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考えるべきことと、するべきこと

 豊明高等学校は東京の郊外に位置する場所にあった。周囲には田園が延々と広がっており、登校する生徒の大半は最寄りの駅から自転車、もしくはバスを使って登校している。


 いつものように自転車で登校していた俺は、校門が見えたところでどうやら頭髪服装の検査が行われているらしい事を確認した。

 正直この段階でUターンして下校するという考えも一瞬浮かんだが、ここまで来て家に戻る労力を考えてこのまま登校をすることにした。

 校門の前では学年主任の御手洗が生徒一人ひとりの頭髪や服装などをチェックしていた。

 うちの高校は学校そのものが進学校を自称しており、そのせいだろうか校則が妙に厳格で、細かく定められていた。

 俺は、どこもおかしいことはございませんという顔で校門をくぐろうとしたのだが、くぐるまえに声をかけられた。

 「おい、片山!お前そんなふざけた金髪で許されると思っているのか」

 俺の髪の毛の色は、金色だった。当然天然ものではない。養殖ものの金髪だ。何か特別なポリシーがあってしているわけではないが、

なんとなく色を染めていた。

 「…いや、前も話したじゃないですか。これは地毛なんですよ」

 「そんなわけあるか。お前入学したころは黒髪だったろ」

 そうなのだ。御手洗は一年前に俺のクラスの担任をやっていたので、もともとの髪の色が黒色だということを当然知っている。

 「いや、ストレスで金色に変わったんですよ。白髪になっちゃう人がいるんだから金色になっちゃう人だっていたっておかしくはないでしょう」

 俺と御手洗が話しているのを横目に、大量の生徒が校門を通過していく。みんな、あぁ、あの生徒か。という目で俺たちのやりとりを一瞥している。正直目立つのは好きではないのでとりあえず早く教室へと向かいたい。

 「そんなわけあるか。ストレスで髪が金色になるなんてサイヤ人みてぇなことはあるわけねぇだろ。お前今日の放課後、職員室にこいよ。すっぽかしたらわかってるだろうな」

 御手洗はその性格とは裏腹な、黒髪の長髪を撫でつけながらそんなことを言った。以外と漫画好きなのかもしれない。

 「わかりましたよ。放課後伺います。先生美人なのにそんな風に怒ってばっかりいたら婚期のがしますよ」

 そういうと俺は足早に校門をあとにした。後ろから怒号が聞こえたけれど、聞こえなかったことにする。 

 俺が教室へ着き、ドアを開けると教室の中が一瞬静まり返ったのが分かった。その空気を無視するように教室へ入り、一番後ろの席に座る。隣に座る一之瀬がこえを掛けてきた。

 「貴方、今日も校門で御手洗先生と揉めてたわね。相変わらず仲がよろしいことで」

 「あれが仲良く見えるのなら今すぐ病院にいけよ…」

 あきれてそんなことを言った。一之瀬は掛けていた眼鏡を数センチばかり手で押し上げながら俺の方を見て、フフフと笑っている。

 「笑ってんじゃねぇよ」

 「笑ってんじゃねぇよ、ですって。またそんな事いって悪ぶったりして」

 どうにも一之瀬と話しているとかみ合わない。まるで心の内を透かされているような感覚になる。

 「そんなに言われるのがいやだったら、その似合ってない金髪やめちゃえばいいのに」

 「うるさいな。いいんだよそれは」

 そんな風にはなしているうちに教室は喧噪をとりもどしていた。どうしてこの年頃の人間が話す声というのはこんなにも耳に響くのだろうか。

 しばらく時間がたつと、教室の扉が開き担任の教師である高橋が入ってきた。高橋は今年新しく教師になったまだ22歳の若者であり、教師というよりも生徒とは友達のような関係性を保つことに長けていた。

