αSide8≫
電話に出た奏多は、呼吸をすることも忘れて呆然と立ち尽くしていた。降りの激しくなった雪が、ゆっくりと奏多の頭上に積もってゆく。
「な、薺さんが、なんて……?」
『遺体として発見されたらしい。俺の方も連絡が入ったばかりで詳しいことは分からないんだが、明日、警察に行くことになってる。奏多もそのつもりでいなさい。あぁ、今日は俺も麗子も帰れないから、早く寝るように。おやすみ』
通話が切れる。握力の緩んだ手からスマートフォンが落ちるまで、彼は身動ぎもせずその場に停止していた。落ちた携帯を無心で拾い上げ、頭に積もった雪を払い落としてから家の中に入る。暖房の効いた部屋の空気を感じると、奏多は随分と体が冷えていることに気が付いた。すぐに窓とカーテンを閉め、濡れた髪と上半身をタオルで拭き取った。
意味が分からなかった。何がどうなっているのか、理解できなかった。唯一証明されたのは、この先悪いことが起こるという、リックやアルマの予言だけであった。
奏多はリビングのテーブルに持っていたスマートフォンを置き、ソファに深く座り込んだ。明るい電気で煌々と照らされた室内が目に入る。奏多以外、誰もいない家。恐らく、燐家にも誰もいないのだろう。先程アルマが来た折、両親は結婚記念日の旅行中であると言っていたためである。当のアルマも、何やら用事があるらしかった。故に、奏多の知人と言える人は、今現在、この一帯には誰もいないことになっていた。――――――はずだった。
「お前、結構良いとこに住んでんな。んー、だが羨ましいとは思わないな。寧ろ最悪?」
目の前に現れたのは、黒髪にエメラルドグリーンの目をした青年。奏多ほどまでとは言わないが、彼も随分と陰気な雰囲気を纏っている。
「お前、こんなところでボケーっとしてていいのか?」
「……無力な俺に何ができるって言うんだ、アーロン」
無表情のまま睨むように彼を見上げる奏多。アーロンと呼ばれた目の前の青年が勝手に家の中に入り込んできたことについて、奏多は特に何も言わなかった。
リックが消息を絶った後、彼が奏多の新しいバディとなった。しかし、彼は奏多の物置部屋と称される貸し部屋に家主の断りなく出入りする上、勝手気ままに部屋の模様替えすらするようになっており、最早指摘すること自体が七面倒くさくなっていたのである。
アーロンは反応の無い奏多を見て、面白くなさそうに顔を顰めた。
「けっ、散々狩ってるくせによく言うわ。ま、それは良い。お前も用件をさっさと済ませて欲しそうにしてるし、早速本題に入らせて貰うな」
勝手にそう告げた青年は、奏多の向かい側のソファに腰を下ろした。彼はその座り心地を気に入ったのか、感慨深げにソファの表面を撫でる。暫くそれを堪能し、満足したところで奏多に視線を向けた。
「俺はなァ、お前の意向を聞きに来たんだ」
「意向……?」
「どっかの誰かさんは、俺らのこと猪突猛進とか宣ってくれやがったが。俺は至って理知的なんだよ。鍵の子を破壊するほど阿呆じゃないんだっての」
苛立たし気にぼやく青年は、背凭れに凭れかかり、仰々しく足を組んだ。
「鍵の子……?」
訳の分からないまま話が進んでいく様に、奏多はどうして良いか分からず目を瞬いた。そんな奏多にアーロンは面倒そうに溜息を吐き、呆れ口調で続ける。
「何も分かってないのかよ。お前の伯母が殺された理由だよ!」
奏多は瞳孔を開き、勢いよく立ち上がった。アーロンの襟元を掴み、その鍛えられた腕力で強く前後に揺する。
「どういうことだ!」
「おいおいおいおい、やめろって。落ち着けこのど阿呆が! 俺の繊細な胃袋ちゃんの中身がリバースしちまうだろ」
素っ頓狂な内容を叫ぶアーロンに、奏多の腕の力が抜ける。アーロンはそのまますとんとソファに座り込み、不機嫌そうに襟元を正した。奏多も茫然としつつ、元の位置に戻る。
「どういうことも何も、お前の伯母は『鍵の子』と勘違いされて殺されたってことだ」
「……何故そんなに詳しいんだ? もしや、お前が殺ったのか」
「なわけないだろ! もしそうなら、おめおめとてめぇの前に来たりしねぇよ」
「なら、お前の知り合いか?」
真剣に問い質す奏多に、アーロンはバツの悪そうな顔を浮かべた。彼は右手で襟首を撫でつつ、言いにくそうに口を開く。
