749 デミトリスの理由
「儂が相手をしようか」
それまでは事態を静観していたデミトリスが、舞台へと降り立った。
「はははは! ランクS直々かい! 光栄だね!」
こんな状況でありながら、シビュラが喜色満面で叫ぶ。さすが戦闘狂だ。
「あんたは引っ込んでな!」
「わかりました」
シビュラはナイトハルトを下がらせ、自分が前に出てくる。そんな彼女に対して、デミトリスが早速動いた。
「ふむ」
「ぐ!」
離れた場所から、ジャブのように拳を突き出したのだ。すると、シビュラの顎がガクンと上に跳ね上がった。
「速い! さすがだねぇ!」
「今のでも笑っておるのか」
(師匠、見えた?)
『辛うじてな。だが、速い』
拳を突き出す動きに予備動作もなく、その速度は神速。飛ばしたと思われる気弾も、集中していなければ見逃していただろう。
あっさり撃ったように見えたが、相当な威力があったはずだ。シビュラだから笑っていられるが、他の奴なら頭がパーンとなっていただろう。
「ほれほれほれ」
「ぐっ! が! ご!」
「し!」
「ぶば!」
デミトリスの連続気弾攻撃が、シビュラの全身を殴打する。シビュラも躱そうとしているようだが、デミトリスがそれを許さなかった。
いいように嬲られているシビュラだったが、ヒルトやコルベルトがそれを見て驚いている。
「お、お爺様の攻撃をあれだけ食らって……」
「傷一つ、負わんだと……?」
戦闘力が低い者たちからは、デミトリスが弱い攻撃で牽制しているように見えるだろう。しかし、その1発1発には恐ろしいほどの威力が込められている。
もしかすると、ヒルトやコルベルトはその身で直に食らったことがあるのかもしれない。
「さすがだな! ランクS! 簡単そうに撃ってるのに、異様に重いぞ!」
「頑丈だなお主。これだけ打たれて、ここまで平然としている者は初めてだ」
「頑丈さだけは自信があるんでな! おらぁ!」
「ふむ。攻撃も悪くない」
「ちっ。念動もワンパンかい」
シビュラが放った念動は、俺がカタパルトを放つとき並の威力があった。そんな必殺の威力がある一撃を、デミトリスは手を軽く振るだけで消滅させてしまう。
身に纏う気の量がとんでもない。技の切れや素早さは、シビュラとそこまで差があるようには見えない。だが、込められた気が莫大であるせいで、威力が数段違っている。
「おらおらおらぁぁ!」
「ふん!」
「げが!」
シビュラが連続で剣を繰り出すが、全てが余裕で回避され、カウンターで拳が突き刺さる。
それでもシビュラの目は爛々と輝き、半笑いの口で舌なめずりをしていた。それを見るデミトリスは、何故か嬉しそうに見える。
「だりゃぁ!」
「むっ」
「ちっ! 当たったと思ったんだがなぁ! あっさり受けやがって!」
「良い斬撃だ。だが、それでは当たらん!」
「げは!」
初めて、デミトリスが多少力を入れた動きをした。舞台が凹むほどのダンという踏み込みとともに、捻り込むように右の拳を突き出したのだ。
膨大な力が乗った拳が、シビュラの鳩尾に叩き込まれる。しかし、シビュラは倒れない。それどころか、数メートル後退しただけで、腹を擦りながら僅かに苦しそうにしているだけであった。
フランが食らえば、間違いなく大ダメージの攻撃だったはずだ。さすがはシビュラ。防御力だけで言えば最高クラスなだけはある。
シビュラを見るデミトリスの顔には、明らかに戦士として喜びを感じている表情が浮かんでいた。
「今のも大して効かぬか。くくく」
「いや、結構効いてるぜ?」
「そうは見えんがな」
「こりゃあ、本気でやらないとマズそうだね」
そう呟いたシビュラが、ゆっくりと左手を上げ、眼前に掲げる。舞台の上にいた冒険者たちが、身を固くした。何かが起きる。それが分かったからだ。
左手から赤い魔力が立ち上るのが見えた。同時に、シビュラの気配が一気に変化する。今までも、飢えた魔獣のような凶悪な気配を纏っていた。
しかし、今はそれ以上だ。
急激に増した威圧感。周囲の冒険者が後ずさりをしたせいで、包囲の輪が一回り大きくなる。フラン戦で見せなかった、切り札を使うつもりか? まるで怒り狂う龍を前にしたかのような、圧倒的な存在感を放っていた。
そんな中でもデミトリスは相も変わらず、泰然自若とした態度だった。穏やかにさえ聞こえる声色で、シビュラに話しかける。
「……のう、お主。一つ聞きたい」
「なんだい?」
「レイドス王国は、クランゼル王国などの周辺国に陰謀や戦争をしかけ、多大な迷惑をかけていると言われているが、それについてはどう思う?」
「あぁ? 急だね」
「いいから答えろ」
「まあ、私としては申し訳ないと思っているが? 済まないね」
シビュラがそう言った瞬間、多くの人間から驚きの声が漏れた。レイドス王国の人間から、こんなにあっさりと謝罪の言葉が聞けるとは思いもよらなかったのだろう。
