701 エマート子爵
「いい戦いだった」
「先生! 来てくれたんですか!」
「ん」
モルドレッドの勝利を見届けたフランは、そのままナリアの控室へとやってきていた。
普通は簡単に教えてもらえる情報ではないと思うんだが、フランが係員に聞いたら速攻で教えてくれたのだ。情報管理が杜撰すぎやしないかと心配になる対応の速さである。
まあ、有名人であるフランだからだろう。地球だったら有り得ないが、こっちではランクと人気と地位次第で、黒も白になってしまうのだ。
いや、そこまでの権力の濫用をしたわけじゃないけどさ。
ナリアの控室には、見覚えのある顔が集まっていた。
ナリアと一緒にフランの船上指導を受けた大剣使いのミゲールと、槍使いのリディックがナリアを慰めている。彼らは予選で負けてしまったらしい。
「やっぱり、本戦は化け物の巣窟ですね……」
「国中から腕自慢が集まるからな。有名どころ以外にも、隠れた強者もいる」
「俺に勝った女剣士は、まさにそんな感じだったぞ。赤髪の目立つ女だったんだが、気づいたら場外で寝ていた。あれが無名とは信じられないぜ……」
肩を落としたナリアの呟きに、リディック、ミゲールが同調する。しかし、赤毛の目立つ女ね。
「ミゲールに勝った相手の名前は?」
「え? さあ、ちょっと分からないっすね。ただ、赤い髪の、妙に偉そうな剣士でした。いや、俺はその剣が振るわれるのを見ちゃいませんがね」
多分、シビュラのことだろう。武器は剣か。
フランは強敵と戦うのが好きだが、自分と同じ剣士が相手だとより燃える傾向がある。シビュラの得物が剣であると知って、ワクワクしてきたのだろう。
微かに笑みを浮かべている。
「じゃあ、私は観客席に戻る」
「あ、きてくれてありがとうございました!」
「ん。みんなは、これからどうする?」
「デュフォーたちと合流して、ダンジョンにでも行ってみますかね……。また1年鍛え直しですから」
「そう。頑張って」
「はい!」
ナリアは落ち込んではいるものの、腐ってはいないらしい。
自分の戦法が、格上のモルドレッドにほんの僅かでも通用したことが分かっているのだろう。俺から見ても、健闘したと思う。
例えば、持っていた短剣が魔剣だったら? 溶鉄魔術に耐えていたかもしれない。そうなれば、もう少し戦いは長引いたはずだ。
少なくとも、悪あがきをする時間は手に入っただろう。
傍から見れば、それは負けるまでの時間が数秒延びただけ。格下がみっともなく足掻いているだけに見えるに違いない。
だが、ナリアにとっては大きなチャンスなのだ。もし、もっと成長して、必殺技のようなものを手に入れていたら? その数秒が、勝負を分けることになるかもしれない。
まあ、簡単に言えば手応えがあったってことだ。自分の修行が無駄ではなかったと、実感できたのだろう。
去り際にその表情を窺うと、すでに笑顔だった。それは、修行をしたいと言っている時のフランの顔にそっくりだ。
『頑張れ』
「?」
『いや、フランの生徒が、次はもっとがんばれればいいなと思っただけだよ』
「ん。ナリアは頑張ってる。次はきっとやる」
『だな』
さて、再び観戦に戻ろうと歩き始めたんだが、見覚えのある男が怒りの表情で近づいてくるのが見えた。
「おい! お前!」
威嚇の声を上げつつ、肩を怒らせながら向かってくる。さきほど置き去りにした、態度の悪いデブだった。
「この儂を無視するとは、なんと無礼なやつだ! 不敬であるぞ! そもそも、このような子供が強いわけないではないか。やはり冒険者共の内輪話など当てにはならんな!」
「……」
「ふん。まあいいわ! 喜ぶがいい!」
「?」
「我が国の王が、貴様を騎士に取り立て、使ってくれるそうだ! 冒険者が栄えある我が国の騎士となるなど、前代未聞であるぞ!」
どっかの国の勧誘だったか。いや、勧誘って言っていいのか分からんけど。本当はフランを騎士にしたくなくて、わざと無礼な態度をとって怒らせようとしてるんじゃないか?
それで問題起こして、いちゃもん付けるのが目的とか?
「だが、冒険者如きを騎士にしてやるのだ。当然、試験も無しとはいかん! 一つ、仕事をこなしてもらおう。その仕事に成功すれば、貴様は我が国の騎士として――」
「お断り。騎士なんかになるつもりはない」
「な、なに? 聞き間違えたか? おい、お前如きを騎士にしてやると言っているのだぞ? そこは感謝して、跪くべきだろうが!」
「馬鹿なの? お前みたいなやつがいる国、何があっても絶対に嫌。死んだ方がマシ」
「け、ケダモノの冒険者風情が……!」
あー、この男。何が目的なのか知らんが、一発でフランを敵に回したな。冒険者と獣人を同時に馬鹿にされたフランは、怒りの表情で男を睨みつけた。
手加減のない怒気をぶつけられた男は、恐慌状態に陥ったらしい。
腰を抜かして、座り込んでしまった。だが、恐怖を感じると口数が増えるタイプだったようだ。弱い犬ほどよく吠えるってやつだろう。
漏らした尿でズボンと床を濡らしながら、醜い声で喚きたて始めた。
「な、なな、なんだその態度はぁぁ! 儂は、栄えあるシャルス王国の王家に連なった、高貴なる一族! エマート子爵であるぞ! こ、このケダモノが! 先程から頭が高いわ! ひれ伏せ! ひれ伏して這いつくばって、儂の足を舐めんか! 殺すぞっ! 殺してやるぞ!」
『とりあえず黙らせよう』
「ん」
俺が風魔術で音を遮断する。腰が抜けているようなので、逃げる心配はないだろう。
ただ問題なのは、こいつの言葉に嘘がないんだよな。本当に、シャルス王国の子爵っぽいのだ。
このお漏らし子爵の扱いをどうするか悩んでいたら、通路の向こうから走ってくる人影があった。30歳くらいの男だ。そして、エマート子爵を見て、絶望的な表情を浮かべた。
「エ、エマート子爵……!」
やべえ、こいつの仲間か? ここで騒がれると色々と面倒なんだが……。警戒して身構えたが、次にとった行動は予想外であった。
「こ、黒雷姫様ぁぁ! も、申し訳ありませんでしたぁ!」
子爵の仲間と思われる男が、フランに向かって綺麗な土下座を決めたのだ。




