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Donuts ~君のためなら何度でも~  作者: 鏡春哉
第一章 失われた記憶
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βSide1

 とある一般女子高校生の行方不明から始まったあの事件は、結果的に世間を震撼とさせる事件へと発展していった。これは猟奇的殺人事件として世に広められ、同時に燻ぶりを残したまま終結することとなる。行方不明事件の捜査担当をしていた百智薺もまた、有耶無耶に終わったこの事件に対して蟠りを抱いている者の一人であった。


 何が有耶無耶にされたのか。この事件の犯人は、逮捕した当初から、まるで精神に異常を来しているかのように、他人との会話が成立しない人物であった。故に取り調べは難航し、事情聴取を執り行った刑事が頭を抱えていたことは記憶に新しい。かくいう百智も、傍聴室にて彼の話を聞いていた際、その脈絡のない語りと唐突な布教とも呼べる演説を始める彼に、頭がおかしくなりそうであった。


 しかし、紆余曲折しながらも、事情聴取は着実に進んでいたのである。彼が被害者を天使像へと作り変えた動機は、その体の美しさを穢れ無き天使として後世に残したかったからだと彼は素直に、悪びれも無く、純粋に答えた。ここでまた天使に関する賛辞、称賛が長々と続いたことは言うまでもないが、彼は確かに犯行に及んだ事実を肯定したのである。


 ここまでの証言であれば、世に広まった定評の通り、この事件は彼の狂おしい天使信仰から来た猟奇的殺人事件として幕を閉じたことだろう。警察側も彼を精神病院棟へ送ることで、事件の後始末も簡単に終わらせることができたはずだ。けれども、実際はそうは問屋が卸さなかったのである。


 彼の証言には、続きがあった。


『必要のなくなった器を、私が譲り受けたのだ。』


 この言葉から推測できることは一つ。彼が被害者を受け取った時には既に、被害者は遺体となっていたということである。


 当然、警察側は誰から譲り受けたのかを聞き出そうとした。しかしながら、彼は話を逸らしているのか、それとも単純に脈絡なく話し続けているだけなのか、遂にその人物について明かすことはなかった。けれども、彼が嘘を吐いていない限りは、被害者の女子高校生を殺害した犯人が別に存在する、ということになるのだ。


 百智たちは新たな手掛かりを基に捜査を進めていったものの、彼を取り調べる時よりも、さらに捜査は難航していった。原因は、黒幕がいるという曖昧な手掛かりしか残されていないことにあったのだが、それでも社会を守る立場として、音を上げるわけにはいかなかった。


 そんなある日、上層部からとある通達が降りてきた。百智の同期が、被疑者かつ重要参考人でもある彼から、辛抱強く話を聞き出している最中であった。


『此度の捜査は中止する。この事件を取り扱っている者は、速やかに事後処理を行うように。又、重要参考人、黄俊熙の処遇については、以下の通りに執り行う。重要参考人、黄俊熙は、精神医科による診察を受けた後、厳重な監視体制の下、精神病院棟へ移送される。』


 百智は、頭を鈍器でかなぐり捨てられたような思いを抱いた。他の刑事らも、呆然とその通達を聞いていた。その後、百智は通達内容からの衝撃と、それまでの疲労によって回らなくなった頭で事後処理を行い、あれよあれよという間に、まるで何事も無かったかようにその事件は過去の遺物と化したのだ。


 忙しく事後処理に走っていた時期が過ぎ去ると、百智は冷静さを取り戻すことになる。そこで、彼女は自分の中に蟠りが残っていることに気付いたのだ。それは、彼女と同じく捜査をしていた者どもの中にも、同様に残されている感情であった。


 この事件は、まだ終わっていない。真犯人の行方が残されている。彼女らは、被疑者である黄俊熙(ホアン・ジュンシー)の証言と共に、上層部の下した決定事項からも鑑みて、余計にこの事件には裏が隠されているのだという考えに至った。同時に、力の無い自分たちでは、到底太刀打ちできないような何かが、裏で蠢いているのだ、ということも。


