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Donuts ~君のためなら何度でも~  作者: 鏡春哉
第二章 落ちた先
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21見舞

 暫くとりとめのない思考を操っていたアルマは、不意に炭素と酸素が握手する様を見た。アルマにとって彼の人間を自らの両親とした理由は不明であるものの、アルマはそのように事象操作をする能力が備わっているのである。つまり、現在父親である筈の無い人間がアルマの父親を名乗っている事態が生じているのも、アルマがそのように設定したのだとすれば、説明が付かないことでもなかった。ただ自分がそのようにした理由が分からないだけであって、記憶を失う前のアルマがここにやってきたアルマを〝ユーフェミア〟だと決めたのならば、この世界において、アルマは最早〝ユーフェミア〟となるのである。


 即ち。アルマはここで暫く〝ユーフェミア〟として生き、その中で何かしらの手掛かりを探していく。それが、この状況の打開策となり得るということが言える。何故わざわざユーフェミアと名前を変えたのかについては全く見当がつかないし、是非とも目覚め前の自分に問うてみたいところなのだが、取り敢えずは、時の流れ行くままに事を進めていけば良いだろうとアルマは考えた。


 窓の外は陽気な昼下がり。アルマはベッドから這い出て、改めて室内を見渡した。どれをとっても、手作りであるようにしか見えない調度品。これらは工場で同様の規格の物が生産されていたあの時代を遡り、暗黒時代の中世ヨーロッパを連想させた。父親こと、エルマーやその他の人物が来ていた服装もどことなくその辺りで流行ったデザインをしていたため、アルマの推測はあながち間違っていないのではなかろうかと思われた。


 ふと、彼女はある重大な事態に気付く。彼らの服装が過去にあったデザインらしいのだとすれば、女性、特に貴族の女性は何を着ていたというのだろうか。時代によって服装が変遷しているとはいうものの、アルマの脳内では、コから始まりトで終わる単語が思い浮かべられていた。同時に、いずれその装備を装着せねばならない可能性があることを思うと、アルマは途端にやる気を失ってしまった。


 何ゆえ、着るだけで気力体力を消耗するようなものを身に着けなければならないのか。未だに女性用の服はメイド服しか目にしていないとはいえ、万が一〝あれ〟を目にした暁には、服飾革命を起こす必要があるとアルマは飽和する頭で考えた。手っ取り早く事象干渉するのも良いかも知れないが、如何せん、アルマに事細かな服飾の知識も技術もないし、そもそも安易に事象変換するのもあまりよろしくないのである。そうでなくても既にアルマの存在をこの世界に認めさせてしまっている故に、下手をすれば時空の歯車が噛み合わなくなり、最悪、世界が消滅する危険性があった。


 アルマは肌触りの良いネグリジェを見ながら、せめてもの自分の服だけは楽なものにしようと心に決める。差し当たり、この世界で一般的に着られている服を調査してから動き出すのが良いだろうと判断し、アルマは部屋に置かれた椅子に座った。




 ドアがノックされる。アルマの返事も待たずに、そのドアは開かれた。扉の向こうから現れたのは、幼児化したアルマと同じ年頃の男の子であった。彼は柔らかなブロンドの髪にエメラルドの瞳をしており、幼ながら随分と端正な顔立ちをしていた。その手には赤い薔薇の花束が握られ、無表情で部屋の中に入って来た。その後ろでは、先程見た執事らしき男が狼狽しながら男の子の様子を窺っている。