 「みんなお早う!それじゃあホームルームを始めようか」

 とてもさわやかであり、ルックスもいい。当然女子生徒からの人気もあり、男子生徒からの信頼も厚かった。

 「なぁ一之瀬、女子ってのはやっぱりああいうさわやかな男がいいのか?」

 「そうね、少なくとも貴方のような金髪で不良風の学内に友人のほぼいない男よりかははるかにいいと思うわ」

 「後半のセリフはほとんど罵倒じゃねえか。俺はああいう男がいいのかと聞いただけで、俺が女子にどう思われているかを聞きたかったわけじゃないぞ」

 それに俺が女子からいいように思われていたら、逆にビックリする。

 「あぁ、女子から良く思われていないという事は自覚できているのね。よかった。」

 「それ以上傷口に塩を塗り込むようなことをいうな。死にたくなるだろうが」

 一之瀬はふふふと笑みを作りながら俺の目を覗き込む。こいつとは知り合って半年ほど経つがいまだに何を考えているのかよくわからない。基本的にはまじめな優等生なのだろうが、時折心の内を見透かしたような事をいい、そして俺をからかってくる。

 「おい、一之瀬と片山、仲がいいのはいいけど出席をとっているときぐらい静かにしてくれないかな」

 高橋は出席をとっていた手を止めて、俺と一之瀬を注意してきた。こんな時に例えばクラスの人気者であったり道化を演じられるような人間だったら教室に笑いが起きたりもするのだろうが、そこは俺と一之瀬だった。俺は一般的には不良と思われていたし、一之瀬は、いうならば聖域、笑いにしてもいい対象ではなかった。

 その注意に対し俺は当然反応しない。いわゆるシカトだ。一之瀬は「申訳ありません」と軽く頭を下げた。

 高橋はそんな一之瀬を見て、何か思うところでもあったのだろうか。なかったのかもしれないし、あったのかも知れなかったが、それから出席の確認を続行した。


 昼休みは基本的には教室で昼食を摂ることはない。一人で食べるのがつらいというわけではないのだが、変に悪目立ちするのも面倒なので中庭の端にあるベンチに座り、購買で買ったパンを食べるのが習慣となっていた。

 「おい、片山。お前例の金はもってきたのか」

 後ろから突然声を掛けられた。振り向くと、下品なドレッドヘアーにサングラスをかけた男と髪型をツンツンにしている太った男がいた。

 「例の金?あー…今このパン買っちゃったんで無くなっちゃいました」

 そんなことをいいながら食べかけのパンを口に詰め込む。

 「てめぇふざけてんじゃねぇぞ。ここまで言って金を払わねぇってことは覚悟が出来てるってことだろうな」

 ドレッドヘアーにサングラスをかけた男がサングラスを指先で下げながら俺をにらんでくる。

 「先輩、結構目ちっちゃいんですね。プチ整形でもしたらいいんじゃないですか?そんなダサいサングラスをする必要もなくなりますよ。」

 何かを考える前に自然に口が動いた。自分でも悪い癖だとは思っているのだが、俺は多少口が悪い。

 太った先輩が前に出るといきなり大振りの右フックを出してきた。ベンチに座っていた俺はベンチごと後ろに転がるとなんとかぎりぎりでその拳を躱す。つづいてドレッドヘアーの男が腹をめがけてサッカーボールキックをしかけてきたのでなんとか躱して立つ。そして二人の前に立った。

 うちの学校は進学校ではあるのだが、世間一般で不良といわれるような学生もごく少数だが存在する。よく漫画やドラマなどで典型的な不良と優等生が同じ高校にいたりして、お前ら本当に偏差値一緒か?などと思うことがあったのだが、それはその偏差値の中で優秀な人間、変わらない人間、そして落ちる人間が存在するという話なだけなのだ。そしてこの二人も、俺も、落ちた人間に違いはなかった。

 「おめぇ、入学したときから生意気だったんだよ。ここで一回締めてやるよ」

 おそらくこの二人はドレッドがしゃべり、脅す係、そしてデブが実戦担当なのだろう。さっきの拳もなんとか躱したが風圧で当たったらダメだということを知覚させた。

 二人一遍にかかられてはたまらないと考えた俺は、二人の立っている位置が直線上となるように大きく右にステップした。そうすることで、目の前に立つのはドレッド一人となる。そこでいきなり右の拳で腹を殴りつける、そうしてくの字になり、頭の位置が下がってきたところで膝蹴りを打ち上げた。

 そのまま前に蹴とばしデブにドレッドを抱えさせた。おそらくこの二人には、上下関係がある。そこで俺は、蹴とばされたドレッドをデブが支えない、抱え、受け止めない筈がないと考えた。おそらくこのデブは、何かしらの武道、格闘技の経験がある。何かをやっている人間に勝つには、こうするしかない。ドレッドを両手で抱えたデブの頭に、ガードのできない蹴りを打ち込む。

