を加えようと、救いたい存在は消滅し、世界は崩壊した。その度ごとにアルマは〝やり直し〟の機会を与えてきたものの、〝彼等〟の能力ではそこに及ばないのが現実だった。
そして、数えきれない回数を経た今。〝彼等〟は漸くアルマに協力を要請し、彼女はそれに頷いたのである。しかし、〝彼等〟よりも遥か高次の存在であるアルマが事象介入するには、三次元世界はあまりにも脆い次元であった。そもそも、アルマそのものを受け入れる枠がない故、アルマ自身が三次元世界に即した存在へと下降しなければならなかったのである。
このように、アルマはあたかも自然発生したかのような異物の体を取り、運命改変を行っていく方針を進めていった。けれども、この程度の波紋では上手くバタフライ効果が発揮されないというのは、先の幾万回にも及ぶ失敗から既に割り出されていた。その主たる原因は、〝彼等〟が頑なに救いたがった、とある人物に起因している。
何度繰り返しても、まるで法則に囚われているかのように、己の意思を曲げない人物。彼の人物によるこの強力な『意志』が、希う未来への道程を捻じ曲げ、消滅させてきたのである。つまるところ、アルマはこのどうしようもない雁字搦めの根を強制しなければならなかったのであり、その為には、とある循環に終止符を打たねばならなかったのである。
それでは、どのような循環にとどめを刺す必要があったのか。その答えに関しては、今現在アルマの居る『こちら』の世界にヒントがあると推測された。
「それで、君は一体、シェルターに関する何を知りたいんだい?」
思考の海から戻ってきた河橋が尋ねる。アルマも一旦考察を脇に置き、彼を見据えた。
「何故シェルターがあるのか。シェルターはいつからあるのか。シェルターの無かった以前の世界は、一体どんな世界だったのか。差し当たり、この辺かな」
彼女の問いの羅列を聞いた河橋は、自身の顎を人差し指と親指で挟むようにして撫でた。
「うーむ、そうだな。まずは、シェルターの意義についてだが。君なら薄々察していそうな気もするのだが……、あれは汚染された外界から居住地域を保護するために設置されたものだ。約三千年前に勃発した第三次世界大戦は、それはもう、先の二戦とは比にならないくらいに混沌と化していてな。やれ核爆弾やら、やれ最新の広範囲殲滅兵器やら、やれ魔法と呼ばれし高等科学技術やらが混線するだけでなく、やれ人間やら、やれ天使やら、やれ人工知能やら、やれ地球外生命体やら、兎に角誰が何に対して何のために戦っているのかすら分からないのに、矢鱈と兵器の威力だけが馬鹿でかかったものだから、結果として居住可能地域が一気に狭まってしまったんだ。このままじゃあ、誰も彼もが全滅するしかない、となったところで終戦協定が為され、地上で唯一残った五か所の居住可能地域をシェルターで覆うことになったわけだ」
とはいえ、私はその時代を生きた人間ではないから歴史的事実しか知らないのだが、と付け加え、河橋は一息ついた。丁度その時、奥の扉が開き、猫型の獣人がお盆に二つの湯呑を乗せてやって来た。彼女は河橋とアルマの前にそれぞれ湯呑を置くと、「ごゆっくり~」と言って扉の向こう側へと戻って行った。河橋は出された茶を飲んで、もう一度息を吐く。
「ここまでで、何か質問は?」
問われたアルマは、ふむ、と斜め下を見詰めてから河橋の方へと視線を戻した。
「そうだなぁ……。私は第三次世界大戦を知らないから、それはきっと、私が知っていた時代よりも後に起こった出来事なんだろうね」
河橋の眉間に皺が寄る。
「君が知っている時代以前、ではなく?」
「さっきも言ったけど、私が『こちらの世界』にやって来たのは、たったの数年前の出来事なんだよね。もしかすると、『こちらの世界』じゃなくて、『その世界の未来』にタイムスリップしただけなのかもしれないけど。でも、今のところ私の中で出ている推論の中では、それはあり得ないことなんだよ。そうすると、ここは私の知っている世界と並行して存在している世界なんじゃないかとなるわけだ」
「つまり、君がもといた世界は、この世界の時間に対して大幅に遅れている、と?」
「多分そうだと思う。でないと、辻褄の合うことと合わないこととが織り合わさってしまっているから」
アルマは温くなった茶を啜った。久々に飲んだあられ茶は大層美味しく、『向こう』の河橋家にてよく母親が好んで飲んでいた旨を思い出した。
「並行世界については幾度か聞いたことがあるよ」
河橋が呟くように返す。
「確かに、並行して進んでいる際の時間軸は、それぞれバラバラになっているらしいな。その内、文明が残っている世界は十二個で、その他は滅んだか、文明の残っている世界の生命体によって拠点にされているか、或いは世界とは言い難い異次元世界へと成り果てているものが観測されていると耳にしている」
アルマは琥珀色の瞳を鋭くしながら河橋を見据えた。
「それはおかしいな。文明のある世界は全部で十三個の筈なんだけど」
「恐らく、君の居た世界がここでの未発見の並行世界なんだろう。少なくとも、私の知る限りでは、全ての並行世界において第三次世界大戦は勃発し、停戦まで終わっている」
アルマは湯呑を持ち上げ、表面に浮かぶ小さなあられを眺めた。水分を含み、随分とふやけていたものの、それでもあられは球の形を保っていた。
暫く沈黙の空間が続く。窓の外に見える電線に一羽の鴉がとまり、カァと一鳴きした。
「もしや君は、戦争を止めようとしているのかい?」
静寂の中、ハスキーな声が訝し気に尋ねてくる。アルマは徐にあられ茶の表面から顔を上げた。何も映さない琥珀色の瞳からは、感情の欠片も読み取ることができない。
「さぁね」
素っ気ないアルマの答えに、河橋は苦しそうに笑った。
「ただ、一つだけ言えるのは、私も何かに執着しているということ」
そう言って湯呑を机上に置いたアルマは、ソファから立ち上がった。彼女は帰り際に振り向き、悪戯っ子のような笑みを浮かべて「また来るね」と言い残して去って行った。
事務所のドアが閉じられた後、河橋は机上に両肘を付き、深刻な表情を浮かべながら目の前で指を組んだ。
彼女は彼の戦争勃発の、真の戦犯を知っている。
彼の第六感が、そう告げていた。
河橋ファミリーの子孫ご登場(/・ω・)/
アルマ父の職業が判明。




