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Donuts ~君のためなら何度でも~  作者: 鏡春哉
第一章 失われた記憶
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αSide7

 事件の夜から暫く経ち、奏多の心も落ち着きを取り戻していた頃のこと。警察が捜査から引き揚げたとの情報が入って来た。未だ事件の犯人すら特定されておらず、それでも尚、強引に引き揚げを勧告する警察に、母方の伯母が毅然と食い下がっていた様子を奏多は今でもよく覚えている。奏多もまた、やりきれない思いと悔しさを強く心に抱いた者の一人であった。ここで捜査から引き揚げるのは不自然だと主張する伯母を見て、幼い奏多はその伯母の言葉をそのままに信じたのだ。それ故、奏多の中に警察は頼りにならないという感情がこびり付いたのである。


 それから燻ぶる思いを抱えたまま、三年が経った。叔父夫婦に花火大会に連れていってもらった時のことだ。奏多はそこで迷子になり、人の波から放り出されていつの間にやら静かな場所まで来ていたのである。青白い月の光は、事件当時の夜を連想させた。少し違ったのは、テトラポットに当たって砕ける穏やかな波の音。それから、紅い血に染まった数々の白い羽。


 刀を振り上げ、血振りをする男が一人。その足元には、血濡れた布に包まれた肉塊が転がっていた。男は奏多に気が付くと、徐に刀を鞘に納めた。男とも女とも、若くも老いてもいない、中性的な声で一言。


「驚かないんだな」


 彼の言葉は間違っていた。奏多の内心では叫びが唸り、懸命に目の前で起こっている出来事を理解しようとしていた。けれども、何故だか人を呼ぶ気にはなれなかったのである。


 あの日に見た光景が、真逆のものとなって再現された。当時、力が無く幼かった奏多が、どう足掻いても敵わないような、そんな絶対的強者のようにも思えていたものが、今、目の前で死体となってアスファルトの上にのさばっている。その大きさからして事件の犯人でないことは子供ながらに判断できたものの、それが敵わない存在ではないということが、奏多の中で弾けるように認識されたのである。


 押し黙ったまま突っ立っている奏多に、男は顔を顰めた。しかし彼は察しが良いのか、すぐに奏多が天使の被害者であることを見抜いた。奏多が天使に向ける感情が、驚きよりも寧ろ憎しみが勝っていたからだろう。彼はそれを指摘し、「同志だ」と握手を求めてきた。奏多はそれに応え、ヘーゼル色の髪と目を持ち、日本人離れな顔をした男を見上げた。


 彼はレオナードと名乗った。天使を粛正する組織、『Break A』のトップであるらしかった。正直に言って、彼の言うことも彼自身も、胡散臭いことは否めなかった。けれども、彼との邂逅をきっかけに、当時の犯人への憎しみが再燃し始めたことも事実であった。


 奏多は苦渋の判断の末、この組織に加わった。迷いに迷って決めたのだ。というのも、この組織に入るということは、同時に自らが罪を犯すことになるからである。知性のある生物を、人間に似ているような生物を、この手で殺める必要があるからだ。奏多はそうした行為が世間的に悪とされており、後ろめたいものであることを承知していた。それ故に組織へ加わること自体に罪悪感を覚え、また、恐怖を感じたのである。


 それでも彼の手を取ったのは、強烈な復讐心が奏多の中で吹き荒んでいたからだった。復讐の手が目の前にあるのなら、今掴んでおかなければ一生来ることはないような気がしたのだ。


 この日を境に、奏多は体を鍛え、天使から奪った技術であるアーティファクトを扱えるように猛特訓する日々を送った。叔父夫婦や周囲の目から離れてアーティファクトの練習をするために、レオナードからは小さな貸し部屋を与えられた。しかし、肝心の練習に取れる時間は就寝後の夜間しかなく、日中は学校へも行かなければならないことから、必然的に奏多の生活リズムと体調は崩れていった。それでも気合で何とか特訓をこなし続けて五年間。漸く奏多にも粛清の任務が下ったのである。