 デブは「うがぁ」なんて声を出しながらその場に倒れた。倒れ方的に少し心配になったが、それ以上に誰かに見られてないか心配になったので、すぐにその場を離れ、教室に戻った。

 二年に進級してからこんなことは日常茶飯事だった。進級したとたん金髪に髪を染めてきた生意気な二年生。もちろん先輩たちから目をつけられないはずがなく、俺はこんな風に喧嘩を売られたりするのも当然だと考えていたし、むしろ望んでいた気すらする。そしてそんな学生生活は俺に少しばかりの体力と喧嘩慣れ、独特の技術のようなものを身に着けたさせた。そしてそれは一般的な学生生活において、全く生きることはない。髪の色を変えたからといっていきなり誰もがかっこいいヤンキーやツッパリになれるものではないということを身をもって知った。   

 今の俺を端的に表現するならば、『金髪が悪目立ちさせている孤立ぎみの高校生』なんて風になるのだろう。

 そんなことを考えながら歩いていると合気道部の道場が見えてきた。教室に行くまでの道にはいくつかの部室棟や道場があり、練習熱心な生徒は昼休みも練習をしているようで、合気道部の部室からは練習しているであろう音や声が聞こえた。…というか知ってる声だ。

 「あいつ昼休みまで練習してんのか…」

 一之瀬が合気道で全国的な活躍をしている、というのはこの学校では有名な話だった。加えてあの見た目に勉強の方もトップときている。本来ならば俺なんかが話せるような人間ではないのかもしれない。

 なんとなしに中を見ると一組の男女がなにやら型稽古のようなことをしていた。袖をつかんで引き倒したり、手首を掴んで転ばせたりしている。合気道に関する知識はあまりないのだけれど、そこに空手のような直接打撃が無いことは知っていた。

 そして一之瀬は必至の形相だった。それはまるで、動きの決まりきった型稽古とは一線を画すような。まるで、自分より強い人間による攻撃に対して、なんとか一瞬一瞬を生き延びる為に防御に必死になっているような、そんな形相だった。

 「あいつもあんな顔するんだな…」

 なんていうのか、普段あまりそういう表情をみたことが無かったので少し驚いた。

 そしてそんな表情を引き出している、相手の男に少しばかり嫉妬する…なんてことは無かったけれど、もしこれが型稽古ではなくいわゆる試し試合、スパーリングのようなものだとしたら男女差はあれど相手の男はかなりの実力者なのだろうな、と思った。

 身長は180センチ近く、体格もいい。髪は短髪の黒髪で、その表情はどことなく禅僧のような雰囲気を感じさせた。

 そのうちに一之瀬が引き倒され、肩を極められると、小声で「参りました」と言った。

 それを確認した男は無言で一礼すると、稽古場から出て行った。一之瀬はその後もしばらくの間横たわって動かなかった。声をかけようかと一瞬迷ったけれど、迷ったあげく、声をかけた。

