946 イザリオが戦う理由
ハガネ将国の老兵たちが命懸けで抗魔を殲滅しようとも、奴らは後から後から湧いて出てくる。
俺たちが酒場に戻って1時間後。
町の警戒が解け始めた頃合いである。酒場に飛び込んできた斥候の叫びで、だいたいの事情を察することができた。ブルトーリに、三度抗魔が近づいているようだ。
話を聞いたイザリオが、ダルそうな雰囲気を隠そうともせずに酒場の椅子からゆっくりと立ち上がる。
「いくの?」
「仕方ないさ。今回は仕事するつもりなかったんだけどなぁ」
イザリオのダメおやじ発言に、フランが首を傾げる。
「どういうこと?」
「規模からいって、第3波があるとは思ってなかったんだよ。まあ、予測が絶対に当たるわけじゃないけど……。今回の抗魔の季節、妙に奴らの数が多い気がするのさ」
相手があることだし、動きや数を完璧に予測するのは難しいだろう。それでも、長年この大陸で戦い続けてきた、ランクS冒険者の勘である。
本当に、今回はいつもと違うのかもしれない。とはいえ、今は撃退が先決だ。
「1人でいく?」
「おじさんのことを心配してくれて――るわけじゃなさそうだよねぇ? そんな戦いたいって顔をされても、連れてはいけないよ」
「なんで?」
「おじさんも、仕事をせにゃいかんのよ。神剣を持った冒険者が1人で抗魔を蹴散らす姿を色んな人に見せないと、偉い人に怒られちゃうからさぁ」
「1人で戦うのが、仕事?」
「その通り。この大陸の人たちに、神剣を持った奴がいるんだぞってことを、見せてやらなきゃいけないのさ」
多くの者が訪れ、去っていくゴルディシア大陸。有名人や凄まじい強者たちが――それこそ、神剣の所持者や有名な冒険者、王族までもが戦いを求めてやってくる。だが、彼らはこの地に骨を埋めることはない。
娯楽も平穏も名誉もないゴルディシアに、長々と居座り続ける理由がないからだ。ずっといるのは、他の大陸にいられなくなった犯罪者や問題児だけである。
それが、永遠に闘争が続く死の大陸、ゴルディシアの宿命だ。
しかし、そんな大陸で生きている人々がいる。常に抗魔の脅威に晒されながらも、様々な理由でこの大陸でしか生きられない人々がいる。
そんな逃げ場のない民たちに、どれだけの人間がこの大陸を見捨てようとも、イザリオ1人さえいてくれれば問題ない。そんな希望を見せ、見捨てられていないのだということを知らせることが、彼に求められる役割なのだろう。
「じゃ、ちょいといってくるよ。ああ、見ててもいいけど、近づかないようにね? 神剣使うからさ。火傷しちゃっても、知らないよ?」
イザリオはそれだけ言って、ダラケた足取りで去っていった。
「神剣、使うって」
『忠告していくってことは、かなり広範囲を巻き込むようなタイプなのかもな』
「見に行く!」
『そうだな。でも、近づきすぎんようにな』
「ん」
ただ、イザリオを追う前に、最低限の仕事はしておかないといけない。抗魔が撃退されたと思って気を緩めていた冒険者たちを呼び、再び警戒をするように指示を出したのだ。
イザリオが出たのだから大丈夫だろうと、不満げな表情の冒険者たちが何人もいた。正直、気持ちは分かる。
俺だって、イザリオが抗魔を討ち漏らすとは思えないのだ。抗魔がこの町まで到達する可能性はほぼないだろう。
だがね、派遣された冒険者たちに求められていることは、まじめに働く姿を見せることだ。冒険者ギルドも仕事をしてますよーとアピールすることが、真の仕事なのである。
待機中ならともかく、戦闘中に酒場で飲んだくれている姿を晒すわけにはいかなかった。
酔いで顔を赤くした状態で不満を漏らす冒険者たちに対し、ディギンズが一歩前に出た。制裁を加えるつもりなのだろう。だが、ここは引き締めの意味も込めて、フラン自身が担当することにした。
やることは、スキルとウルシで威圧するだけなんだけどね。
「グルルルル」
「……ん」
唸るウルシを背後に従え、無言で威圧を発動するフラン。ただ、ちょっと強くない?
「ひぃ!」
「……っ!」
威圧された者だけではなく、周囲にいた冒険者たちまで声も出せずに腰を抜かしかけているぞ?
どうやら、早くイザリオを追いたくて、ちょっとだけイライラしていたらしい。それが威圧にも出てしまったんだろう。引き締めにはなったから、別にいいけどさ。
途端に従順になった冒険者たちをディギンズとウルシに任せて、フランはブルトーリから飛び出した。
「戦い、始まる!」
『ああ! だが、まだイグニスを開放してないな!』
抗魔の先遣部隊と、イザリオがちょうど突き当たったところである。
イザリオの手には、特徴的な深紅の剣が握られていた。あれが炎剣・イグニスだろう。
燃え盛る炎の形状を模したかのように、左右に波打った刃に、天を向くような鋭い小刃がいくつもあしらわれている。フランベルジュってやつだ。
まだ、神剣開放には至っていないらしい。魔力を流されたことでイグニスが眩いばかりの存在感を放ってはいるが、その力は恐れ慄くというほどではないのだ。
まあ、離れているからってのもあるだろうが。
そんな神剣を握ったイザリオが、ゆっくりとした足取りのまま、抗魔と戦い始める。だが、それは不思議な光景であった。
「イザリオ、あまり反撃しない?」
『ああ。受けてばっかりだな』
受け、流し、止め、回避。そういった技術を巧みに使い、敵の攻撃をひたすら防御し続けている。時折カウンターを放つが、その頻度は多くなかった。
次第に敵の数が増え続け、周り全てを囲まれてしまう。だが、それでもイザリオは防御し続けていた。
何がしたいのか? 集めて一網打尽にする? 俺たちが悩んでいると、ようやく戦場に変化が訪れる。
突如、イザリオの周囲にいた抗魔たちが崩れ落ち、消滅したのだ。何かされた様子はない。本当に唐突であった。
「なにかした?」
『……分からん』
想像していたのとは全く違う。静かで、未知の戦い方であった。