 中学一年生の秋のことだった。その頃にはもう、隣家のアルマと完全に顔を合わせることはなく、互いに互いを避け合うような関係へと衰退していた。この時には既に、奏多からは彼女へ向ける意識が消え去っていた。しかし、奏多にとってはそれで良かったのである。あの天使を彷彿とさせるような、得体の知れない瞳を持つアルマと、これ以上関わらずに済んだからである。


 奏多の初任務は、推定五、六歳であろう、幼女天使の粛清だった。それが寝泊まりしている部屋へと赴き、眠っているその首に切っ先を突きつける。けれども、いざ命を奪うとなると、奏多の手は震えた。どう見ても目の前で静かに寝息を立てているものが人間の女の子にしか見えず、もし間違っていたのなら、奏多は人殺しになってしまうからだ。


 異変に気付いた幼女は慌てて飛び起き、もたもたしている奏多の攻撃範囲から逃れた。その時、幼女が羽を生やして天使の輪っかを頭に乗せる様を見て、奏多は躊躇いを振り切った。否、振り切れたのである。奏多はレオナードから譲り受けた刀型のアーティファクトを振り翳し、背後から幼女をぶった切った。妖しく朧に光る刃は、まるでバターを切り分けるかのように、滑らかに幼女の身体を二分した。


 肉塊が床と衝突した鈍い音が止むと、やけに心臓の音が煩く聞こえた。荒く息を吐く奏多の横で、同じ組織の回収班が部屋の沙汰を片付けていた。一通り済むと、彼らは奏多を促すようにして部屋から連れ出し、まるで何事も無かったかのようにその場を後にした。


 奏多は車内で奇妙な感覚を覚えていた。あまりの呆気なさに、あの事件当時の自分がどれだけ無力だったかを思い知らされた。同時に、このまま行けば復讐も夢でないことがありありと実感できた。


 それからというもの、奏多は任務が下る度に、その命に準じて天使の粛清を行っていった。この世に蔓延る天使がこの手によって減らされている事実を想うと、筆舌に尽くしがたい高揚感に駆られた。彼が任される対象の年齢層が低いことに関しては、組織の粛清方法に則っているという理由で呑み込んだ。子供から徐々に天使を排していき、彼らが持っていた技術を逆にこちらが取り入れて対処することで、この世から天使の存在を滅するという方法である。


 その方法が有効であるか、はたまたそれが正しいことなのかどうかは、奏多の考えることではなかった。もしかすると、奏多は真実から目を逸らしていたかっただけなのかもしれない。それでも、あの犯人に復讐できる未来にのみ盲目的に目を向け、己の行為を正当化していったのだ。


 いつしかバディを組んで任務遂行するようになり、行動範囲も広がった。バディと協力体制を敷くことで、迅速な粛清を行えるようになったのだ。奏多のバディとなったのは、レオナードの息子だという丸眼鏡の少年、リックだった。彼のちゃらけた雰囲気は全くレオナードと違ったものの、確かに、彼はレオナードと同じヘーゼル色の髪と目をしていた。


 彼は銃型のアーティファクトを所持しており、その命中率はプロをも震撼とさせていた。また、奏多と三歳年下であるにもかかわらず、彼は組織の中で奏多よりも上の階級に属していた。恐らくレオナードの息子であるという事実も考慮に入っていたのだろうが、奏多からすれば、彼の腕前だけで既に納得できるものがあった。


 この二人の関係が壊れたのは、つい最近もいいこと。リックからの情報であの幼馴染が天使であることが判明し、彼女を粛正しに行った時からだ。運良く奏多は無事に生還したものの、下手すれば彼女に殺されていたかも知れなかった。ここで、リックの誤報や勘違いであったならば、まだ彼に文句を言うだけで済んだ。しかし、彼はアルマが〝彼等〟であることを知っていた上で、奏多を彼女の元に向かわせたのである。


