30不穏
アルマが王都の屋敷にやって来てから、約一年が経った。悔しいことにジークフリートのお陰で、姉弟の仲も至って良好である。些か仲が良すぎるというか、ニコラスのパーソナルスペースなる距離感覚が近いと言うべきなのか、アルマからすると少しばかり懐かれ過ぎているような気がしなくもなかったが、大した害にはならないため、そのまま放置しておいた。
どうやら彼は献身的な性格をしているらしく、怠惰なアルマの世話を矢鱈滅多らしてくるのである。世話をされる分には文句の無いアルマが、そのまま彼に世話されることは当然の成り行きであり、時折屋敷にやってくるジークフリートに渇を入れられるまでが日課となっていた。
そんなアルマも九歳になり、そろそろ社交慣れしておくべきだと主張するエルマーの言により、今年の誕生日は内輪ではあれど、パーティーを開くこととなった。こういったパーティーなるものはホストが一番大変であると相場が決まっているため、アルマとしては御免蒙りたかったのだが、家長の決定を安易に覆すのはあまりよろしくない。例えアルマならそれが可能であったとしても、自らの怠惰を極めるためだけにその能力を使うわけにもいかなかった。
近しい親族と婚約者だけを呼んだ、極々小規模なパーティーだったため、準備には大した労力を必要としなかった。これが大規模なパーティーとなれば、会場構成やら料理やら何やらから決め、さらには招待状を死ぬほど書かなければならないのだ。アルマはその労力を想像するだけで、己の利き手が壊死するように思えた。
パーティー当日は、矢鱈と愛想の良い親族たちとの挨拶が矢鱈長丁場に渡って行われ、アルマはパーティー仕様に張り付けた笑みが、そのまま張り付いてしまうのではないかと思う程に疲労した。挨拶後はそれぞれの談笑の場やちょっとした催し物の場が設けられていた故、アルマは嬉々としてその窮屈な場から逃げて行った。エルマーは本日の主役が姿を消すことに難色を示したが、アルマを止めるようなことはしなかった。
パーティー会場から少し離れたところにある庭の花壇の前で、アルマは膝を折った。冬明け前の花壇故に緑色ばかりかと思いきや、冬咲きの花が植えられているせいか、思ったよりも色鮮やかに仕上がっている。アルマは手前に咲いているアネモネの花弁を突きながら、無作為に浮上する思考の中でアネモネの花言葉を思い出した。
清純無垢。無邪気。辛抱。儚い恋。薄れゆく希望。期待。固い誓い。待望。恋の苦しみ。見放された。見捨てられた。嫉妬故の無実の犠牲。
アルマは、花を擬人化したら一つの恋愛短編集が出来上がりそうだ、と独りで他愛も無い事を考えながら立ち上がった。不意に、背後に人の気配を感じ取る。彼女は咄嗟に振り向き、その正体を見遣った。
淡いアイボリーのドレスを纏った小さな少女。年はアルマと同じくらいで、栗鼠のような可愛らしい顔立ちをしている。茶色の髪を緩く結い、全体的に雲の上にある御伽の国のお姫様のような印象を醸し出している少女であった。
アルマは無言で見詰めてくる少女を眺めながら、ふと、彼女の名にも「アネモネ」の文字が入っていることを思い出す。
リヒャルダ・アネモネ・リューム。アルマこと、ユーフェミアの亡き母方の叔父が当主を務める、リューム子爵家のご令嬢である。リューム子爵家は代々武道の家系で、騎士団や近衛騎士団への人材輩出が多い家として知られている。そのような、屈強な遺伝子を持ち合わせているにもかかわらず、何故か女性だけは病弱に生まれてくる家系としても有名であった。その最たる例がユーフェミアの母親であり、娘を生んでから一年で亡くなってしまっていることからも、その噂に真実味を帯びさせていた。
かくいう彼女の娘であるアルマは、身体の屈強度で言うと、ハウベル侯爵家の遺伝寄りであるとして納得されていた。それ程ユーフェミアの身体は頑丈かつ健康だったのである。それ故に、高熱を出して床に臥したと連絡が入った際、エルマーはあの元気な娘が、と気を動転させてしまったのである。そうでなくとも当時、直系の跡取りはアルマしかいなかったのだ。その後エルマーが養子を迎え入れる程、今後起こり得る事態への対処法と深く向き合うきっかけとなったことは確かなのだろう。
つまるところ、今現在アルマの目の前にいる少女は、リューム子爵家の遺伝の不思議に侵されている当本人であり、あまりこうした公の場には出てこないものだとの使用人の言もアルマは聞き及んでいる。したがって、彼女が今こうしてアルマの目の前にいること自体が、稀に見る現象である故に、アルマは少なからず驚いているのであった。
アルマが声を掛けると、少女こと、リヒャルダは軽くお辞儀をし、瞳の中に剣呑な視線をちらつかせながらアルマを見据えた。
「ご無沙汰しております、ユーフェミア様。お元気そうで何よりですわ」
棘のある言い様に、アルマは思わず片眉を跳ねさせる。
「久方ぶり、なのかしら。私、あなたと会った記憶がございませんの」
「まぁ、それは悲しゅうございますわ、ユーフェミア様。本当に、お忘れになってしまわれたのですね」
よよと、哀しげな表情を浮かべるリヒャルダは、どこか演技じみた様相を呈していた。
「従妹だからと、あなたの肖像画を拝見させて頂いたことはあります。あなたも、それで会ったと勘違いなさっているのではなくて?」
「酷いですわ、ユーフェミア様。私が肖像画とご本人を間違うはずがございませんもの。私は確かにあなたと会い……」
