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作者: 檸檬の木


まるで子守唄の様な、眠る前の読み聞かせ。

「_こうして、王子様とお姫様は、いつまでも幸せに暮らしましたとさ。」

パタンと閉じる絵本の柔らかな音が聞こえた後、母がふわりと笑ってこちらを見る。

「…ねぇ、ママぁ。怖い事を起こすのは、いつも悪い人達なのね…。私は、それなら正義のお姫様になりたい。」

深い藍色の窓の外を、虚ろな目で見つめながら私が呟く。母もその藍色を見つめてから、とろりとした眠たげな声で答えた。

「そうね。でも、お姫様なら、どんな事だってハッピーエンドにしてしまうの。」

「…じゃあ、もし魔女もお姫様になれていたら、幸せだったのかなぁ。」

「…他の物語なら、そうなれていたかもね。でもきっとその世界では、お姫様が魔女になって…ぅふわぁぁ…るんじゃないかしら。」

あくびをした母の言葉に、私は身を乗り出して、

「そうなの?どうして、お姫様が魔女に変わっちゃうの?他の物語って、何それ…?」

「はい、はい、もう寝る時間だから。」

沸き立つ疑問は、夜更かしをするという私の小さな夢を叶えることには役立ってくれない。

母に毛布を強引にかけられて、私は、しぶしぶ横になってしまう。こうなったらもう大人しく、夢の中に行けるよう目を瞑って専念するしかない。私の頭から沸き立ってくる疑問は、眠気に溶かして、夢の中での答え探しに持ち込む。

そうして母は小さな声で「おやすみ、また明日。」と、既に夢に呑まれそうな私に、呟いた。


母が去り際に部屋の照明を消した。私は開きかけの目で部屋を見渡す。残された深い藍色の光が窓から零れて、私のベッドを薄暗く照らしていた。

じんわりと輝く、夜の色が、私の足元にまで満ちている。

そのうっすらとした光は、先ほど解けなかった疑問と共に、私を深い夢の中での答え探しに連れていってくれた。


眠る前は藍色だった窓の外が、気づけばお日様色に変化していた。

トロトロとした眠気を頭に残し、私はのっそりとベッドから降りる。

夢を見ていた。

お姫様の、夢。明るくて、可愛くて、歩く度に長い髪がキラキラと光って、皆に愛されて…

夢の中で、私はそのお姫様だった。

窓の外を見ながら、夢の中とは違う、自分の短い黒髪をクルクルといじる。


私は、目の前のお日様に心の底から湧き上がってきた夢を、昨日の空の藍色に今の私を重ねて、強くこう願った。

( いつかお姫様に、なりたい。)



ーーー

…あぁ。そんな事もあったんだな。


幼少期を思い返しているうちに、私は、学校の最上階に差し掛かったことを示す階段床の「3」のペイントを踏んだことに気がついて、我に返った。

登校する間にどれだけ現実から目を逸らしていても、ここまで来てしまえば、これから私が行かなければならない場所を思い出してしまう。

皆の正義のお姫様が、あの教室で待っている。

三階の丁度廊下が突き当たりになるところ、一年三組のプレートを掲げた箱の中で、私は皆の楽しい日常を保つための生贄になる。

…さしずめ皆の標的にされる私は魔女で、中心で輝いている彼女はお姫様。その物語を面白がって笑うクラスメイトは、物語を盛り上げるギャラリーや裏方達。必要不可欠な魔女の役は、どうしたって降りられない。

…あれ、さっきまで振り返っていた過去の話と、重なってしまう。…なんでこんな時にこんな笑えない皮肉に気がついてしまうんだろう。初めて気がついた変な結びつきに、何とも言えない苦い笑いが口からこぼれ出した。