 「よう、お疲れさん」

 お疲れさん、お疲れさま。そんな風に声をかけるのは世間一般的な大学生みたいでなんとなく嫌だったが、それ以外になんて声をかければいいのか思いつかない。

 「………あなた、なんでいるの」

 倒れたままピクリとも動かない一之瀬は、動きのないままそんな風に返事をした。

 「たまたま通りかかったら、変な声が聞こえてきたからさ」

 「変な声って、そんな変な言い方をしないでくれる。卑猥よ」

 卑猥なつもりは一切なかった。見た目の印象とは裏腹にこいつは結構耳年増なのかもしれない。

 「やっぱ袴姿っていいな」

 「あなたは何を言っているの?」

 「その下は何か履いてるのか?」

 「あなたは何を言っているの?」

 少し卑猥なことを言ってみたが決して乗ってくることは無かった。というより同じ返答を二回された。もう少し俺との会話にコストを割いてくれよ。

 「大体貴方、いつから覗いていたの?まさか練習を始めたところからじゃないわよね。そうだとしたらホントに通報するわよ」

 「さすがにそんなことはしてねぇ。大体に十分前ぐらいからだよ」

 「………」

 ほんの少し覗いていただけだ。決して長時間覗いていたりしていたわけじゃない。

 「私は基本的に人に苦しい顔だったり、努力しているところは見せないようにしているの」

 確かに努力している所を人に見せたくないという人間はたくさんいる。昔、陸上部に所属していた頃も、速い人間ほど、見えないところで努力をしていた。

 一之瀬という人間は、そういう人間なのだろう。

 「私は基本的に斜め45度からのキメ顔しか人に見せないようにしてるの。その角度が一番かわいいの」

 「それはしらねぇ」

 自分が一番よく見える角度をこいつは知っているのか。女子の全てがそうなのではなく、コイツだけがそうなのだと思いたい。

 「それより、今度合気道の簡単な技でいいから教えてくれよ。お前、俺がちょいちょい絡まれてるの知ってるだろ」

 俺は、さっきの組手の光景を見て、組手は護身術に使えるのではないかと思った。合気道的な技がもしも使えたら、相手を必要以上に殴らなくて済むし、自分の拳を痛めなくて済む。

 「それはできないわ」

 「神聖な武道をそんなことにってやつか?」

 「それもあるけれど、そういう話ではなくて、出来ないのよ。ユーキャント、よ」

 突然の英語は、とても流暢で、さすがの俺でもこのレベルの英語を聞き取れないということはない。

 「出来ないって…。それってどういう事?」

 「あなたに限った話では無く、合気道という武道を実戦で使えるようになるまでには、貴方は高校を卒業してしまっているでしょうね…ていう話」

 俺が高校を卒業できるかどうか、という話はともかくとして、言わんとすることは理解できた。つまりは

 「合気道ってのが、そういう武道って話か」

 「そう、武道における即効性、練習を始めてから、身に着ける、そして実戦でつかえるようになるまでにかかる時間が、とてつもなく長い…という話」

 「なるほどね…」

 「すぐに使えるようになりたいのなら、合気道以外をおすすめするわ。ボクシング部なんてどう?」

 「ん…まぁ考えとくけど。あまり気はすすまないかな」

 目的は制圧であって、殲滅ではないのだから。必要以上に殴るようなことは、出来れば避けたいからこその合気道だったわけだし。

 「まぁ、貴方に武道だったり格闘技だったりはあまり似合わないから、やらんくてもいいんじゃない?」

 「じゃあ逆に聞くけど、合気道を実戦で使える人間をお前は知ってるのか?」

 「知ってるも何も、私は使えるわ」

 そう語る自身満々の表情からは全く謙遜という感情を読み取ることはできない。

 「お前、さっきは習得には何年もかかるみたいなことを言ってたじゃん」

 「それはあなたたちみたいな凡人の場合よ。私は凡人ではないし、小さいころからやっていたから」

 俺のことを凡人といったことはともかくとして、どうやら使えるというのは本当らしい。このドヤ表情で嘘をついているとしたら、それはもう狂人だろ。

 「まぁ、それはあの人もだけど」

 一之瀬がそうつぶやいたのが聞こえたが、俺の意識は昼休み終了5分前のチャイムに向いていたので、特に気にはしなかった。

 「じゃあ俺教室いくから。お前も急いだほうがいいぞ」

 俺はそう言うと、教室へ急ぐために道場に背を向けた。後ろから「予鈴を気にする不良がどこにいるのよ」と聞こえた。その通りだと、思った。

 

 そしてその後は結局いつもと何ら変わることのない午後を過ごし、御手洗から小言を言われ、適当に寄り道をして、帰宅した。

 いつもと何ら変わることのない、なんの変哲もない日常、そんな毎日が続くものだと、続いてしまうものだと思っていた。

 思ってしまっていた。


 次の日、登校すると学校が騒然としていた。

 友人といえる人間がほとんどいない、片手で足りてしまうほどに、他人との、クラスメイトとの関係性が希薄な俺ですらわかる程に騒然としていた。ざわざわとしていた。 

 そして学校がざわざわとしていたからといって、その事に対して詳しい事情を聴ける人間もほとんどいないのでそのざわざわの原因について詳しく突き止めることはできなかった。その、聞ける人間。つまりは一之瀬は珍しく登校してくるのが俺より遅く、俺が教室に着いてしばらくたっても姿を見せなかった。

