αSide4
谷崎の言葉で本を閉じた奏多は、栞を挟むべきだったと後悔しながらも彼に視線を向けた。彼は漸く奏多が振り向いてくれたことを嬉しく思ったのか、徐に口の端を左右に引き延ばした。
「遺体が見つかったのに、何それって話だけど。なんかね、彼女のSNSが定期的に更新されてるらしいんだよね。それだけだと怨霊とか悪霊とかの仕業みたいなホラー展開にも思えるんだけど、更新されてる内容はあんまりホラー感がないし、寧ろこの世のどこかで何かをしているって感じなんだよね。俺も実際に見てみたんだけど、あんまり違和感はなかったな。いたって普通に平凡な、健全な呟き、みたいな」
奏多は無表情のまま、漆黒の瞳で谷崎を凝視する。一見すると奏多の方がホラー感を醸し出していたのだが、楽観的な谷崎がその様を気にする筈も無かった。
「最近だと、あの話題になってる小説……、あぁ、今奏多君が読んでるやつね。その解読に挑戦してて、頭がパンクしそうっていう感じの内容が呟かれてたかな。そういえば、その小説もなかなかに賛否両論な注目を集めてるよね。奏多君も、それを聞いて買ったタチ?」
奏多の手元を指さしながら問う谷崎に、奏多は目を瞬かせる。
「いや、人から勧められて」
ここで初めて、谷崎は真剣な顔つきをした。
「勧められて、か。何かの悪戯にしては、偶然にも程があるよね」
一人ごちる谷崎に、奏多は訝し気な視線を送る。その視線に気付いた谷崎は、すぐに困ったような、柔和な笑みを浮かべた。
「うーん、奏多君はその小説が何で噂になってるのか、知ってる?」
首を傾げる奏多。予想通りだったからか、谷崎は表情を変えずにそのまま続けた。
「あのね、それ、『一切読めない小説』って理由で、噂になってるんだよ」
「『一切読めない小説』?」
「そう。謂わば、文字化けさせたまま印刷しちゃった、みたいな本なんだよね、それは」
漸く谷崎の様子がおかしくなった原因を理解した奏多は、はたと文庫本へと視線を遣った。
今、自分はその小説を読んでいなかったか?
困惑。混乱。動揺。当惑。狼狽。焦燥。
奏多は震える手付きで本を取り、中身を確認する。高速で左から右へと流れて行く紙の隙間から、仄かに風が巻き起こる。彼の手は、本の中盤から少し後半に入った辺りで止められた。
戦慄が走る。
「何だ、これは……」
谷崎が言ったように、紙面上には文字化けしたような文字の羅列が延々と印刷され続けていた。当然の如く奏多にそれを読み解けるはずもなく、その中盤から最後まで、通して文字化けしている事実に愕然とした。
しかし、である。谷崎はこれを『一切読めない小説』と称したのだ。つまり、物語の前半も文字化けを起こしており、読むことができないはずであった。けれども実際には、つい先ほどまで奏多はこの小説を、確かに読んでいたのである。
何故読めたのだろうか。そんなことが、奏多に分かるわけがなかった。一つ考えられることがあるとすれば、天使のオーバーテクノロジーの影響で読めるようになったという仮説である。しかしながら、それを証明する術は地道に統計を取って調査していくほかにはない。況してや、天使たちからそれを聞き出すという方法は、奏多の矜持が許さなかった。
そこまで考えた時、不意に、奏多の脳裏に天使でも人間でもないような存在の姿が思い浮かべられた。彼女とは、奏多が暴走して斬りかかってしまったあの日以来、まだ顔を合わせていない。奏多自身、あまり人付き合いをしない人生を送って来たため、気まずい相手に会うという行為が、この上なくハードルの高いものに思えた。しかし、背に腹は代えられないという思いが彼を奮い立たせる。
奏多が休み時間にでも彼女に会いに行こうと意気込んでいる最中、彼の姿を興味深そうに眺めている者が一人いた。谷崎は思い立ったように、悪戯っ子のような笑みを浮かべる。
「なぁなぁ、奏多君。その本を勧めてきた人も、奏多君みたいに読める人だったのかな。もしそうだったとしたら、俺、その人に会ってみたいんだけど」
奏多は意識半ばに谷崎の言葉を聞いていた。
「うん、やっぱり気になるな。ってなわけで、今日の放課後、付き合ってよ」
「は?」
唐突過ぎる誘いに、奏多は呆けた顔をした。次第に逸れていた意識が鮮明になっていき、遅れ馳せながら谷崎の発言を咀嚼した奏多は、狼狽えながら首を横に振った。
「いや、待て。その人は今日、都合がつかないかもしれない」
「なら、今から確認してよ。予定くらいは合わせられるよ?」
「い、いきなり会う、なんて言い出されても、向こうが困るだろうが」
「え、でも、誰しも初対面だった時があるよね? 奏多君が俺のことを紹介してくれれば、特に問題は無いと思うんだけど」
「で、でも……」
