Six day 野球 Saturday あと、私のこと、しずくって呼んでくれません?
Six day 野球 Saturday あと、私のこと、しずくって呼んでくれません?
あくる日、保母さんに変な目で見られる。そりゃあそうだろう。だって、俺の家の前でねねとゆきちゃんがバスに乗ったのだから。三島さんも見送りに出ている。
「では、出発しますね。」
保母さんは口数が少なかった。
三島さんは制服の準備までしていた。用意周到というより、初めから泊まる気でいたのだろう。こういうのにはもう慣れてしまっているので今さら文句もない。天使の三島さんに文句など言えるわけがない。
「お兄ちゃんもいってらっしゃい。お夕飯は何にします。」
「すいません。帰ってください。」
三島さんはひどく残念な顔をしていた。だが、流石にこれ以上は危ない。変な噂がたったら三島さんも大変だろう。
「吉田。見ているな。」
「はい。先輩。」
吉田が電柱からひょっこり頭を出す。
「誰がソロモン王だって?あと、ネタが分かりづらい。」
「なんのことですか?」
ニヤついて言っている辺り、絶対吉田の仕業だ。
「あと、今日のことは口外禁止な。」
「では、体で払ってくれるんですね。」
「誰が払うか。」
波風は言葉少なである。
「なっちゃん、おはよう。」
「おはよう。由実。」
今日も待っていたのだろうか。
「あのね、なっちゃん。昨日の下着着てきたの。」
「スカートをたくしあげるんじゃありません。」
俺は由実にチョップする。なんだか由実が嬉しそうなのは見なかったことにする。
「今日、波風さん。調子悪そうだね。」
由実は先に行く波風を見て言った。
「そうみたいだな。」
まあ、あれが標準な気がするけどさ。
「もうすぐテストだね。なっちゃんはどう?」
「うん?まだ二週間はあるだろう?この返答で察せ。」
「ちゃんとやらないとダメだよ。」
由実はレベルの高い私学に入学した。俺なんかより勉強に対する意識が違うのだろう。俺は一夜漬けだ。なんとか平均点くらいは取れるさ。ギリギリで。
「じゃあ、私、こっちだから。じゃあね。」
由実は名残惜しそうに別れを告げる。
「由実も頑張れよ。」
「うん。頑張る。」
由実は元気よく駆けていった。
「昨夜はお楽しみのようだったわね。」
急に波風が話しかける。そう言えば、波風と由実が話しているのを見たことがない。避けているのだろうか。
「そんなんじゃねえよ。」
それは波風だって分かっているだろう。
「あんないい奥さんなら寝取ってしまえばよかったのに。」
「波風。それは冗談では済まされないぞ。」
「ふん。」
俺は本気で怒っていた。
「先輩。喧嘩したんですか。」
「どうやらそのようだな。」
波風が何に気を悪くしているのかは分からないが、あの発言はひどい。それだけは絶対に許せなかった。
朝、事件は起こった。
それはぼちぼちと教室に生徒が集まり始めた頃。俺と蛭子はいつも通り、宿題の見せあいっこ。とはいえ、俺は風邪で寝込んでいたので、波風の宿題を写させてもらった。波風も俺の机の隣でその様子を見ている。
「ありがとう。波風っち。恩に着るわぁ。」
「いいえ。結構よ。犬の面倒を見るのは飼い主の責務だから。」
「波風っち面白い。」
「波風の発言を面白いと言えるお前の方が面白いよ。」
波風は俺の方を見ようとしない。そんな折だった。
「波風さん?」
俺たちを見下ろす影。お嬢様っぽくカールさせた髪。田辺さゆりだった。
「どうして私たちと仲良くお話しようとしないの。よりにもよって、真杉なんかと仲良くして。」
まるで俺が問題児のように言う。そもそも、俺とお前は会話さえしたことないじゃないか。
「どうして私があなたなんかとお話しなくちゃいけないの?」
今日の波風は機嫌が悪かった。機嫌が悪くなくとも、同じ回答をしたかもしれないところが恐ろしいところだが。その返答は田辺の逆鱗に触れたようだった。