 話す相手もいないので先週買った推理小説を読む。しばらくするとホームルームの時間となり、御手洗が前のドアから入ってきた。

そしてその後ろには一之瀬の姿があった。

 一瞬にして教室のそれまでの喧噪が静まり返る。そしてその反応に対し、まるで何にも気にしていないかのように、普段通りに席についた。

 その様子を横目で見る俺の視線に、一之瀬は気付いていたのだろうか。

 そこで鈍い俺も気が付いた。現在このクラス、いや学校全体において何かが起きていて、そしてざわついている。そして一之瀬は、それに関わっている。

 御手洗が教壇の前に立ち、話す。

 「いいかお前たち。今、この学校ではいろんな噂だったり話が蔓延しているかもしれない。でもな、信じんじゃねーぞ。それが嘘なのか、本当なのかを確かめることはできない。だから信じるな。白でも、黒でも関係ない。とにかく信じるな、そんで、信じろ」

 正直、噂というものの中核を掴めていない俺にとって、御手洗の話はしっくりくるものではなかった。何が白で何が黒なのか。それすらわからない。

 「以上…。じゃあ一限の準備しておけよ」

 そういうと御手洗は教室から出て行った。出て行ったと同時に、教室の空気が少しだけ弛緩する。でも、一之瀬が来る前までの空気にはならない。一之瀬を中心として何かが起きている。現在進行形で、何かが起きている。

 俺はその教室の空気に耐えられない、というわけではなかったが、教室を出て、御手洗を追いかけた。

 「御手洗先生!」

 後ろからそう声をかけると、職員室に向かって歩いていた御手洗は、足を止めた。

 「ん…どうした」

 そう言いながら振り向いた御手洗の表情は、普段の勝ち気なものではなかった。そのせいか普段よりも美人に見える。美人には見えるかもしれないが、俺は普段の方が好きだ。

 「どうしたじゃないよ。どうしたんだ、今日の学校は。どうしたんだ、今日のクラスの雰囲気は。どうしたんだ」

 今日の一之瀬は…とは言えなかった。

 言ってはいけない気がした。

 「お前、まだ知らないのか。そうか、友人の少ないお前には、そもそも情報の入手経路がないんだな」

 「そうなんだ、何がなんだか、わからない」

 御手洗は、俺の目をジッとみている。性格こそアレだが、容姿的にはかなりの美人なので少しドキリとした。

 「……お前は…ほかの連中とは違うな。決して好奇心は野次馬根性でそれを聞いているのではない。容姿とはうらはらに、性根はまっすぐだ。だから教えてやる」

 今、この学校で何が起きているか。ほかの人間は知っていて、俺が知らないこと。それを「端的に、わかりやすく教えてくれ」

 「端的に、わかりやすく教えてやる。一之瀬ゆりが援助交際をしていた可能性がある。学校一の美人で優等生のまさかの不祥事に学校全体がかつてない程に荒れているというワケさ」

 



 援助交際。

 援助交際が意味するのは、つまるところ、性的な行為の代わりにお金を援助してもらう。

 そういう用語はもちろん聞いたことはあったし、そういったことがこの世界に存在することは知っている。ただ、知っているだけだ。

 身近に援助交際をしている人間など知らなかったし、なまじ進学校な分、そういったものと自分を遠いものとして考えていたということもあるかもしれない。

 言われた瞬間はその言葉の意味を理解することが出来なかった。そして数秒たち、その言葉の意味を理解する。ただ、言葉の意味を理解しただけで、一之瀬ゆりが援助交際をしていたということは理解できなかった。

 「まぁ、まだ確定ではない。確定ではないが、写真が送られてきた」

 混乱する頭をふとももをつねることでハッキリさせながら聞く。

 「…写真?」

 「あぁ。駅前のホテルの前で、40代くらいの男と何やら話をしている所を写したものだった」

 「…それだけですか?そんなんじゃ本当に援助交際をやっていたかなんてわからないじゃないですか」

 「確かに確証はない。確証はないが、今回の問題はその写真が学内掲示板に大々的に貼られていた、ということだ」

 学内掲示板。下駄箱を通ったすぐ先に配置されている。そこには新聞部が学校新聞を張っていたり、テスト後の際には、トップ20の順位が張り出されていたりする。

 学内の情報にはまるで興味がなく、そしてテストでトップ20なんて点数をとることのない俺には、行く機会も、理由もまるでない学内掲示板。そこにその写真が貼られていた。

 「もちろん証拠はない。だが、空気がそうなってしまっている」

 「空気…………」

 「そう、人は空気で考え、動く。まるで自分の頭で考えた気になり行動する。空気にそうさせられているという事も自覚せずに。特に学校という閉鎖空間において、空気の強制力は顕著だ」