 大半の人間は、心の中では思いを燻ぶらせながらも、上層部の意に従って彼の事件から意識を手放した。しかし、同じく捜査をしていた者の中で、人一倍に正義感の強い百智は、どうしてもその真相を闇に葬る真似を無視できなかったのだ。


「世の中は非情だわ……」


 彼女の呟きは、部屋の中に虚しく溶けていった。彼女が独断で捜査をしようにも、手掛かりがなくては如何様にも為すことができないのだ。


 ただ。百智の中に、ある一つのキーワードだけが引っかかっていた。


 〝天使〟


 何故この言葉に引っかかりを覚えたのか。彼女はすぐに理解することができなかった。しかし、遠い昔のこと。彼女の妹が何者かに殺された時にも、同様の言葉を甥っ子から聞いたような覚えがあったのである。


 その当時は何故、小さな彼が茫然としながら「天使」を連呼しているのか、彼女には分からなかった。故に、それは目の前で両親を殺された彼が精神的負担を負ったことによる、一時的な錯乱なのだろうと考えたのである。その後、時が経つにつれ、彼から「天使」という言葉が出てこなくなったことも、彼女の記憶からその言葉が忘却された所以となっていたのであろう。


 百智は背からベッドに倒れ、天井を見上げた。何もない、真っ白な天井が目に入る。


 結局、百智の妹とその夫を殺した犯人は捕まらなかった。そのまま時効が過ぎ、殺人犯が世に放たれたまま事件は終結してしまったのである。この時、此度と同じように捜査が打ち止めにされたか否かは、百智の知るところではなかった。けれども、やけに引き上げが早かったことは彼女も覚えていた。それに関して、随分と嘆き、訴えた記憶があった。それでも、警察側は取り合ってはくれなかったのである。


 今こうして、百智が警官となり、数多の事件解決に寄与してきたのも、この一件が彼女の大きな転換点となった故であった。彼女と同じ思いを抱く人が、この先いなくなるように。彼女はその思いだけを胸に秘め、我武者羅に働いてきた。


 だからなのか。此度の事件で己の無力さを思い知ったのは。打ち切られてしまえばそれまでであり、上層部の手足となって事件の捜査を行う下っ端や中層部では、どんなに悲痛の声を上げても、覆す術はなかったのである。


 百智は苦い思いをしながら、今一度〝天使〟なるものについて考察していた。それこそ、黄俊熙が流暢に語っていた時のように、事件に天使が関係しているなどという主張は戯言として切り捨てられることだろう。最悪の場合精神錯乱を疑われ、周囲によって精神病院へと送られるかもしれない。それでも、いま彼女が持てる手がかりの中で、唯一身になりそうなものが〝天使〟だったのである。とはいえ、彼女自身もまた、それについて良く分かっていないことは確かである。もし、十一年前の事件が無ければ、他の刑事たちと同じように、その考えを切って捨てていたに違いなかった。




 百智ははベッドの上をゴロゴロと転がりながら、徒に部屋の中を見渡した。不意に目の中に入り込んできたのは、寝室に設置された小さな本棚であった。その中に、最近購入した新刊の小説があった。彼女は徐に起き上がり、棚からその小説を引き抜く。


「そういえば、これで完結するのよね」


 そう呟きながら本の表紙を撫でる百智は、この小説を基にした乙女ゲームについて思い起こしていた。彼女の趣味は乙女ゲームこと、恋愛シミュレーションゲームであり、主にストレス発散のためにそれらをプレイしている。その最中で出会ったのが、『巡りめく初恋 ~愛の魔法であなたを溶かす~』、通称『めぐ恋』という乙女ゲームだった。この作品の原作は、清見清羅という小説家が書いた『巡りめく初恋は世の真を知る』という恋愛小説からきており、公式の情報によると、乙女ゲームのシナリオはその作家が監修しているとのことであった。同時進行で小説の方も刊行されていき、ついこの間、漸く最終巻が売り出されたのである。