 彼はアルマの元までやってきて、何を考えているのか分からないような視線でアルマを見据えた。両者ともに口を開こうとせず、重たい沈黙がこの部屋を支配する。


「元気そうだな、ユーフェミア嬢」


 沈黙を破ったのは、男の子の方だった。まだ声変わりのしていない可愛らしい声をしているも、アルマはどこかふてぶてしさや大人びた色を彼から感じ取っていた。


「私はいつも通り。それより、あなたは誰」


 アルマの返しに、彼は目を細めた。片手で握っていた花を胸のあたりに掲げ、もう片方の手を添える。


「ジークフリート」


「そう、ジークフリートだね。用件は何」


 後方で執事が顔を青くさせている様子が見えたが、ジークフリートと名乗った目の前の男の子が何も言わなかったため、アルマはあくまでも自分の調子を貫き通した。


「見舞いだ」


「それはどうもありがとう」


 手渡された花束は、品良く装飾されていた。しかし、ビニール製のラッピング包装の類は見つからず、やはりここはまだ技術の進んでいない時代である旨を思い知らされる。


 ジークフリートは能面のような顔でアルマを見詰め、不意に口を開いた。


「記憶喪失というのは、本当らしいな」


「それを記憶喪失だと言っているのは、そちらの方なんだけどね」


 彼の眉間が僅かに動いた。


「つまり、お前は記憶喪失でないと思っているのか」


「記憶喪失云々とは、また違う話」


 アルマの呟きに、彼はさらに眉間の皴を深めた。


「……………………何が言いたい」


「別に何も。ただ、私にとっては私の知っていることが全てだっていうだけのこと」


 彼は目を二、三度瞬いた。ほんの小さく首を傾げ、アルマの言葉を咀嚼していく。


「なら、お前の知らないことは、お前の中でなかったことになるというのか?」


 彼の問いに、アルマは斜め上を見上げた。暫く思考を整理してから、再び口を開く。


「世界五分前仮説って知ってる?」


 質問に質問で返されたジークフリートは、顰めた顔を解くことはしなかったものの、素直に「いいや」と否定した。アルマは彼の返事を聞いてから、さらに続ける。


「実は、世界は五分前に始まったのかも知れないっていう仮説。これは過去の記憶が現在と独立して存在しているために、たとえ過去が存在していなかったとしても、あたかも過去にあったかのように出来事が作られ、人々の記憶として植え付けられていると考えると、否定できない仮説なんだよね。もし、時計で五分以上測ればいいって言う反論があったとしても、余剰時間の経過した時計が五分前に作られたのかも知れないって返されたら、まぁ、それはそうだ、と言うしかなくなるしね」


 翠の瞳が真っ直ぐにアルマを見据える。アルマも琥珀色の瞳でその視線を返した。


「……つまり、お前は私の中にあるお前との記憶は作られたものだと言いたいのか?」


「否定はしないけど、肯定もしない。それが事実か否かを判断するのは個人の問題であって、普遍的な解と見做すことは誰にもできないし、検証もできない」


 要領を得ないアルマの言いように、彼は深く溜息を吐く。何処からか颯爽と用意された椅子に座り込み、彼は固まっていた表情筋を崩した。


「要するに、お前は今も昔もお前のままだと言いたいのか」


 大人びた様子は変わらないものの、表情の現れた彼は、少しだけ接しやすいくだけた雰囲気を纏っている。


「私は、ね。事実、ここでは知り得ないようなことを私は知っているみたいだし」


「知り得ないこと? 無いはずの知識を持っているということか」


「考えられ得る限りは、そういうこと」


 そう言って笑うアルマに、ジークフリートは盛大に顔を顰めた。幼い子供のように、床に付かない両足をぶらぶらとさせていたアルマは、深紅の薔薇で構成された花束を眺める。仄かに花の香りが鼻腔を擽り、アロマオイルに好さそうだと、彼女の中に別の思考が過ぎる。