 そして御手洗は「白でも黒になるくらいにな」と言い残し、職員室へと去っていった。


 教室へと戻り一之瀬を見ると、驚くぐらい普段通りだった。いつものように澄ました顔で、いつものように綺麗な姿勢で、いつものように読書をしていた。

 いつもと違っていたのは一之瀬の周りだった。普段ならば、人気者の一之瀬の机の周りにはたくさんの女生徒が集まる。俺とは違って。それが今日の一之瀬の机の周りには、誰一人として寄り付こうとはしなかった。普段ならば、そんな状況を読書の邪魔だといわんばかりにあしらっているのだけれど、今日に限っていえば、そんな必要はない。きっと一之瀬も心おきなく読書に没頭できるだろう。

 一之瀬は俺に気が付くと顔をあげて「あら、どうしたの?そんな風に血相を変えて」と声をかけてきた。

 そんな一之瀬に対し俺はできるだけ自然な風を装って、「あ、あぁ。次のテストで赤点とったら留年だっていうからさ。そりゃ血相だって変わるだろ」と返事をした。次のテストで赤点をとったら赤点をとったら留年というのは本当だが、別にそんな事を言われても大して同様をしたりはしない。

 俺はそんまま無言で席についた。御手洗は何か事後処理でもあるのだろうか、まだ姿を現さない。教室は相変わらずいつもとは違う空気で、こんな空気なくらいなら早く授業が始まってくれないかとすら思った。ときたまとなりの一之瀬に対する視線に俺が気付いたのはきっと隣の席だからだろう。そしてそんな視線をぶつけはするが、けして話しかけることのないクラスメイトと同じように俺は一之瀬に対して普段のような軽口をたたくことなく、静かに座っていた。

 だってなんて声をかければいい。

 『お前、本当にやったのか』そんな風に声を掛けれるわけがない。どんな風に声をかけところでそれはきっとよくない結果を生むことにことになる。

 しばらくすると一限の数学を担当している小林が入ってきた。入ってくるときの小林が一之瀬に一瞥した瞬間を一体何人が気付いただろうか。少なくとも俺は気が付いたのだから、一之瀬が気付いていないはずがない。

 そうやって一限、二限、昼休み、午後の授業を受けながらも、なんとなくいつもと違う空気、そして視線を一之瀬は受けていた。それに本人が気付いていないはずはなかったけれど、本人はまるで気にするそぶりもない。

 放課後になった。今日ほどに早く放課後になってくれと祈った日はない。普段ならだるい授業を受けたくないときは早引きしてしまったりするのだけれど、今日は授業がだるかったわけではないので帰るわけにはいかなかった。逃げてもいいときとダメなときがあることぐらい、俺でも知っていた。

 この日、ほとんど席をたつことがなかった一之瀬がホームルームが終わると俺の席の前に立った。俺は当然見上げる形になったわけだがその表情からは一之瀬の表情を伺うこkとはできない。

 「あなたこの後ひま?」

 一之瀬の質問はこの後、つまりは放課後が暇かどうか、というものだった。

 基本的に二度とこないこの青春という時間を持て余しているだけの俺は、放課後にすべきことなどない。つまりは暇である。 

 「…やることがないことを暇というなら、暇だ」

 そんな話す俺たちの会話に対してクラスの人間たちは普段通り帰りの支度、部活へ行く準備をしているようにふるまっていた。振る舞っていたというのは、その実やっていたことは、俺たちの会話に対し聞き耳をたてるという行為だからである。

 「じゃあこれからデートしましょう」



 放課後。 時刻は午後五時。

 俺はなぜか一之瀬と二人で駅前の商店街を歩いていた。名前は純情通り商店街。昔から住んでいたわけではないのに、なぜだか歩くと懐かしい匂いのする、好きな街だった。ただ、男女二人でデートに使うような場所ではない、コテコテの下町である。さっきから一之瀬は一言も口を開けない。いいかげんこの空気を変えないと俺がつらい。

 「そういえばこの前の期末どうだったよ」

 なんとなくそんな事を聞いた。

 「…不良でもテストなんて気にするのね」

 お前の為に俺は話を振ったんだぞ、と思ったがその反応自体はいつもと変わらないように感じる。そもそもいったいなぜ俺を誘い、こうして歩いているのか。意図も分からなければ、目的も見えない。