…私が魔女になったのも、あの頃お姫様がいじめていた彼女を見て見ぬふりした罰なんだろうか。


…俯いて歩いていく内に、どんどん体に力が入って、肩に下げたスクールバックがペシャンコになった。

だんだんと廊下の突き当たりが近づいていき、恐る恐る顔を上げると、目の前には、1年3組の教室のドアが聳えていた。

「…あぁ。」

どうしよう、ドアの取っ手にかけようとした手が、手が、ワナワナと震えている。

少し前までは、いじめられていた最初の頃なら、まだこんなことなんか無かったはずなのに。呼吸まで上手く出来なくなってきて、小刻みに肩が動く。

私は震える手を自身の長い黒髪へと伸ばし、手ぐしでとかすように触れることで、恐怖を唾と一緒に飲み込ませた。

あの夢を持ったあの日から、ずっと丁寧に伸ばし続けている黒髪。昔から変わらない、唯一残った私の希望。

髪の毛を、少し震えが収まった手で優しく撫でながら、大丈夫だから大丈夫だよ、とおまじないみたいに自分に唱えた。

「…はぁっ…!」

やっと呼吸がしやすくなった。

再び、ドアまで手を伸ばし、私は少し錆びれた教室のドアを、ガラガラと開けた。

私を目にした瞬間、お姫様は黒い瞳と唇をひしゃげて、笑った。

その瞬間、幼少期に聞いた母の声が、ふと頭の中で流れ出した__。


『 _さぁ物語のはじまり、はじまり___。 』




ーーー

「…屋上に吹く風って、なんだか心地良く感じる。」

聞く人も居ない独り言を、廃ビルの上で呟いた。



今日。

無理やり脱がされた制服に振られた暴力は、予想外だったけれど私は何故か耐えきれていた。…というよりも、もう涙も流し尽くし、痛みに鈍感になってしまったからか。

ただの無視から始まって、こんな事が日常になってしまえば、弄ばれる最中にはただ死んだ心を差し出すだけになっていく。

虚ろな目でされるがままの私に、お姫様は、まるで味の抜けたガムでも吐き捨てるように「つまんない」、と呟いた。

そして、惰性で少し古びたおもちゃに手を出すみたいに、お姫様が私の長い黒髪に手を伸ばしていった。


私が魔女になっても、いつか、いつかハッピーエンドが来ると、そのいつかを待ち望んでずっと伸ばし続けていた黒髪。

私の未来の、たった一つの希望だった、黒髪。

それが目の前で、ギャラリーの笑い声に包まれながら、ハサミを伝ってハラハラと零れ落ちていく。

やっと目の前に映る光景を認識した私は、必死に手足を動かして抵抗しようとしたけれど、傷んだ体は上手く動いてくれなくて、ただハサミの無機質な音とギャラリーの笑い声が、耳の中でどんどんどんどん歪んで遠ざかっていくのを感じていた。


そうして、

私の目からは久しぶりに、涙が零れた。


一粒の後、堰を切ったように流れ出したそれは、目の前の視界をぼかして歪めていく。もう、何が見えているのかも、何が聞こえているのかも、全く何も分からずに、声も出ずにそのまま私は泣き続けていた。

それを見たお姫様は、やっと満足したように、涙を流しながら大声で笑っていた。ギャラリーも一拍ほど遅れていつもの爆笑を教室中に響かせる。

私は、目の前のことが現実と捉えられないような、フワフワとした居心地の中で、気がついたら周りの空気に釣られて笑っていた。意識してもいないのに、勝手に表情筋が引き攣り、真っ黒な口の中を開けて笑っていた。涙が虚ろな目を覆い隠して、それは笑顔で盛り上がった頬の上をダラダラと伝う。笑う度に、体の中から今まで溜め込んでいた泥が湧き上がり、流れていく様な感覚がした。心の底から疲れていても、笑うのを止めることはできなかった。やっと狂えた事にどこか安心している自分も居る。

