ρSide2
榎本邸に残されたニコラスは、ユリから自身の出生について聞かされていた。恐らく、この話が為されるだろうとアルマが推測した故の、人員配分だったのだろう。ニコラスはさすが姉上だと口の端をわずかに吊り上げ、過去話をするユリに対峙した。
「兄様が高次元存在者として引き上げられた後、白の一族は確かに滅びました。しかし、世界は繰り返され、その存在は復活することになります。慈悲なき創造主は白の一族の滅亡を望んでいたはずなのに、何故復活させるような真似をしたのか。それは、〝傍観者〟の引き留めと天秤にかけた結果、白の一族ならば何度でも滅ぼせばいいと帰結したからなのでしょう。お陰で、幾万回、幾億回と死んだ私は、遂に〝傍観者〟に拾われることとなりました」
場所は崩壊した榎本邸の応接室。床にはあの二人の血の池があり、調度品もかなり汚れている。それは近くにあったソファも例外なく、しかし彼女はそれに構うことなく腰かけた。隣に自身の兄を座らせ、凪いだ声で説明を続ける。
「彼の方に拾われ、存在を引き上げられた私は、すぐに白の一族の存続を図りました。端的に申し上げますと、子を設けたわけです」
「それが、僕の血筋の発生だと?」
ニコラスが確認するように問えば、彼女のエキゾチックな瞳が不敵に彼を見返す。
「その通りです。血は随分と薄まっていますが、あなたは確かに白の一族の末裔です。お見受けしたところまだ能力発現には至っていないようですが、このまま研鑽していけばいずれ発現することは間違いないでしょう。いえ、嫌でも発現させてください。白の一族は途絶えてはならない一族なのです。能力が衰えてしまうと一族としての存在意義を失いかねないので、ここらで再出現させておくのがベストでしょう」
食い気味に説得しにかかってくるユリに、ニコラスは「それは『向こう』に帰ってからさせていただきます」とだけ答える。返答が素っ気なくとも、肯定の意がもらえたこと自体に満足したのか、ユリは安心したようにソファの背に深く凭れた。
「あぁ、一族の冥利に尽きるというものです。これで機能する一族の能力者が私と兄様だけという危うい事態を逃れられるのですから」
「えぇぇ、僕もカウントされてるの?」
さらりと当事者にされていたナツが、抗議の声をあげる。そんな彼に、ユリは満面の笑みを浮かべる。ナツは彼女から言い知れぬ圧力を感じ取り、一人冷や汗を掻いていた。
「兄様、何も言わなかった私も悪かったとはいえ、あなたは立派に一族としてのお役目を果たしたのですよ? ならば乗り掛かった舟、最後まで付き合うのが筋というものではございませんか?」
「そ、そんな、横暴なぁ」
目尻に涙を溜めるナツ。顔が幼いからか、そこまで不快感を覚えないのが不思議だった。彼は自分よりも気の遠くなる程年の離れた年上だというのに、とニコラスは傍で考える。
「先程から申し上げていますでしょう? あなたはもう少し、ご自身を顧みるべきなのです。そこに、あなた自身を見て欲しいと動いた過去は有りましたか? ありませんでしょう?」
直接的な誘導尋問だなと目を細めるニコラスの視界には、懸命に首を縦に振るナツの姿が映し出されている。そんな彼に破顔したユリが、今一度教え諭すようにゆっくりと彼に語り掛けた。
「得たいものは、自身の力で得るのです。とはいえ、既に得られてしまった力は今更どうしようもありません。手放すことも可能ではありましょうが、それはそれで危険を伴います故、やはり一族の役割を果たしていく中で自身を見詰め返していくしかないでしょう」
最早首振り機と化しているナツは、ユリに気圧されながらも理解を示していた。
「分かった。お役目頑張るよ」
必死の決断をする彼に、一族の役目は自省に関係ないのではなかろうかという無粋な口出しはしない。ニコラスはあくまでも後世の人間であり、そして紳士的な貴族の跡取りだった。万事それで解決するのなら、そのままの方向で有耶無耶にするのが常套句、ならぬ彼のためともいえるだろう。きっと、いつの日か気付く時が来るだろうと結論付けたニコラスは、荒井愛未のもたらした情報に思いを馳せた。