 「ここで映画でも見ましょうか」

 連れてこられた先は小さな古ぼけた映画館だった。学校をさぼったときに何度か足を運んだことがる。上映する映画が全体的に古めのチョイスであり、全くの無名映画を流すことも少なくないのだが、なぜかここで映画を見るといい時の過ごし方をした気になるのだ。

 「ポタポタ映画館か」

 「そうよ。あなた来た事ある?」

 「何度かな。学校さぼったときに何度か来たよ」 

 「いや、不良アピールはいらないわ」

 中へ入ると、受付があるのでそこで一之瀬がチケットを二枚買った。今日上映される映画は古いフランス映画のようだ。

 「お前けっこう映画とか見るのか」

 「そんなに見るというわけではないけど、嫌いじゃないわ。むしろ好きね」

 「いや、ストレートに好きって言えよ」

 中へ入ると客は20人程度のようだった。そんなに大きな映画館ではないので見に来た客のほとんどが近くの席に座るような形となった。俺と一之瀬は入り口の近くの席に座った。

 「この映画おもしろいのかしら」

 「さあ。まぁでも名画座っていのは上映される映画にあたりはずれがあるもんだ。それを含めてその空間を楽しむ場所なんだよ」

 「へぇ…。意外と含蓄のあることも言えるのね」

 「意外とはよけいだよ。始まるぞ」

 ブザーがなり、ライトが消え会場全体が暗闇に包まれた。

 客が一様に画面に視線を向ける。

 俺も視線を向ける…という体で、隣にいた一之瀬を横目で見ていた。映画自体は意外と面白く、ハラハラするシーン、感動するシーン、お色気シーン…二時間あまりの映画だったがポタポタ映画館一律料金1500円を払う価値は十分にあると思わせる映画だった。

 一之瀬は、映画のシーンひとつひとつで、泣き、笑い、ハラハラし…存分に楽しんでいた。こんな風に、こんな表情が出来るのかとすら思わせた。

 「お前もあんな風に笑えるんだな」

 映画のエンドロールが終わり、客が帰り始めたところで声をかけた。一之瀬は目の淵には涙を流した跡が残っていた。

 「別に…本当にうれしかったり、悲しかったりするときは私だって笑うし泣くわよ。貴方だって泣いてたじゃない」

 「見てたのかい…」

 一之瀬を横目でみている時間こそ長かったが、当然映画を見ていなかったということはなく、クライマックスのシーンでは二人して号泣してしまっていた。

 「さて…この後どうする?」

 「夕飯を食べましょう」

 携帯をだして、時刻を見ると七時を少し過ぎていた。確かに夕飯を食べるのにはいい時間かもしれない。

 「食べるのはいいけどさ…」

 その後の言葉は続かなった。二人で放課後に出かける、映画を見る、夕飯を食べる。一之瀬が俺を誘った動機が、まるで分らない。

 「この近くにおいしい洋食屋があるのよ。そこにしましょう」

 客が俺たち以外会場から出るのを待ち、外にでた。そして一之瀬が歩くのについていくと、すぐにその洋食屋はあった。

 「ここよ」

 決して大きくはない、こじまんりとしたお店ではあったが、店内にそこそこ客がいるところをみると、どうやら繁盛はしてるらしい。

 「ふうん。結構いい雰囲気だな」

 中へ入ると奥の席へと通された。席につくと店員のおばちゃんが水とおしぼりを持ってきた。それに対し、一之瀬は即座に

 「すみません、オムライスをふたつお願いします」と注文した。

 「お前二つも食べるのか」

 「は?何を言っているの。私とあなたの分よ」

 いや、俺まだメニューすら見てないんだが…。

 「ここのお店はオムライスが一番おいしいのよ。やっぱおすすめを食べてほしいじゃない?」

 「いいけどさ…」

 そう答えながら運ばれてきた水を口へと運んだ。それからオムライスが運ばれてくるまで二人とも一言もしゃべらなかった。一之瀬は何かを考えていたのかもしれないし、何も考えていなかったのかもしれない。それは、俺にはわからなかった。