 有名な作家とコラボした作品であることも相まって、この作品はかなりの反響を呼んだ。シナリオはさることながら、キャラクターやボイスにも力が入っていたために、ますます人気を集めた作品でもある。グッツ販売は勿論のこと、キャラクター同士を題材にした二次創作が活発化したことは言うまでもない。かくいう百智も、推しのグッツを密かに収集していた者の一人であった。


 乙女ゲームは、仕事にのめり込んでいる百智の唯一の娯楽であり、癒しであった。男の気がないとは職場でもプライベートでもよく揶揄されてきたものの、百智としては、ゲームさえあれば疲れた心が溶かされるのだから、それに越したことはなかったのだ。わざわざ彼氏を作ったり結婚したりすれば、肝心の仕事に支障を来す可能性があったからだ。百智の最優先事項は有無を言わさず仕事であり、警官として涙する人々に笑顔を戻すことであった。それが覆されるなど、彼女の中ではあり得ないことであった。


 百智は小説を持ってベッドに戻った。しかしそこまで来て、今日の出来事が脳裏に蘇る。


「……駄目だわ、逃げてちゃあ」


 深く溜息を吐き、小説を本棚に戻す。彼女は沈痛な面持ちでベッドの縁に腰かけ、額を押さえた。


 少々逃げ癖のあった彼女は、あの事件を機に前進し続けることを決意していた。少しでも疑わしいことがあれば、臆せずに突き詰めて行く。それが、多くの事件解決の鍵にもなって行った。


 ならば、と彼女は天井を仰いだ。白い蛍光灯の光がちろちろと揺らめく。


 例え自分が現実主義の立場に立っていたのだとしても、それが気にかかるというのならば、それについて突き詰めていく必要がある。否、突き詰めていけば、きっと真実への道が切り開かれていくことだろう。恐らく、〝天使〟などという不可解なワードが事件解決の鍵となる故に、あの上層部たちが捜査の継続を渋ったに違いないと百智は考えた。


 そうと決まれば、百智の行動は迅速だった。早速天使に関する情報をネットで調べ始める。当然、宗教やオカルトの色味が強い物ばかりであったが、不意に、彼女は天使という存在がしばしば小説などの架空の物語の題材に使われている事実を思い出す。現に、彼女がプレイしていたゲームや清見清羅の作品の中にも、天使がよく登場しているのである。特に、これらの作品に登場する天使たちは、宗教が語っているような完璧な存在というよりも、寧ろ人間然とした生き物である場合が多かった。とある作品の中では、天使が悪役として描かれていることすらあったのだ。


 もし、この世に天使の形をした生物が存在しているのだとすれば。勿論、百智はこれが荒唐無稽な妄想であることは分かっていた。それでも、本当に存在しているのなら、此度の被疑者が恍惚と語っていたこと、延いては十一年前に彼女の甥っ子が叫んでいたことの説明がついてしまうのである。それゆえ、この仮説を確かなものとするために、百智は天使の存在証明を行えば良いということになるのである。


 そこまで考えて、はたと彼女の思考に一つの可能性が浮かび上がって来た。


「もしかして、国は天使の存在を隠蔽したがっている……?」


 そうでなければ、捜査を打ち切られた理由が宙に浮いたまま不明になる。けれども、上の人間が天使の存在を知っており、それを一般人から隠したかったのだとすれば、執拗に真相の表面化を忌避する行為にも辻褄が合うというものである。


 百智は息を呑んだ。恐らく、このようなことを一人で考えていてもどうにもならないばかりか、周りの人間からの理解すら得られないであろう。いや、そうなる未来しか予想できないのである。ならば、百智一人で天使なる存在を探すしか道は残されていない。


 調査が手探りになるだろうことは目に見えていた。けれども、彼女は十一年前に決意した通り、前進することを選択した。


 百智は深く座り込んでいたベッドから立ち上がり、今後の方針を決めるべく動き始めた。


百智はこれからメインキャラになっていく予定です(´_ゝ`)

カウント19

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