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七月の河  作者: 六畳半
3/5

Scene.3

 空には、分厚い雲が途切れる(はし)を知らずに浮かんでいる。明るいところや暗いところなど、斑模様(まだらもよう)のように明暗(めいあん)のある雲は、梅雨時の長雨(ながあめ)とは違って、素早く西方へと流れていく。

 台風に埋められた空の下。燈野川東岸の土手に、修哉の姿があった。修哉は土曜日のように、下はジャージ、上はTャツというラフな格好で、階段に腰かけている。

 あれから修哉はこの堤防でよく郁美と会うようになった。休日は修哉が自主練を郁美と会えるような時間にずらし、平日は郁美が修哉達の部活が終わる頃合(ころあ)いを見計(みはか)らって散歩するようになった。

 カムナは完全に修哉と祐樹を覚え、祐樹がテニス部から拝借(はいしゃく)したボールを使って毎日河川敷(かせんじき)で遊んでいた。

 そして今日が四日目。今日も部活帰りに会えるのだろうと踏んでいた修哉は、堤防に郁美の姿が無くて、唖然(あぜん)とした。

 別に約束していた訳ではないので不自然な話ではないのだが、帰ってからもどうしてか落ち着かなくて、堤防に出て来てしまった。

 遠くから女子の声がした。反射的に修哉は振り向く。二高の制服を着た郁美でない女子が、携帯で電話をしている。

 それを見た修哉は、どうして郁美のアドレスなり番号なりを聞いておかなかったのだろうと後悔した。少なくとも修哉はもう郁美とは気兼(きが)ね無く話しが出来るので、何度も機会を(いっ)していたのだと思う。

 郁美の家の電話番号なら調べは着くと思ったが、さすがにそこまでする気はなれなくて、一つ溜息をつくと、修哉は立ち上がって家に帰ろうとした。

「おう兄ちゃん。最近よくイクちゃんと見掛けるなー」

 修哉を呼び止めたのは肌の浅黒(あさぐろ)初老(しょろう)男性だった。半ズボンにポロシャツ。野球帽をかぶり肩には金属バットとグローブがあった。気付けば河川敷で野球をしていた熟年者(じゅくねんしゃ)集団は練習を終えたのか、用具を片付けて帰り始めていた。

「えぇ、まあ」

 修哉は失礼の無いように適度に肯定すると。その男性はにんまり笑った。

「控えめに言わんでええ、大分仲が良いだろ。イクちゃんは俺が定年で退職した三年くらい前にはここでよう散歩しとったけど、その頃から物静(ものしず)かなお嬢さんでな、まあ話しかけてみりゃ元気な子だで、ちょっとここいらのじじい共にはアイドルだったんやで」

「そうなんですか……」

「話しとると彼氏もいないみたいで心配しとったけど、最近あんたらとよう見かけるようになってなー、仲間内でも話題になっとたわ」

 男性は嬉しそうに話す。郁美の知らない一面を垣間(かいま)見ているようで修哉はなぜかもっと話が聞きたくなった。

「何で今日は郁美、いないんですか?」

「へへ、聞かれると思ったよ。どうせ兄ちゃん、さっきイクちゃんと会えなかったから来たんだろ」

 あっさり言い当てられた修哉は恥ずかしくなって目を伏せた。

「なーに、心配はいらんよ。この時期になるとたまにこんな日があるしなー」

「この時期?」

「台風だよ。イクちゃん喘息持ちだろ? 台風が近くなると喘息は悪化するんだ、これくらい知っとかなかんぞ、一高生さんよ」

「そうだったんですか……」

 そう言いながらも、修哉は内心かなり心配していた。中学のときも、夏休み前に郁美が休みがちだったのを覚えている。学校にこれなくなるくらいということは、入院だとかそういうのではなくても、(つら)い事は確かだ。

「台風が過ぎればすぐ良くなるもんだ。それにもうイクちゃん17だから軽くなってるだろうし」

 男性は終始笑顔を崩さずに言う。修哉はどうしていいのかわからず思案顔(しあんがお)のままだった。

「そろそろ帰るな兄ちゃん、マイワイフが夜飯(よるめし)つくってまっとるでよお」

 へっへっへ、と低い声で笑うと、男性は(きびす)を返して遊歩道を帰っていく。

「待つしかないか……」

 修哉はその背中を見ながらため息を吐くように、小声で呟いた。



 犬崎市立第二高等学校の美術室には、数名の生徒が夏の展覧会に向けて、蒸し暑さに苦心(くしん)しながら絵筆(えふで)を走らせていた。その美術室を出たすぐ向かいのトイレには、手を洗う郁美の姿があった。

 蛇口を閉め、軽く咳き込むと、郁美は顔を上げた。美術室の窓からうねうねとうごめく台風が見えた。今夜にはこの地域に最接近し、明日の昼には雨が止むだろうとの予報が出ていたのを覚えている。

 郁美は手をハンカチで拭きながらトイレを出ると、そこでばったり顔見知りに会った。

「あ、志保……」

「あれ!? 郁美じゃん、何でいるの? 今日台風だよ?」

 郁美とは正反対の快活(かいかつ)そうな女子が心配げに郁美を見た。郁美は出来るだけ元気に振るまおうと笑顔になった。

「夏の展覧会へ向けてスパートに入ってまーす」

「ああ……なんか構想が決まらないって(なげ)いてたね。それで、決まった?」

「うん。あとちょっとで完成かな。今回も風景画だけどね」

「ほんとに? 見せて見せて、郁美は風景上手いもんね」

 そう言う志保を連れて郁美は美術室に入った。

 志保とは小学校からの仲だ。健康で、運動が出来て人望も厚い志保と、まったくそれに該当しない自分。小さい頃から何かと自分と志保を比べてしまうけれど、志保はそんなこと全く気にせずに、性格も部活も違う郁美を受け入れてくれる。

「これだよ」

 郁美は少し得意げにカンバスを見せた。それを見た志保は疑問符(ぎもんふ)を顔中に浮かべている。

「……郁美。毎度の事ながら綺麗だけど、これって……」

「うん、いいでしょ。我ながら結構自信作なんだよ? これ」

 郁美は笑顔で言った。志保も笑い返す。

「そっか。郁美がそう言うならこれで良いよ。じゃあ、私行くね。台風来てるし早く帰らなきゃ駄目だよ」

「うん、わかってる」

 美術室を出て行く志保を見ながら、郁美は席に着いた。カンバスに向かうその表情には嬉しさと集中力が在って、絵筆を握るその腕には力が(こも)っていた。



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