「あなた、生意気ね。せっかく私が友達のいないあなたと仲良くしてあげようと思ったのに。とんだ恩知らずね。この田辺さゆりがよ。私がこの町の名門の家であることを知っていて?」
そう言えば、田辺の家は代々議員をやっていたと聞いたことがある。名門であるかどうかは知らないが。
「うちは赤嶺家と並ぶ名門ですの。この町で私に逆らうということはどういうことになるのか知っていて?」
「知らないわよ。」
そう答える波風は獣のようだった。誰にも従わず、歯向かったものをその牙でかみ砕くという恐ろしいまでの敵意。その敵意に田辺は少したじろいだようだった。
「こんな小さな町のお偉いさんだかなんだか知らないけど、それがなんなのかしら。私とあなたに関係あるの。私はあなたみたいに自分のものでない権力を振り回す人が嫌いなの。」
波風は追い打ちをかける。
「私はあなたが大嫌いなの。」
「聞きました?みなさん。優等生が化けの皮を剥がしましたわよ。」
ほっほっほ、と高らかに田辺は笑う。どこかの少女漫画から出てきたのか、お前は。
だが、周りの生徒は何も言わない。沈黙を破ったのは一人の女子だった。
「あなたこそ、何様なの?」
「え?」
裏切られたかのような目。その目がみるみる恐怖に染まっていく。
「俺もお前のそういう態度が気に食わなかったんだよな。家が議員やってるからって偉そうにさ。」
男子の一人がそういう。
そうよそうよ、とどこからともなく聞こえてくる。
「ど、どういうことよ。」
「波風さんはよく言ってくれたわ。別に波風さんが誰と過ごそうと別にいいじゃない。」
「な・・・」
革命の瞬間だった。
「あなたたち、私がいたから――」
「あなたがいたから何よ。いつも偉そうにしていただけじゃない。」
「・・・・・・」
田辺の体は震えている。悔しさだろうか。それとも悲しさだろうか。俺は少し気の毒になった。
「まあ、その辺に――」
俺は波風に制止される。
その後も田辺に対する弾圧は続いた。終いには田辺は自分の席に座り、顔を腕で隠してしまった。
「あなたの出る幕じゃないわ。」
波風は俺に目を合わせず、そうとだけ呟いた。
「相談への質問、どうしましょう。」
放課後、俺は高坂先輩に問いかける。
「休日考えてこなかったのか。」
「かなり忙しくて。学校のある日がまるで休日に思えてしまいます。」
俺は頭を掻きむしる。
「そう言えば、波風に対する評価はどうなっているんですか?」
「私が知るわけなかろう。地下帝国は地下に潜った。あれでは夜霧でさえ、探るのは難しい。」
「どうなんだと思う?」
「……」
波風は何も言わない。昨日までなら「知らないわよそんなもの。あなたの弱いお頭で考えなさい。」などと一言多く返してくるのだが。
「まあ、ことは妙にデリケートになりつつある。先延ばしでもいいんじゃないか。」
「そうですか。」
普段の高坂先輩ならもっと催促するのだが。
「それより、今日は相談者が来ている。」
「波風関係ですか?」
「いいや。それとは別件だ。」
高坂先輩は部室の扉を開けて、相談者を招き入れる。相談者が直々にやってくることはまれだ。
「失礼します。二年の鏃しずくと言います。」
体の小さな女子だった。
「実は相談があって。」
「お座りください。」
「はい!」
元気よく言って鏃は椅子に座る。きびきびとしていて、体育会を連想させる。
「実は、私は野球部の主将をしているのですが。」
淡々と話し始める。
「野球部って女子野球?」
「いいえ。うちには女子野球部はないです。男子だけですけど、女子が入ってはいけないわけでもないので。」
それで主将というのはなにやら訳アリのようだった。
「実は、今部員は私をいれて三人しかいないです。他は一年生で。そんな折、他校との練習試合をすることになって。」
なんだか嫌な予感。
「野球は九人でするのですが、人数が足りません。なので、お力を貸していただけないかと。」
つまり、後六人探してくれということか。