「あぁぁ……、知り合いっちゃあ、知り合いなんだが。あんまり知り合いとは思いたくないヤツだな」
「……何だそれは」
「そのまんまの意味だよ。それこそ、猪突猛進な奴でな。後先を考えない……、いや、それすらも計算の内に含まれてそうな気がして、ちと怖いな。まァ、取り敢えず、知ってる奴ではあるけども、理解はできない奴とでも言っとくわ」
因みに、レオナードに盲目的な信仰心を抱いてるようなヤバい奴でもある、と付け足したアーロンは、どこか遠くを眺めていた。
「ってか、そいつのこと、お前も知ってると思うけどな。とにかく鬱陶しいの」
アーロンは視線だけを奏多の方へ戻して言う。奏多は首を捻り、記憶をなぞりながら鬱陶しい人物像を探し出す。
さして時間はかからなかった。
「……………………谷崎秀」
「うん、そいつそいつ。ほんと、鬱陶しいよな」
しみじみと同意するアーロンを余所に、奏多はテーブルに肘を付き、両手で額を抱えた。
「先日、谷崎に伯母を合わせたんだ……」
「はぁ? 嘘だろ? 馬鹿じゃねぇのお前。……なんだ、ヤツの押しにでも負けた口か?」
沈黙。深い溜息が部屋の中に漏れ出て行く。
「まぁ、過ぎ去ったことはどうしようもない。ってことで、本題に戻ろう」
アーロンは二度ほど手を叩き、姿勢を正した。
「俺はさっき、お前に意向を聞きに来たって言ったんだが……。この調子じゃあなんの話か分かっちゃいねぇだろうから、一から説明させて貰う」
彼は前屈みになり、指を組んだ。下から見上げる形で奏多を見据え、重苦しい雰囲気を醸し出す。
「まず、レオナードの正体から。……あいつァ、なりそこないの〝彼等〟だ」
「……は?」
「まぁ、知らなかったんならそういう反応にもなるわな。ぶっちゃけ、〝彼等〟を知ってる時点で国家中枢か天使か〝彼等〟に準ずるものを疑うんだが、この際は置いておく。思ったよりもお前が知らないまま事が進んでいたようだしな」
「だから、レオナードは〝彼等〟について口を酸っぱくして注意していたのか?」
「そうだ。奴じゃあ、正真正銘の〝彼等〟にゃあ敵わない。で、だ。そのなりそこないのレオナードが何のために組織を立ち上げたのか。それがキーポイントになる」
アーロンは組んだ指の上に顎を乗せ、不敵に笑って見せた。
「お前、組織名である『Break A』の〝A〟の意味、考えたことあるか?」
唐突に話題転換され、奏多は訝しがりながらも答える。
「……Angelの頭文字じゃないのか?」
アーロンはちっちっちっと、人差し指を左右に振って見せた。その気障ったらしく勿体ぶった動作に、奏多は顔を顰める。
「違う。あれはな、……Absurdityの〝A〟だ」
「Absurdity……、不条理。『不条理を絶つ』」
呟く奏多に、アーロンは「そう!」と嬉しそうに指を差した。
「何の不条理かって? そりゃ勿論、世の中の不条理だ。レオナードは世の不条理を覆すために、こつこつと力を溜めてたんだよ。お前も分かってんだろ? あいつの目当ては天使そのものじゃなくて、天使の持つオーバーテクノロジーだったってことくらい」
苦々し気に肯定する奏多は、難しい顔をしてアーロンを見据えた。
「つまり、レオナードはその技術を持ってして、〝彼等〟とやり合おうとしていたのか?」
「んなわけあるかボケ。世の不条理っつってんだろ。奴の過去に何があったかは知ったこっちゃねぇが、それで狂ったのは間違いねぇ。奴は世の中に絶望したが、〝彼等〟になり切れなかった故に力を欲したんだ。……不条理を覆せるほどの力が」
アーロンの説明を聞いた奏多は、アルマやリックの話を思い出し、手を震わせた。
「……それが本当なら、これから何が起こるんだ?」
不安げに訊く奏多に、アーロンは信じられないとでも言いたげに眉を顰めた。
「はぁ? そんなん決まってんだろ?」
彼は奏多に顔を近付け、囁くようにして言い放つ。
「戦争だ」
ニタリと嗤う。どこか愉しげにも見える彼の表情に、奏多はいわれのない恐怖を抱く。
「戦争って……」
「戦争は戦争。世界を股に掛けた戦争だ。滅びの戦争と言ってもいい」
彼が徐に懐から取り出したものに、奏多は大きく目を見開いた。
