824 微かな可能性
本日、誤って2話更新してしまいましたので、前話を読んでいない方はそちらからご覧ください。
「……ぁ……」
フランは膝立ちのまま、呆然自失だ。
ゲートが閉じても、声を上げることすらできない。
だが、すぐに何が起きたのか理解したのだろう。
「うあああああああああああああああ!」
慟哭し、自らの頭を掻き毟った。皮膚が削れ、血が溢れ出す。いつもならすぐに再生させるんだが、剣神化の反動のせいで傷の治りが阻害されていた。
頭部から流れ落ちる血が額から頬を伝い、まるで血涙を流しているようにも見える。
その悲痛な咆哮には、自らを責める気持ちと、抗魔に対する憎悪が籠っているようだった。
「フラン! フラン!」
「ああああああああああああああ――」
「みんな! フランを守って!」
「おう!」
ヒルトが肩をゆすっても、フランの叫びは止まらない。それで、何が起きたのか理解したのだろう。
ヒルトが痛まし気な顔で、フランを背に庇うように立ちはだかった。その目が睨むのは、こちらに押し寄せる抗魔の群れだ。
ようやく、俺にも周囲を見回す余裕ができた。
赤い竜たちの姿はなかった。犠牲もなく、倒すことに成功したようだ。仲間の数は減っていない。それは本当によかった。ただ、誰もが満身創痍である。
特にヤーギルエールとディギンズは、かなり消耗しているようだ。
よく見ると、防具が半壊してしまっている。あれだけ壊れたということは、相当なダメージを受けたはずだろう。
傷は治っているものの、消耗した体力や血液までは戻っていないはずだった。
それでも1人で勝利したというのだから、2人は俺の想像以上に強かったらしい。
「守護こそが騎士の本懐!」
「黒雷姫さんを、これ以上傷付けさせねーぞ!」
「ぼ、僕だって頑張りますよ!」
ボロボロのヤーギルエールやディギンズに、すでに体力の限界が近くなっているはずのフォボス君まで、皆がフランのために闘志を漲らせている。
その気持ちだけでも、有り難過ぎて涙が出てくるね。
しかし、フランには彼らの気遣いに気付ける余裕などなかった。
「ぅぅううああぁぁぁぁぁぁ!」
未だに哭き続けている。
だが、それで抗魔たちが待ってくれるはずもない。むしろ、周囲の抗魔が一気に押し寄せていた。
フランが現れたことで――というよりは、指揮官である捻じれ角が倒されたことで、抗魔たちの統率が失われたのだろう。
食欲のままに、餌に向かって突っ込んでくる。
「吹き飛びなさい! デミトリス流武技・旋撃波ぁ!」
「竜人の意地を見せてやろう!」
ヒルトたちの範囲攻撃で抗魔たちが吹き飛ぶ。だが、頑張っているのは彼女たちだけではない。
「その攻撃は通さん!」
「助かったぜ! ぶっ飛べ抗魔野郎!」
「はっはぁ! トドメだ!」
名前を聞いていない騎士や冒険者たちも、連携しながら必死に抗っている。出発の時にはぎこちなかったその関係も、死線を潜り抜ける間に絆が生まれたのだろう。
騎士が受け止め、魔術師が崩し、戦士が止めを刺す。騎士と冒険者と傭兵が力を合わせ、抗魔を倒していた。
ヒルトやチェルシーに比べたら、強いとは言えない。主力と呼べるほどの力もない。
しかし、彼らの力がなければ、この部隊は瓦解しているだろう。1人1人が限界以上の力を出し切って戦っているからこそ、持ちこたえている。
全員が必要不可欠なのだ。主力ではないかもしれないが、脇役ではない。ここにいる全員が主役だった。
「嬢ちゃんを守れ!」
「騎士団長に続け!」
「黒雷姫さんが立ち直る時間くらい、稼いでみせらぁ!」
本当に、気持ちの良い奴らだ。そんな仲間たちのためにも、サッサと逃げなくてはマズいだろう。
フランを俺が担いで、飛ぶしかないか? いや、もう俺にはその力も……。
「……神奏・勇ましき者の悔恨」
俺が何とかフランを逃す術がないかと悩んでいると、不意にソフィの演奏が始まった。今までにない、激しい曲だ。
しかも、そこに込められた魔力と言ったら、極大魔術レベルを遥かに超えていた。
ソフィがハープを爪弾く度に魔力が煌き、彼女を包む魔力が密度を増していく。
青く光りながら演奏をするその姿は、戦場であるとは思えないほどに神々しかった。
10秒ほど見惚れた直後、俺は自分の異変に気付く。
明らかに魔力が回復していた。それだけではない。耐久値もだ。
「……ソフィ」
「落ち着いたかしら?」
彼女のこの曲には、精神を落ち着かせる効果もあるらしい。フランがいつの間にか泣き止み、涙で腫れた目で傍らのソフィを見上げていた。
「ソフィが、治してくれた?」
「魂のあるべき姿に戻しただけよ。まあ、結果として癒す効果もあるけど」
状態異常を治す能力に近いのか? ただ、神属性による後遺症なども消し去れることから、さらに数段上の修復力を持っているようだが。
これなら、逃げることができる。
『フラ――うぉ!』
「!」
俺が逃走を提案しようとした、その直前だった。少し離れた場所で、凄まじい魔力が迸るのが分かった。
荒々しい、獣のような魔力だ。
『今の凄まじい魔力は……』
「ナディア?」
フランも瞬時に振り返り、力の感じられた方角を向く。
再び同じように、膨大な魔力が発せられた。この波長は間違いない。抗魔と化したナディアの魔力だ。
「おばちゃん……。まだ……」
『ああ。生きている』
「戦ってる!」
フランの目に光が戻った。ナディアが生きて、まだ戦っている。
それなら、救える可能性がある。そう考えたのだろう。
だが、ナディアが生きているとしてもその心は――。
「ソフィの今の音楽。あれで、おばちゃんの体治せない?」
『な、なるほど!』
ソフィは。魂のあるべき姿に戻したと言っていたな? だったら、オーバーグロウスによる侵蝕も?
「……私はその姿を見ていないから、やってみないと分からない。でも、可能性はあるかもしれない」
ソフィの言葉を聞いた瞬間、フランの顔に完全に力が戻った。
(師匠)
『待て。気持ちは分かるが……』
ナディアの下に行きたい気持ちは俺にもある。しかし、多少回復したとはいえ、まだ消耗していることは間違いない。
それに、仲間たちだって限界が近いはずだ。一度みんなを撤退させ、俺たちだけで向かう方がいいんじゃないか?
『……? なんか、揺れたか?』
今の俺は、地面に突き刺さった状態だ。そんな俺の刀身が、微かな振動を感知していた。ドスンドスンドスンと、大地が規則的に揺れている。
しかも、振動が段々と大きくなっているようだった。何かがこちらに近づいている? 気配を探ってみるが、何も反応がない。そんなことがあるか?
だが、すぐにその振動が何によってもたらされた物なのか、判明した。
突然、1000人を超える軍勢が、カステルの近くに出現したのだ。まるで転移でもして現れたかのようであった。
だが、さっきの振動は彼らが進軍する際の足音だろう。転移ではない。多分、軍勢全体を隠蔽する能力か道具があるのだと思われた。
抗魔ではない。むしろ、見知った相手だ。
「ふはははは! スノラビット軍、ただいま参陣!」
戦場の隅々まで轟く大音声をあげたのは、ドワーフの女王オーファルヴであった。