「私も頑張って試合に出てくれる人を探したのですが、誰も承諾してくれなくて。」
鏃は俯いてしまう。
「どうか、お力添えをいただけないでしょうか。」
俺は高坂先輩と波風を見る。二人とも、特に表情はない。
「高坂先輩。」
「お前に任せる。」
困ったな。
「分かりました。引き受けましょう。」
俺の口は勝手に言っていた。だって仕方がないじゃないか。泣きそうな女の子を放ってはおけないし。
「ありがとうございます。」
鏃は俺の手を強く握りしめる。顔が近い。
「高坂先輩と波風を入れて後六人か。部員じゃない人間でもいいんですよね。」
「ええ。もちろん。先方には伝えておきます。」
「ちょっと待って。」
待ったをかけたのは波風。
「私は嫌よ。なんで協力しないといけないの?」
「なんでって。」
「そもそもそれは相談じゃないでしょ。ここは相談を受ける部活でしょう?厄介ごとを引き受ける何でも屋ではないはずよ。」
波風は高坂先輩に目を向ける。
「それもそうだ。」
高坂先輩は眉一つ動かさず、いい遂げる。
「二人とも、相談者の前で・・・」
「あなたがその女を助けようと、私たちが協力する義理はないの。あなたが勝手にやりなさい。」
「それはあんまりじゃないか。」
「それが現実なの。私は協力しないわ。」
「私も同意見だ。」
目の前で困っている人がいるのに、見捨てるのか、お前らは……
「分かったよ。勝手にするよ!」
俺は意地になってそう言う。
「鏃さん。俺、野球ろくにやったことなくてさ。今からでも教えてくれると助かる。人数も俺がなんとかするから。」
なんて言ってしまっていた。
「でも・・・」
鏃は困った顔をする。
「大丈夫だから。」
俺は鏃の背中を押して、部室から出て行く。そして、俺だけが戻って波風に言う。
「そういうことだから、帰りが遅くなる。波風。ねねのこと、頼めるか。」
「あなた、自分が無責任ってこと、分かってる?」
俺は頭を下げる。そして、出て行った。
「私が入部したときは三年生しか居なくて。今年卒業されたので、三年生はもういないんです。」
野球部の部室に来て、鏃は言った。確かに、部室は閑散としている。部室には二人の男子がいた。彼らが一年生の部員なのだろう。
「今度の練習試合で出てくれることになった助っ人の真杉さんです。」
鏃は部員にそう紹介する。しかし、帰ってきた言葉はひどいものだった。
「え?練習試合するんすか?俺、もう予定入れちゃったんですけど。」
「俺もです。」
「なんで?」
鏃は驚きを隠せないようだった。
「だって、三人じゃできないじゃないですか。そもそも、勝手に練習試合入れたの、先輩ですし。」
「そうですよ。それに、この人、上手いんですか?」
「いや。全くの初心者だけど。」
「そんな人連れてきてどうするんですか。俺、負けるの嫌ですよ。そんならやらない方がいいじゃないですか。」
「そうですよ。」
鏃は肩を震わせている。俺だって怒りそうだ。
「そもそも、俺は鏃先輩に誘われて入っただけなんですから。」
「そうですよ。一発やらせてくれるのかな、と思ったら、練習ばっかり。マッサージくらいしてくれても罰は当たりませんよ。」
「お前ら・・・」
「いいんです。真杉さん。」
まあ、俺が突っかかったところで返り討ちに会うだけだっただろう。それでは余計鏃を悲しませる。
「ま、そういうことなんで、俺ら、練習試合出ませんよ。あと、帰ります。」
「待てよ。俺も帰る。」
そう言って部員たちは早々に出て行ってしまった。
「すいません。真杉さん。」
「鏃さんが悪いわけじゃない。」
「いいえ。確かに勝手に練習試合を入れたのは私です。私が悪いんです。」
確かにそうだと俺も思うけど、引き受けた以上はやるほかない。
「とにかく、俺に教えてくれ。鏃さん。」
「ありがとう。本当に。」
鏃は気を取り直して、グローブを取り出す。
「あと、私のこと、しずくって呼んでくれません?なんだか、言いにくいでしょう?私の名前。なんか物騒だし。」
