第四話
海王リヴェローグの許可を得て未確認の枝について探索に踏み切った海賢の一人、ティークは大広間の天井に数珠繋ぎで渦巻き状に置かれた海蛍の石から作り出される白い光に照らされながらじっと佇んでいた。その目には一つの扉をじっと見つめている。その扉は閉じており、その事にティークは苛立ちを感じていた。
未確認の枝、未確認の転送物…
この葉が他の葉とつながった二千年前はそのような事は日常茶飯事だったと歴史の本には書かれている。その時は騒がれもしたが、どれもこれもシー葉に繁栄と諍いを運んだが、シー葉が滅ぶような事はなかった。
最近に発生したのは二百年前。ここに至ってシー葉は滅亡寸前にまで迫る憂き目に遭った。
二百年前はまだ私は生まれてはいなかったが…あの時は相当な災いが持たされたと聞く。
その災いから発生した炎は水では消えなかった。記録的な雨が降っても、盛んに燃え続け、葉全体を覆い尽くそうとする炎を消そうとしたシー葉の守護獣、リヴァイアサンを焼き滅ぼしたと言う。
守護獣の力を取り込んだかのように、さらに火力を強め、シー葉地上にあった建築物全てを灰燼と化し、天を焦がす炎は阿鼻叫喚の如く叫びながら燃え移り、地上全ての逃げ場を失った人々は悶え苦しんだと言う。
あの災いから五十年の間、炎は衰える事を知らずに地上が黒一色になってもさえ燃え盛り、我々シー人は地上で住む事が許されず、ずっと砂の下で生活していた。
五十年ぶりに外に出られた災害を知る最後の老人はこう叫んだ。
「貴様に全てを滅ぼされ、ワシらから全てを奪わされたと言うのに…! 許さん、許さん、貴様は滅ぼす事だけ与えろ! このような…クソふざけたもんはいらんわぁあああッ!」
老人の目には何事も無かったかのような、初めからそうだったのかのように、前々から望んでいた筈の青々とした青空が憎いと感じ、綺麗と感じるはずの海を張った無限に続く黄金の砂浜がとてつもなく醜く見えたそうだ。
あの破滅以来、その災いを知る葉全てが未確認の枝に対して恐れを抱くようになってしまった。それは他の葉との交流を狭くしてしまった事にも繋がった。
「聖域の近くに…か」
不安を含んだ声で誰ともなく言う。
聖域。
それは全ての葉にとって恐怖の対象だった。
かの二百年前を知る人にとっては憎みの対象だったが、時と共に薄れていって、今は聖域を憎む人はいなくなってしまった。
それどころがご神体と呼ばれてしまっている。
葉を滅ぼす程の強大な力を持っているが故に、シー葉は二百年間、ずっと平和だった。シー葉に逆らえばその強大な力で滅ぼされると思ったのだろう。実際、沢山の貢物と金を持って来て同盟に持ち掛けた葉も沢山あった。
シー葉としては何とかして聖域にあるモノを安全なものにしようと躍起になっていた。もし、思い通りに御することが出来ればそれはシー葉にとって最大の武器となるだからだ。
だが、悉く失敗に終わってしまったらしい。近づこうとするほど苦しみだし、例えようも無い悪寒に襲われ、ついには消える、というのだ。それで、シー葉は決断したのだ。
災いをもたらしたモノを神にまで祀り上げ、命乞いまがいのことをしたのだ。
恐れ敬うことで御神体に近付かせないようにするために、御神体を怒らせないために、聖域として丁重に扱われている…のだが、聖域は未だに災いの余波がまだ残っており、未だに近づけない。そのため、丸裸同然に御神体が置かれていると聞く。
一つため息を吐く。
今ティークがいる部屋は百ある穴の一つ、水砂の穴と呼ばれ、地上に出るための道に繋がる扉がある。災いの際、守護獣が最後の力を振り絞って地中にもう一つの世界を作った。それが海世界、シーヴァ。名の通り、地上と隔てた海の中にある世界で、守護獣リヴァイアサンの能力である、水と共に生きるのおかげで酸素なしに生活できる環境があった。
ティークの背後から金属が擦れあう音がしてくる。振り返ると全身鎧を身につけた騎士が十人ほどこちらへ向かってくる。
手には手綱を握り、隣にイルカを従えている。
十人の騎士は二列に並び、その中から一人がティークの前に進み出て、
「ティーク様」
「やっときたか…十人、か」
「はい、選りすぐりの精鋭達でございます。それと地上に出るに当たって、水陸用イルカを引き連れてきました」
「ご苦労」
一人進み出た騎士団長を労うと、
「皆、話は聞いてるな?」
騎士を見渡すと全ての瞳に覚悟と危機感に満ちていた。それを感じ取ると、
「よし、分かってるようだな。この葉を守る騎士達よ。私は心から感謝する」
頭を下げた。それにより騎士の間に小さなざわめきが広がった。
