986 ベルセルクと鞘
ようやく足を止めたフランたちは、低い丘の上から戦場を見つめていた。
まあ、ハッキリと見えているのはフランやイザリオだけで、それ以外では遠見系のスキルを持った数人だけだが。
フランとイザリオは疲労困憊の冒険者たちから少し離れ、並んで立っている。
「マツユキ、暴走してない?」
「オン」
白い長髪と黒いロングスカートを翻し、左手を地面に突きながら前傾姿勢で跳ね回るマツユキ。
その姿は、まるで獣のようだ。左手で地面を掴むことで、普通の人間では難しい急制動を可能としているのだろう。
その腕力は凄まじいらしく、超高速で突進したかと思うと、左腕だけで自身の体を跳ね上げて直角に曲がったりもしている。人間離れした動きだ。
だが、その瞳にはまだしっかりとした意思が残っているように思えた。
「あの鞘の効果だ」
「鞘?」
「ああ。以前もそうだった」
この大陸で長く戦うイザリオは、過去にも何度かベルセルクが開放される場面を見たことがあるそうだ。
「ハガネ将国は、ベルセルクの使用に厳密な制限を設けているらしい。奴らはどんな時でも、その制限に従って動いてるんだ」
ハガネ将国は常に老兵士を1000人ほど連れてきており、その被害が一定数に達した際にのみベルセルクが開放可能となるらしい。
前回見た時も、老兵士たちの数が半減し、その直後にベルセルクが開放されたそうだ。
イザリオの見立てでは、普段ベルセルクを封印しているのがあの鞘であり、白い魔力が発されるのが開放可能の合図であるらしい。
「しかも、鞘の能力はベルセルクを封印しとくだけじゃねぇ、と思う」
「マツユキが暴走してないのが、もう1つの効果?」
「多分な」
今も、抗魔竜人に囲まれないように立ち回りつつ、1体を斬り捨てている。遠目でなくては視認できないほどの超高速戦の中で、あれほど的確に動けているのは理性が残っているからとしか思えない。
目を凝らして見ると、鞘からマツユキ、ベルセルク双方へと魔力が流れ込んでいた。ただの封印具というだけではないのだろう。
いや、ベルセルクの力を抑えるという点では、同じ方向性なのか?
イザリオの推測では、鞘が白い魔力を放っている間はベルセルクの使用者が理性を保っていられるらしい。
「だが、ずっとってわけじゃない。最大で2分くらいだろうな」
「2分……短い。それ過ぎたら?」
「そりゃあ、ベルセルクに呑まれて、暴れ出すさ。前にも無理し過ぎて暴走を始めた奴がいた。確か、他国の兵団を壊滅させちまったはずだ」
暴走せずにベルセルクを操る方法があるのかと思ったが、そこまで甘い話ではなかった。
「……マツユキの嬢ちゃんの能力は、単体必殺系か? ここまで逃げる必要なかったかもしれんなぁ」
「どういうこと?」
「ベルセルクっていうのは、使用者でその能力が大分変わるらしい。一番最初に見たやつは、超広範囲を攻撃する能力だった。戦場にいた抗魔数万体を、あっという間に石化させてたぜ。味方ごと巻き込んでな」
その次に見たベルセルクの使い手は斬った相手を爆発させ、その次に見た使用者は氷雪系の能力を使っていたそうだ。
使う者によって千差万別の能力を発現する。それがベルセルクの力だった。
イザリオが急いで逃走を指示したのも、マツユキの能力が判明していなかったからだろう。広範囲無差別殺傷系の能力だった場合を考えて、距離を取ったのだ。
鞘のお陰で理性が残っているとしても、能力の抑えが利くかまでは分からんからな。
「あの抗魔か竜人か分からん奴ら。あれを一撃で倒すのは、俺でも難しい。理屈は分からんが、1体1体確実に葬るような能力なんだろうよ。ベルセルクのポテンシャルを、そこに集中させてるんだ」
「なるほど」
だから単体必殺系か。大群を相手にするには向かないが、少数相手なら、ベルセルクの身体能力と合わせて、無敵に近い能力かもしれん。今の状況では非常に頼もしい力と言えた。
「また倒した!」
「オンオン!」
ベルセルクから放たれた魔力が抗魔竜人を包むと、力を失って倒れ込む。やはり、一撃一殺であった。
「やはり、1発で必ず倒してるか。すげぇな。敵には回したくない力だ」
俺もだよ。あの鞘に感謝だぜ。
「あの鞘って、なに? ベルセルクの一部?」
それは俺も思った。ベルセルクの話を聞く際に、ほとんどその話を聞いたことがなかったのだ。もっと有名でもいいんじゃないか?
「分からん。だが、元々ベルセルクと一緒に生み出されたもんじゃねぇと思う」
「そうなの?」
「どう考えても、鞘の方が格が落ちる。ベルセルクと対となるように作られたのなら、もっと効果が強いだろう」
それは確かに。それに、神剣のコンセプトにも合わない気がする。
ベルセルクって、死なば諸共って感じで、使用者や周囲の事なんて考えていない気がするんだよな。使用者の理性を保つための鞘なんて、似合わない気がする。
もしかしたら、ベルセルクを制御するために後の世で作られたものなのかもしれない。いつの時代でも、神剣であるベルセルクを安全に使用する方法というのは研究されてきただろうし、そのための魔道具が存在していてもおかしくはなかった。
「……また倒した。凄い」
「オフ……」
「ああ、1対1じゃ、俺もヤバいかもしれん」
ここまでで既に、6体の抗魔竜人が倒れている。崩れ落ちた抗魔竜人はピクリとも動かず、再生することもなく消滅し始めていた。
「あ! 逃げた!」
「オン!」
「ちげぇ! こっちを狙ってやがるんだ!」
マツユキには勝てないと理解したのか、抗魔竜人はマツユキに背を見せ、こちらに向かってこようとしていた。
手近な老兵士たちへと襲い掛からないのは、イザリオを目指しているからだろう。どう考えても、神剣を狙っている。
あっという間にマツユキとの距離が開く。動かないのは、どいつから狙うか迷っているからか? 確かに、マツユキの能力は単体を確実に殺すためのものだ。4体を同時には――。
「うおおおおおおぉぉぉぁぁぁぁぁぁっ!」
「「「!」」」
マツユキが轟かせた咆哮を聞いた抗魔竜人が、体をビクリと震わせて硬直してしまう。
恐怖心どころか個の自我すらないはずの抗魔。自爆攻撃をあっさりと行なったことからも、抗魔竜人たちは同じ性質を受け継いでいるはずだ。
だが、どう見ても怯えているようにしか見えなかった。本来怯えることがないはずの存在ですら、恐怖させるほどの存在感があるということなのだろうか?
震えたまま動けない抗魔を冷たい瞳で見つめながら、マツユキがゆっくりとベルセルクを振り上げる。
そして、死刑宣告の言葉を呟いた。
「死になさい」




