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Donuts ~君のためなら何度でも~  作者: 鏡春哉
第一章 失われた記憶
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εSide2

 とある喫茶店にて。加絵はコーヒーを口にしながら、隣に座る青年と言葉を交わしていた。彼女はいつものツインテールを下ろしており、ウェーブがかった髪型は彼女から大人の女性らしさを引き出している。彼女は垂れ落ちてくる横髪を耳にかけ、また、一口コーヒーを啜った。


「まさか、創造主がこんなに近くにいたなんてね。過激派を刺激しなきゃいいんだけど」


 加絵はそう言って、溜息を吐いた。彼女の相手をしている青年は苦笑を浮かべ、「どうなんだろうね」と相槌を打つ。


「創造主が動いたっていうのもまた、争いの種になりそうだよね。というか、なる気しかしない。……美姫ったら、マジで何やらかしたんだろ」


 加絵はコーヒースプーンで徒に中身を掻き回す。その手遊びにもすぐに飽きたのか、彼女はスプーンから手を離し、カップを両手で包んだ。彼女の晴れない表情が、黒い液体の表面に映し出されている。


「やっぱり、私のやり方は甘いのかな? でも、この前割り切ったばっかりだし……」


 一人ごちる加絵の横で、青年は菩薩の如き表情を浮かべて彼女の愚痴を聞いていた。金髪碧眼の彼は彫りの深い顔をしており、長い足と指をそれぞれ組んで柔和な笑みを湛えている。


「いいんじゃないかな、加絵は加絵で。沢山人がいれば、いろんな考え方があるのは当然のことさ。その中で、君が一番正しいと思った道を進めばいいんだよ」


 深く、優しいテノールの声が、加絵の鼓膜を震わせる。不意に、加絵の中にあの厭世の知人の姿が思い浮かべられた。彼女はあの人に対して、目の前の青年の言葉がまるで温水に浸っているように感じられ、思わず失笑してしまった。加絵は冷めたコーヒーを飲み干し、息を吐く。


「そうだね。うん、そうだ。一度決めたことを、そう易々と覆すのは良くない。これからどうなるか私にも分からないけど、最善を尽くしていくしかないんだね」


 彼女は呟くように言い、スプーンをソーサーの上に置いた。すると、滑らかな手つきで空のカップがソーサーごと下げられ、新しく淹れたてのカップが出現した。加絵は笑みを溢し、湯気をくゆらせるコーヒーの表面を眺める。


「そうだ。双子の件はどうなった? あれからもう、十年も経ってしまっているけど」


 気を取り直して加絵が問うと、青年は真面目な顔になり、背筋を伸ばした。その均整の取れた容貌は次第に深刻さを増していき、最後には瞳から輝きを失った。加絵は諦めたように体を後方へ仰け反らせ、「あー」と声を零しながら天井を見上げる。


「今回も収穫なしかぁ。まぁ、何となく予想はついてたけどねぇ。にしてもさ、『向こう』で見つけられないとなると、最早二択しか残されていないような気もするんだけど」


 青年の顔が強張った。加絵は彼の反応を知ってか知らずか、天井を見上げたまま無表情で言葉を続ける。


「一つは、殺されてしまったか」


 彼女は揺らしていた椅子を留め、体を元に戻す。机上で腕を組み、青年を見遣った。


「一つは、〝彼等〟になってしまったか」


 端正な顔が歪む。彼は沈痛な面持ちで首を振り、手のひらの奥に顔を伏せてしまった。加絵は彼に同情しつつも、しかし先の言葉を訂正することはしなかった。


「そんな都市伝説のようなことが起こると、君は本当に思っているのかい?」


 手のひらに顔を埋めたまま、青年は自嘲気味にぼやいた。加絵はその言葉の裏に隠された彼の真意を読み取り、眉を下げる。


「ほんの時々、居たはずの人が消えてしまう現象が世界でも稀に起こってるよね。人間はそれを神隠しだって言うけど、本当は異世界に迷い込んだっていう説が実しやかに囁かれてるのが現状。事実、臨死体験をした人や学者から高次元世界に迷い込んだ事例が報告されてるし、ますますその説が現実味を帯びて来てるんだけど、どうかな?」


「どうかな……って」


「私としては、低次元の生命体が、高次元存在に繰り上げられることはあり得るんじゃないかと思ってるんだけど」


 青年は顔の前の壁を解き、指圧で赤くなった額を加絵に向けた。


「僕らが〝彼等〟になれないことは、既に証明されている」


「それは、肉体ありきの話でしょ。そうじゃなくって、いや、死後の世界ともまた話は違うけども。……そうじゃなくて、私は『繰り上げられる』って言ったんだよ。自力で繰り上がれるなんて、一言も言ってない」


