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Donuts ~君のためなら何度でも~  作者: 鏡春哉
第一章 失われた記憶
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14彼等

 アルマが向かったのは、ドーナツを中心に商品展開を行っている、某飲食業のチェーン店である。アルマの住んでいる住宅街から少し出たところにその店はあり、彼女は一人、その店に入店してトレーとトングを手に取った。適当なリングドーナツを、味の種類を変えて三つ程選んで取る。一つはシュガーパウダーがまぶされたもの。一つはチョココーティングされた上にチョコクランチがトッピングされたもの。一つは全体にココナッツパウダーが掛けられたものである。


 この三つを選んだところで、アルマは魔が差したらしい。オールドファッションドーナツもそれぞれ味を変えて三つ程トレーに載せた。プレーンとチョコ、ハニーコーティングである。彼女は合計六つのドーナツが載ったトレーを持って会計に並んだ。


 会計を終えたアルマは、紙袋に詰められたドーナツを持って店を後にした。このまま帰宅し、自室でドーナツの穴を覗いても良かったのだが、彼女としては自分の部屋で選帝侯と邂逅してしまう可能性を忌避したため、兎に角実家とは真逆の方向へと歩いて行った。


 彼女が辿り着いたのは、とある河川敷の公園であった。その公園の一角には石で作られた四角いテーブルと長椅子があり、アルマは人の居ないテーブルを探して腰を落ち着けた。見た目からすると閑散としている河川敷ではあるものの、遊歩道と繋がっているために、散歩やランニングをする人々の休憩場所として、長椅子やテーブルが使用されていた。故に、無人のテーブルはアルマが座った場所が最後であった。


 アルマは早速紙袋を開け、半透明の紙に包みながらドーナツを取り出した。選んだのはオールドファッションドーナツのプレーン味。掴んだ勢いで食べてしまいたい思いに駆られたが、アルマは食欲を押さえてその穴の先を見遣った。


 割れるような音が響く。


 アルマはその音でチャンネルが切り替わったことを悟り、目の前に掲げていたドーナツを口元へと運んだ。無駄なコーティングもトッピングもされていない、素朴な小麦の味がする。アルマはドーナツを咀嚼しながら、今更になって空腹感に気が付いた。彼女は十分に噛んで細かくなったものを飲み込み、舌の上に残る砂糖の甘味を堪能する。


 一つ食し終えたところで、彼女は辺りを見回した。いつも余裕そうな笑みを浮かべてアルマを待ち構えている、あの男が居ない。自分からやって来たことが原因だろうか、と一人で考えながら、彼女以外誰も居なくなった河川敷でアルマは二つ目のドーナツに手を付けた。


 三つ目のドーナツを取ろうと画策した時、アルマの鼓膜が荒くたった息遣いを捉えた。彼女は紙袋の中に入りかけていた手を引っ込めて、音のする方を向く。


「先生……?」


 アルマが視界に捉えたのは、ストレートな黒髪の隙間から、七色に乱反射する右目が見え隠れしている男だった。彼は濃い紫色のワイシャツの上に緩い黒のカーディガンを羽織り、下は黒のスキニーパンツを穿いている。全体的に黒々とした印象を与えるその姿に、アルマの瞳が躊躇いがちに揺らめいた。


「い、いえ、榎本と一緒にしないでください」


 呼吸を整えながら、男は両手をテーブルに突いた。彼の瞳の色から凡その見当はついていたものの、アルマはあまりにも彼女の知る人とそっくりな容姿と格好をしている彼に、驚くとともにどこか腑に落ちるような感覚を抱いていた。


「選帝侯って、先生と兄弟なの?」


 右耳のピアスを揺らしながら、選帝侯と呼ばれた男は首を横に振る。


「いえ、同一人物です」


 アルマは口の端を上げたまま眉を顰める。急いで彼女のもとへとやって来たらしい、選帝侯に向かいの席を勧めながら、アルマはテーブルに肘を付いた。彼は礼を言って席に座ると、漸く落ち着けたと言わんばかりに息を吐いた。


「話が矛盾してるんだけど」


 苛立ちの交じった声を出すアルマ。選帝侯は眉を下げて苦笑した。


「すみません。そのことについては榎本にでも聞いてください。それより、用があるんですよね、アルマさん? 時期からして、あの本を読み終えた頃でしょうし……」


 そう言って、選帝侯は無の空間から出現させたティーカップの中の紅茶を一口飲んだ。カップをソーサーに置き、彼はオパールの瞳をアルマに向ける。アルマは彼の様子から彼自身の話を聞き出すことはできなさそうだと判断し、選帝侯の話題に乗ることにした。