目を瞑って腹を抱え楽しんでいたギャラリー達も、徐々に一番大きな声で異様に笑う私に気がつき出し、「気味が悪い」と私を蔑んでからバラバラに帰っていった。

お姫様は、ただ目の前の光景を楽しんでひとしきり笑い終わった後、次の玩具を探しに行くような面持ちで、一番最後に教室を出ていった。


たった一人教室に残された私は、体が張り裂けるような居心地の中で、足元にある自分の黒髪だったものとハサミをただじっと見つめていた。

「…あぁ、もう死ななければ。」と気がついた。

もう生きていても、夢も縋るものも何も無い。ただ短い自分の髪の毛が、死んだ心をより強く抉り崩した。


かつて希望だったものは、ただの残骸になった。

黒い長い髪も、それを失った、私も。




叫ぶように唸る風が、屋上に立つ私をすり抜ける。

もう絶対になびくことは無い黒髪が、自分の胸に空いた風穴をより一層際立たせた。

私は、「でも、もう、後は死ぬだけなのだ。」と思い直し、コンクリートの寂れた地面を踏みしめながら歩いていく。私に親族はもう居ない。母は3年前に死んだ。今、私が死んで迷惑のかかるような知人は居ない。

「こんなの、ぜひこのタイミングで死んでくれってあらかじめ設定されてたみたいだ。」

所々ペンキの剥がれた床は、歩く度に砂利を踏むような音を立てた。


遠くで、何処かの葉の擦れる音が、聞こえた。

「…せめて、最後は、あの子達の魔女じゃなくても存在できる場所で。」

私の学校から遠い廃ビルを選んだのは、それが理由だった。

「最期くらい、…必要とされる役なんか捨てて、ただの私として、死ねるように。」

声が、重みを孕んだ風と共に消えていく。


もう空は暗い。

放課後のいじめから、一体どれくらいの時間が経ったのだろうか…?

空は、幼い頃に夢を見せてくれた、深い、深い、藍色をしていた。

じんわりと輝く、あの夜の色が、私の足元にまで満ちている。


「次に生まれ変わったら、…私はお姫様になれるのかな」

もし、違う物語に、生まれてこれたなら。

錆びた屋上の柵を跨いだら、目の前の景色が広がって、私の体は、深い空の藍色に、より近くなった様な気がした。淡い月の光が、私の足元まで零れている。


もう、やっと。

楽に、なれる。


開放感に包まれる。勇気なんて要らない。


ただの『私』は、目を瞑った。片足だけ前に出して、もう片方の足で、軽やかに跳ねる。


私は、微笑んだ。

体が浮いたと同時に、涙の粒が零れ出て、私は、もっともっと心から笑った。

私の命が消える数秒前、物語が終わる、数秒前。


「( いつかお姫様に、なりたかった。)」


私の小さな声と命が、誰にも気づかれないように、深い藍色の空に沈んで消えた。

まず、小説を読んでくださって本当にありがとうございました。あなたのおかげで井の中の蛙が少しでも日の目を見れたような感覚になります。大感謝です。


ずっと、悪と正義という構図は単純なものでは無いと思っていました。今回はそこから特にその複雑性が顕著ないじめの話を書いてみようと執筆を試みました。

そしてラストのシーン。自殺は世間的に悪いものとされているけれど、誰かにとっては救いの瞬間にもなり得るという、善悪の複雑性にも通じることを書けたら良いなと思い、試行錯誤して書きました。彼女が死に直面して幸せに包まれた感覚が、どうにか伝わっていればと思います。

しかし、この小説を読んでくださった方に自殺はして欲しくありません。私が描きたかったのは死生観の複雑性であり、自殺の素晴らしさではありません。自殺で得られる解放感は、自殺でしか得られないものではないからです。

辛いことに耐えるような頑張りをし続けながら生きるよりも、自殺を選択肢にしていざとなったらこんなものすぐ投げ捨てられると出来るだけ自分がしたいような生き方をして欲しいな、なんて思います。

上手く表せられない実力の不足は承知しています。それでも必死に何か伝わればと書きました。


小説、そして後書きまで読んでくださりありがとうございます。あなたが大好きです。


そして最後に、私はこのお姫様に憧れて魔女と馬鹿にされた主人公のことが心の底から大好きです。彼女が生きる姿も死ぬ瞬間も、出来るだけ彼女にとって大事なところを取り逃さずに描きたくて必死で執筆しました。彼女が健やかに過ごせる世界があれば良いなと思います。彼女が飛び降りた先の世界は、はたしてどんなところなのでしょう。

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