890 プレアールの叫び
ソフィを先頭に冒険者ギルドへ飛び込むと、そこではすでに騒ぎが起きていた。
地下道の情報が、もう伝わっていたのだ。
治療院が裏で闇奴隷商人と繋がっているなどという情報、簡単には信じられないのだろう。
しかし、複数の仲間が持ち帰った情報だ。信憑性はある。
そこで、信じる派と信じない派に分かれて、言い争いが発生していた。中には掴み合いになりかけているところもある。
そこに、聖女であるソフィが現れたのだ。治療院の人間であるソフィに話を聞きたい冒険者たちにより、あっという間に取り囲まれていた。
ただ、誰も口を開かない。
治療院の幹部であるソフィに、治療院の犯罪行為を問い質そうというのだ。あなたは犯罪者なんですかって聞くのと同義である。
しかし、沈黙に耐えきれなくなったのか、1人の冒険者が意を決した顔で口を開いた。
「聖女様! う、噂は本当なんですか……?」
その言葉を皮切りに、周囲の冒険者たちも次々に質問を投げかける。
「捕らえてきた竜人を、闇奴隷にしようとしていたって……」
「自分たちだけ、秘密の逃げ道を持っているって!」
「治療院が、本当にそんなことを?」
その顔には、否定してほしいという想いが浮かんでいるようだった。
だが、ソフィの答えは、彼らが望むものではない。
「治療院全体が悪事を働いているわけではありません。ですが、医長フィルリアがガズオルさんを捕らえていたのは本当です」
「な……!」
「それに、私もフィルリアに監禁されそうになりました」
ソフィの説明を聞いた冒険者たちは、一斉に黙りこくっていた。聖女自身が肯定したことで、本当だと理解してしまったからだろう。
何を言えばいいのか、分からなくなってしまったのだ。
最初は、本当のことを言わない方がいいかとも思った。だが、フィルリアへの尋問は、かなり多くの人間に聞かれている。
遅かれ早かれ、冒険者ギルドにも情報が届くだろう。だったら本当のことを先に明かし、冒険者たちに少しでも信用してもらう方がましだった。
静寂に包まれた冒険者ギルド。だが、その直後には凄まじい喧騒に包まれていた。
「い、医長に裏の顔があったっていうのか?」
「気づかなかった!」
「そ、そんな……。フィルリアちゃんが……」
ただ信頼していた者だけではなく、普通にフィルリアに好意を抱いていた者もいたらしい。仲間に慰められている。
そんな、騒がしさを取り戻したギルド内に、老人の胴間声が響き渡った。
「てめぇらっ! この忙しい時に何してやがるっ! 不確かな情報に踊らされるんじゃねぇ!」
「ギ、ギルマス! で、でもよう!」
「今は抗魔を警戒しなきゃなんねぇんだ! それ以外は些事よ! いいから、準備に戻りやがれ!」
奥の部屋から姿を現したプレアールが、冒険者たちをギロリと睨みつける。もともとボサボサの髪が、より乱れている。
ただでさえ不気味な迫力を持っていたプレアールが、より威圧感を増していた。
プレアールは冒険者たちを解散させると、憎々し気な目でフランたちを睨む。
「こい」
顎でクイッと奥を指し示すと、フランたちの返事も待たずに奥の部屋へと歩いていってしまった。
どう見ても、相当な怒りを押し殺している。
とりあえずプレアールに付いて、部屋へ入るフランたち。プレアールは椅子に腰かけるように促すこともせず、こちらに背を向けたままである。
テーブルの上に置かれた拳が、震えているように見えるのは勘違いではないだろう。
その状態で、ギルドマスターが叫ぶ。
「余計なことをしてくれたなっ!」
振り返ったその顔は、怒りと焦燥で歪み切っていた。目は血走り、とてもではないが正気には見えない。
ソフィはやや気圧されたようだが、フランはいつも通りの調子で聞き返す。
「余計なこと?」
「冒険者たちを混乱させるような情報を広めるな! この危急の時に、不和の種をばら撒きおって! 貴様らのせいで、冒険者たちが安心して戦えぬだろうが!」
「騒ぎを起こしたことは謝ります。ですが、フィルリアの暴走は放置できませんでした」
「知るかっ! 俺にとっちゃ、この都市の変わらぬ存続が最優先だ!」
「でも、フィルリアがガズオルを捕まえて、闇奴隷にしようとしてた! 他にも、変な実験してた!」