「お前は本当に曖昧な言葉遣いをするな」


「だって、世の中には決まりきったことなんて何一つないんだもの」


 思い当たる節があるのか、ジークフリートは一瞬だけ言葉を喉に詰まらせた。


「……お前は私の知っているユーフェミア嬢とは随分と違うらしい」


「うん、そういう事にしといてあげる」


 彼は玉のように綺麗な肌に跡が付いてしまう程眉間に皺を刻むと、強い視線をアルマへと投げつけた。


「私はクラルヴァイン王国第一王子、ジークフリート・フォン・ミヒャエル・クラルヴァインだ」


 唐突に自己紹介を始めたジークフリートに、アルマは首を傾げながらも律儀に返した。


「私は河橋アルマ。ここではハウベル侯爵令嬢、ユーフェミア……、えーっと、ローズ・ハウベル、ということになっているらしい」


 沈黙。静かな空間はアルマの思考に潤滑油を注ぐ。自己紹介におけるマナーは、目下の者から順に行うことになっているのだが、ここではそのマナーが適応されているのかどうかをアルマは知らないし、根本的な問題として相手の地位を把握していなかったのだから、この際の無礼は無効だろうと、アルマは勝手に思考を帰結させた。


「カワハシアルマ?」


 呟かれた言葉に、アルマは一瞬だけ反応が遅れる。次第にその意味を理解し、彼女は首を縦に振った。


「河橋アルマ。河橋が姓で、アルマが名前。私の知る限り、私はそう呼ばれていたし、自分でもそれが自分の名前だと認識してた」


 呆然として目を瞬くジークフリートからは、ませた気配が消え去り、純粋に子供が見せる好奇心の色が見え隠れしていた。


「姓と名が逆……。まるでヤマト国のようだ」


「そんな国がここにあるの?」


「西の方に。陸続きの隣国だ」


 アルマも目を瞬く。彼女の中にある知識では、そのような名前だった国は極東に位置する島国であった。それを見事に逆方向へ持ってくるところ、明らかにこの世界がアルマの住んでいた世界と違うということをありありと実感させた。



 現時点において、アルマの脳内で纏まっている事柄は、以下の通りである。


 アルマは突発的な事故で穴に落ち、幼児化して異世界転移を果たした。その際、意識が閉ざされる直前に転移後の自分が路頭に迷わないよう、幾分か事象操作を行ったと思われる。


 こんな喜劇がこの世のどこにあるのだというのだろうか。言うまでも無く現在進行形でアルマの身に起こっているのだけれども、それは失笑以外の何物でもなかった。アルマがこちらに飛ばされる前、何か重要なことを進行させていたような記憶が朧に見えるようにも思えたが、記憶に霞がかっている時点で、アルマにはどうすることもできないでいた。


「なら、アルマと呼べばいいのか」


 彼の問い掛けで、アルマは思考の海から帰還する。


「いや、ユーフェミアで。色々と面倒そうだし」


「それを言うなら、公の場では侯爵令嬢然としていた方がいい」


 アルマは唇に指を当て、暫し宙を眺めた。


「じゃあ、引き籠ろう」


「それは無理だ。一定以上の魔力のある者は十四歳から王立魔法学院に通うことが義務付けられているからな。膨大な魔力のあるお前も、例外なく入学することになる」


 即否定された上、聞き捨てならない台詞を己の鼓膜に捉えたアルマ。未だに抱えていた花束を執事に引き渡し、彼女は深刻そうに指を組んだ。


「魔力、魔力、魔法…………。ちょっとこの世界、ファンタジック過ぎない?」


「どこがファンタジックなのかは分からないが、これは法律だ。どう足掻いても覆らないぞ」


 そこまで言って、ジークフリートは何かを思い出したように「あぁ」と声を零した。


「お前は魔法を知らないのか。なら、自分に魔力があることも分からないわけだ。ユーフェミア嬢の言い分からすれば、魔力があった事実すら危ういな。ここはもう一度計測するよう、取り計らうべきか」


 一人で納得するジークフリート。アルマは上機嫌になったこの国の王子を、ただ無表情に眺めていた。

漸く、乙女ゲームの世界の悪役令嬢に転生しちゃった☆感が出てきました。

舞台が変わっても、アルマ節は継続されます(*ノωノ)

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