「じゃあ、俺も夏彦でいいよ。しずく。」
「い、いきなり呼び捨て⁉でもいいです。なつひこにゃん。」
ああ、盛大に噛んだ。
「なっちゃんでいいよ。昔なじみはそう言うし。恥ずかしいけどお互いさまってことで。」
「分かりました。なっちゃん。」
ともかく、俺もグローブをつけて、グラウンドに出る。
「うーん。これはひどいです。なっちゃん。」
「面目ない。」
俺はキャッチボールも自由にできない有様。そもそも、十メートル先のしずくにさえ届かない。
「これは内野か、もしくはキャッチャーですね。」
「面目ない。」
ちなみに、ゴロもトンネルを抜けていく。我ながらひどい出来だ。
「しずくはどこのポジションなんだ?」
ポジションなんて専門用語を使ってみたり。
「一応、ピッチャーですかね。」
しずくの投げた球は俺の顔面にぶつかる。硬球だから、ものすんごく痛い。
「大丈夫?」
しずくは急いで俺に近寄ってくる。
「大丈夫だ。」
俺はしずくを制止し、立ち上がる。
「向かって来る球を予測して構えるんです。」
こう、としずくは自分のグローブで示す。
「うん。分かってはいるんだ。」
でも、グローブが間に合わないし、ここだと思ったところと大きく外れて球は俺の体に当たってくる。
「投げる時は、こう、肩に力を入れずに軽く。もっと体を使った方がいいですね。」
「こう、か?」
俺の球は明後日の方向に飛ぶ。まだ、俺の前方に飛んでいるだけましか。まあ、ハンドボール投げが一桁代の俺だものな。すっかり忘れていた。
しずくは俺の球を拾ってきて投げる。俺は球を予測して、体で球を受ける。
「大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫れふ。」
だが、なんとなくうまくなっている気もする。
「小学校の弟よりひどいです。」
「面目ない。」
うまくなっていると思ったのは気のせいだったようだ。
「ば、バッティングは。バッティングなら。」
「マシンがないです。あと、それほど期待してないし。」
「面目ない!」
俺は球を投げる。手首のスナップを使って、前に押し出すように。
「おお、やった。」
よろよろと球は前に進んでいき、しずくは俺の球を取る。
「これで喜ばれても面目ない。」
そういえば、と俺はしずくに問う。
「試合っていつなんだ。」
「今週の土曜です。」
「え?」
構えていたグローブにしずくの球が収まる。手が痛い。でも、そんな事態じゃなかった。
「何時から?」
「九時です。」
「昼までには終わるかな?」
「もしかして、用事が?」
俺の目にはねねの姿が浮かぶ。ねね……
俺は不安を拭い去るように、球を投げる。球は無茶苦茶な軌道を描き、しずくの遥か頭上を行く。球を拾って戻ってきたしずくが言う。
「用事があるなら、無理しなくていいです。」
しずくの球は、俺の遥か頭上を飛ぶ。しずくにしては珍しい暴投だった。俺は球を拾い、投げる。
「大丈夫だ。問題ない。」
嘘つき。
かつて約束を破った時、ねねに言われた言葉を思い出す。
『嘘つき』
「もう、暗くなってきました。今日はこのくらいで終わろう。なっちゃん。」
しずくは俺のふらふらの球を取ってそう言った。
「体、痛む?」
「平気。」
俺は笑顔で言う。全然平気じゃないけど。
「俺、頑張って助っ人集めるよ。」
「ごめん。」
「謝るなって。」
女性に対して謝られるのはなれていない。俺の周りの女なんて、一言目にお前が悪いんでしょ、だものな。
「ごめん。着替えるから。」
「ああ、すまん。」
俺は急いで部室から出る。
「なっちゃん。」
「なんだ。」
部室の扉からしずくは言う。
「ごめんね。一年の言う通り、マッサージとかしてあげれればいいけど。」
「だから、謝るなって。それにしたくないことはしなくていい。しずくは正しい。」
「なっちゃんになら――」
「しずく、一つ聞いていいか?」
「な、なに?」
「どうして練習試合なんか入れたんだ。」