そこまで言うと、彼女は不気味なほど妖艶な微笑みを浮かべて見せた。
「狂ってしまったのですわ」
アルマの不審げな顔を見て満足したのか、リヒャルダは再度お辞儀をしてアルマの前から去って行った。花壇の前に独り残されたアルマは、彼女の含みのある言葉からある可能性を考察していた。
結論から言うと、アルマ、否、ユーフェミアが庭の池に落ちた原因が、他でもない、彼女なのではないか、ということである。アルマがこちらに来てからというもの、思考の端で度々疑問に思っていたのが、七歳にもなったユーフェミアが、何故それまで落ちたことのない庭の池に落下してしまったのか、という点についてだった。確かに、誤って自分で落ちてしまう可能性がないわけではなかったのだが、それにしては落ちた日の日付があまりにも不自然だった。
ユーフェミアが池に落ちたのは、彼女の誕生日の翌日のことだった。その日は日遅れの誕生日パーティーが催されており、ハウベル侯爵領の邸には数多の人が集まっていたのである。つまり、他人が招かれている日に限って池に落ちたユーフェミアが、滑稽なことに独りで池に落ちる可能性は低く、寧ろ誰かに押されて落ちてしまったと考えた方が、余程自然な流れにみえるということである。
ここで誰に押されたのか、という疑問が残ってしまうものの、先刻のリヒャルダとの邂逅により、その問題も解決されてしまった。新たに浮上した疑問があるとすれば、何故彼女は自分が犯人だと露見してしまうような発言をわざわざアルマにしに来たのか、という点であった。心理的な面から鑑みると、アルマが記憶喪失である旨を風の噂で聞き及んだ彼女が、その真偽を推し量るためにアルマと接触して安堵したは良いものの、安心して疑念から解放されるや否や、ユーフェミアの所業に対する怨嗟が再燃し、思わず含みのある発言をしてしまった、という流れが考えられる。
仮にこの推測が正しければ、ユーフェミアはどれだけ彼女から、延いては周囲から疎まれていたのだろうと、アルマは失笑してしまった。恐らくジークフリートもユーフェミアのことは好いていなかったように思われる。それは、アルマが彼と初めに対峙した際の、彼の表情からも窺えることであった。
この日の誕生日パーティーは多少の不穏を残しながらも恙なく終了し、再びアルマに平穏な日常が訪れることとなった。普段通りに読書に没頭し、ミセス・バレーヌや魔法教師から授業を受け、義弟に世話をされる日々。しかし、それが続いたのは、実に二日程度であった。
王城からアルマ宛に招待状が届いたのである。封蝋の印璽は王族を示す紋章で、中には三週間先にあるジークフリートの誕生日パーティーへの招待云々が書き記されていた。アルマはまさか招待する側だけでなく、される側をもこなさなければならないのか、と頭を抱えた。加えて、王族からの招待なのだ。何かしら重たい理由がない限り断ることなど到底できないし、そもそもアルマの誕生日パーティーには、婚約者としてジークフリートが来訪している。王族たる彼が来て、一貴族であるアルマが行かないなど、世間の目、特にミセス・バレーヌが許すはずもなかった。
しかし、である。まさか彼の誕生日がアルマの誕生日と日にちが近いなど、一体誰が思うのだろうか。婚約者なのに相手の誕生日すら知らないのか、という話にはなるものの、アルマからすれば彼への興味すら湧いていない状態で、さらには彼の一方的な語りによってさえ教えられていなかった状況で知るはずもなく。アルマは息を吐き、過ぎ去ったことは仕方がないかと開き直ることにした。
アネモネ「あぁ、あの方はいつまで経っても私に振り向いてくださらない」
薔薇「あなたの情熱が足りないのですわ。内に秘めたる思いを、殿方に伝えねば……」
アネモネ「あぁ! それでもきっと、いつか私に振り向いてくださるはずですわ! 幼き頃、二人で固く誓い合ったのですもの」
薔薇「それはとてもロマンチックですわね。私もそのような恋を……」
アネモネ「あぁ! それでもこの憎しみは止められない! 今の間だけだと分かっているのに、あの熱い視線の先にいるのが私ではなく、他の女だなんて!」
薔薇「不貞をはたらくなど、人としての恥ですわ。貴女も嫉妬で身を滅ぼさないうちに……」
アネモネ「あぁ、なんとういうことでしょう! この身を焦がすような熱い思いは! あぁ、苦しい。苦しいのに、それでも優しいあなたに惹かれてしまう自分がいるっ」
薔薇「……だから」
アネモネ「行かないで、行ってしまわないで。私を置いて行かないで!」
薔薇「…………………………………」
バーベナ「彼女との対話、いい加減、諦めたらどうだい」
薔薇「……珍しいわね。貴方が『諦める』なんて言葉を口にするだなんて」
バーベナ「無理もないさ。彼女は、アネモネ嬢は別世界の人間なんだ」
薔薇「言い得て妙ね。そのままどこかへ行ってしまわないか、心配だわ」
バーベナ「君は優しいね」
薔薇「そんなことはないわ」
バーベナ「…………………………………」
薔薇「…………………………………」
バーベナ「ところで、今夜は空いているかい?」
薔薇「おあいにく様。今夜は外せない用事があるの」
バーベナ「つれないね。だが、それがいい」
薔薇「趣味の悪い男」
アネモネ「あぁ、私は、わたくしは、一生あなたをお待ちしておりますわぁぁぁぁああああ!」