呟く奏多には、最早反論の言葉は残されていなかった。分の悪くなったことを悟った彼は、唇をきつく結び、目を右往左往させた。そんな彼の煮え切らない態度に痺れを切らしたのか、谷崎は有無を言わせぬような笑みを張り付け、奏多の肩に片腕を回した。
「だーいじょうぶだって。聞きに行くだけだもん。奏多君にもその人にも、悪いようにはしないからさ」
ね? と同意を求めてくる谷崎に、奏多の防衛線は決壊した。彼は首元に他人の体温を感じながら、ぎこちなく首を縦に振る。
谷崎は満足そうに笑った。
昼休み。人生最大の過ちを犯したと、悶々と低い声を唸らせていた奏多は、人気の少ない廊下でアルマと鉢会わせていた。彼女は束になった色とりどりのノートを抱えて、何処かへ向かっているようであった。奏多は彼女と目が合った瞬間、反射的に目を逸らしそうになったものの、気合で押し留めて彼女に声を掛けた。
「ひ、久しぶり」
「久しぶり。あの日以来だね」
思った以上に笑みを浮かべて返してくるアルマ。奏多は動揺を押し殺して、会話を続けた。
「あぁ。……それ、半分持とうか」
「ん、ありがと」
アルマは躊躇いなくノートを半分ほど手渡してくる。それまで彼女の胸の高さまで積み上げられていたノートは、分量が減ってすっきりとしていた。奏多は受け取ったノートを抱えてアルマの隣に並ぶ。
「数学の課題か?」
「うん、今日日直でね。本当は放課後に持っていく予定だったんだけど、全員分集まったから早いところ持って行こうかと思って」
「そうか」
暫しの沈黙。動悸が激しい。横目でアルマを盗み見るも、彼女は至って涼しい顔をしながら前を向いていた。彼女から視線を外し、持っているノートの表面を見詰める。奏多は顔を顰め、意を決したように彼女の方へと振り向いた。
「アルマ」
奏多の声掛けに、彼女が「何?」と答える。琥珀色の瞳が、不思議そうに奏多のことを見詰めている。
「あの、時は…………、悪かった」
すぐに何のことかを理解したアルマは、小さく笑みを溢した。
「別に。結局は何ともなかったし。奏多にも、なんか色々あるんでしょ」
やはり、彼女は極端にドライな性格をしていた。きっと彼女なら許してくれるのだろうということは奏多にも予想はついていたものの、いざその通りになると、彼女が遠い存在であるように思えて、どこか淋しさを感じた。
「でも、奏多が天使関連で何かをしていたってことには驚いたな。私はつい最近まで知らなかったからさ。なんだか、奏多が遠い人みたいに思える」
奏多は目を大きく見開いた。
「にしても、なんかここのところ、私の知らない所で何かしらのことが起こっているように感じるんだよね。多分、気のせいではないんだと思う。着々と何かが進んでいるような、そんな気分にさせられる」
癌細胞が知らず知らずのうちに体内を侵食していってるみたいな、とアルマは遠くを眺めながら呟く。
「それに、着実に私が巻き込まれて行っているような気がしてならない。全く、あの人たちは平々凡々な女子高校生に何を求めているんだか」
奏多は独りで語るアルマに、突っ込みを入れるべきかどうか、迷っていた。彼女が〝彼等〟である時点で、それはもう、平々凡々どころではない。権力者も一般人さえも、喉から手が出るほどに欲しがるような能力をその身に宿しているのだから。しかし、彼女が〝彼等〟でない振りをしているのならば、一人間である奏多が余計なことを口に挟むべきでないことを、彼は理解していた。
そうこうしている内に職員室へ辿り着き、アルマは奏多に渡していた半分のノートを返すように言った。言われるままに、奏多はノートの束を彼女が持っている束の上に載せる。彼女は再度礼を言い、職員室の扉を開こうとした。そこまで見て、奏多はアルマに会った目的を思い出した。
「ア、アルマ!」
ノートの束を片手で持ち上げ、今まさに職員室の扉を開こうとしていたアルマが、何事かと振り返る。奏多は言葉を探しながら、先を続けた。
「訊きたいことがあるんだ。近いうちに、また会ってくれるか」
奏多の発言にアルマは暫く呆けた顔をしていたが、すぐに表情を緩めると、近くの机に一旦ノートを下ろした。そして、スカートのポケットからメモ帳とシャープペンシルを取り出し、そこに何やら書き連ねていった。メモ用紙を一枚引き剥がすと、彼女はそれを奏多へ渡した。
「私の連絡先。SNSもやってるから、アドレスから適当に探しておいて」
そういうや否や、彼女は文具をポケットの中に直し、再びノートの束を持って職員室の中へと入って行った。
初めて幼馴染から連絡先を貰った奏多は、呆然と文字の羅列を眺めていた。
みきぽんの行方ww
肉体が煩わしいなぁと思うことは多々あります。
スマホができたんだから、きっと人格を抽出する機械もこの先出現してくれるはず!(; ・`д・´)アワイキタイ