きっと面と向かってでは言えない質問。でも、聞いておかないといけない質問。
「そうだよね。私、ばかだよね。」
そうしずくは悲し気に呟く。
「うち、部員少ないよね。それは去年も一緒だった。私と一緒に入った子もいたけど次々に止めちゃってね。部員数も三年生入れても試合なんてできそうもなかった。みんな諦めてた。このまま廃部になりそうな雰囲気だったの。私はそれが嫌だった。だから、今年、頑張って勧誘したんだけどね。結局二人だけ。その二人も辞めちゃいそう。そんなの嫌だったから。じっとしていられなかったから。だから、私は練習試合を入れたの。ここ何年もやってなかったから。練習試合をすれば、何か変わるかなって。でも、それも驕りだったんだよね。私なら何でもできるなんて思ってた私の驕り。」
練習試合はしずくなりに足掻いた結果だったのだ。普通、人数が足りないところと練習試合をしてくれる所は存在しない。きっと頑張ったんだろうと思う。必死で頭を下げたり、なんとかします、とできないことを言わなければならなかったり。
「大変だったんだな。」
それは俺に分かるような苦労じゃないだろう。とてつもなく頑張ったに違いない。いつ練習試合が決まったのかは分からない。だが、決まってからずっと誰かに頭を下げてきたに違いない。
「どうして、そこまで頑張るんだ?」
その時、がらりと部室の戸が開く。制服姿のしずくは、お人形みたいで可愛かった。男子部員が誘われてはいるのも仕方がない事に思えるほどに。
「一緒に帰ろっか。」
そう言って俺たちは校門に向かって歩き出した。
「どうして頑張るのか、だよね。」
校門を出た所で、しずくは話し始める。
「実は、私にもよく分かってないんだ。野球はずっと好きだった。小学校の頃は男子と一緒に走り回った。中学では野球部に入らなかったけど、それでも、時々キャッチボールはしたし、駅の近くのバッティングセンターで一日中バットを振ってたりした。野球が好きだから、と言われるとなんか違う気もするんだよね。確かに好きだけど、それだけじゃない。
きっと、私は嬉しかったんだ。高校の野球部に入って、三年生はみんな喜んでくれた。女の子なのにこんなに喜んでくれて、ここが私の居場所なんだって。だから、私は頑張れたんだと思う。自分勝手だよね。私。」
「そんなことない。立派な理由だ。俺だって似たようなものだよ。」
しずくといると不思議だ。心が開いていく。まるで、今でもキャッチボールをしているような。
「俺はずっと自分が必要ない人間だって思ってた。何の役にも立たないクズだって。でも、俺を必要としてくれる人がいたから。だから、俺は今でも生きているし、俺を必要としてくれる人のためなら頑張れるんだ。」
父さんが死んでから俺の心は空っぽだった。でも、ねねと出会って、麻怜さんと出会って、高坂先輩と出会って、そして、波風や由実、蛭子に吉田。あと、三島さんにゆきちゃん。ついでに朝露先輩と夜霧先輩。そんな大事な人のおかげで俺は俺でいられるんだ。
「なっちゃん、土曜日、用事あるんでしょ?」
しずくは立ち止まる。
「それは・・・」
俺は言いよどんでしまった。
「無理しないでいいよ。私、練習試合辞退しようかなって思ってるの。だって、なっちゃんに迷惑かけるし。」
そんなこと言わないでくれ。お前がそんなことを言ってしまったら、今日の俺の痛みも、今まで頑張ってきたしずくの努力も全て水の泡じゃないか。
「じゃあ、私、こっちだから。」
しずくは去って行こうとする。
俺は――しずくの手を握っていた。
「今からバッティングセンターに行こう。」
「え?」
「いいや、絶対に連れて行く。お前が何と言おうと無理矢理にでもつき合わせる。」
俺はしずくの手を引っ張っていた。
