988 わかれ
マツユキを見送ったフランは、しばらくジッとマツユキとアジサイを見つめていた。
そして、ようやく場の雰囲気が動き始めた頃に、瞳の端に溜まった涙をぬぐい、視線を落とす。
その視線の先には、鞘に入れられてアジサイの脇に置かれたベルセルクがあった。
ベルセルクが力を失ったように思え、気になったのだろう。
あの強烈な純白の魔力を放っていたとは思えないほどの、漆黒の鞘。その内に納められたベルセルクも、使い手と一緒に眠りについたかのように静かだ。
フランの視線に気づいたのだろう。アジサイが軽く鞘に触れた。
「……」
「……」
しばらく見つめあう二人。だが、フランはベルセルクについても、鞘についても、一切触れなかった。
シキミへと視線を向け、ハガネ将国の今後の動きを尋ねる。
「シキミたちは、この後どうするの?」
「義務は果たしました。戦力も万全とは言えず、これ以上は足手まといになるでしょう。我らはここで引き返します」
「そう」
フランがコクリと頷く。少しだけホッとした表情をしているように思えるのは、気のせいではないはずだ。
アジサイまでベルセルクを使う事態になってしまうことを、怖れているのだろう。
フランの目は、再びベルセルクを見た。しかし、すぐにその視線を外す。
そんなフランの様子が、気になったようだ。アジサイがこちらを見上げていた。
「黒雷姫」
「なに?」
「何故聞かないの?」
「……別に、聞かなくていい」
「なんで? 普通は、聞いてくるのに」
アジサイとフランの間で、不思議な会話が交わされる。主語のない、静かな会話だ。
「わかんない」
「そう。でも、そういうこともある」
「ん? そう?」
「ええ」
「ありがとう」
「別にいいわ」
テンポも内容も、不思議である。正直、会話が成立しているかどうかわからないし、聞いている俺もシキミたちも、会話の意味は正確には理解できていない。
それなのに、フランとアジサイは明らかに通じ合っていた。
なんだろう、この感じ。変わった感性の持ち主同士、分かり合えるのかね? ただ、俺にも理解できた部分もあるぞ?
フランは、鞘のことなどは聞かないことにしたらしい。
まあ、国家機密だろうし、教えてはくれないだろう。だったら、下手に悪印象を与えるよりは、話題にしない方が無難なのかもしれない。
フランはそこまで考えていないだろうけどね。本人にも、自分がなぜ質問をしないのか、分かっていないようだ。
多分、マツユキを悼む気持ちと、アジサイを慮る気持ちが合わさったのだろう。
その間に、イザリオたちが伝令に連れられて戻ってくる。
彼は即座に状況を理解したのだろう。フランの頭をポンポンと撫でながら、マツユキの亡骸に対して頭を下げた。
「マツユキの嬢ちゃん、おかげで助かったぜ。ありがとうな」
その後ろにいる冒険者たちも、同様だ。イザリオから話を聞いていたのかもしれない。
「シキミさんよ、ハガネはここまでだな?」
「……そうですね。そうしたいところです。少し休憩しながら、相談させてください」
「了解だ」
「アジサイは馬車へ戻っていなさい。マツユキの事を頼みます」
「わかった。フラン、ばいばい」
「ん。ばいばい」
背を向けたアジサイと、彼女に抱きかかえられたマツユキの姿が馬車の中へ消えるまで、フランは手を振り続けた。
その後ろでは、イザリオがシキミと話し合っている。
「あんたらは、自力でここから町まで戻れるか?」
「無論」
イザリオの言葉に、即座に頷くシキミ。既に部隊も半壊状態で、ベルセルクも使えるかどうかわからない。
それなのに、なぜそこまで自信満々なんだ? こちらを心配させないように、強がっているのか?
数秒間シキミを見つめていたイザリオが、肩を落とすように力を抜くと、首を軽く振って呟く。
「……あんたらのその考え方、好きにはなれんが、尊敬はするぜ」
「月下美人のためです」
「できれば、生き残った爺さんたちには無駄死にせずに、無事に町へと戻ってもらいたいところなんだがな」
「我らにとって、アジサイとベルセルクの無事に勝ることはないのですよ。そのための犠牲は、無駄ではありません」
ため息のように息を吐くイザリオ。シキミにとって、アジサイたちが町に辿り着けるかどうかだけが重要であり、自分や兵士たちの犠牲は考慮にすらあたいしないようだった。
イザリオもそれが分かるからこそ、複雑な想いがあるのだろう。
イザリオは老人たちのことも心配しているが、本人たちが自分を殺している。そこに、部外者である彼が口を挟む余地はないのだ。
結局、ここで部隊を分けることにした。ハガネ将国とともに、もう戦えない冒険者や騎士を退避させるのだ。
いつ敵が現れるか分からない場所だ。部隊の撤収は迅速であった。決定から10分もせずに、移動が始まる。
その最後尾を見送りながら、フランが手を挙げる。その先にいるのは、馬車の天窓からこちらを見つめるアジサイだ。
アジサイは無表情ながら、どこか申し訳なさそうに見える。自分たちだけ逃げることを、気に病んでいるのかもしれない。
それに対するフランの目には、アジサイに対する気遣いの色が強かった。姉のようなマツユキと、同国の兵士たちを失った彼女を気遣っているのだ。
言葉はない。しかし、少女たちは視線を絡め合い、何かを通じあわせていた。
「……ばいばい」




