801 ナディアの事情
サプライズを終えたフランは、満足げにお茶を飲んでいる。その横で、俺は知りたかったことを尋ねてみることにした。
『フランのご両親は、どうしてカステルにいたんだ? ノクタや港を拠点に活動したって、よかったはずだ』
常に抗魔に怯えていなくてはならないカステルは、フランを育てるのには適していない。
それなのに、どうして過酷なカステルで子育てをしていたのだろうか?
「それか……。ゴルディシア大陸にきたのは、武者修行のためだって言ってたよ。で、最初はお前さんの言う通り、ノクタで仕事をしていたって話だ」
『それなのに、どうしてカステルに?』
「奴隷狩りから逃げてきたらしい」
「奴隷狩り」
フランが目を細めて呟く。
「ああ。青猫族が黒猫族を目の敵にしているからね。他の大陸を追われた青猫族が、ゴルディシアに集まってきてるらしい」
獣王に追われた青猫族が、犯罪者でも受け入れるというこの大陸に逃げてきているようだった。そのせいで、この大陸にいる黒猫族にとっては、より奴隷狩りが激しくなっているのかもしれない。
それに、黒猫族を逆恨みする青猫族が増えれば、当然黒猫族が狙われることも増える。
「黒猫族だってばれると危険なのさ。あたしが髪を染めているのも、黒猫族だと一見してばれないためだ」
『その髪、染めてるのか?』
「ああ。元はフランと同じ黒髪さね」
青猫族と対面すれば簡単にバレるが、遠目からなら黒猫族とは分からない。少しでも、種族がバレるリスクを減らしているのだろう。
「この大陸だと、過去を消したい元犯罪者たちのために、その手の薬品がそれなりに出回っているんだ」
「おばちゃん、本当にその髪の毛だと思ってた」
「フランはこの色しか見たことがなかったか」
「ん」
カステルを拠点にし始めたここ10年ほどは、髪色を染めて生活しているらしい。
『フランたちは染めなかったのか?』
「お父さんもお母さんも黒かった」
「あー、まあ、髪色を染める薬は多少値が張るからな」
超高額ではないが、その日暮らしの平民が買うには躊躇する程度の金額だそうだ。
ナディアほどの戦士が、そこまでしないといけないとは……。どれだけ奴隷狩りが激しいんだろうか。
『だったら、大陸の外に逃げなかったのはなんでだ? 青猫族から逃げるなら、それが一番いいだろ?』
「さてね。渡航費用の問題もあっただろうが、それ以上に意地もあったんじゃないかね」
『意地?』
「黒猫族にとって? 青猫族っていうのは不倶戴天の敵さね。そいつらに追われて逃げ出すってことが、悔しかったんだと思う」
「……なるほど」
ナディアの言葉を聞いたフランが、大きく頷いていた。どうやら両親の気持ちが分かるらしい。さすが親子だな。
「青猫族から逃げ出すくらいなら、死んだ方がまし」
結局、青猫族が元凶か。フランもそう思ったのだろう。漏らした呟きに、強い熱がこもっている。
「キナンたちもそこまでの意地は張ってなかったと思うが……。意地を通したことで、逃げ損なったっていうのはあるだろうねぇ」
青猫族なんかに負けたくない。フランの両親はその想いから、ゴルディシア大陸を出ることはしなかったのだろう。
そうしてカステルまで流れてきて、ひっそりと暮らしていたが、最後は抗魔の季節に巻き込まれてしまった。
カステルでは3年ほど暮らしたそうだ。
「ねぇ。今度はおばちゃんの話を聞かせて」
「とは言ってもね。フランほどの派手な話はないんだよ」
ナディアはそうぼやきながら、自分の身に起きたことを語り出す。
「あの時……。村が抗魔に壊滅させられた日、あたしはノクタにいた」
ナディアはカステルに居を構えつつ、時おりノクタなどに出稼ぎに行っていたそうだ。
抗魔が急激に増え続けているという話を聞き、カステルへと戻ろうと考えたが、彼女は長期の護衛依頼を受けてしまったばかりであった。
ノクタの有力者から回された依頼であるため、断ることも難しい。しかも、依頼が終了した後もノクタが抗魔の群れに囲まれてしまったため、カステルには戻ることができなかった。
『ノクタで活動してて、青猫族は平気なのか?』
「なんとかね。髪を染めているし、冒険者仲間と一緒だから1人で行動することも少ない。それに、これでも当時からランクB冒険者だったんだ。顔もそこそこ広かったし、青猫族にとっては狙いにくい獲物だったんだろうよ」
