20診断
再びアルマが目を覚ました時、ぼんやりと仄暗い天蓋が目に入って来た。結局夢オチで終わってくれるようなことはなく、これが現実である旨を思い知らされる。アルマが重たい頭を抱えながら徐に起き上がると、近くで何かが床に落ちた音が響いてきた。それを落とした人物は慌ただしく部屋を出て行き、「だ、だだだ旦那様ぁ! お、お、お嬢様がぁ!」と廊下の方で何やら叫び出す。少しの時差の後、慌ただしい複数の足音と共に部屋のドアが開かれた。
「目が覚めたのか」
「はい、旦那様!」
プラチナブロンドの髪に海のように蒼い瞳をした美貌の男が、厳つい顔をしながら部屋に入り込んでくる。その後ろではメイドらしき女が頭を垂れ、次いで執事のような壮年の男と白衣を着た男が中へと入って来た。
三人の男たちは、無言でアルマの前までやってくる。二人の男が初めに入ってきた男の後ろに控える中、男は冷徹な視線をまじまじとアルマに向けた。未だベッド上で体を起こした状態のまま呆然としていたアルマは、飽和する思考の中で彼がこの家の主であることを悟った。
男は白衣の男に短く命令すると、その白衣の男は無言でアルマの前へ進み出て来た。彼は初めにアルマの左手を取り、次いで幾分か顔や体を触診すると、「問題ありません」とだけ述べて後ろへ下がっていった。
アルマの健康に異常がないことを確認した家の主は、片膝を付き、アルマに視線を合わせてきた。彼は氷のような視線をアルマへ向けてくる。
「元気そうで何よりだ、ユーフェミア」
痙攣。骨張った男の手のひらが自分の頭を撫でているような気がしたが、アルマはそれどころではなかった。
ユーフェミアとは、一体誰なのか。アルマのことを指しているとでもいうのだろうか。
アルマは吹き出さなかった自分を心の中で手放しに褒めた。目の前の男を見る限り、至って真面目に発した言葉であることが推測できたからだ。しかし如何せん、アルマは〝ユーフェミア〟なる人物ではなかった。姿形も、年齢以外は目覚め前のアルマのものであることは既に確認済みである。決して海外の名前で思い切り呼ばれるような彫りの深い容姿はしておらず、逆にアルマが自分の名前を変えた覚えもなかった。
確かに、アルマの銀髪や琥珀色の瞳は外国人を連想させるものがある。けれどもこれはアルマの仕様であり、今まで変えてきたことも変わってきたこともなかった。故にアルマはアルマなのだ。〝ユーフェミア〟とは全く異なる人物だと帰結できるのである。
なかなか返事をしないアルマに、男は不思議そうに小首を傾げた。幾ら絵画のように美しい造形をしていたとしても、無表情のまま首を傾ける様はあまり可愛らしくない。アルマはそんな失礼なことを思いながら口を開いた。
「あなた、誰」
途端に、男の目付きが険しくなる。彼は冷酷な視線を医師らしき白衣の男に向けると、彼は狼狽しながら再びアルマの前まで進み出た。男は冷や汗を掻いた顔を手の甲で拭ってから、アルマにとある質問を投げかけてくる。
「お嬢様、ご自分の名前は分かりますか」
「アルマ。河橋アルマ」
沈黙。医師の額から汗が滲み出てくる。彼は背後から迫り来る威圧に耐えながら、さらに質問を繰り返した。
「えぇと、では、ここが何処だかお分かりになりますか」
「知らない」
沈黙。彼は左手の甲を右手のひらで激しく摩りだした。
「ご自分が臥せっていた理由は」
「穴に落ちたから」
医師の顔が土気色を通り越し、青白くなり始める。
「あなたはユーフェミア様です。ハウベル侯爵家のご令嬢、ユーフェミア・ローズ・ハウベル様にございます。あなたは二週間前、誤って庭の池に落ちてしまい、今の今まで高熱で魘されていたのです」
震えながら説明をしてくれる医師に申し訳なく思ったが、アルマは素直に事実を述べた。
「人違いじゃないの?」
医師の呼吸が止まる。彼はゆっくりと後ろへ振り向き、家の主に深く頭を垂れた。
「どうやらお嬢様は記憶が混濁していらっしゃるようです。暫く療養をしながら様子見をすべきかと」
医師の診断に、当主は重々しく「そうか」とだけ述べて、もう一度アルマを見遣った。彼はアルマの頭を撫でながら、表情筋の動かない顔をアルマの目の前に近付けてくる。
「私の名はエルマー。お前の父親だ。……また落ち着いたら話そう」
それだけ言い残し、エルマーと名乗った自称アルマの父親は、医師と執事を連れて部屋を出て行った。それまでずっと頭を下げたままだったメイドがアルマの前までやってきて、心配そうにアルマの顔を覗き込んでくる。
「大丈夫ですよ、お嬢様。このライラが付いております故、きっと、思い出せますよ。あぁ、何かご用事があれば、そこのベルを鳴らしていただければ私が参りますので」
そう言って、メイドことライラも部屋を後にした。残されたアルマは、暫くベッドの上で茫然とした後、横になった。掛け布団を首の位置まで掛け、漠然と天蓋を眺める。
結論。アルマが精神異常の状態であると診断され、アルマの認識が全面的に否定されてしまった。こうして否定されると、アルマがアルマであることを証明する術がない以上、アルマが精神錯乱者であると見做されてもおかしくはないことが分かる。とはいえ、今ある記憶が後付けされたものであるとも思えず、アルマはどうしたものかと溜息を吐いた。
そもそも、アルマがユーフェミアなのだと仮定すると、これまでのユーフェミアの記憶が欠片も無いという事態が奇妙に思えるのだ。恐らくこの侯爵家で暮らしただろう、その記憶が欠乏している時点で、アルマがユーフェミアなるものであるとも言い難かった。
虚ろな目で部屋を眺めていたアルマは、唐突に失笑し出した。彼女がここへ来る前ですら、忘れ去っていたことを思い出したのだ。
アルマの両親が、実の両親ではなかったということだ。ここで「実の」と示すとアルマには実の両親がいるように思われるが、自然発生した高次元生命体であるアルマに両親などいる筈もなく。翻ってアルマの両親の振りをしていたあの二人の人間は、アルマによって両親の振りをさせられていたことになるのである。
何故か。それは、アルマが人間社会に溶け込むために、一番手っ取り早く、かつ有効な方法だったからである。
では何故、アルマは人間社会に溶け込む必要があったのか。
そこまで考えて、アルマは首を捻った。時間が経って、ある程度整理されてきた脳内を探りながらアルマは目を瞬く。
目覚める前に忘れていたことを一部だけ思い出し、目覚める前に覚えていたことの記憶が一部欠けている。まるで、全体の横半分に分断されていた記憶が、今度は全体の縦半分に分断されたような、そんな奇妙な記憶配分が為されていた。
「お陰で、余計なことを思い出して、肝心なことを忘れちゃってるんだけど」
アルマはその肝心な記憶の中に今現在の一件が含まれているのではないかと勘繰ったが、勘繰っただけで答えが出てくるはずもなく、アルマはまどろっこしい事態に頭を抱えた。
通りすがりの暴露。
ポトフを作っていたら、見事にジャガイモがポタージュ仕様になった。




