871 聖女の居場所
聖騎士の言葉に、ソフィが俯く。
それを見た患者や兵士たちの顔に、寂しさと悲しみの表情が浮かぶのが分かった。ソフィが、聖騎士の言葉に心を動かされていると思ったのだろう。
普通に考えたら、悪い話ではない。世界有数の大国が、僻地の自称聖女を正式に認めて国に招くと言っているわけだし。
だが、地位や名誉、権力に興味がない者からすれば、大きなお世話なのである。フランがそのタイプだし、ソフィもそのタイプであるようだった。
スッと顔を上げると、毅然とした表情で聖騎士の目を見つめ返す。
「私は、聖国へは行きません」
「はぁ? いや、何を言っておられるのですか? 聖なる国たる、シラードに仕えることができるのですよ?」
一瞬、苛立った様子が見て取れた。その顔には、明らかにソフィを見下す色がある。聖騎士である自分が持ってきてやったありがたい話を、無下にする馬鹿な少女。そう思っているのだろう。
しかし、何を言っているというのはこっちのセリフである。
「お誘いはありがたいですが。ここが私のいる場所です。あなたが言う通り、他の国では賞金がかけられているような人もいるし、元々奴隷だった人もいます。でも、そんな人たちにこそ、私の曲を聞いてもらいたい。そんな人たちだからこそ、私は癒したい。だから、行きません」
黙っていた短い時間で、色々と考えていたのだろう。そして、自分の本当の気持ちが、理解できたようだ。
部屋でフランに自分の話をしている時のような不安定さは欠片もなく、その顔には強い決意が浮かんでいた。
しかし、ソフィの真摯な言葉も、聖騎士の腐った耳には届かない。
「あなたはご自分の価値を分かっておられない。いいですか? 超広範囲の人間を同時に癒すような能力、本当の聖女でしか持ちえない。そのお力があれば、我が国の戦力がどれほど上昇することか! このような場所に埋もれることは、大きな損失ですぞ!」
「……私を使って、戦争をするのですか?」
「聖女が最も必要なのは、戦場ではないですか。あなたの力を有効に活用すれば、憎き将国を下すことさえ可能かもしれない! 正に聖務! 正に偉業ですぞ! あなたの名前は正義の執行者として、歴史に残るでしょう!」
こいつヤバいな。聖国シラード全体がこうなのか? 敵国への侵略に聖女を利用するだけでも酷いのに、それを正義の執行と言い切りやがった。
入り口で固まって通行の邪魔になっている他の聖騎士たちも、特に驚いた様子はない。少なくともこいつらは、リーダーと同じ思想の持ち主であるのだろう。
この部屋で怒りを浮かべていないのは、聖騎士5人だけである。他の人間たちは、全員が聖騎士に対して怒気を向けていた。
人々が怒る理由が分かっていないのか、聖騎士たちは戸惑いつつ身構えている。いつ人々が暴発してもおかしくない雰囲気なのだ。
そんな中、俺は不思議な魔力の動きを捉えていた。
この部屋の地下から、微かな魔力の動きが感じられたのだ。そのわずかな魔力が、塔の中央を支える巨大な柱の中を移動し、上へと昇っていく。
この速度、覚えがあった。ソフィの部屋へ向かう時に乗った、魔動エレベーターだ。つまり、フランが背にしている巨柱の中に、エレベーターが通っている?
