693 デミトリス
武闘大会の開催まであと数日と迫ったある日。
俺たちは冒険者ギルドにやってきていた。今回はディアスに会うことが目的ではない。ソファの横に立っている、妙に疲れた顔のコルベルトでもない。
俺たちの目的は、目の前のソファに腰かける1人の細い老人であった。
「よくきたの」
よくきたと言うわりに、その顔には微笑みの欠片さえ浮かんでいない。ただ鋭い視線で、ジッとフランを見ていた。
外見は、少々顔が怖い痩身の老人である。
元々つり目なのだろう。細められただけで、まるでこちらを睨んでいるように見える。
髪は加齢によって白くはなっているが、非常に豊かだ。解けばボブくらいはありそうな髪を、短い髷になるように後頭部でまとめている。立派な口ひげと顎ひげを蓄え、まるで仙人のような姿だった。
まあ、発する気配は仙人などとは到底思えぬほどに物騒だが。
座っているので正確には分からんが、身長は170cm強といったところだろう。
高齢ゆえに水気を失い、さらに深い皺が刻まれたその肌は、まるでひび割れた樹木の表皮のようにも見える。
ただ、その皮膚の下にはしっかりと筋肉がついているのは分かった。薄く柔らかい、アスリートの筋肉の付き方である。未だに鍛錬を続けているのだろう。
紫地に黒い刺繍の施された着流しのようなゆったりめのローブを身に纏っているが、その上からでもハッキリと肉体の強靭さが見て取れた。
コルベルトが、少し前に出て口を開く。
「師匠――」
「もう師ではない」
「……デミトリス様、ヒルトお嬢さん。彼女がフラン。俺に勝った少女です」
「うむ。そうか」
「ふーん」
そうなのだ。今俺たちの目の前にいる老人こそ、ランクS冒険者、不動のデミトリスであった。
今のやり取りを見ただけで、一筋縄ではいかないと理解できる。
それともう1人。こちらもまた鋭い面差しの女性が、コルベルトとはソファを挟んで反対側。デミトリスの左横に、護衛のように立っていた。
コルベルトがお嬢さんと呼んだが、どんな関係なのだろうか? こちらも相当強いだろう。コルベルト並だ。値踏みする眼でフランを見つめている。
まあ、今はデミトリスが優先だ。
フランが軽く頭を下げる。
「私はランクB冒険者のフラン、です。よろしくおねがいします」
珍しくフランがしっかりと挨拶をした。相手が依頼に関わる人物であるということもあるだろうが、相対しただけでその強さが分かったのだろう。
その口調には、敬意が感じ取れた。
そんなフランに対し、老人が鷹揚に頷きを返す。
「儂はランクS冒険者のデミトリスじゃ」
ソファに深く腰かけて腕を組む姿は、一見すると隙だらけに思える。だが、もしフランが攻撃を仕掛けたとしても、手痛い反撃を食らうだろう。
それがハッキリと分かるだけの存在感があった。
別に、威圧感や殺気を飛ばしているわけではないんだが、立ち居振る舞いから実力がしっかりと理解できるのだ。
あえてなのだろう。実力のある人間であればはっきりと理解できる程度に自らの強さを見せることで、余計な争いが起きないようにしていると思われた。
これを感じ取れないほどに弱ければ、何十人いても瞬殺できるから問題がない。
そして、それでも襲ってくる相手がいたとしても、それはそれで問題ないはずだ。聞いた話を総合すれば、デミトリスは戦闘狂だからな。喜んで相手をするだろう。
コルベルトに色々と聞いてどんな偏屈爺さんかと思っていたんだが、想像よりはいくらかマシである。出会い頭で攻撃されるくらいは想定していたからな。
そもそも、こんな簡単に会ってもらえるとは思っていなかったのだ。
ただ、思ったよりも攻撃的ではなかったデミトリスに対し、何故かこちらを睨んでいるのがヒルトである。
いや、睨んでいるというか、どこか不機嫌というか……。ともかく、穏やかではない雰囲気なのだ。
フランの視線も、いつの間にかデミトリスからヒルトに向けられている。
「私はヒルトーリア。デミトリス流師範でランクA冒険者」
強いだろうとは思っていたが、ランクAか! となると、デミトリスの直弟子の一人ってことなんだろう。コルベルトが受けていた試練を突破した人間でもあるということだ。
「そして、デミトリスお爺様の直系の孫にして、正当後継者よ。よろしく」
全く「よろしく」とは思っていなそうな顔で、ヒルトが言い放った。
深緑色の髪の毛をサイドポニーにまとめた、長身の美女である。デミトリスと同じ紫基調の服だが、こちらはぴっちりとした、体のラインがハッキリ分かる布が小さめの武道着だった。
上は、袖の短いチューブトップタイプ。ヘソが丸見えだ。下はスパッツとショートパンツの間くらいのズボンだ。足を保護する目的の防具が、ニーハイソックスにしか見えん。
どれも一見すると薄手の布防具だが、実際は魔獣素材の高級防具である。サイズが小さいのは、動きやすさを重視しているからだと思われた。
明らかに格闘者だからな。鑑定せずとも、ハッキリと分かる。重心とか、動きを見たというわけではない。
手に嵌めたナックルダスターが、ギラリと剣呑な光を放っているのだ。元々銀色なのだろうが、今は赤黒く変色している。長年使い続けた結果、血が落ちなくなってしまったのだろう。それだけ、このナックルダスターをメインで使用しているということである。
「……」
「……」
フランとヒルトが視線をぶつけ合う。どうやら和やかには終われそうもない雰囲気だった。