だって、悲しいから。そんな話を聞いた後じゃ、諦められない。しずくは俺よりももっと悲しいだろうから。だから、諦めるなんて許さない。しずく一人じゃできないのなら、俺と二人でやってやろうじゃないか。驕りだよ。そんなことは分かっている。でも、俺たちには「今」しかないんだ。ここで諦めればしずくは何もできなかったと、自分は何もできない人間なんだと思い知ってしまう。そんな俺のような思いをさせたくはない。俺は俺がそんなことは嫌だと望んでいるから無理矢理にでも連れまわす。どうも青春臭くて自分に吐き気を覚えるけど。
「ありがとう。」
ごめんなさいより、そっちのほうが嬉しい。
「確かに遅くなるとは聞いていたわ。でも、これは、保護者でもなんでもなくても看過できかねるわ。」
波風はテーブルでぐったりしている俺を冷たく見下ろす。
バッティングの結果は散々だった。一番遅い球でもバットに当てるのは難しかった。そもそも、真正面に来ない球をどうやって打つのだ。見かねたしずくは
「バントやってみる?」
と俺にバントの仕方を教えてくれた。送りバントやらなんやらあるらしいが、しずくは俺にとにかくバットに当てるように言ってきた。そして、バットには当たらない。手に何度も当たる。軟球だったのがせめてもの救いだった。
「面目ない。」
疲れ切った俺は波風にそういうのが精いっぱいだった。
しずくはバッティングセンター最速を難なく打ち返していた。だが、しずくは悔しがっていた。ホームランを打ちとれなかったからだ。それだけでも、しずくが十分に努力してきたことが見て取れる。小さな体で大きなバットを振るうのだ。憧れないわけにはいかなかった。
「遅くまで何してたのかしら。あの女と遊んでたの?」
確かに遊んでいたが、波風が言いたいことはそうではないのは分かる。
「しずくをそんな風に言うな。」
「もう下の名前で呼び合っているの?一皮剥けたようね。」
まだ剥けてねえよ。俺の息子は恥ずかしそうに皮に閉じ持ったままだ。
「早くご飯を食べて寝なさい。お風呂、沸かしてあるから。」
そう言って波風は去っていく。
俺は机の上の料理を口に運ぶ。しっかりとラップしてあった。そして、しばらく経った後、俺はふと波風の言葉に疑問を持つ。風呂を沸かしてある……?
とにかく、食べて、食器を台所に。食器はすでに洗われている。俺は自分の食器を洗おうとしたものの、疲れて意欲が湧かなかった。
明日、早く起きて洗おうと思い、水に浸す。
そして、風呂に行く。
それは奇跡の光景だった。風呂にお湯がある。それもあつあつだ。何かトラップがあるのかと思い、風呂場を見渡したが、何もなかった。とりあえず、汗を流して、湯船に浸かる。
「生き返る!」
おっさん臭いセリフだとは思いながらも、俺は心の底からそう思った。疲れた体にあったかいお湯が染み込んでいく。このまま眠ってしまいそうだ。俺は顔をひっぱたき、そんな欲望を薙ぎ払う。俺はまだ考えないといけない。あと七人。それも、勝てそうな人物が好ましかった。ここまで頑張ったのだ。勝てないと意味がない。ただ試合をして、それだけで十分なんて俺は思ってもいなかった。運動神経のよさそうな、波風と高坂先輩がダメとなると……思い浮かばない。クラスの男子に声をかけるか。でも、断られるだろうな。友達いないし。急に面識のない奴から野球しようぜ、と言われてもな。
「ああ、もう。弱気になってどうする。」
俺は勢いよく湯船から上がる。そして、風呂から出る。とにかく動くんだ。
鏃しずくについて
モデルは「ろこどる」の魚心くんの先輩。髪型的には両儀式と先輩を掛け合わせた感じ?とにかく小さいは正義だ。カップ数はD。意外とあるのです。
しずくの置かれている位置は今の私に酷似しています。部員の少ない、廃部寸前のクラブで最上回生一人で頑張っています。応援してください。頑張れます。
実は、しずくは後輩キャラで行こうかと思ってました。先輩、ちゃっす、と言わせてみたかったです。でも、ストーリー上だと一年生では都合が悪かったので急遽変更しました。次の話からタメになったり、後半ではまた別の一面を見せたりと、意外と設定性格のころころ変わる、忙しいキャラでした。




