第三話
「ここ…どこよ?」
その問いに応える声はなかった。
身体を右に回して後ろを振り返って、左を見る。次に空を仰いだ。
「…すごく綺麗なところだなあ。水…なのか? 温かいし、気持ちいいなあ」
ふと、のどの渇きを覚え始めた涼志は手で水をすくって口に含んだ。
「うっ」
塩水だった。口の中に塩味が広がり、舌に痺れを感じる。つい最近、海で泳いだ時の事を思い出す。
そして、そのときに味わった海の味とよく似ていた。
「この味…海だよな…」
とても海とは思えない景色。
とても地球にはありそうもない景色。
あふれ出た唾を海の味のする綺麗な水原に吐き出すかどうか迷っていると、涼志の脳裏に何かが閃く。
「…あれ? えっと、確か波に…溺れた?」
海で溺れたのは夢なのか、と涼志は思い、頬をつねってみるとやはり痛かった。
「夢じゃ、ないよな…やっぱり、溺れたのは夢、か」
ではここはどこなのか、と涼志は思った。見渡す限りの水原、砂浜。それ以外のものを挙げるならば、自分と自分の影、ぐらいだろうか。
(地球にはこんな景色…そういや世界遺産に砂の島があったな…でも写真で見たのと違うし…鳥取砂丘なんだろうか? 流されて鳥取県?)
涼志が住んでいたところと鳥取県は遥か200キロも離れている。それに溺れたのは太平洋側の海で、鳥取県は日本海側なのであり得ない…とここまで考えて、あきらめた。
(…ここがどこなのかはわからない。なら、歩いていけば目星つくものもあるんだろうし)
歩き出す。
一歩踏み出すごとに水が跳ねる音と砂音が交じり合ってとても心地良かった。
「うおお…新鮮」
思わず声を上げた。はだしで歩いていったらどんなに気持ちいいだろうなあと思いつくとすぐさま靴を脱いで歩いた。
足裏に砂粒が入り込んでいく。まるで砂が小さな魚のように群れて足をくすぐるようだった。
その気持ちよさに思わず足踏みしたくなる。
涼志のいたところの海とは全然違っていた。砂は柔らかく、とても細かかだった。足跡がくっきりと残っていていつまで立ってもそれが消えることはない。
いつか見た夏の夢のように。
まさしく、永遠に続く夏の砂浜が凝縮されたかのような水原だった。
一時間ほど真っ直ぐ歩いたところで涼志は初めて足を止めた。
「…ここ…どこよ? どこなんだよぉおおおお!」
涼志は変わらぬ景色に怒りをぶつけるように叫んだ。
既に足はふやけ、棒のようになっている。初めて歩いた時に感じた爽快感は消えうせ、焦燥感が募ってくる。
柔らかい砂と水が足を冷たくし、歩幅を鈍らせ、太陽のひりつくような暑さは涼志の体力と水分を奪っていった。
「う…のど…渇いた」
ここに来たときから感じていた喉の奥から砂風が吹き上げるように渇きが強くなっていた。
「…? おっ!」
広大な水原の中、ぽつんと黒色の棒のようなものが無造作に置かれているのを涼志は気づいた。
とてつもなく怪しく、いたく好奇心に駆られた涼志はその黒い棒目掛けて歩いた。
近寄ってみると、なんともへんてこな形をした木の枝だった。握ってみると、五百円玉ほどの太さに、1メートルほどの長さ、そして無数に枝分かれしていて、葉はない。
一メートルのうち、30センチほどまでは一本の枝で、あと70センチは無数に枝分かれしている。
不思議な事に、その枝は薄かった。プレスしたかのように、ぺしゃんこで、両刃の剣のようになっていた。
まるで張りぼてのクリスマスツリーのようだった。
黒い剣のような形をした枝に、いたく興味を持った涼志はまず枝分かれしたところに触ってみた。
「つっ…」
涼志の人差し指からは一筋の血が流れていた。強く握ったわけでもないのに触れただけで血が出た。
交互に黒い枝と人差し指を見て、
「剣、なのか? ファンタジーっぽくなってきたな…」
ふむ、とひとしきり黒い枝を眺める。
やはり、触れただけで血が出るような鋭いようには到底見えない。
こんな剣の形をした枝が地球にはあったのだろうか。
「あるかもしれないなあ」
地球は大きい。まだ涼志が見たことのない植物だって沢山ある。その中に触れただけで血が出るような枝だってあるかもしれない。ましてや剣の形をした枝だってあるに違いない。
そう涼志は決め付けると、黒い枝を砂に突き立てて、崩れ落ちるように尻を水に浸け、両手を水に浸けて空を仰ぎ見た。
「…ここどこなんだよ…」
ここに来て三回目となる言葉を空に向かって力なく呟いたのだった。
三話、書けました。
ありがとうございました。