αSide2≫φSide2
「〝彼等〟? 何それ」
不思議そうな顔をしながらそう言った彼女は、相変わらず無表情であったが、嘘を吐いているようには見えなかった。しかし、奏多の知り得る限りでは、彼女の正体として当て嵌まるものは〝彼等〟以外にはあり得なかった。
〝彼等〟と呼ばれているもの。それは、四次元以上の空間で発生した生命体のことを指し、何があろうとも、三次元空間にある人間では決して敵わない存在として報告されている。故に〝彼等〟には関わるべきではないと、奏多は口を酸っぱくして忠告され続けていた。
幼馴染があの忌まわしいモノではなく、〝彼等〟であったという事実を突きつけられ、驚愕すると同時に勘違いしたことを恐怖した。幸いだったのは、アルマが〝彼等〟であることを認識していない、或いは忘れているように見せているという点であった。命拾いをしたと言ってもいい。〝彼等〟は気まぐれで、人間に知識を与えて文明発展に寄与する一方で、冷酷な一面も持ち合わせており、人間社会の思惑を超えて制裁を下すこともある存在なのだ。
触らぬ神に祟りなし。まさにこの諺の通りの存在であり、奏多の組する組織の中でも、〝彼等〟との接触はご法度にされている程に注意深く扱われている。しかしながら、〝彼等〟の中には、この人間社会の中に完全に溶け込んで生活しているものも居るため、最早事故を防ぎようのない、厄介な存在でもある。それではどうすればいいのか、という話になるのだが、大抵の場合、人間社会に溶け込んでいる〝彼等〟は、この社会や文明に望んで溶け込んでいるため、少々の沙汰では制裁を下しはしないのだ。つまり、清く正しく生きていれば、まず〝彼等〟との間に要らぬ確執を作ることはないのである。
そのような、聖人のごとき人間になれるのかと言われれば、それは困難なことだと奏多は思っている。誰しも、悪感情に針が触れる可能性を持っている。かくいう奏多も、奴等に対する殺意を止められないでいるのだ。割り切ることなど、到底できない。腹の奥底にドロドロとしたものが溢れ返っており、それを普段の生活で表に出さないように鎮めるためには、やはり奴等を斬るしか方法がなかった。
その結果が、今の状態を作りだしてしまうとは滑稽にも程があった。奏多は刀を鞘に戻し、アルマを見据えた。目は口ほどに物を言うとよく言われているものの、彼女の琥珀色の瞳は出会った当初から一切の感情を示さず、それでいて、相手を吸い込んでしまいそうな、そんな得体の知れない魅力を孕んでいた。
幼少期には、大人の言いつけ通りに彼女と遊びはしていたものの、次第に彼女の隣にいることが苦痛になって行った。なぜか、と問うた時に、彼の中では明確な答えを出せないでいた。しかし、彼は彼女から避けることを選択した。せざるを得なかった。
今思えば、それは本能的に危機回避をしていたのかもしれない。当時の彼が〝彼等〟の存在を知らなかったとはいえ、彼女の異常性は幼目にも明らかであった。アルマは奏多と遊びはするものの、基本的には奏多の行動をただ観察するだけのことが多く、奏多は常に彼女のモルモットにされているような気分にさせられていたのだ。無表情で眺め、会話も必要な情報のみ交わされる。これを怖いと思わずに、何と思えばよいのだろうか。
アルマが目を細める。
「教えたくないんなら、別にそれでもいいけど。でも取り敢えず、私が怒ってないってことは言っといてあげる。なんかいろいろ想像がついて、奏多が可哀そうになってきちゃったし」
彼女の中で、如何様に考察されたのか。奏多は考えることを放棄した。それよりも、先の行為を取り消してくれるという、彼女の言葉に心底安堵する。そんな奏多の感情を読み取ったのか、アルマは声に出して笑っていた。奏多はどこか後ろめたさを覚え、視線を彷徨わせることしか出来なかった。
*
淀んだ暗闇。閉じられた空間。墨を垂らしたように真っ暗な部屋の隅では、時折何かがゆらゆらと揺れている。薄いカーテンには街灯の光が淡く映し出されており、夜目に慣れれば部屋の全体を把握できる程度にはその部屋中に光粒子が飛び交っていた。
ここは奏多がある組織から与えられた貸し部屋で、仕事で使っているものが全てこの場所に置かれていた。逆に、仕事に使うもの以外は何も置かれていないため、生活感の無い簡素な部屋、悪く言えば物置と化していた。
ゆらゆら、ゆらゆら、と部屋の隅で艶やかなものが仄かに光を反射する。無音状態の部屋の中では、微かな息の音が規則的に空中へ零れ出ている。黒い塊のような物体は蠢き、布ずれの音を響かせながら体勢を変える。その隅に潜んで生命反応を示すそれは、鬱々としたオーラを放ちながら、いつまでも蹲っていた。
開錠音が無残に響く。続けて軋んだ音が間延びするように響き渡り、同時に玄関口から外の光が一直線に入り込んできた。ドアの閉まる音がすると共に、無の領域に人の気配が割り込んでくる。人影は律儀に脱いだ靴を揃えてから、部屋の中へと歩を進めていった。真っ暗な六畳の居間を見渡し、ある一点で視線を止める。そのまま迷うことなく射止めた場所へと近付いてゆく。
部屋の隅から、顔を上げる気配がした。その顔は暗闇の中から現れ、虚ろな表情をして相手を見上げている。対して丸眼鏡の少年は、足を折って座り込んでいる少年を立ったまま見下ろしていた。しかし、かち合う互いの視線の先に、彼らは見たままの、相手の姿そのものしか捉えることはなかった。
「アルマは……、天使じゃなかった」
どちらともなく呟かれた言葉は、暗闇の中に溶けていった。少年は身動ぎもせず、冷ややかな視線を彼に送り続ける。
「うん、知ってた」
狼狽。少年、こと奏多は、早鐘を打つ鼓動に焦燥の念を感じる。嫌な汗が首筋を伝い、鎖骨を通って服の中へと滑り落ちていく。
「なら、なら、何で――――」
丸まっていた奏多の背が伸ばされる。足を抱えていた両腕は解かれ、手のひらは強く床面を押し返していた。
彼の中で溢れ返っている言葉は、裏切りの文字。問うても返ってこない答えに、奏多はますます締め付けられるような、握り潰されるような思いを抱いた。
佇む少年は、冷酷な視線を奏多に向けるばかり。奏多はそれまで仕事をしていなかった表情筋を、最大限に顰めた。彼の悲痛な思いが、理解できない感情が、その表情から絞り出されてくる。
「変えなきゃいけないから」
不意に、彼が言葉を返した。奏多は目を見開き、再び彼を見遣る。冷たい表情こそ変わりはしなかったものの、奏多は彼の瞳の奥に、深く蔓延る憎悪の念を見た。一つ間違えれば、一瞬で命を刈り取られてしまいそうな。そんな恐怖が彼を襲う。
「何、を…………?」
枯れた喉から絞り出した声で、奏多は問うた。この一言しか、彼には口にすることができなかった。目の前の少年は愛用している丸眼鏡を外すと、口の端を吊り上げ、愉しく歪んだ上下の瞼で目を覆う。その奥から、ヘーゼル色の瞳が妖しく光った。
「定められし未来を」
書きながら気付いたのは、この物語はもしかすると、主人公が二人いるのではないか、ということである。
ダブルチョコレートのドーナツは美味しいから、それはそれでいいのかも知れない(/・ω・)/




