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Donuts ~君のためなら何度でも~  作者: 鏡春哉
第二章 落ちた先
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37密事

「じゃ、じゃあ、僕は何をすればいいの?」


 アルマは視線を逸らし、少し考えてから答えた。


「そうだねぇ。取り敢えずのところ、私が認めた人物以外、私との協力関係を他の誰にも悟られないようにして」


 彼女の射貫くような視線を浴び、ヒルデブラントは緊張気味に「わ、分かった。頑張る」と頷いた。アルマは満足げに口の端を上げると、徐に何もない空間へと手を翳す。すると、手のひらの先から光をも吸収してしまう程の真っ黒な円盤が地面と垂直の方向に出現した。彼女はその円盤に右腕を突っ込み、何やら探り出すそぶりを見せる。


 穴から出てきたのは、手のひらに収まる程に小型化された革張りのトランクケースだった。彼女は空間に開いた穴を消した後、そのケースをヒルデブラントに手渡す。小さなトランクケースを受け取ったヒルデブラントは、彼女の意図を図り切れずに訝しげな顔を浮かべながらアルマを見上げた。


「その中に、通信機器、諜報道具、武器、参考書諸々が入ってるから」


 端的なアルマの説明に、ヒルデブラントはますます困惑した。変わらない彼女の真顔を見詰め、次いで手のひらに載せられた小さなトランクケースを見遣る。この間で幾許か視線の移動を繰り返していると、アルマの溜息が聞こえてきた。


「便利道具一式と思ってくれたらいいよ。曲がりなりにも、王族であるあなたに協力要請しているわけだから、何かあったら私が困るし。そもそも秘密裏に動いてもらうのに、丸腰にさせるわけにもいかないでしょう」


「う、うん、それもそうなんだけど」


 アルマの意図は汲み取れたとはいえ、どことなく歯切れの悪い態度を示すヒルデブラント。アルマに対して敵対心を抱いていた時とは打って変わり、急に及び腰になった彼にアルマは苛立ちを覚えた。


「何か問題でもあるの?」


 口調は変わらずとも、雰囲気からアルマの苛立ちを感じ取ったヒルデブラントは、恐る恐る口を開く。


「えっと、使い方が分かんないんだけど……」


 彼の言葉に、アルマは素っ頓狂な顔を晒す。幾らあたりが暗かろうと、満ち満ちた月明かりだけは彼女の表情を照らし出していた。アルマは下唇に人差し指の甲を当て、暫し沈黙する。


 ぬらり、と琥珀の瞳が右に流れる。その先に捉えられたのは、首を傾げて固まっているヒルデブラントの姿。アルマは一つ咳払いをすると、目を伏せ、姿勢を正した。


「それは指紋認証になってるから、ヒルデの指紋を登録すればそのケースは開く。それから、中身については据え付けの宝石で虹彩認証をした後に魔力注入すれば自動的にガイドブックが開示されるから、それに従って操作すれば自ずと道具召喚されるし、その道具についても説明が付いているから一人でも簡単に使いこなせるはず。後……」


「ちょ、ちょっと待って。早い早い早い。えーっと、まず、シモンニンショウって、何?」


 額を手のひらで抑えるヒルデブラントに、アルマは面倒くさそうに眉を顰めた。彼女の表情に「そこから説明がいるのか」と書かれているのがありありと窺え、ヒルデブラントは彼女の理不尽さに眩暈がした。


 重たい空気が支配する中、仕方なさそうに肩を竦めるアルマ。


「指紋認証っていうのは、一人一人で異なる指先の皴の形を登録して、鍵として扱う認証装置のこと。そのケースの取っ手の間に黒い板が嵌め込んであるでしょ。そこに魔力を込めながら自分の使いやすい指をニ、三個くらい押し付けて」