魔力が隠蔽されているようで、気を抜くと魔力を見失いそうだった。俺も、聖騎士たち相手に気を張っているからこそ、僅かに漏れ出す魔力に気づけたのである。
これは、本格的に地下を調べないとな。
一番簡単なのは、魔術で地面に穴をあけて地下に直接乗り込むことだろう。町で地下道の存在を感じ取った時にも、迷ったのだ。
しかし、監視結界などの存在を知ってしまったせいで、目立つ真似は怖かった。どこでフランの存在を知られるか、分からなかったのである。
だが、すでにフランのことはフィルリアに知られてしまっていた。敵対するしないの段階は通り越している。
ならば、多少無理やりな手段も視野に入れるべきだろう。
俺が地下とエレベーターに気を取られている間にも、ソフィは何度も断りの言葉を口にしていた。
自分はここに居たい。ここから離れたくない。ここにいる人たちの役に立ちたい。どれだけ言葉を重ねても、聖騎士はそれを理解しようとはしなかった。
最初からソフィを便利な回復道具程度にしか見ていないので、その言葉を理解するつもりがないのだ。
自分の身勝手さを棚に上げて、聖騎士がイライラし始めているのが分かった。こいつら、いざという時は力ずくで攫っていくつもりじゃないか? 入り口の聖騎士たちが、明らかに部屋の中の人間の品定めを始めた。
治療院側の戦闘力がどの程度なのか、探っているのだろう。
頭に血が上っているソフィはそのことに気づかず、さらに強い言葉で否定した。
「聖国にはいきません。こちらの言葉を聞こうともせず、私の大事な人たちを否定するような国、信用できませんから!」
「な……! 無礼な!」
「無礼なのはそちらでしょう! 何様のつもりなのですか!」
「我が国を侮辱したな? 紛い物の聖女ごときがぁ!」
聖騎士が一瞬で本性を現した。煽り耐性がゼロだったらしい。国にいる時は、太鼓持ちしか周りにいなかったのかね?
「それがあなたの本音ですか?」
「うるさい! ベラベラと下らんことを宣いおって! この私が、貴様を本物の聖女にしてやると言っているのだ! 貴様は黙って私と一緒にくればよい! これ以上、こちらの申し出を拒否するのであれば、力ずくで連れていく!」
完全に化けの皮が剥がれた。
聖騎士はまるで人さらいのような表情で、人さらいのようなセリフを口にする。事前に決めてあった合図という訳ではないだろうが、聖騎士たちが武器に手をかけるのが分かった。
マズい。ここで戦闘になったら、患者さんに被害が出る!
俺は聖騎士たちを迎撃するために、咄嗟に魔力を練り上げた。壁を作って分断して、雷鳴魔術で無効化すればいいか?
しかし、聖騎士たちが武器を抜くことも、俺が魔術を放つこともなかった。
「聖女様に失礼なこと言うな!」
フロアにいた1人の少年がそう叫び、手に持っていた杖を投げつけたのだ。ヒョロヒョロと飛んだ杖は、聖騎士のリーダーにあっさりと払い落とされる。
「このクソガキィ! 無礼な――」
「その小僧の言う通りだ! 無礼なのはてめーらだろ!」
「そうだそうだ! 何が聖騎士だ!」
「嫌がってる女性を無理やり連れていこうとするなんて、最低!」
「消えろ!」
「帰れ!」
少年の一発が呼び水となり、フロアにいた人間全員が、手近にあった物を投げ始めた。小物だけではなく、植木鉢や、護身用の武器なども飛んでいく。
いくら聖騎士とはいえ、これだけ大量にものを投げつけられては、回避することができない。魔術を使って防ごうとしたが、それは俺が妨害してやったのだ。
結果、聖騎士たちは手をかざして、飛んでくる物を防ぐしかなかった。
「く、や、やめろ!」
「うるせー!」
「帰れー!」
「俺たちの聖女様から離れろ!」
そんな騒ぎが続く中、フロアに大きな声が響き渡る。
「これは何の騒ぎなのですかっ! おやめなさい!」
息せき切って塔の奥から現れた金髪の女性が、叫んだのだ。すると、ピタリと暴動が治まっていた。威厳やカリスマが仕事をしたという訳ではない。
女性が自らの声に乗せて、鎮静の魔術のようなものを使ったのだ。
誰だ? 塔の人間だとは思うが……。誰か分からず観察していると、ソフィの呟きが聞こえた。
「フィルリア」
なんとこの美女こそ、俺たちの目下の敵である、医長フィルリアであった。




