990 トリスメギストスの城
撤退するハガネ将国を見送ったフランたちは、再び大陸中央を目指して歩を進めていた。
襲撃を警戒して、その歩みは非常に遅い。だが、恐れていた抗魔や竜人の姿は現れず、拍子抜けするほどあっさりと目的地の目の前へと迫っていた。
第二部隊の生き残りは、トリスメギストスの居城を見て唖然としている。近づくにつれて段々とざわつき始めていたのだが、目の前にすると言葉も出ないようだ。
動じていないのは、イザリオくらいだろう。
「あれ、なに?」
フランでさえも、ポカーン状態だ。その声には、感嘆と共に畏怖の色も感じられる。
フランが見ただけで畏れを抱いてしまうほどに、その光景は異様であった。
小高い丘を覆い尽くすように建つ、巨大な城。丘の上に建っているというよりは、城に丘も組み込んだ。まさにそんな感じである。
第一城壁は、丘をぐるりと取り囲んでいるようだ。全長は1km、2kmは優に超えているだろう。
かつてはゴルディシア大陸を統べていた竜人族の元王城に相応しい、巨大さと威容を誇っていた。
幾重にも存在する高く厚い城壁に、無駄とも思える無数の尖塔。屋根は全てが青く、壁は全てが白い。窓枠などは黄金だろうか?
壮麗な巨城は、驚くほどその美しさを保っていた。この城に住むのはトリスメギストスのみであり、何百年もの間手入れをされていないはずである。
それなのに、壁などには汚れひとつない。状態保存の魔術でも掛けられているのであろうか?
ただ、フランや冒険者たちが驚いたのは、城の綺麗さにではなかった。
その城のほぼ中央。いわゆる本丸と言われるような最も大きな部分。そこから、奇妙なものが生えていたのだ。
遠目からは少し変わった形の城に見えていたが、実際はそうではなかった。近づいてみるとよく分かったが、それは城の屋根を突き破って生える、巨大な樹のようなナニかであったのである。
灰色のゴツゴツとした表面や、上部が枝分かれしている様子も、やはり樹木っぽい。ただ、葉はなく、天に向かって伸びる枝も途中から半透明になっていた。
そして、最終的には空に溶けるように、完全に消えてしまっている。だから遠目ではなかなか確認できなかったのだろう。
イザリオやフレデリックが落ち着いているのは、あの状態を事前に分かっていたからだ。つまり、昨日今日起きた異変ではない。
「あの城が、トリスメギストスの住処にして、深淵喰らいが生み出される大元となった場所。そして、あのデカい木みてぇのが、深淵喰らいそのものだ」
「! あの木?」
「ああ。城の地下には深淵喰らいの核があってよ。あの大木もどきが、そっから伸びてる肉体なのさ。途中で消えているように見えるのは、半霊体化しているからだ」
実は城に近づくほど、抗魔の気配を感じることができなくなっていた。近くにいるような気もすれば、どこにもいない気もする。探っても正確な居場所は分からないのに、常に抗魔に監視されているような気がしてしまうのだ。
何が起きているのか不安だったのだが、深淵喰らいの核の発する気配が周囲を覆い尽くしていたせいなのだろう。
「この辺で抗魔に襲われると、事前に察知できん。皆、今まで以上に注意しろ。いきなり間近に抗魔が湧き出すこともあるからな」
「わかった」
この大陸で過ごしていると忘れがちだが、今俺たちがいるこの場所も、実は深淵喰らいの中である。
半霊体化という特殊な存在となっているため、目に見えず、その存在を感じ取ることも難しいのだ。
ただ、触れることも難しいが、向こうからの干渉がないわけではない。それが抗魔だ。深淵喰らいは自身の内で抗魔を生み出し、あらゆるものを喰らい尽くすのである。
その大元が、あの灰色の巨樹モドキであり、その根元にある核であるらしい。本体とも呼べる存在の近くであれば、生み出される抗魔も多いのだろう。今は近くに見えないが、油断はできない。
しかし、核なんてものがあるなら、それを破壊すれば深淵喰らいを倒せるんじゃないのか?
フランも同じことを考えたらしい。
「核つぶさない?」
「潰せねーのさ。神剣の最大出力でも耐えやがる上に、すぐに再生しちまうんだとよ」
なんと、過去には3人もの神剣使いが核を直接破壊するために協力し、失敗したという。
「たしか。アルファ、クリスタロス、エルドラドだったかね? 俺もトリスメギストスから軽く聞いただけなんで、詳しくは分からんがな」
「それでも倒せなかった?」
「らしいぜ」
イグニスにベルセルクにガイア。今まで何度か、目の前で神剣の力が振るわれる瞬間を見た。悔しいが、どれも神剣と呼ばれるに相応しい力を持っていたのだ。
それと同格の神剣が3本協力して、破壊できない? そりゃあ、とんでもないな。
「そろそろいくぞ。何故か抗魔どもの姿がないのは気がかりだがな……。普段なら、ここいらは抗魔がウジャウジャ群れているはずだ」
やはり、何者かによって抗魔が操られているのだろう。
結局、戦闘どころか妨害のようなものさえ一切なく、第二部隊は城の建つ丘の麓まで辿り着いていた。
目の前の巨大な門を潜れば、そこはもう城内と言って差し支えがないだろう。警戒しつつも丘へと足を踏み入れた瞬間、明らかに空気が変わったのが分かった。
一瞬の柔らかな風。まるで、清浄な森の中を吹き抜ける微風でも浴びているかのような、場違いな爽やかさが感じられた。
浄化機能のようなものを持った、結界を通り抜けたらしい。その直後、イザリオの真後ろにいたフランと数人の冒険者が、硬直するように足を止めてしまった。
まだ結界を越えていない後続の冒険者たちが、不思議そうな顔だ。
だが、気持ちは分かる。俺も似た状況だからだ。
「こ、れ……深淵喰らい?」
「そうだ。大丈夫だ。この辺りで、向こうから襲ってくることはない。何故か城内では抗魔は湧かないからねぇ」
丘を囲んでいた結界は、深淵喰らいの影響を押し込めるためのものだろう。押し潰されるような凄まじい存在感が、俺たちを包み込んでいた。
イザリオ曰く、城内では何故か抗魔が湧かないらしい。
「……本当は皆が慣れるまで、休憩するつもりだったんだがな。出迎えられちまったら、突っ立ってるわけにはいかねぇよな」
「出迎え?」
『フラン。城の入り口だ』
深淵喰らいの気配が強すぎて、察知能力が働かないらしい。フランも気づけていなかった。だが、俺とイザリオは、その人影に気づいている。
金髪の、美しい竜人の男だ。城の門前に、悠然と立っている。
「自らお出ましかい。トリスメギストス」
「!」
『あいつが、トリスメギストス!』