 彼女に言われるまま、ヒルデブラントはまず、魔力を込めながら右の人差し指を押しつけた。すると、真っ黒だった板に一本の赤い光線が出現し、それは板の中でノイズを走らせながら上下を往復した。続けて親指、左の人差し指を順に板の上へ押しつけていくと、どこからか『指紋登録完了』との無機質な音声が鳴り、取っ手の外側に取り付けられた二つの鍵が開錠された。彼はゆっくりと蓋を開くと、中に透明な球形の宝石が取り付けられているのを目にした。


「次に、中の宝石を覗き込んで」


 アルマの指示を聞いた彼は、怪訝な顔で彼女を見遣る。アルマは「あとで説明するから」とだけ言い、無理矢理ヒルデブラントに指示通りのことをさせた。彼が宝石を覗き込むと、その宝石は突如として淡く輝き出し、中でプラズマのような碧い光が走り出した。見たことのない仕様の装置に、ヒルデブラントは手を滑らせそうになる。ケースを落とす前に慌てて態勢を持ち直した彼は、その宝石から『虹彩情報登録完了。所持者氏名の登録に移ります』と告げる機械音を聞いた。


「自分の名前を言って」


 アルマの言う通りに、ヒルデブラントは宝石に向けて自分の名を告げる。彼の声を聞き取った宝石は、再び機械的な音声で『所持者氏名登録完了。超小型式収納管理装置トランクケースモデルの所持者は、ヒルデブラント様になります。以降、ヒルデブラント様以外にこのケースを所持及び使用できるものいません』と事務的に述べた。


 ヒルデブラントは暫く宝石を眺めた後、口を開けたままアルマを見遣った。アルマは冷ややかな視線を彼に返すと、徐に腕を組んだ。


「後はその宝石部分に魔力を流し込めばマニュアルが開くから、好きに使ってくれればいい。虹彩認証に関しては、指紋認証に並ぶ二つ目の鍵とでも思ってくれればそれで十分だから。まぁ、あれだね。ダブルロック的な感じで防犯対策が万全な装置ってことだよ」


「つまり、他人に見つかったり使われたりすると、色々と不味いものが入ってるってこと?」


 ヒルデブラントの純粋な問いかけに、アルマは首を捻らせる。組んでいた腕を解き、右手で後頭部に触れた。


「不味い、のかもしれない」


 アルマの曖昧な言い様に、ヒルデブラントが半目になる。アルマは先程自ら解いてしまった髪を手櫛で梳きながら、紡ぐ言葉を考えた。


「私としては、ただの防犯用の鍵だと思ったんだけど。内容物的には知られない方がいいのかな」


「さっき、諜報道具とか武器とかが入ってるって言ってたから、僕の立場的に絶対に見つからない方が良いと思うんだけど」


 年下の幼い少年に正論を告げられたアルマは、「それもそうだ」と苦笑した。しかしすぐに表情を戻すと、彼女は小道の向こう側を見遣った。アルマの異変に気付いたヒルデブラントは、「どうしたの?」と彼女に声を掛ける。アルマはゆっくりと彼の方を向くと、自分が見ていた方向とは真逆の方向を指さした。


「行って」


 唐突なアルマの言動に、ヒルデブラントは困惑する。けれども、アルマの見ていた方向から仄かに人の気配を感じ取るや否や、ヒルデブラントは急いでアルマの指差す方向へと駆け出して行った。小さな王子の後姿が見えなくなったのを確認したアルマは、何事も無かったかのようにベンチに座る。