 それ即ち、奏多に死にに行けと言っているようなものだった。何故、リックがこのような危ない橋、もっと言えば奏多を裏切るような行為を取ったのか。彼が組織から忽然と姿を消した今、彼の心内は闇の中である。


 とはいうものの、リックは定められた未来を変えなければならないという、謎めいた言葉を奏多に残している。つまり、この先何か良くないことが起こるということを示唆しているのだろう。それ故、彼が半ば荒治療的に奏多とアルマを引き合わせたのならば。


 アルマは、未来に起こる出来事へのキーになり得る存在なのかもしれない。


 ならば、そんな重要な存在と引き合わされた、奏多という平凡なる人間には。


 一体何の意味があるというのか?


 つい先ほどまで会話をしていたアルマの言葉が思い出される。彼女は、アカシックレコードへの接続権限を多く持って生まれてきた故に、奏多があの『一切読めない小説』を読むことができたと語った。要は、奏多は平凡な人間ではなかったのである。平凡ならず、何かしらの能力を与えられて生まれてきた奏多には、何かしらの使命があると言ってしかるべきだろう。


 そうであるならば、奏多は如何なる使命を持って生まれてきたのだろうか。


 思考がパズルピースのように繋がっていく。


 リックが仄めかしていった、不穏な未来を阻止するためであるというのか。ここで何故自分が、というのは、最早不毛な考えなのだろう。学校でも、あのアルマが自分の周りで着々と何かが進んでいるように感じると嘆いていたのだから、何が起こるかまだ分からずとも、何かが起こることには違いがなかった。そして、そのことを〝彼等〟である彼女が奏多に告げてきたという事実こそが、既に理由になっているのである。


 奏多は両手のひらを見詰めた。多くの生命を奪ってきたこの手。天使について知れば知るほど、中には人間と血が混じっている者がいることも、中立の立場をとっている者がいることも、それは様々なことを知った。知っていた上で、奏多は奴らの命を奪い続けていた。


 最早後戻りはできないと、頭の何処かでは分かっていたのだろう。倫理に背いた時点で、それは自身の中にしこりとなって残留し続けているのだから。それでも、奏多は自分に使命があることを知った。知ってしまった。


 如何様にすればいいのか。ここまで汚れてしまった自分が、果たして使命を果たせるのだろうか。否、果たしても良いものなのだろうか。


 奏多の手が震える。罪への意識と暗闇に濡れた未来への不安で、彼の心は綯い交ぜになっていく。吐く息は荒く、焦燥感が絶えない。奏多はベランダで小さく縮こまりながら、アルマの姿を思い浮かべた。


 どうしてか、彼女が〝彼等〟だと分かってから、奏多は妙な安心感を覚えていた。何故かは分からない。寧ろ、彼女にモルモット扱いされているにもかかわらず、そのように安堵する自分が何故なのかと言いたかった。それでも、彼女の姿、存在に安堵する事実は覆らなかった。


 アルマは奏多が正しいと思う道を選択すればいいと言った。ならば、それでいいのだろう。彼女が間違ったことを言うとは到底思えず、また、それは真実なのだ。〝彼等〟という存在は至って真理に近しいのであり、人間よりも遥かに多くの物事を見通すことができるのである。そのような〝彼等〟であるアルマから、奏多はお墨付きを貰ったのだ。


 迷っている暇などない。奏多は、己の信じた道を突き進めば良いのである。


 奏多は自身の過去を振り払い、立ち上がった。


「望むままに」




 降雪の空の下、白い息を吐きながら呟く奏多の傍で、突如として携帯の電話が鳴り響いた。






 通話先は、奏多の叔父からであった。


どうして人は意味を見出そうとするのだろうかと、時々思います。

偶然に偶然を重ねると、必然のように思えるのは何故なんだろう(´-ω-`)

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