 しばらくするとオムライスが二つ運ばれてきた。割ると半熟の卵が顔だすタイプのものではない、しっかりと焼かれた昔ながらのオムライスだった。

 運ばれてきたオムライスを目の前にした一之瀬は一瞬表情が子供のようになったが、俺が見ていることに気が付くといつものようなクールな表情へと戻った。そしてスプーンを持ち、オムライスを一掬いし、口へと運ぶ。

 一之瀬はしばらく咀嚼し飲み込むと

 「やっぱりおいしいわ」

 と言った。

 俺もスプーンでオムライスを一掬いする。

 「確かにおいしいな」

 「でしょう?家でも何回もチャレンジしているんだけれど、何がいけないのかしら」

 時刻は七時半。きっとこれを食べ終わったら解散するのだろう。だから聞くなら今しかない。

 「なぁ、もういいだろ。今日俺をこれに付き合わせた理由を教えてくれよ」

 一之瀬はもぐもぐと咀嚼している。返事をしないのは、きっと口の中に何かを入れたまま話してはいけないと教育を受けてきたのだろう。 

 ごくん。と飲み込むとゆっくりと口を開いた。

 「今日、男の子から呼び出されたわ」

 「呼び出されたって…………告白とかってことか」

 そりゃこれだけ整った容姿……可愛さだったっらそれはまるで珍しいことではないだろう。いままでだって何回も聞いたことがある。それを受け入れたという話を聞いたことはなかったが。

 「まぁ、それ自体はよくあることなのよ。私、やっぱりモテるじゃない」

 「そうかもしれないが、自分でそう言っている人間に相対すると肯定するのは憚られるな……」

 「なんて告白されたと思う?」

 「なんて……普通に付き合って下さいとかじゃないのか?」

 いままでの人生で、誰かに告白なんてしたことはない。告白をしようとすら考えたことはない。それはきっと恋をするに値する女の子に会ったことがないとかではなくて、俺自身が抱える精神性の問題なんだろうけど。

 「その男の子は言ったわ」

 「『俺にもヤらしてくれよ』ってね」



 『俺にもヤらしてくれよ』

 言葉の意味を理解は出来る。理解は出来るが、納得は出来ない。というよりしたくない。

 黙っている俺に、一之瀬は続けた。

 「この言葉が表す意味は……二つあるわ。そのまま言葉通りの意味が一つ。私とヤりたかった、そのままの意味が一つ。もう一つは…私があんな男にそんな事を言われるような、そんな対象として、あの学校で認知されたってことね」

 そう、学校という閉鎖された空間において、そういう風に思われてしまう、というのはそうであるのとほぼ同義だ。

 たとえ事実がどうであったとしても、そんな些細なことはちっとも関係がない。

 「ちょっとそういう噂が流れてしまうだけでそんな風に思われてしまうのよ」

 俺は、まだ何も言う事が出来なかった。

 「私ってそんなに簡単な女に見えるのかしら」

 簡単な女になんて、見えない。見えるはずがない。むしろ難しい女としか思えない。うちの母親と同じくらい難しい女。

 頭の中では、そんな風に言葉を繰り返すのだが、口からは出てこない。もしも今日のデート、二人で遊ぶというイベントの意味が、俺がどう思っているのか、を見極める為だとしたら。そうだとしたら、俺に一体何が言える。

 俺は黙ってオムライスを口へと運び続けた。

 おいしい。おいしいのは分かるが、味は分からない。ただ、おいしいものを食べているということだけは認識できた。

 10分もすると二人とも食べ終わり、会計を済ませた。デートなら本来は男が全額だすべきなのかも知れなかったが、きっちり割り勘だった。

 店をでると、あたりはすっかり暗くなっていた。

 「じゃあ、ここで解散しましょう」

 俺は、なんて反応をすればいいのかわからなかった。わからなかったので「あぁ」と、返事をした。

 一之瀬はその場でくるりと振り向くと「じゃあ、また」と言い俺の家がある方向とは逆の方向へと歩き出した。

 俺がその時に一之瀬に対し何かを言うことが出来なかったのは、声をかけてやる事が出来なかったのは、決して同情やそんな類いの気持ちがあったからではない。

 去り際に一之瀬が言った言葉。

 「あなたも、そうなのね」という言葉。

 それを聞いた俺の身体は、まるで見えない何かに縛られたかの如く、そこから一歩だって動くことが出来なくなってしまったのだ。

 


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