『巡りめく初恋は世の真を知る』。とある高次元存在者が執筆したというこの小説は、実に一考に値する記述が幾つも為されていた。そのうちの一つ、最後に精霊王が主人公に述べた「白の一族断罪」発言が、この因縁に関わっていたのだろうとニコラスは納得する。
つまり、だ。精霊王の正体はこの世界を混乱に陥れた、慈悲なき創造主だったということになる。けれども、ニコラスの記憶に残る精霊王からすると、その凶悪な姿からはどうしても乖離しているように思えてならないのだ。
アルマは彼のことを選帝侯と言った。しかし、慈悲なき創造主のことは明言を避け、終始〝彼〟と表現していた。ならば、この二人は同じくして異なる存在と捉えるのが妥当であり、恐らくそれが真実なのだろう。
ニコラスは窓の外を見た。何も無い長閑な風景が漂い、ここが隔離された空間であることを暗に示している。不意に瞼を伏せた彼は、同著者の『読めない小説』の内容を思い出した。
叡智の真理を得た少年は、解離性同一性障害の患者だった。凄惨な環境の中で育った彼は、主人格から三人の別人格を派生させた。一人は誰に対しても陽気に振る舞い、皆から好かれるような人格。一人は痛みも苦しみも何もかも、負の記憶を背負った人格。そして最後の一人は主だって少年の身体の主導権を持つ、理知的な人格である。
彼らは存在の引き上げと同時に、三つの器へ物理的に分離した。そこで異国の色の器を得た人格は自由を手に入れ、オリジナルと同じような器に入った人格は主人格のために自らを滅ぼした。最後にオリジナルの中に残った人格は引き続き体の主導権を握り続け、中で眠る主人格のサポートを行った。
ニコラスは微笑する。
端から答えは与えられていた。ただ、見過ごされていただけであり、〝彼〟はいつでも彼の傍に居た。だからこそ、ニコラスは選帝侯の言動に違和感を覚えたのだ。
彼は『渡り』の方法を教えなかったのではない。教えられなかったのだ。もしかすると教えようとしていたのやも知れないが、教えないように意識下で思考誘導されていた。故にニコラスは、延々と『渡り』に耐える修行だけをさせられてきた。
ならば何故、〝彼〟はニコラスが『渡り』の能力を得ることを忌避したのだろうか。次元越えという、魔法であれば究極魔法なり神性魔法なりと表現されるような規模の能力を得れば、文字通りニコラスが〝彼〟に匹敵する力を得るとでも思ったのだろうか。
曲がりなりにも、ニコラスは白の一族の末裔である。そのことを知っていた〝彼〟は、ニコラスの能力発現に値する研鑽を危険視したのだろう。不確定要素の芽は摘んでおくに越したことはなく、かといってアルマの要請に答えないわけにもいかない。この状況下で、〝彼〟は最低限ニコラスが能力発現しない稽古をつけたのだと推測できる。
全てにおいて腑に落ちたニコラスは、小さく息を吐いた。意識の外では未だに仲の良い兄妹が言い合いをしており、どことなく微笑ましさを覚える。その会話の中で、ユリが耳を疑う発言を零していた。
「そういうわけですので、〝慈悲なき創造主〟が〝傍観者〟の下位に下ったところを狙いましょう」
それは、彼女の兄にだけではなく、ニコラスに対しても為されたものだった。唐突なことに目を瞬いたニコラスは、「私はまだ、能力発現していないのですが」と反論する。しかし、ユリの中では決定事項らしく、彼女は嫌味たらしい笑みをニコラスに向けた。
「心配する必要はありません。経験は己の成長を促すものですから」
言い切る彼女を、ニコラスは茫然と見返す。
「戦いの中で、能力を発現しろと?」
「あなたなら出来るでしょう? 他でもない、〝傍観者〟に見込まれた〝逸材〟なのですから」
妖艶な唇を吊り上げる彼女。どうにも勝てる気がしないと思ったのは、単なる年の功のせいなのか。
実に厄介な〝味方〟を得たニコラスは、早く帰って愛未に癒されたいと切に願った。
too cold, too cold.
皆さん風邪にはお気を付けを(´-ω-`)