「言い訳になっちまうのは分かるが、私たちもこの国にくるまで、ここまで酷いとは思っていなかったんだ」
シビュラがレイドス王国の内情について、軽く話し出した。
その話を要約すると、レイドス王国は少し前に国王が交代したせいで中央の力が落ちており、東西南北の公爵が好き勝手にしているらしい。
特に南部、東部の公爵は領土への野心が強く、今でも他国への侵略を画策しているそうだ。様々な陰謀は、その足掛かりを狙ったものであろう。
自国の内情を敵国で喋ってしまうなんて、将校としては失格だ。普通ならあり得ない。交渉事に関しての経験が低いせいで、その辺がいまいち理解できていないのだろう。そもそも、鎖国しているような国の人間だ。外交なんてものの経験は皆無に違いない。
もしくは、それも承知の上で、レイドス全体が悪いわけじゃないとアピールしたいのか。他になんらかの狙いがあるのか。
どちらにせよ、戦闘の専門部隊の人間であるシビュラには、政治的なことはあまり興味がないのかもしれなかった。ただ、自国のやり方に憤っているのは確かだ。その謝罪には、本気の想いが籠っている。
「中央からは、国内情勢が落ち着くまでは大きな動きは控えるようにと通達している。それが、まさかここまで無視されているとは、思っていなかった」
中央は組織的にも弱体化し、公爵たちの動きも察知できなくなっているみたいだな。下手したら中央が送り込んだ査察用の人員が買収されたり、始末されたりしているのかもしれない。
「ふむ……。もう一つ聞きたい。お主はレイドス王国内で、それなりに自由に動ける立場なのか?」
「あんた、聞きたがりだなぁ」
「どうなのだ?」
「まあ、そうだね。6つある赤の騎士団は、国内を自由に行動する権限がある。そして、私たちに命令を下せるのは、王か宰相だけだ。それだけの自由裁量権が与えられている」
おいおい、それって凄くないか? あれだけの武力を持った奴らが、国内で好き勝手動いていい権限を持っている? 下手したら反乱の温床になると思うが……。
冒険者が国内から消えた時に急遽作られた、魔獣討伐専門の特殊な騎士団が彼らであり、今でもその時代の名残として自由行動が許されているそうだ。
冒険者の代わりに魔獣を狩るという役目に、それだけ重きが置かれているということなのかもしれないな。
デミトリスは軽く頷きながら、シビュラの答えを聞いている。そして、その口から驚きの言葉が飛び出していた。
「そうか……。のう? 儂をレイドス王国へ連れていってはくれんか?」
「はあぁぁぁ?」
「お爺様! 何を……!」
冒険者たちの壁の後ろに下がっていたヒルトが、思わずと言った様子で悲鳴を上げる。だが、デミトリスは取り合わない。
「こんなところでボケたのか爺さん?」
「ボケておらんわ。ずっと疑問に思っておったのよ。クランゼルもベリオスも他の国々も、レイドスのことをやれ邪悪で冷酷で最悪の国だと喧伝しよる。だが、それは本当か?」
デミトリスは、以前からレイドス王国に興味を持っていたらしい。謎に包まれた北の大国。
デミトリスが活動する地域では諸悪の根源のように語られ、悪い印象だけが蔓延る。
しかし、悪しきモノだけが棲む、滅ぼされるべき邪悪な国など、この世に存在するだろうか? いや、しない。国同士の利害が対立することで悪し様に言われることはあっても、国民含めすべてが邪悪であるなど、有り得るはずもない。
「その仮面の男のような者も確かにいるのであろう。だが、それだけとは思えぬ。しかし、レイドス王国は冒険者お断りの国だからな。情報など入ってはこない」
そもそも出入りがほとんどない国だ。どれだけ調べようとも、正確な情報は入らないのだろう。
デミトリスが本気で調べれば話は違ったのかもしれないが、今までは多少興味がある程度だったらしい。
それが、レイドス王国に所属する者たちを見て、一気に強い興味が湧いたようだった。
「だからって、いきなり連れてけとは、穏やかじゃないねぇ?」
「何事も、自らの目で見なければ、真に理解はできぬものだ。話を聞いたところで、必ず語り手の主観が入るからな」
「まあ、かもしれないねぇ……」
「それに、近頃は模擬戦をする相手がおらぬのだ。大抵の相手は1発で沈んでしまうし、復活にも時間がかかる。だが、お主なら違うだろう?」
そう言って、ニヤリと笑う。その楽しげな表情を見たら、むしろこっちのほうが理由としては大きいんじゃないかと思ってしまうな。
「くくく。私にサンドバッグになれってか? まあ、こちらとしても望むところだがね。私が苦手な、打撃の克服にちょうどいい」
「ならば、決まりだな」
「ああ、共闘と行こうじゃないか」
そして、デミトリスがシビュラに背を向け、冒険者たちを振り返った。
「と、いうことだお前たち。済まんが、見逃してはくれんかな?」