987 ベルセルクの使い手の最期
『ひぇぇぇ……』
「逃げといてよかったぜ」
「ん」
「オ、オン……」
やや離れた場所で背を向けたまま硬直する抗魔竜人たちに対して、マツユキがベルセルクを振り下ろす。
すると、神剣を包み込む漆黒の魔力が大量に溢れ出し、津波のような勢いで大地を覆い尽くしていった。抗魔竜人を呑み込もうと、広範囲に押し寄せる。
俺たちも逃げなくてはマズいかと思ったが、黒い津波は400メートルほどで動きを止めていた。
ただ、戦場に留まっていたら、巻き込まれていただろう。マツユキに理性が残っているならば加減してくれた可能性もあるが、ベルセルクの開放が精神にどのような影響をもたらしているかも分からない。ハガネ将国の部隊は避けているが、冒険者たちまで外した攻撃をしてくれるかは不明なのだ。
「抗魔竜人の気配、ない」
「おう。俺も感じねぇ。呑み込まれれば最期の範囲攻撃かよ。恐ろしいもんだ……」
音のない黒い津波が引いた後、そこには生きているモノは存在していなかった。
命を奪われたのは抗魔竜人だけではない。まばらに生えていた草も木も、微かに感じられていた小さな虫の気配も、全てが消え去っていたのだ。
やはりベルセルクを開放したマツユキは、即死系の能力を発現させているのだろう。いや、巨人型との戦いを見るに、即死とまではいかないな。
それに、球型抗魔竜人の爆発も相殺して、衝撃を防いでいた。
どんな存在であろうが、力を殺す。そんなスキルの範疇に収まらない力なのかもしれん。
「マツユキ!」
固唾を呑んで戦場を見つめていたフランが、悲痛な叫び声を上げる。
『あ! フラン! ウルシ、冒険者たちを頼む!』
「オン!」
地面に倒れ伏すマツユキを見つけたフランが、思わず駆け出していた。アジサイの時もそうだったが、ろくに話したこともないはずなのに妙に気にかけているのだ。
銀の女から月下美人の事情を聴き、思うところがあったらしい。フランに、憐れんでいるつもりはないだろう。ただ、何か感じられずにはいられないのだ。
すでに、ベルセルクの凶悪な魔力は感じられない。開放前よりも、その力が減じているようだった。
神剣開放したことで、ベルセルクの力も消耗したのか? だとしたら、短期間での連続使用はできないかもしれない。
まあ、ベルセルクを連続で使用するような事態、そうそうないだろうが。
フランがマツユキの下へと辿り着いた時、すでにアジサイが彼女を抱き起こしていた。周囲は老兵たちの生き残りが固めている。
相変わらず感情を表に出さずに、無表情で月下美人を護衛しているように見えた。
だがよく見ると、老人たちの目が赤い。嗚咽を押し殺していたり、槍を握る手が微かに震えている者もいる。
鞘の話を聞いて、嫌な想像をしていた。
鞘が力を発揮するのは、ある程度ハガネ将国の兵士たちに被害が出てから。つまり、老人たちを生贄にしているのではないか。
月下美人の事を考えれば、ハガネ将国は人を使い潰すような真似を躊躇わないように思える。あり得ないことではない。
だが、マツユキの死を悼んでいる老人たちの様子からは、生贄にされているような裏事情は想像できない。以前の戦闘でも思ったが、この老人たちからは、自らの意思で戦っている者特有の強さが感じられるのだ。
場の雰囲気が重苦しい。
「マツユキ」
「黒雷姫さんね? 巻き込まれなくてよかったわ」
大丈夫なのかとは聞かない。もう、マツユキの命の灯火が消えようとしているのは、誰の目にも明らかだったからだ。
息を乱している様子もないのに、肌や髪からは艶が失われ、目の下には隈ができている。ただただ、生命力が失われていっていた。
自分が彼女の最期の時間を奪うわけにはいかない。そう思ったのだろう。
「ありがとう」
フランは一言お礼を言って、深々と頭を下げた。
「……いいのよ、皆のついでだから」
「でも、ありがと」
「うちの国の人以外にお礼を言ってもらえるなんて思ってなかったから、とても嬉しいわ」
「ん」
「アジサイ」
「なに?」
「死ぬのって、意外と悪くなかったわ……。お姉さまたちが、笑いながら逝った理由。今ならわかる……」
既に見えているかどうかも怪しいその目を、老兵たちに向けるマツユキ。彼女には、自分のための涙をこらえる、老人たちの姿が映っているのだろうか?
「マツユキ。おやすみなさい」
「ふふ……お休み。いい夢、見れそうよ……」
妹であるアジサイに髪を撫でられながら、マツユキはゆっくりと瞼を閉じる。そして、フランたちを救ってくれた神剣使いの少女は、安らかな顔で永の眠りに就いたのであった。
「冒険者の黒雷姫。なんで泣いているの?」
「……分かんない」
「そう」
「アジサイ、だいじょぶ?」
「へいき。これが私たちの使命だから。それに、幸せそうに眠ってる。だからへいき」
アジサイが言う通り、マツユキは眠っているようだった。だが、彼女の目が開くことはもう二度とないのだ。
マツユキのお陰で助かった。それこそ、命を救われたと言っても過言ではないほどだろう。フランだけではなく、冒険者たち全員の恩人だった。彼女が倒した抗魔竜人たちは、それほどの戦力だったのだ。
『ありがとうございました』