「そうだね、腹立たしいことに。あの世にも奇妙な物語がノンフィクションだなんて、頭がおかしいとしか思えないんだけど」


 吐き捨てるように言ったアルマは、鞄の中から分厚い文庫本を取り出した。その本を選帝侯に返し、不機嫌そうに頬杖を付く。


「事実は小説よりも奇なりと言いますし、あの狂ったようなドーナツの描写も、人から聞いたからこそ表現できたようなものですからね」


 そもそも彼女は空想などできませんし、と選帝侯は笑う。アルマは半眼になって彼を見上げるも、彼の表情は変わることがなかった。アルマは視線をドーナツの入った紙袋に向け、徐に大きな平皿をイメージする。その上に、彼女が買ってきた残りのドーナツを品良く盛った状態を想像し、次いで空になった紙袋を消去した。石のテーブルには想像通りにドーナツの鎮座した皿が置かれ、用の無くなった紙袋は綺麗に消滅していた。


 いつの間にかアルマを挟む形で白い双子が長椅子に座っており、期待を込めて煌めかせた目をアルマに向けてくる。アルマは口の端を緩めると、「どうぞ」とテーブルの中央へ視線を流した。双子は太陽の如く破顔し、それぞれココナッツパウダーの掛かったリングドーナツと、蜂蜜でコーティングされたオールドファッションドーナツを手に取り、大きな口を開けてそれらに齧り付く。双子はドーナツを口に含んだ途端、顔を輝かせた。


 満足げに食す双子を見たアルマは、気分良く頬杖を付いた。その瞬間、彼女の視界に映ったのは、目の前に座っている選帝侯の姿。彼も何故か期待を込めた目でアルマを見詰めていたものの、アルマはすぐに視線を逸らした。意識の向こう側から「何で……」と悲愴な声が聞こえてきたような気がしたが、アルマは気にしないことにした。


 ドーナツを食べ終えた双子が汚れた手を舐め取っていたため、アルマは紙ナプキンを二枚ほど召喚した。まずは右側にいる少女の手を拭いてやり、次いで左側に座る少女の手を拭く。油と溶けた砂糖を繊維の隙間に吸い込み、双子の手を拭いた勢いで丸まってしまった紙ナプキン。アルマはそのゴミを消滅させると、鞄の中から水筒を取り出した。机上に三つのグラスを出現させ、水筒の中身を均等に注いでゆく。注がれた黒に近い茶色の液体は、表面に大量の気泡を作り出していた。アルマは二つのグラスを双子に渡し、空になった水筒を鞄の中に戻す。


 双子が差し出された飲み物を嬉しそうに飲んでいる横で、アルマも自分用に注いだグラスを持ち、その中身を口に含んだ。口内で弾ける気泡に、奇妙な感覚を覚える。アルマはあまり炭酸飲料を好いていないのだが、家にあった手軽な飲み物が「これ」しかなかったため、仕方なく水筒に移して持ってきたのである。幸いなことに、水筒が気化した二酸化炭素の圧力に負ける前に中身を放出したため、壊れたり、爆発したりすることはなかった。今更ながら何故「これ」を水筒に移すなどという馬鹿なことをしでかしたのだろうと逡巡したものの、後の祭り以外の何ものでもなかった。


「飲食物は持参なのに、食器は即興で用意するというのも、用意が良いのか悪いのか、良く分かりませんね」


 彼を除け者にしてドーナツパーティを始めたのが悪かったのか、選帝侯はアルマに非難がましい目を向けながら呟いた。アルマはグラスをテーブルに置き、指を組む。


「食べ物って、味を知らないと再現できないでしょ。その点、皿もグラスも、置ければいい、注げればいいというだけで、大した労力にはならないから」


「あなたならそこまで意識する必要も無いような気がするのですが。まぁ、いいでしょう。そろそろ本題に入らないと、彼女に会えなくなるかもしれませんし」


 アルマは少しばかり首を傾げ、琥珀色の瞳を選帝侯に向ける。


「彼女っていうのは、その作家のこと? えーっと、清見清羅(きよみきよら)だっけ」


「それは彼女の作家名ですね。ここでは言の葉と呼ばれています」


 アルマは斜め下を眺め、思案顔になる。


「つまり、その言の葉って人も、双子ちゃんと同類ってことになるのかな。あ、選帝侯もか」


 最後に視線を上げ、薄ら笑いを浮かべながら選帝侯を見遣ったアルマ。彼女のわざとらしい揶揄に、選帝侯は困ったように笑う。彼は紅茶を一口飲み、息を吐きながら首を横に振った。