 真夜中の庭園に姿を現したのは、アルマの婚約者たるジークフリートであった。彼はアルマの姿を目にすると、半ば荒れた呼吸を整えながら安堵の息を零した。


「探したよ、ミア。連れ去られてしまっていたら、どうしようかと思っていたんだ」


 そう言ってナチュラルにアルマの隣へ腰かけるジークフリート。アルマは彼の背後に誰も付いてきていないことを確認してから口を開いた。


「この私が誰かに連れ去られるとでも思っているの?」


 殊勝な言い様に、ジークフリートは笑みを零す。


「確かに。空間魔法をも使いこなすお前には誰も追いつけないだろうな。……それはそうと、さっきここに誰かいたような気がしたんだが」


 彼は真剣身を帯びた顔で辺りを見回す。しかし、見えるのは闇に紛れた花壇と植木ばかり。ベンチに座る二人以外に人の気配はなく、ただ、木々が風に揺られていた。


「居たかも知れないし、居なかったかも知れない」


 アルマお得意の曖昧模糊な表現を聞いたジークフリートは、この話の追求を諦めた。彼女が話しをはぐらかすときは、何を言っても、何をしても、取り合ってはくれないことを知っているからである。


 とはいえども、ジークフリートには大方の予想が付いていた。彼は姿を隠した人物が去って行っただろう方向を一瞥してから、アルマに視線を移した。人形のように固まった彼女の表情から、感情や思考を読み取ることは難しい。ジークフリートはある種の謎めいた雰囲気を纏った彼女に、惹かれるのを否めずにいた。


「それにしても、災難だったな、ミア」


 潔く話題を変えるジークフリートに、アルマが反応する。


「別に。パーティーはもう終わったの?」


「あぁ、恙なく。私の婚約者が退場した後いつまで経っても戻ってこないものだから、少し騒めいてはいたが」


「ジークにとってはそのくらい、どうってことないでしょうに」


「否定はしないよ」


 朗らかに笑う王子。アルマは冷めた思考の中で先刻の椿事を振り返り、最早アルマのドレスに飲み物を零した件の令嬢の顔が浮かび上がってこないことに気が付いた。彼女が首を傾けると、その動作と同じ方向に細く滑らかな銀糸が垂れ落ちる。


「お開きになったってことは、もう、帰ってもいいってことだよね」


「泊って行っても構わないぞ」


「友人の家みたいな感覚で、気軽に王城にお泊りするわけがないでしょ」


「だが、ミアは婚約者だ」


「されど婚約者、なんだけど」


 ジークフリートは肩を竦める。


「仕方ない。結構夜も更けてきているし、気をつけて帰るんだぞ」


「転移で帰るし、心配する必要はないよ」


 どこまでもフリーダムなアルマに、ジークフリートは「だがな……」と反論を加える。


「王城の門をくぐって来たのに、帰りが無いと怪しまれるだろう」


「そこはジークが何とか誤魔化してよ。一瞬で帰れる方法があるのに、わざわざ回り道をするのも面倒なんだけど」


「だが、行きはその周り道をしてきたんだろう?」


「それは……、ミセス・バレーヌが目を光らせてたから」


 罰が悪そうに視線を逸らせる彼女に、ジークフリートは微笑ましさを覚える。


「いや、融通の利かない人が苦手だってことは認めるよ。でも、言い様に使われようとは微塵も思ってないから」


 不貞腐れた口調で続けるアルマ。ジークフリートは肩を震わせながら笑い、「降参」と目尻に滲んだ涙を拭いた。


「いつも澄ました顔をしているミアが、拗ねた顔をする様はとても可愛らしいよ」


 自然と気障な言葉を吐く彼に、アルマは冷淡な視線を送る。


「他人を愛でるのは良いけど、愛でられるのは好きじゃない」


「限りなく危ない発言をされているような気がしなくもないが、愛でられるのもそのうち慣れるさ。ほら、こうしていれば」


 そう言いながらアルマの頭を撫でるジークフリート。アルマは無言でその手を掴み、自身の頭から引き剥がした。彼は「つれないな」と笑うだけで、気分を害しているようには見えなかった。アルマはそんな彼の図太い肝に半ば呆れ、如何様にして婚約を取り消して貰おうか、と頭を悩ませた。


 夜空の向こう側で、フクロウが鳴いた。

ミセス・バレーヌ最強説浮上。

この回では某猫型ロボット気質なアルマの性質が滲み出ているような気がしないでもない(´・ω・`)

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