 困惑の表情を浮かべる彼に、自信に満ち溢れた顔を向ける加絵。唇の隙間から、白く輝き、並びの良い歯を見せる。


「文字通り、身体を作り変えられるってこと。他でもない、〝彼等〟によってね。〝彼等〟の存在発生は諸説あるけど、私は今のところ、怨霊が生きた人間を道連れにするみたいな、道連れ説を支持してるよ」


 ギルはどう? と彼女は朗らかに問う。ギルと呼ばれた青年は、彼女の明るい考え方に絆されたのか、はたまた根負けしてしまったのか、口の端を緩めて息を吐いた。


「あぁ、確かに。〝彼等〟は不可能と思われていることを飄々とやってのける存在だ。三次元生命体を道連れにして、増殖していてもおかしくはない」


 でも、と彼は続ける。


「そうすると、もう、僕にはどうしようもなくなってしまう。これならあの子たちが殺されていないことになるし、それはとても喜ばしいことだ。それでも、僕が彼女たちの安否を確認できないことには変わりない」


「向こうから会いに来てくれなければね」


 二人は失笑し合った。ギルはコーヒーのお代わりを頼み、新しく出されたカップを口元で傾ける。加絵は自分のコーヒーを口にしてから、両肘を付いて組んだ指の上に顎を乗せる。口の中に残る苦みを堪能しながら、意識をギルへと向けた。


「過激派の家庭に生まれた子は大変だね」


 感慨深く呟く加絵に、ギルは悲しげな表情を浮かべる。


「他人事みたいに。でも、その通りだから言い返す言葉が無いよ」


 アンティーク調の装飾が施された電燈が、橙色の光で店内を照らし出す。カウンター席しか無いこの小さな喫茶店は、店主一人と客である加絵たち二人のみ。店内には小粋なBGMがかけられており、どこかノスタルジックな情景を醸し出していた。


「どうして争いが生まれるんだろう」


「そこに意思があるから」


 ちちち、とガスコンロの火が灯される。店主は深鍋をコンロにかけ、乱切りにした野菜を中に投入していく。火が通り始めたところで、彼は一口大に切った鶏肉を入れ、具材をさらに炒めていった。


「どうして忌避するんだろう」


「それらを知らないから」


 店主は鍋に水を入れ、煮立ってきたところで黄味を帯びた茶色のブロックを幾つか中に投入した。それは沸々と泡を吹く水の上で、溶けて丸くなった。


「どうして力を欲するんだろう」


「そこに意志があるから」


 暫く鍋の中をお玉でゆっくりとかき混ぜていくと、全体が茶色くなっていくと共にとろみが付いてくる。店主は一旦お玉を外に出し、鍋に蓋をした。弱火で煮られていく鍋の中身は、コトコトと音を立てて踊る。


「どうしてっ」


 コンロの火が切られ、鍋の蓋が開かれる。凄まじい量の蒸気が客と店主の間を遮った。二人の鼻腔を擽ったのは、刺激の強い香辛料の香り。コーヒーで腹が膨れていたにもかかわらず、加絵は空腹感を錯覚した。


 二人の前に、ターメリックライスに艶のあるルーを掛けられた二皿のカレーが差し出される。続けて紙ナプキンで包まれたスプーンと、小皿に盛られた福神漬けが手際よくテーブルに置かれた。二人は思わず笑い合い、合掌して食べ始めた。


 暑さゆえか辛さゆえか、加絵は水っぽくなった鼻水を啜る。目尻に滲んだ涙を拭い、それでも舌を喜ばせてくれるカレーを口に運んだ。時折つつく福神漬けは甘く、コリコリとした食感がまた絶妙であった。加絵とギルはいつの間にか出されていたお冷を口にしながら、目の前の皿を平らげていった。


 完食した加絵は紙ナプキンで口周りを拭き取り、再び合掌した。綺麗に食された皿は店主によって下げられ、食後のコーヒーが差し出される。加絵はそれを一口飲むと、深く息を吐き出した。視線は遠くを捉えており、彼女の思考の中で様々な事柄が流れて行く。


「どうして生きてるんだろう」


 彼女の呟きには誰も答えることがなかった。ギルは困った笑みを浮かべて、「どうしてだろうね」と鸚鵡返しをするのみ。コーヒーを飲んで一息ついた加絵はギルの方へ視線を向けた。


「ま、考えたところでしょうがないか。所詮、私の専門は科学だし」


 ギルが「そうだね」と相槌を打つ。加絵の瞳に強い意志が戻り、彼女は凛と引き締まった表情を浮かべる。彼女は荷物を肩に掛けると立ち上がり、店主に笑みを向けた。


「ごちそうさま。今日も美味しかったよ、マスター。勘定をお願い」


「かしこまりました」


 席を離れる加絵の後を追い、マスターと呼ばれた壮齢の男は、台の上に磨きかけのグラスと布巾を置いた。


また新しいの出てきた(=_=)

止せばいいのに、話が浅い状態でどんどん広がっていく。

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