775 まさかの名前
抗魔の第一波、第二波をドワーフたちとともに退けると、その後大きな襲撃はなかった。
小さな群れが散発的に襲ってくる程度である。そして、数時間もすれば抗魔の姿は完全に消え失せていた。
周辺の抗魔をあらかた狩り尽くしたのだろう。ドワーフたちと相談していたブルネンが、兵士たちに撤収の指示を出す。
「そろそろ帰還するぞ。準備をしろ」
「もう帰る?」
「ああ。もうこの辺には抗魔はでないだろうから――」
「伝令です!」
そんな時、馬に乗った男性が陣地に駆け込んできた。どうやら、管理委員会の人間であるようだ。
非常に焦った様子である。人も馬も汗だくで、ここまで大急ぎで来たことが分かった。その姿を見て、兵士たちも緊急事態であると判断したのだろう。
無駄な取次などもほぼなく、ブルネンたちの前に通されていた。
ブルネンとオーファルヴが再び集まって、伝令の話を聞いている。
数分後。フランとヒルトたちがブルネンの下に集められていた。
そこで、伝令が焦っていた事情を知らされる。
「つまり、この少し先で、抗魔が大軍勢を形成してしまったということですか?」
「そうだ。バシャールという国の者たちが下手を打ったらしい」
「バシャール!」
まさかここでその名前を聞くとは思わなかった! フランも驚きの顔だ。
バシャール王国は、ミューレリアと組んで獣人国を攻めた、敵国の名前である。
しかし、その侵略はフランたちの活躍によって失敗し、逆に獣人国に攻め込まれているはずなんだが……。
「なんだ、フランは知ってるのか?」
「ん。獣人国の敵の国」
「ああ、もしかして先年、獣人国に戦を仕掛けて負けたっていう国か」
「それ」
獣王が舐められたままで許すはずもないし、既に滅んでいてもおかしくはないと思っていたが……。まだ残っていたらしい。
しかも、ゴルディシアの責務を果たすために、部隊を派遣してきたというのだ。獣人国の逆撃で危機に陥っているはずのあの国に、そんな余裕があるのか?
フランも同じことを口にすると、ブルネンが色々と教えてくれた。むしろこれが国を守るための策であるらしい。
「ゴルディシアの責務を果たすために派兵した国に対し、他国が攻めることは国際的に禁止されている。それを破れば、周辺の国全てが敵に回るだろう」
そういえば、そんな話もあったな。
ゴルディシア大陸に兵士を派遣している間に攻められるなんてことが頻発すれば、どの国も派兵を渋るようになるだろう。何せ、敵国に隙を見せることになるのだ。
そういった事態を防ぐために、国際的に条約のようなものが定められているようだった。
ゴルディシアへ派兵中の国へ戦を仕掛けることは許されず、戦争中であれば停戦をせねばならないらしい。
バシャール王国は自分たちの番がちょうど回ってきたことで、それを利用しようと考えたのだろう。
なんとか停戦で時間を稼ぎ、その間に態勢を立て直すか、獣人国との交渉を行おうというのだ。
しかし、名ばかりの利用では後々制裁を受けるかもしれない。数十人を派遣して、責務を果たしましたは許されないのだ。
そこで、しっかりと1000人単位の兵士を派遣し、真面目に抗魔狩りをする姿勢を見せていたようだった。
だが、気合だけで全てが上手くいくはずもない。
「どうも、練度や士気に、随分と問題があったらしいな」
獣人国との戦争で、騎士団やベテラン兵士に大きな被害が出てしまった。その結果、今回の兵士には若い新兵が多いそうだ。
しかし、無理やり連れてこられた新兵たちに、やる気など微塵もない。練度も最低クラスだ。できれば無茶をせずに、無事に国へ帰りたいと思っているだろう。
それでいながら、指揮官たちは無駄に意気軒昂であるらしい。自分たちが成果を上げてバシャールの意地を見せるのだと、自己陶酔しているのだ。
結果、根性論による無茶な命令を下す無能指揮官たちに、弱腰逃げ腰の雑魚兵士たちという、最低の軍勢が生まれたわけである。
そりゃあ、上手くいくはずもない。
予想通り、割り当て地域の防衛に失敗し、壊走することとなっていた。
「しかも、その敗走の仕方が最悪でな」
「どういうこと?」
「兵士が命令を無視して逃げ出したせいで、共同戦線を張っていた竜人の部隊に被害が出た。しかも、兵士が四方へと散り散りに逃げたことで、周辺全ての抗魔が一気に集まってきてしまったらしい」
バシャールの兵士たちが生餌となって、抗魔を必要以上に集めてしまったというわけか。
「現在、2万近い抗魔が集まってしまっている。放置するのは危険なので、それを討伐することになった」
「分かりました。それで、どのように戦うのですか?」
ヒルトが冷静に尋ねる。相手が2万と聞いても、全く動揺していなかった。ドワーフたちと自分たちが連携すれば、何とかなると思っているのだろう。
俺もそう思う。むしろ、ドワーフたちだけでもなんとかなりそうなほどだ。
「基本は、スノラビットのドワーフ戦士団が前に出るが、冒険者たちには遊撃を頼むことになる。危険な役目だが、よろしく頼む」
「いえ、正直修行としては物足りなかったので、有り難いくらいです」
「ん。私も問題ない」
「腕が鳴るな!」
ヒルトもフランもコルベルトも、2万の軍勢に突っ込むと聞かされても、嬉しげに笑っている。
ヒルトが喜んでいるのは意外だったが、すぐに理由が分かった。ヒルトは戦闘狂じゃないけど、修行のためなら手を抜かないタイプだ。
その視線は、唯一怯えた様子のフォボス君へと向いていた。
スパルタなのは見ていて分かってるけど、まさか2万の軍勢に特攻させたりせんよな?
「他からも救援部隊が来るそうだ。面倒事は起こすなよ?」
「? わかってる」
「頼むからな」
何故フランにだけ忠告する。ここ数日で、それなりに言うことを聞く、超有能冒険者っぷりを見せてやっただろ! いいかげん、フランをトラブルメーカーみたいに考えるのを止めなさい。