「いえ、彼女は私とも双天使とも派生源が違います」


 真面目な表情でそう告げる選帝侯に、アルマは眉を顰めた。表面に水滴が付くことのないグラスを撫でながら、アルマは思考する。


「どちらかといえば、マスターと同じ起源を持っている方ですね」


「あの喫茶店の?」


 えぇ、と肯定する選帝侯。目の前にいる男と、件のマスターとの間に如何なる違いがあるのだろうか。アルマはショートする寸前まで、脳内で思考を行き来させる。しかし、彼女の思考に実りは無く、選帝侯の話を先に促すことしか出来なかった。


「彼女達の場合は、そうですね。自然発生するように設定された法則の下で、文字通り自然発生なさった方々です。初めから三次元空間の生命とはかけ離れた場所で生まれ、存在しているような生命体であると言えばいいでしょうか」


「それだと、選帝侯は三次元生命体から成り上がった、みたいに聞こえるんだけど」


「間違ってはいませんが、正しくは無意識の内に作り変えられた、ですね。そのお陰でこちらのチャンネル権限を得たようなものですし」


 彼は懐かしむように遠くを眺めた。アルマは過去に思いを馳せている選帝侯を余所に、テーブル中央の皿へと手を伸ばした。彼女が掴んだのは、シュガーパウダーのまぶされたリングドーナツ。定番と言えば定番のドーナツを一口齧り、唇に付着した微粒子の砂糖を舐め取った。


「それで、起源が違うと何かしらの違いでも生じるの?」


「特に何も。ただ、自然発生組は些か感情が希薄かも知れません。与えられた使命を淡々とこなすような……。現に、言の葉も歴史を綴る役目をその役通りになさっている故に、今回のようなことが起こったともいえますね」


 彼は茶請けを欲したのか、小さな皿に直方体のチョコレートを数粒ほど出現させた。そのうちの一つを摘まみ、角を齧る。アルマはその様子を眺めながら、徐に口を開いた。


「ところで、そのピアスの色には何か意味でもあるの?」


 片手でドーナツを持ったまま、アルマは選帝侯の右耳へ指を差す。彼は一度瞬きし、自身の金色のピアスに触れた。


「これですか? あぁ、確かに、双天使とは色が違いますね。……恐らくですが、事象に影響を与える能力の高低に分けて、色が変化しているのだと思います。詳しいことは私も知りませんが、アルマさんならこれとはまた違う色のピアスになりそうですね」


 アルマの目が大きく見開かれた。緩んだ左手からドーナツが落ちそうになり、彼女の左側にいる白の少女がそれを押し留める。


「私もそのピアスを貰うの?」


「分かりません。ですが、このままいけば賜る可能性は高いですね」


 チョコレートをもう一齧りした選帝侯は、優雅に紅茶を啜った。アルマは眉を顰めつつ、選帝侯の所作をフィルター越しに眺める。


「賜るって、私も人間から、何か別の存在に作り変えられる可能性があるってこと?」


 選帝侯の動きが止まる。彼はティーカップをソーサーに置き、深刻な表情を浮かべた。何か後悔に満ちたように、眉間の皴が深くなっていく。


「すみません。過ぎた真似をしました。今の話は忘れてください」


「別に私は何もされていないんだけど。何か不味いことでも喋ったの?」


 彼の皴はますます深まるばかりで、そのまま跡になって残ってしまいそうであった。アルマは彼の急な態度の変化に混乱しつつも、はたと真奈の言葉を思い出す。


 彼女はアルマのことを〝原初〟と称した。その〝原初〟なるものが、何の〝原初〟であるかを考えた時、彼女の脳内に一つの解が浮かび上がってくる。


 今、目の前にいる彼の、隣にいる少女たちの、延いてはこの次元空間内に存在している生命体の、〝原初〟なのではないのか。


 続けざまに、恐怖の色に染まった幼馴染の放った言葉が甦る。


『お前、〝彼等〟なのか……?』


 この〝彼等〟という言葉が、もしも選帝侯や双子、マスターや言の葉達のことを指しているのならば。


 アルマは?


 〝彼等〟の〝原初〟である可能性が高い、アルマは?


 何の問題も無くこの次元空間に顕現できているアルマは?



 人間であると、言えるのか?



 目の前の男は悲痛に顔を歪めて、アルマを真っ直ぐに見据えていた。


思った以上にドーナツの出現率が高い(;'∀')

そして、主人公の察しが良すぎる。

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