739 決着の一撃
掌底を突き出した体勢で固まったままのヒルトが、ゾンビのように揺れながら歩くフランを見つめる。その顔には、驚愕の表情が浮かんでいた。
奥義で仕留めきれなかったからだろう。神属性は、ある意味必殺の攻撃だ。特に、魔獣よりも生命力が劣る対人戦であれば、当てれば勝利できると考えていたに違いない。
だが、俺たちだってただ棒立ちでいただけではなかったのだ。フランは僅かに後ろに跳んでダメージを軽減しようとしていたし、俺は溜めていた念動を発動して咄嗟にヒルトの勢いを弱めたのである。
ほんの僅かなことであるが、それがフランの命を守ったのだろう。
俺は治癒魔術を唱え続けるが、フランの意識は朦朧としたままである。覚醒と閃華迅雷は既に解けてしまっていた。ダメージが大きすぎて、維持できなくなったらしい。
こんな状態になっても失わない闘志が、その体を突き動かしている。
「末、恐ろしい、わね……」
息も荒く、ヒルトが呟く。一流冒険者のヒルトから見ても、今のフランは感嘆に値するのだろう。
「でも、負けられない、の……!」
しかし、ヒルトは動かない。正確には、少しずつ動いている。まるでスロー再生でも見ているかのような、ゆっくりとした動作だ。
どうやら、奥義の反動が残っているらしい。動きは緩慢で、身に纏っていた膨大な気は鳴りを潜めた。
今のヒルトに勝利するのは、難しくはない。俺が単体で突撃し、攻撃を仕掛ければいいのだ。激戦によって魔力を消費しているが、念動カタパルトに加え、カンナカムイ1発くらいならなんとかなる。
しかし、それをしようとは思えなかった。
勝つにしろ負けるにしろ、この試合はフランが決めるべきだ。
「……」
「……」
息を整えることに全力を傾けているヒルトと、左右に揺れながら覚束ない足取りで前に出るフラン。
舞台の上は、驚くほど静かだ。
最初に大きな動きを見せたのは、ヒルトであった。
未だに顔色は悪いが、息は多少落ち着いてはきた。今までは過呼吸になるのではないかと思うほどに荒かった息が、全力ダッシュの後くらいにはなっている。
「はっ……はっ……」
苦し気に呼気を吐きながら、軽く突き出した左の掌をこちらに向けるヒルト。腰を落とし、スタンスを広く取る構えだ。
攻撃ではなく、カウンターや受けを主体に置いた構えに見えた。よく見ると、ヒルトの足が軽く震えている。もう、こちらに駆け寄る力も残っていないのかもしれない。
フランが相変わらず、ふらりふらりと定まらない足取りでヒルトに近づく。
少しずつ彼我の距離が縮まっていく中、突如俺に変化が起きた。
『なっ……?』
俺の形態変形が発動したのだ。剣から刀へ、姿が変わる。
俺が驚いたのは、自分の意図とは違うからだ。だが、無理やり操作されたわけではない。
フランの意思が俺に流れ込み、俺の体がごく自然にその意図を受け入れ、その結果形態変形を発動した。
そんな感じである。
変形した後に、自分がスキルを発動したのだと気付いた。
不思議な感覚だ。以前、剣神化したフランに使われた時に似ているかもしれないが、あの時よりも一体感を覚えている。
多分、剣神化状態のフランに振るわれている時は、圧倒的な技量を持った格上の何者かに使われているからだろう。
しかし、今はフランに必要とされているのが分かる。従属ではなく、共闘。剣と使い手として、絆のような物が感じられた。
(し……しょう……)
『フラン! 気付いたのか?』
(……いこう……かつ……)
ダメだ。未だにフランの意識ははっきりしていない。それなのに――いや、だからこそか? 無意識に、最善の行動をとっているのかもしれなかった。
こんな時なのに、俺の内では僅かな喜びが湧き上がる。意識がなくとも、俺を頼りにしてくれたのだ。相棒として、師匠として。
それが嬉しかった。
『ああ、勝とう!』
(……ん……)
俺の言葉が聞こえているのかいないのか。フランがほんの僅かに頷くように首を動かしたように思えた。
相変わらず、その歩みは遅い。
10秒。20秒。
しかし、それ以上に感じる重苦しい時間。観客たちが息を呑み、身を乗り出してこちらを見ているのが分かる。
さらに5秒が過ぎ、フランとヒルトの距離は残り5メートルまで縮まっていた。
「……ぁ」
焦点の定まらない、どこを見ているのか曖昧な瞳のフランが、不意にヒルトを見た。同時に、その体も動く。
移動して、斬る。それだけのことである。
ただし、あまりにも速く、あまりにも鋭く、あまりにも虚をつく動きであった。
俺ですら、ヒルトの肉と骨を斬った感触で、フランが攻撃したのだと気付けたほどである。
フランの突然の加速の正体は、魔力放出だ。全身の力を抜いた状態で、筋力を一切使わず、魔力放出の反動を利用して体を動かす。
背中を押すだけではない。肘から魔力を放出することで腕を振り上げ、肩から魔力を放出することで振り上げた腕を振り下ろす。他にも膝裏や腰、踵などからも魔力を放出していた。それらをほぼ一瞬で同時に行なったのだ。
やっていることはヒルトの迦楼羅に似ているが、フランのほうがより複雑で、高度なことをしていただろう。コルベルトがシビュラに対して放った、未完成の必殺技の完成形とも言える挙動であった。
相手の筋肉や呼吸、ほんの僅かな重心の移動。そういったものを見切り、対応することに慣れた達人であるからこそ、ヒルトは察知できなかった。
勿論、フランの魔力隠蔽が完璧だったということも大きいが。
この大会で見て、学んだことの集大成とも言える一撃だった。
直線的な速さ自体は、然程ではない。閃華迅雷状態のほうが、圧倒的に速いだろう。それでも、半死半生の人間とは思えない速さだったし、虚を突くという点ではこれ以上ない奇襲であった。
ヒルトも、全く反応できていなかったのだ。何が起きたのか分からないという目で、フランの茫漠とした目を見つめ返している。
ああ、ようやく今、自分が斬られたことに気付いたようだ。口をポカンと開いた。
「え?」
そんな声がヒルトの口から発せられ、遅れてその体から血が噴き出す。
崩れ落ちるヒルトの体を巻き戻しの光が包んだ。
『あ、あれだけ激しい激戦が繰り広げられた決勝戦ですが、決着は驚くほど静かでありましたぁ! 勝ったのは弱冠13歳! くりょ、黒猫族のフラン! 文句なく! 文句なく史上最年少の優勝者の誕生だ!』
かつてないほどに興奮した様子の解説者の声が響く。少し言葉が怪しくなるくらい、テンションが上がっているらしい。
俺は夢でも見ているかのような不思議な気持ちで、その言葉を聞いていた。