「ティーク様!」
騎士団長の声にティークは何事もなかったかのように騎士達を見据えると、
「よし、では直ぐ行こう」
そういい終えると、光が差した。人工の光とは違う、温かみのある太陽光。
上を見上げれば煌く粉が光差す水砂の穴から零れ落ちてくる。
ティークはそれを見ると、振り向きもせず上った。
それに続くイルカを駆る騎士達。
彼らの顔は覚悟と焦りで彩られ、久しぶりに見る日光に目を潜めながら葉を守るために彼らは地上へと出る。
「疲れた…」
何回も何回も繰り返されてきた言葉。最早その言葉は既にか細く途切れ途切れだ。
かすかにふらつく体。腕は無気力なまでになんの力も入っておらず、拾った黒い木はそこらへんに捨ててきた。切っ先が鋭くては杖代わりにはならない。うっかりすれば足を傷つけることになるかもしれないからだ。
口を小さく開けて大気中にある酸素を渇望し、腹が鳴る。朝から何も飲まず食わずだったので盛大に鳴りっぱなしだった。若干虚ろになってしまった目には空を映している。最早黄金の絶景はとうに見飽きていた。海より空から降る雨を望んでいた。その望みを完膚なきまで叩き潰したのは、雲一つない青天の霹靂とは程遠い、水を産まぬ空だった。雲の欠片もこれぽっちも見つからず、逆に汗が玉のように体中から出ては黄金の海に消えていく。まるで海が生きていて、涼志の水分と空の水分を吸い取っているかのようだった。
一瞬涼志の脳裏に死の単語が掠めてはそれを振り払いながら当てもなくさ迷う。
動くものが見つからない。鳥も魚も、人も…世界でただ一人残されたなんとも言えない孤独感がふつふつと心の底から侵食していく。
微かに吹く風は熱気に包まれ、涼志にとって必要な清涼感と安らぎを与えてはくれない。
この世界そのものが涼志の敵だというかのように。
「ティーク様! 人が倒れています!」
望遠鏡を手にしながら指差した。見れば小さいが確かに人が倒れている。
「どうしますか?」
一瞬思考を巡らし、結論を出す。
「生け捕りだ。洗いざらい吐かせてもらう」
キュイと一匹のイルカが鳴くと空を飛び、それと同時に倒れた人を囲もうと人を乗せたイルカは駆けた。そしてじりじりと詰め寄っていく。
「何も反応がありません」
「下手に刺激するな。われらが全滅するかもしれんのだぞ」
隊長の一言に頷きを返す団員。そして、緊張の糸を張り詰めながらゆっくりと、近付く。
…結果としては上々。倒れていた人は衰弱しきっており、意識も無い状態だった。なので厳重に見張りを続けながら水砂の穴へとたどり着いた。
呆気なく何も起こらなかった捕り物は成功に終わった。
石畳を踏みながら頭を垂れる。やけに早い帰還に失敗したのか、と内心穏やかではなかった。しかし、ティークから放たれた言葉でそれは杞憂であったことを悟った。
「ただいま戻りました。無事、侵入者の男を捕らえました」
「やけに早いな…ティーク。ご苦労であった…聖域はどうだ?」
「何も変わりありませんでした。確かに聖域の近くに枝が発生したのは確かですが、男は聖域を通らず、水砂の穴からわずか100メートルもないところに倒れていました」
「100メートルとな? で、男はどうなのだ? 死んではおらぬようだが」
心底驚いたような表情をつくり、溢れ出る興味を抑えきれず、昂揚した声で聞いた。
「衰弱はしていますが発見当時から意識を失っており、今は兵士に見張りを立てて寝かせていますが、未だに目覚める気配は見せません」
「ふむ…そいつは何も持っていなかったのか?」
「はい。身分を示すようなものはありませんでした。服装も見たことの無いものでしたし、周りには誰も居なかったことから恐らく枝にさらわれ、さまよっていくうちに倒れたものと見ます」
「そうか…いずれにせよ、シー人ではない事は確かだな。意識が戻り次第、会わせろ。久方ぶりの新種の枝だ。交流を求めてやってきたのかもしれないな…」
「それはそうかもしれませんが…」
少し逡巡するような素振りを見せた。
「いい。こうなっては当たって砕けろだ。侵入者の男の世話に関してはティークに任せる。死なせるようなことはあってはならん。もし、お前が危険だと判断した場合は…牢にでも入れておけ」
「はっ。承りました」
「よし、ご苦労であった。もう下がってもいいぞ」
一礼して扉の向こうへと姿を消すと、リヴェローグは興奮冷めやらぬ声で、
「…面白くなりそうだ」
と呟いた。
ごめんなさい。
半年以上も音沙汰なかったのは、決して忙しかったわけじゃなくて、やらなかっただけです。
読んでくれた人ありがとうございます。