ナディアが髪を染めているのは、カステルに黒猫族がいるという情報が広まって、青猫族が寄ってこないようにするためだ。他の村民に迷惑をかけたくなかったのだろう。
ノクタのような人目が多い都市にいる場合は、むしろ黒猫族だとばれても問題なかったらしい。
「ノクタの防衛戦に参加して、ようやく町を出た時には1週間以上たっていたのさ……」
結局、彼女がカステルへ戻った時には、すでに村は滅んでしまった後であったという。
「生き残りは、肝心な時に間に合わなかった間抜けなあたしと、要領のいい行商人だけだった」
「行商人?」
「違法村を巡っている行商人さ。村人の手紙なんかを受け取り、ギルドから各地へ送るような仕事なんかも請け負っていたね」
ナディアはその行商人から、詳しく話を聞いたそうだ。
そして、1ヶ月も前に村は滅んでおり、生き残りはいないと教えられたらしい。
「あたしゃ、村の守護者だなんだと偉そうに言っておいて、大事なところに間に合わなかった役立たずさね」
自嘲するような表情で呟くナディア。
「それ以来、ここで墓守さ」
『墓守? この村のお墓を守ってるってことか?』
「ああ。もう二度と、この村を抗魔の好きにはさせない……絶対に」
ナディアが決意の言葉を口にするが、そこに前向きな雰囲気はなかった。自嘲と後悔に満ちた、後ろ向きな決意である。
フランの心配そうな視線に気づいたのだろう。誤魔化すように笑ってみせる。
「……おっと、変なことを言っちまったね。そうそう。その時生き残った商人が、まだノクタで商売をしていると思うよ。暇があったら行ってみるといい。喜ぶはずさ」
「喜ぶ? お父さんとお母さんの友達だったの?」
「いや……。フランを助けられなかったことを、ずっと悔やんでいたんだよ」
その行商人――ムルサニは、村が滅ぶ直前までこの村にいたそうだ。抗魔の季節に巻き込まれたカステルに、ポーションなど物資を届ける為である。
無事に物資を受け渡し、村から脱出しようとしたムルサニは、フランの両親から手紙とギルドカード、そして――子供を託される。
手紙は他の大陸にいる恩人宛。ギルドカードを渡したのは、自分たちがここで死ぬと悟っていたからだ。
危険な任務の前にギルドにカードを預け、生き残ればカードを引き取りに行く。冒険者の中では比較的知られている、生死の伝達方法である。
そんな2人が、愛する娘の生存を願わないはずがなかった。
ムルサニに、フランのことを託していたのだ。
しかし、彼はフランを救い出すことができなかった。想像以上に抗魔の侵攻が早く、フランが隠れているはずの家に辿り着けなかったのだ。
自身の命とフランの命を天秤にかけ、ムルサニは前者を選んだ。
「だが、あいつを恨まないでやっておくれ。戦士でもないあの男が、村に物資を届けに来たことでさえ命がけだったんだよ……」
「ん。分かってる。仕方ない」
俺だって、ムルサニって人の行動は無理もないと思う。戦闘力が低い商人なのだ。抗魔の群れをかき分けてフランを助けに行くことなんて、できなかっただろう。
まあ、この大陸の行商人だから、ある程度の戦闘力はあるだろうけどね。
逃げ延びたムルサニはフランの両親のギルドカードと手紙をギルドに預け、その1か月後にナディアと再会したというわけだった。
『手紙か……』
「アマンダ宛?」
『多分な』
「アマンダ? キナンとフラメアが、定期的に手紙を送っていた相手だね」
『フランの両親の育ての親だ。そんでもって、墓を作った人でもある』
「あの墓か! そうなんだよ。いつの間にか作られていてねぇ。ムルサニでもないっていうし、誰なのか気になっていたんだよ」
どうやら、手紙を受け取ってすぐにやってきたアマンダは、ナディアとはすれ違いになってしまったらしかった。
『そうだ。それで、アマンダがご両親のお墓に遺品を収めたって言っていたんだが……』
「ん。それを取りにきた」
「そうかい。それなら、あたしも立ち会おう。一応、墓守を自任しているからね」
墓を開けるということに関して、そこまで忌避感がないらしい。まあ、こっちの世界だと死体がない場合なども多いだろうし、魂はすでに神の下へと旅立っていることが確定しているしな。
地球ほど、墓の意義は重くないのだろう。
『じゃあ、さっそくいくか』
「ん!」
 




