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Donuts ~君のためなら何度でも~  作者: 鏡春哉
第一章 失われた記憶
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αSide6

 幼馴染のいなくなった庭を茫然と眺めながら、奏多は己の過去を振り返っていた。


 今の奏多を作り上げたのは、紛れもなく十一年前に起こった事件だった。当時六歳だった奏多は少し内気な性格をしていたものの、家族にもその周りにも囲まれて、幸せな生活を送っていた。親の視点からすれば、配偶者がいて、子供がいて、それなりの日々を過ごせる一般家庭だったと言えよう。

 この何気ない日常が崩されたのは、ある夏の夜のこと。


 夜になっても鳴き止まない蝉の声と、その他の虫の音が妙に煩い夜だった。父親はいつものように夕食の時間に帰宅し、家族三人揃ってご飯を食べた。その日のメニューはチェダーチーズの乗ったハンバーグ。奏多の一番好きな食べ物だった。夕食を終えると、母親は食器の片づけを、父親はテレビをつけてリビングのソファに腰を下ろし、奏多は風呂に入った。その日は近所の子供たちと共に外で遊んでいたため、かなり汗を掻いていた。奏多は一日の汚れをまっさらにすべく全身を丸洗いし、湯船に浸かって疲れを癒していた。


 暫く風呂の中で遊び、丁度飽きてきた頃合いに異変は起こった。叫び声こそしなかったものの、何か物が床に落ちるような、鈍い音が響いてきたのだ。幼かった奏多は、その異変の正体が気になり、訝しがりながらも湯船から上がった。身体に付いた水滴を適当にタオルで拭き取り、急いで下着と部屋着を着る。まだ髪は濡れたままだったが、奏多は気にすることなく風呂場を出て行った。


 廊下を駆けていき、リビングに点いているはずの電気が消えていることに気が付くと、奏多は言われも無い不安感に駆られた。聞こえるはずのテレビの音も、食器洗いの音も、両親の声も、そこからは聞こえてくることなく、ただの静寂だけがそこを支配していた。


 奏多は逸る鼓動を押さえながら、リビングへと繋がる扉を開いた。蝶番の擦れ合う音が嫌に響いた。暗くなった部屋の中を見渡し、恐る恐る中に入って行った。それまで空調の効いていた部屋に、微かな湿気と熱気が流れ込んでいた。


 一歩、一歩、中へ進んでいくと、唐突に、生温かいものが奏多の足の裏に付着した。呼吸が止まる。ぬめりとした感触に、生臭い臭いが鼻をつく。奏多はその正体を知るべく、床に屈み込んだ。


 朧な月明かりに照らされて、てらてらと光る液体のようなもの。暗くてよく見分けがつかなかったが、それは何か倒れているものを中心に池を作っていた。奏多は躊躇うことなく液体の上を通り、倒れているものへと近付いていった。


 父親だった。


 動悸が激しくなる。父親は目を見開いたまま、力なくそこへ横たわっていた。奏多がどんなに彼を揺さぶっても、池に波を作るばかりで返事も息もしなかった。奏多は急激に怖くなり、その場に座り込んでしまった。声は喉の奥で枯れ、一向に出てこない。不快な感触のする手のひらを見詰めると、全体に赤黒い色をした液体が塗られ、床の池と同じくてらてらと光っていた。奏多の手が震える。


 不意に、奏多は母親の存在を思い出す。覚束ない動きで立ち上がり、先程まで彼女がいたキッチンへと移動した。案の定、キッチンも暗くなっていた。水道からは水が流れっ放しになっており、水の流れゆく音がキッチンの中に響いていた。


 奏多はキッチンの中にゆっくりと足を踏み入れる。


 刹那、誰かと目が合った。


 暗闇に浮かび上がる、奏多の知らない二つの瞳。まるで猛獣が獲物を仕留めんとばかりに眼をギラギラとさせているような、そんな印象を抱いた。奏多は恐怖に駆られてすぐさまその視線から目を逸らすと、猛獣の腕の中でだらりと垂れ下がる母親の姿が目に入った。


 殺された、と思った。


 殺される、と思った。


 次は自分だ、と。


 足が震える。膝が笑う。目尻からは大粒の涙が零れ、歪む視界の先で再び目が合う。


 動けなかった。出入り口の枠に必死にしがみ付いて、辛うじて立った状態を維持することしか出来なかった。敵からロックオンされた今、背を向けて逃げることの方が怖かった。


 猛獣が近づいてくる。奏多はおさまらない動悸と共に、身体を仰け反らせる。目の前にいる猛獣の気配が、徐々に近寄ってくるのを奏多は肌で感じていた。


 瞬間、けたたましいアラーム音が鳴った。野性的な瞳に理性の色が現れる。目の前にいる者は忌々しそうに舌打ちをし、どこからか携帯を取り出して電話に出た。一言、二言ほど会話をすると、その者は通話を切り、携帯を仕舞った。次いで奏多に視線を遣り、面倒そうに奏多の胸ぐらを掴んだ。足の裏から床が離れたことに気付き、奏多は混乱する。幼い身体で大の大人に抵抗できるはずもなく、奏多はされるままにリビングへと運ばれ、投げ捨てられた。机の角が頭と衝突し、痛みで涙が滲み出てくる。


 体に倦怠感を覚えて動けなくなった奏多は、意識を失うその直前、彼の瞳にとある事実を映し込んだ。


 月明かりに照らされた男の顔は、この世のものではないと思わせるほどに美しい。彼は右手から黄金に輝く光の輪を出すと、自らの頭の上へと乗せた。それは頭上で浮かび上がったまま固定され、そこに留まった。


 そして。


 彼の背から突如として出現した、一対の純白の翼。そこから零れ出た羽根の一枚が、奏多の頬を掠った。まるで天使のような様相をした彼は、開かれたリビングの大窓から羽ばたき、夜空へと消え去って行った。

 衝撃と共に、奏多の意識はブラックアウトした。


 この夜を境に、奏多の家や周辺は騒々しくなった。警察が来たり、親戚が来たり、近所の人々が見に来たりと、何かと忙しく日々が過ぎていった。しかし、当時の奏多には何が起きていたのか理解が及ばず、彼はただ、茫然とした日々を過ごしていた。そのうち、奏多が母方の叔父夫婦の家に引き取られることが決まり、奏多は彼らの家に引っ越した。叔父夫婦にはまだ子供が無かったからか、彼らは奏多を実の子のように育ててくれた。各々国内外問わずに飛び回り、仕事の忙しさ故に家を空けることが多かったものの、それでも嫌な顔せず奏多と接してくれた。


 一つだけ難点だったのは、彼らが隣人と親しいために、その家の子であるアルマと仲良くするように促されたことであった。初めは叔父夫婦の言われるままにアルマと遊んでいたのだけれども、次第に垣間見えてくる彼女の射貫くような視線と人形のような美貌がどこかあの天使と重なり、怖くなったのである。しかし、彼女の両親は至って普通の人たちであった。その人たちの子であるアルマが、あの忌まわしき天使であるはずもなかったため、〝彼等〟という存在を知らなかった当時の奏多は、彼女のことを少し変わった子なのだと思うようにした。


 隣人との付き合い以外は、叔父夫婦がとても暖かく奏多を迎え入れてくれたことを嬉しく思ったし、今でも感謝し続けている。彼らが奏多を引き取ってくれなければ、温かく接してくれなければ、世に絶望し、塞ぎ込むか、発狂くらいはしていたかもしれないのだ。




 しかしながら、世の中は人に優しくできてはいないのだということを、この時奏多は知った。


奏多過去編。


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