「それがどうした! 下らん正義感を振りかざして、この都市を危険にさらすな!」
プレアールの叫びに、フランが顔をしかめる。うるさいというだけではない。下らないという部分が引っかかったのだろう。
「フィルリアは、ガズオルを闇奴隷にしようとしてた。他にも被害者がいるはず」
フランにとってはクローン実験よりも、闇奴隷商との繋がりの方が重要だった。許されぬことだと、怒りに燃えている。
しかし、プレアールには届かない。
「もう一度言うぞ? それがどうした? 医長の影響力を考えれば、あの力はこの都市に必要不可欠だった! 多少の悪事など、目を瞑っておけ! それが、都市を守ることになる!」
「多少の悪事?」
「闇奴隷などどこにでもおるわ! いちいち文句を言っておっては、この都市では生きていけぬ!」
プレアールが殺気交じりに叫ぶが、フランはそれ以上の殺気と大声で、プレアールに怒鳴り返していた。
「闇奴隷商人は、許されない! どんな理由があっても! 絶対に!」
「な、ならばどうするというのだっ! 闇奴隷に関わる者たちを一人一人探し出して裁くなどという、非現実的なことを言うつもりか!」
「ん! 必要なら、やる。全員探して、潰す」
「……なぜ、そこまで闇奴隷商人を敵視する? 黒猫族だからか? 同族を守るためなのか?」
「それもある」
「結構なことだな! だが、同族なんぞ、最後は何もしてくれはせんぞ? いずれ分かる。同族だ何だと言ったところで、所詮は他人だからなっ!」
詳しく聞かずとも、プレアールが過去に同族に裏切られたということは分かった。フランが睨み返すと、プレアールが溜め息交じりに語る。
「数十年前。儂は、獣人国に居た」
羊獣人の多く住む町を拠点に、ランクB冒険者として声望を集めていたらしい。
そんなある日、スタンピードが発生する。冒険者を率いて防衛戦に参加したプレアールだったが、小さな町は防衛には不向きだった。
結局、プレアールは町外への退避を決断したのだが、多くの冒険者が彼の言葉に従わなかった。血の気が多い獣人たちは、撤退を受け入れられなかったのだ。
混乱のまま戦力を分散した形になってしまい、双方の部隊に大きな被害が出てしまう。そして、その責任をプレアールが被ることになってしまったらしい。
命令を無視して突撃した獣人たちからは腰抜けと言われ、撤退した部隊の獣人たちからは作戦をミスしたとなじられた。
「儂の命令に従っておれば、被害は最小限に抑えられたのだ! それを、なぜ儂が馬鹿どもの暴走の責任を負わねばならん!」
結局、プレアールは獣人国に居づらくなり、この大陸に流れてきたらしい。
「同族たちも、儂を庇ってはくれなんだ……。いや、最も激しく儂を糾弾したのが、奴らだった。同族の面汚しとな! どうすればよかったというのだ!」
長々と自身の過去を喋り終えたプレアールが、目の前の椅子にドカリと腰を落とした。その姿は、まさに哀れという言葉がよく似合う。この爺さんも、苦労したのだろう。
「貴様もいずれ、裏切られるぞ」
そのしゃがれた声の奥底には、「裏切られてしまえ!」という昏い願望が込められている気がした。
「お前さんには、まだ分からんのだ。悪いことは言わん。下らん同族意識は捨てろ。闇奴隷商人を狩ったところで、誰も心から感謝などせん。あれは、必要悪だ。闇奴隷も、必要な犠牲だ。救われた黒猫族たちも表面上は喜ぶだろうが、上辺だけよ。すぐに忘れるだろう」
プレアールの粘着質な声が、フランにまとわりつく。まるで、フランの心を折ろうとしているかのようだ。
いや、実際にそうなのだろう。フランの心を折って、自分の言うことを聞きやすくしたいのだ。この都市の防衛戦力とするために。
そう考えると、先程までの狂態や哀れな態度。昏い目に忠告するような言葉も、全て演技なのではないかと思えてきた。
だとすれば、その言葉がフランに届かないのは当然だ。フランにとっては、的外れな言葉を垂れ流す、変な老人にしか見えていないのだろう。
フランが、プレアールを見つめた。その視線に気圧され、プレアールの瞳が揺れる。そして、次の言葉を聞き、息を呑むのが分かった。
「……私は、闇奴隷だった」
「……!」