「そ、それは……」
ぎこちない動作でそれに指を差す奏多。心なしか、唇も震えていた。アーロンは右手に持った文庫本を弄りながら、口の端に笑みを浮かべてそれを見遣る。
「これは歴史書だ。お前は途中から読めなくなったみたいだがな。まぁ、その辺はお前の容量が足りなかっただけなんだろうが。兎に角、これに書かれていたことは既に過去で起こり、同時にこの未来で起こる可能性があるものとして描かれている」
「意味が分からない」
「だろうな。この世の常識に囚われている限り、理解できねぇのも無理はない。パラレルワールドが存在するなんて、フィクションの世界以外じゃ現実的には相手にされないだろうし」
呆ける奏多を余所に、アーロンは文庫本を再び懐の中へ戻した。彼は足を組みなおすと、片膝を抱える形で指を組む。
「兎にも角にも、このまま行けば本の内容通りに事は進んでいく。結果は言わずもがな、世界滅亡だ。……そこで、俺はお前に訊きたい」
徐に組んだ足を戻し、彼は足の裏をしっかりと床に付けた。指を組んだまま前屈みになり、挑むような視線を奏多に向けてくる。
刹那、何かが室内の電灯を遮った。仄かに暗くなった部屋は、鴉の濡れ場の如く艶やかな羽でできた、一対の翼でその大半が占められていた。
奏多は逸る鼓動を押さえ、呟く。
「お前……、天使だったのか?」
「あぁ、お前の憎む天使だ。だが、このことを知らせた上で本音を訊きたい」
そういうや否や、彼は白い歯を見せながら不敵に笑った。
「お前はどこの陣営側につく?」
*
何も無い空間、というと少し語弊がある。何もないようでいて、何もかもがあるような、そんな混沌とした空間。ここからは全てを見通すことができ、自分の思いのままに有と無を作り出すことのできる空間でもあった。
銀髪の少女は無いはずの床をつくり、独り、その空間を歩いていた。初めはどこもかしこも真っ白に見えたが、どことなく視界に煩く思えた少女は、その空間を全て黒に塗り潰した。
遥か彼方から届く一筋の光。緑のような、青のような、紫のような、白のような、赤のような、黄色のような。様々な色の混ざった光であった。少女はその光の元に一向に辿り着かないことを悟り、早々に歩き続ける行為をやめた。彼女が「光の元へ」と呟くや否や、瞬時に場面が切り替わる。
様々な色を有していた光の源は、直径一メートルサイズの一つの球であった。ガラス玉の中に宇宙を閉じ込めたような様相をしているそれは、心臓が鼓動を打つように、輝いたり、少し暗くなったりを繰り返していた。
「やぁ、久しいね、理。元気してた?」
快活な少女の掛け声に、理と呼ばれたその球は、どこからともなく機械じみた音声を発した。
『不問。一介の管理装置に調子などございません』
真面目に答える理に、少女は「その辺は適当でいいでしょうに」とぼやいた。
「それにしても、やっぱ上手くいかないもんだねぇ。制限があるっていうのは難しい。でもまぁ、あの子もワタシが関わってるって知ってるだろうし、その辺はどうにかなるのかな」
『是。彼の三次元存在は、あなたの関与に気付いています。……彼を高次元存在に召し上げますか?』
「いや、多分そうすると人格が壊れちゃうと思う。そうでなくても彼は負の感情で支配されてるから、さらに情報が緻密になって入ってくると、世界滅亡どころじゃなくなってしまうよ」
『失言いたしました。それでは如何様に致しますか』
少女は一瞬だけ逡巡し、すぐに琥珀色の瞳を理に向けた。
「σ段階のピアスを頂戴」
『畏まりました。少々お待ちください』
少し間を置いてから、少女の右の耳朶あたりが光り出す。その星屑のような光は、徐に一点へ向けて吸い込まれるような動きをすると、弾けて消えた。残ったのは、銀河を閉じ込めたような、ガラス製の細長い雫型のピアスであった。
「うん、まぁ、このくらいでよさそうだね。じゃあ、また行ってくる」
『いってらっしゃいませ、誰何されし傍観者様』
黒の空間に残された理は、沈黙しながらも、神秘的な光を周期的に明滅させていた。
黒羽君の口調がなんとなく書きやすい。
あんみつが食べたくなってきた。餡ドーナツも美味しい。輪っかじゃないけど(/・ω・)/
カウント20




